retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

総武線東中野駅(マイロード大町商店街)

2014-06-10 06:20:59 | Weblog
神田川から、東へ向かうと、ほどなくして、マイロード大町商店街。
全体的には、北新宿四丁目商友会、という商店街らしい。
他の地域と、同じく、それほど、賑やかではないけど。
ただ、昔は、ひょっとすると、かなり、賑やかだったのかも。
神田川の、南側、そのまま、ずっと、東側、高田馬場になる。
賑やかだったとすれば、高田馬場まで、連なっていたのかもしれない。
今でも、高田馬場から西側、ずっと、商店が、続いている。
当時の、痕跡かな。
そう考えると、楽しくなる。
マイロード大町商店街を、東へ。
(2012年12月記)

総武線東中野駅(東中野五丁目 神田川 大東橋から臨む)

2014-06-09 04:15:14 | Weblog
とりあえず、上落合仲通りを、北へ。
突き当りを、東へ、向かう。
高層住宅と、日本閣を中心とした、再開発地帯を、迂回しているわけだが。
公開地として、一般に開放しても、よかったかもしれない。
あまり、近道する、用事は、ないかもしれないが。
再開発地帯の、北側を、東に、歩くと、しばらくして、北へ流れる、神田川。
土手上の道には、桜並木。
桜の咲く頃は、きれいな、景観なのだろう。
一昔前なら、神田川、というと、頻繁に、氾濫する、というイメージしか、なかったのだけど。
随分と、変わったものだ。
なんだか、再開発地と、セットのような、気もする。
そんな神田川、大東橋で、渡り、東岸へ。
(2012年12月記)

総武線東中野駅(東中野五丁目 日本閣周辺)

2014-06-08 07:07:31 | Weblog
東中野駅に戻り、駅北口を、東へ。
賑やか、といっても、一昔前と比べれば、静かな方だろうか。
駅前広場はなく、通り北側に、店舗が、並んでいる。
さらに、その北側は、もう、住宅地。
商店街が、伸びているような、感じはしない。
さっき、通った、山手通り沿いが、商店街、というところだろう。
そんな、東中野駅前北側を、通り過ぎると、南北に伸びる、上落合中通り。
こちらも、商店街になっている。
その東側、掘割になっている、もう一つの、上落合中通り。
こちらは、中央線の、下を、通っているようだ。
また、その、東側には、高層住宅。
掘割になった、上落合中通りの上、陸橋が、架かっていて、高層住宅に、直接、行けるようになっている。
まるで、ペデストリアンデッキ。
高層住宅の北側には、日本閣もある。
まさに、駅前再開発、という感じだ。
(2012年12月記)

総武線東中野駅(クラッシィタワー東中野工事現場)

2014-06-07 07:10:03 | Weblog
閑静な、寺町を、離れ、都心の、住宅地、南へと、歩いていく。
寺町は、閑静だが、住宅地は、そうでもない。
おそらく、寺町から、北側が、完成なのだろう。
こちらは、むしろ、神田側へ向かう、下り勾配。
しばらく、進んで行くと、中央線の、線路際に、辿り着いた。
線路は、掘割になっている。
河川ではないのものの、そういう、感じではある。
中央線の、北側、線路掘割の、土手沿いに、東へと、向かう。
徐々に、増してくる、駅前らしい、賑やかさ。
やがて、東中野駅。
その手前、南北に、山手通りが、伸びている。
山手通りを、北へ。
すぐに、通りの、東側、クラッシィタワー東中野の工事現場がある。
(2012年12月記)

東西線落合駅(上高田一丁目 龍興禅寺)

2014-06-06 06:09:07 | Weblog
西へ歩いていくと、龍興禅寺。
創建は、江戸時代の初め頃。
創建の地は、今の、飯田橋駅の北側、神田川沿い、だったらしい。
その後、しばらくして、いったん、市谷に、移り、すぐに、小日向、今の、江戸川橋駅の、北側、台地の、上に、移転。
江戸時代、なかなか、寺勢、盛んだったようだ。
時代は、下り、明治時代の終わり頃、この地に、移ってきている。
やはり、都市が、拡大し、小日向のような、文京山の手も、変わったのだろうか。
そもそも、文京山の手が、整備された頃だろうか。
まだ、寺院は、西へ、並んできるが、中野まで、並んでいそうな、感じなので、南へと、曲がり、住宅地の中、南へと、向かう。
(2012年12月記)

東西線落合駅(上高田一丁目 源通寺)

2014-06-05 06:09:37 | Weblog
青原寺の西側には、源通寺。
寺院が、多い。
源通寺、創建は、江戸時代の初め頃。
創建の地は、神田、ということらしい。
しばらくして、江戸の町の拡大に、ともない、浅草へ、移転。
今、寺町となっている、一画、なのだろう。
江戸時代の後、明治時代の終わり頃、再び、移転。
この地に、移ってきている。
移ってきている時期は、みな、同じ。
興味深いことだ。
都心と、郊外が、できはじめる頃かな。
さらに、西へと、歩いていく。
(2012年12月記)

東西線落合駅(上高田一丁目 青原寺)

2014-06-04 06:08:09 | Weblog
正見寺の西側には、青原寺。
寺院が、連なり、寺町、となっている。
青原寺の方、創建は、鎌倉時代の後、室町時代の終わり頃か。
場所は、わからない。
たぶん、今の、青山、かな。
鎌倉時代、鎌倉街道は、南北に伸びるばかりだったが、時代が、下ると、東西に、伸びる、通りも、現れ始める。
赤坂、青山、渋谷、あたり。もっとも、当時、このような、地名だったのかどうか。
いずれにしろ、今の、青山あたりにも、往来が、あったのだろう。
青原寺の創建は、そうのような時代だったのかもしれない。
時代は下り、明治時代の終わり頃、この地に、移転。
今に至る。
(2012年12月記)

東西線落合駅(上高田一丁目 正見寺)

2014-06-03 05:10:59 | Weblog
西へ歩き、しばらくすると、正見寺。
その他にも、寺院が並び、寺町になっている。
正見寺だが、創建は、鎌倉時代の後、室町時代、終わり頃らしい。
ただ、創建の地は、ここらへんではない。
その後、江戸時代の初め頃、赤坂に、移転している。創建の時期は、この時、といってもいいかも。
さらに、その後、他の寺院と同様、江戸の町の、拡大にともない、移転している。
移転先は、四谷。
おそらく、四ッ谷駅の西側、今も、寺町になっている、一画、と思う。
時代は下り、明治時代の、終わり頃、また、移転。
この地に、移ってきている。
都心が、さらに、拡大したのだろう。
(2012年12月記)

東西線落合駅(上落合三丁目 早稲田通り)

2014-06-02 04:11:57 | Weblog
すぐに、東西に伸びる、早稲田通りとの、交差点。
早稲田通りを、西に向かう。
昔は、クルマで、何度か、通った。
青梅街道が、混むので、その裏道。
普通の道路なので、信号も多く、あまり、便利ではなかったけど。
ただ、そのまま、まっすぐ、行くと、結局、青梅街道に、出てしまう。
そこで、適当なところで、北へ曲がり、北へ。
東西に伸びる、新青梅街道に、行く着くと、再び、西へ、向かったものだ。
もっとも、こちらも、普通の道路で、同じく、あまり、便利ではなかった。
でも、住宅地の中の通り、ということで、静かな感じ。
そんな、早稲田通りを、西へ、向かう。
(2012年12月記)

東西線落合駅(東西線落合駅入口)

2014-06-01 07:11:50 | Weblog
しばらく、歩いていくと、東西線落合駅。
この駅で、降りたことは、ほとんど、ない。
昔、一度、降りたぐらいかな。
中井駅から、歩ける距離なので、駅を、使う必要もないし、それ以前に、そもそも、特に、行く用もない。
まわりは、北の、妙正寺川と、南の、桃園川に、挟まれた、尾根、台地。
いちおう、山の手、となっている。
住宅地に、豪邸が、並んでいる、という風には、思えないけど。
ただ、近くを、鎌倉街道が、通っていて、そのような、歴史、は感じる。
今回は、そうした、場所を、歩いていく。
(2012年12月記)