retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京王線芦花公園駅(南烏山四丁目 京王線の線路)

2014-08-20 06:10:46 | Weblog
京王線沿線は、小田急線沿線と比べ、一段と、郊外、という感じがする。
もう、山手住宅地ではない。
庶民的で、いいのだが。
ところで、京王線の開業は、大正時代。
昭和の初め頃、開業した、小田急線よりも、古い。
おそらく、甲州街道沿いが、すでに、開けていたのだろう。
ただ、そうした、地域は、旧市街になり、新しい、再開発は、遅れるものだ。
新しい、昭和の、郊外化は、小田急線沿線の方が、先になり、京王線沿線は、取り残されたのかな。
もっとも、そのような、取り残された感じが、居心地いいのだけど。
踏切を、越え、京王線の、北側に、出る。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(南烏山二丁目 烏山川流路跡)

2014-08-19 04:58:41 | Weblog
烏山川の畔に、烏山神社があった、とすると、烏山川の、流路跡、だいたい、わかるのだが。
烏山神社の、東側、北に伸びる、細い道、辿っても、どうも、途切れてしまう。
ひょっとすると、東側にある、集合住宅の敷地内に、流路跡が、あるのかも。
さっき、訪れた、希望ヶ丘団地のことを考えれば、それは、ありえる。
つまり、烏山川の、流域が、低湿地帯になっていて、その後、そのような場所、開拓されて、田圃へ。
その、田圃が、集合住宅に、なったのだ。
そうなると、烏山川の、流路跡は、集合住宅の、敷地内、と考えられる。
ということで、集合住宅の中に、入ってみるが、もとより、緑道などに、整備されているわけではないので、わからない。
わからないうちに、京王線の、線路に、行き当たってしまう。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(南烏山二丁目 烏山神社)

2014-08-18 05:19:09 | Weblog
細い道、北へと、歩いていく。
途中からだろうけど、おそらく、この細い道が、烏山川流路跡、と思われる。
しばらくすると、西側に。烏山神社。
このあたり、代表する、神社だが、創建は、わからない。
江戸時代かもしれないし、あるいは、もっと、古いかもしれない。
ちょっと、離れるが、南側には、鎌倉街道が、通っていたので、さらに、もっと、古いかもしれない。
ただ、烏山神社、烏山川の、岸辺にあり、烏山川流域が、開拓されたのが、江戸時代、とすると、やはり、江戸時代の、創建のようにも、思える。
おそらく、そんなところかな。
再び、北へと、歩く。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(南烏山二丁目 集合住宅群)

2014-08-17 07:08:58 | Weblog
西に向かうと、すぐに、集合住宅。
烏山川流路跡、続いているようだ、やがて、見失ってしまう。
もしかすると、と思い、集合住宅の手前で、南へ。
すると、果たして、北西方向に、流路跡らしき、細い道。
ただ、実際、流路跡かどうか、わからない。
その、細い道を、北西へ、歩いてみる。
しばらくすると、集合住宅の、西側。
集合住宅の中、流路跡が、あるとすれば、この場所に、繋がっているはず。
と、類推できたとしても、わからないな。
はっきりしているのは、もはや、流路跡、緑道どころか、痕跡すら、なくなってしまっている、ということだ。
山手住宅地との、一層の、隔たりを、実感してしまう。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(南烏山一丁目 世田谷文学館)

2014-08-16 06:04:54 | Weblog
烏山川流路跡、西へ西へと、歩いていくと、北側には、豪壮な、民家風建物。
どこぞの、屋敷かなと、近付いてみると、世田谷文学館、とある。
昔の、豪農か、代官の、屋敷みたいで、なぜ、文学なのか、わからない。
地図を見ると、ちょっと、離れるが、南側に、蘆花公園、というのがあり、小説家、徳富蘆花、ゆかりの、公園、ということで、この地にも、文学館が、あるらしい。
蘆花公園の、一部、なのかも。
もっとも、なぜ、屋敷みたいな、建物か、ということは、わからないけど。
本当は、このような、邸宅風建造物から、もっと、小田急線山手住宅地に、近い場所に、建てたかったのかもしれない。
屋敷には、興味はないので、世田谷文学館を後にし、さらに、西へと、進んでいく。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(粕谷二丁目 烏山川流路跡)

2014-08-15 06:57:08 | Weblog
環状8号線、歩いていくと、ほどなくして、烏山川流路跡、西へ、向きを、変える。
このように、大きく、蛇行している部分、川が、澱んでいたのかもしれない。
流路跡南側には、学校や、集合住宅が、並んでいるのは、そのように、澱んで、沼沢地に、なっている、場所を、利用したのかも。
宅地にするには、地盤が、それほど、固くない、というわけだ。
明治時代、江戸時代、一帯は、田圃、だったのだけど。
とすると、環状8号線は、東側、希望ヶ丘団地あたり、かつての、湿地帯と、こちらの、かつての、湿地帯の、真ん中を、通っていることになる。
多少とも、工事が、楽な、場所を、選んだのかもしれない。
わからないけど。
烏山川流路跡、西へと、向かう。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(粕谷二丁目 環状8号線)

2014-08-14 05:23:02 | Weblog
あいかわらず、とても、混んでいる。
関越自動車道、中央自動車道、東名高速、第三京浜、さらには、羽田空港まで、あるので、混んでて、当然かもしれない。
ここらへん、開通したのは、いつのことだろう。
高度成長期、あるいは、その後の、安定期、かな。
ところで、環状8号線、というと、覚えているのが、井荻トンネル。
西武新宿線との、立体交差部分だ。
開通したのは、バブルが崩壊した後。
着工された頃から、工事現場を、よく、見に行ったものだ。
工事は、遅々として、進まず。
開通まで、かなり、時間が経ったように思う。
そんな、昔のことなど、思い出しながら、環状8号線、さらに、北へと、歩いていく。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(八幡山三丁目 烏山川流路跡 環状8号線近く)

2014-08-13 04:48:37 | Weblog
裏道のような、烏山川流路跡 北へ歩いていく。
ほどなくして、南北に伸びる、環状8号線。
しばらくは、環状8号線の東側、沿うようにして、伸びている。
見るからに、川の跡、だとわかるような、感じ。
ひょっとしたら、少し前まで、水流が、あったのかも。
ただ、このような感じだと、緑道どころか、流路跡の、歩道ですらない。
将来的には、歩道に、整備するのかもしれないけど。
ここまで来ると、都心西部の、郊外。
小田急線南側の、山手住宅地とは、ずいぶん、違うな。
環状8号線、東側の歩道を、北へ、向かう。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(八幡山二丁目 烏山川流路跡 環状8号線近く)

2014-08-12 05:08:32 | Weblog
東西に伸びる、通りの、北側は、公園のような、感じだったが。
そこから、北へ向かうに従い、緑道、細く、みすぼらしくなっていく。
もはや、緑道ですらなく、ただの、細い、歩道のようだ。
山手住宅地では、見られぬ、ただ、川筋を、覆っただけの道。
川として残し、親水公園にするのが、一番、いいだろうけど。
ただ、川の縁まで、宅地化されているので、そもそも、無理かな。
今は、建物の、隙間に、なってるし。
そんな、烏山川流路跡を、辿って、北へと、歩いていく。
(2013年1月記)

小田急線経堂駅(八幡山二丁目 烏山川流路跡 烏山川緑道)

2014-08-11 06:09:57 | Weblog
実は、希望ヶ丘団地を出たところで、烏山川の流路跡が、わからなくなっていた。
希望ヶ丘団地の、西側に、希望丘公園が、広がっているが、この中に、烏山川流路跡が、あると思っていたけど。
実際は、違うようだ。
今、歩いている、東西に伸びる、通りが、一部、烏山川流路跡だったらしい。
川筋、南東へ、向かっていたが、途中、東へ、向きを変え、また、再び、南東へ、というところだろう。
緑道が、整備されていないと、もう、完全に、わからなくなるな。
とりあえず、東西に伸びる、通りの、北側には、再び、烏山川流路跡の、烏山川緑道。
もっとも、小田急線南側の、緑道に、比べると、ずいぶん、みすぼらしくなってしまった。
再び、烏山川流路跡を、辿ることにする。
(2013年1月記)