retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

小田急線経堂駅(八幡山一丁目 八幡社神社)

2014-08-10 06:31:21 | Weblog
東へ歩いていき、途中、北へ。
そのまま、北へ北へと、向かう。
しばらくすると、八幡社神社。
正月、ということで、こちらも、賑わっている。
創建は、わからないが、江戸時代の前、戦国時代、あるいは、室町時代、と思われる。
ちなみに、明治時代初め頃の、地図を見ると、八幡社神社の前、東西に伸びる道が、描かれている。
この道の方が、古いのだ。
近くを、鎌倉街道も、通っているし。
それなりに、昔から、開かれていたのだろう。
南へ。来た道を、戻る。
再び、東西に伸びる通り。
西へ、向かう。
(2013年1月記)

小田急線経堂駅(八幡山二丁目 東西に伸びる道路)

2014-08-09 07:09:11 | Weblog
希望ヶ丘団地。団地の名前、「希望」、まさに、当時の、時代を、象徴する言葉だな。
広場、公園、緑地帯、緑道、スーパー。
烏山川の、流路跡に沿うようにして、団地が、広がっている。
ちなみに、明治時代の、地図を、見てみると、烏山川流域は、田圃だったようだ。
それ以前は、細長い、湿地帯だったのかもしれない。
などと、昔のこと、考えながら、歩いていると、団地の北側に出る。
団地北側には、東西に伸びる道路。
団地が、完成した頃、この、道路も、開通したに違いない。
新しい、道路。
東西に伸びる道路、東へと、歩いていく。
(2013年1月記)

小田急線経堂駅(船橋七丁目 烏山川流路跡 烏山川緑道)

2014-08-08 06:09:23 | Weblog
山手住宅地と違うのは、集合住宅、マンションが、多くなることかな。
そちらの方が、歩いていて、ほっとするのだが。
ただ、緑道、だんだん、みすぼらしくなってくる。
烏山川緑道、しばらく、歩いていくと、希望ヶ丘団地の中へ。
高度成長期の終わり頃、建てられたのだろうか。
ちょっと、新しい感じがするので、もう少し、後かもしれない。
団地棟の間や、広場を、抜けて行く。
ほどなくして、普通の通りの、地下を、潜る、トンネル。
このような、なくてもいい設備を見ると、豊かな時代を、思わせる。
やはり、高度成長を達成した、安定期も頃かな。
希望ヶ丘団地の中、北西へ、向かう。
(2013年1月記)

小田急線経堂駅(船橋四丁目 烏山川流路跡 烏山川緑道)

2014-08-07 05:14:09 | Weblog
小田急線を越えて北側、いままでの、山手住宅地が、影を、潜める。
代わりに、現れるのは、郊外住宅地。
めっきりと、庶民的になる。
さらに、緑道も、さほど、整備されておらず、普通の、道路に、なってくる。
緑道は、北西へ。
途中、鎌倉街道を、横切るのだが、何も、ないので、気付かなかった。
かつて、鎌倉街道が、通っていた頃、烏山川には、船橋、という、橋が、架かっていたらしい。
その、橋の名が、地名にも、なっている。
船橋、というのは、浮船を、並べて、作る、橋のことで、広い、湿地帯などに、多かったようだ。
だとすると、ここらへん、烏山川が、澱み、沼地のように、なっていたのだろうか。
谷地、という、感じがしないので、そうだったのかもしれない。
さらに、北西へと、歩いていく。
(2013年1月記)

小田急線経堂駅(経堂四丁目 烏山川流路跡 烏山川緑道)

2014-08-06 05:12:56 | Weblog
烏山川流路跡の東側、小田急線の北側には、石仏公園。
謂れがありそうな、名前だが、どんな、謂れなのか、わからない。
完成したのが、いつかも、わからない。
それほど、歴史があるとも思えないけど。
ちなみに、バブルの頃の、地図を、見ると、石仏公園、当時から、すでに、あるようだ。まだ、小田急線が、高架に、なっていない頃のことだが。
おそらく、高度成長を、達成した、安定期、整備されたのかもしれない。
名前からすると、寺社の、跡地だろうか。
烏山川の、畔に、あったのかな。
石仏公園を後にして、烏山川緑道、北へと、進む。
(2013年1月記)

小田急線経堂駅(経堂三丁目 烏山川流路跡 小田急線高架下)

2014-08-05 05:02:34 | Weblog
当時のこと、あまり、覚えていないのだが。
覚えているとすれば、賑やかな商店街、その中に、山手住宅地らしい、おしゃれな感じの店、そんなところだろうか。
あの頃、何十年も、経った、未来、今のことだが、こんな世の中に、なっているとは、想像もしなかった。
などと、昔のこと、思い出していると、烏山川緑道は、北へと、向きを、変える。
そのまま、北へ、歩いていくと、小田急線の、高架。
当時は、小田急線、まだ、高架では、なかったはず。
もっとも、そこまでは、まったく、覚えていないけど。
小田急線高架を、潜り、さらに、北へと、歩いていく。
(2013年1月記)

小田急線経堂駅(経堂一丁目 農大通り商店街)

2014-08-04 03:29:19 | Weblog
西へ西へと、歩いていくと、北に伸びる、細い、通り。
農大通り商店街、となっている。
商店街は、小田急線経堂駅まで、伸びているので、経堂駅の、商店街、なのだろう。
経堂駅に、ショッピングセンターが、できたとして、まだ、商店街は、残っているようだ。
かつてほどの、賑わいは、ないのだろうけど。
ちなみに、商店街の、名前になっている、農大は、南側、世田谷通り沿いにある。
なぜ、そのように、離れた場所になる、農大が、商店街の、名前になったのかな。
実は、かなり、昔、バブルの頃だろうか。
農大の近くまで、行ったことがある。
農大の近く、ということで、そこまで、どうやって行ったのか。
覚えているのは、確か、小田急線経堂駅から、歩いたのだ。
帰り、同僚と、歩いたのだが、遠くて、これでは、最寄駅ではないな、と言いつつ。
商店街を抜けると、あとは、真っ暗、夜の、住宅地。
つまり、農大へ、行くには、遠くとも、経堂駅から、歩くしかなく、そのため、その、道程にある、商店街は、農大通りとなった、と思える。
農大通り商店街を、後にして、再び、西へ。
(2013年1月記)

東急世田谷線宮の坂駅(経堂一丁目 烏山川流路跡 烏山川緑道)

2014-08-03 07:06:39 | Weblog
道路が、平行して、通るようになる。
烏山川緑道、まるで、その、道路の、歩道みたいな、感じだ。
まわりは、ますます、高級な、住宅地。
こんなところに、住んでいたら、人生観、変わってしまうだろうな。
今日は、正月なので、静か。
ジョギングや、散歩をしている、住民ぐらいしか、いない。
店は、あっても、閉まっている。
このまま、歩いていくと、小田急線なのだが、鉄道路線が、近くにあるとは、思えない、静かさだ。
商店は、駅ショッピングセンターに、集約されているのかな。
烏山川流路跡を、西へ、向かう。
(2013年1月記)

東急世田谷線宮の坂駅(宮坂一丁目 烏山川流路跡 菫橋跡)

2014-08-02 07:09:05 | Weblog
閑静な住宅街の中、烏山川緑道は、続く。
こういう住宅地、川が、なくなっても、こうして、細長い、公園になるものだ。
しばらく、歩いていくと、菫橋。
橋の痕跡だけが、僅かに、残っている。
川跡を、横切る道は、たいてい、かつて、橋が、架かっていて、このように、その、痕跡を、残しているようだ。
話は変わるが、菫橋、ずいぶんと、可憐な名前。昔、烏山川が、流れていた頃、川辺に、菫の花が、多く、咲いていたのであろうか。
当時の、田園、長閑な、風景が、想像できる。
烏山川緑道、さらに、西へと、歩いていく。
(2013年1月記)

東急世田谷線宮の坂駅(宮坂一丁目 道路工事現場)

2014-08-01 06:09:28 | Weblog
烏山川緑道、西へ、歩いていくと、南北に、伸びる、道路の、工事現場。
南側は、トンネルになっている。
さらに、その、南側、世田谷通りまで、達しているようだ。
以前、世田谷ボロ市通りを、訪れたとき、道路工事現場が、あったことを、記憶している。
その先は、教育センター通り、そして、駒沢通りまで、伸びるのかもしれない。
北側は、どうだろうか。
まったく、わからない。
どこかの、通りに、接続するのは、間違いないとは、思うのだが。
おそらく、とりあえずは、小田急線を越えたところ、東西に伸びる、通りまでかな。
さらには、その、北側、赤堤通り、というところだろう。
そして、将来的には、甲州街道まで、なのかもしれない。
道路工事現場を、後にして、さらに、西へ。
(2013年1月記)