retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

副都心線北参道駅(千駄ヶ谷二丁目 瑞円寺)

2014-06-20 06:08:27 | Weblog
鳩森神社を後にして、東側、南北に伸びる道路を、南へ。
しばらくすると、東側には、瑞円寺。
いちおう、鳩森神社と、セットだったようだ。
江戸時代の地図を見ても、今と、変わらず、道路を挟んで、鳩森神社の、南東側、という風だったようだが。
創建は、わからない。
鳩森神社は、確かに、古いのだけど。
ひょっとすると、江戸時代になってからかもしれない。
瑞円寺の東側に出て、北へ、向かう。
(2012年12月記)

副都心線北参道駅(千駄ヶ谷一丁目 鳩森神社)

2014-06-19 04:50:54 | Weblog
おそらく、江戸名所図会に、描かれている、富士塚、今、目の前の、富士塚と、同じと思われる。
そう思うと、不思議な、感じだ。
もう少し、境内を、歩いてみる。
ところで、鳩森神社の創建についてだが、はっきりとは、わからない。
ただ、相当、古いことは、確かだ。
そばを、鎌倉街道が、通っているので、少なくとも、鎌倉時代。
あるいは、さらに、昔、かもしれない。
あたりは、台地、太古の昔から、暮らしがあった、と思える。
とすると、その当時の、祭祀の場、だったのかも。
その跡が、神社に、なったのかもしれない。
今となっては、もう、わからないが。
(2012年12月記)

副都心線北参道駅(千駄ヶ谷一丁目 千駄ヶ谷富士塚)

2014-06-18 07:12:58 | Weblog
坂を上る、ということは、この先に、尾根がある、ということ。
明治通りが、尾根、というわけでもないみたい。
この先、かつての、鎌倉街道。
やはり、昔の、街道は、尾根筋を、通っているようだ。
坂の途中、南側には、鳩森神社。
さっそく、境内に、入ってみる。
すぐに、小高い、山。
千駄ヶ谷富士塚、ということらしい。
富士塚が、築かれたのは、江戸時代。
ちなみに、江戸名所図会にも、載っている。
(2012年12月記)

副都心線北参道駅(千駄ヶ谷一丁目 東京外苑東京体育館への坂道)

2014-06-17 05:20:57 | Weblog
昭和の、時代から、取り残されたような、住宅地。
東へと、歩いていくと、北東に伸びる、上り坂。
その先には、東京外苑が、広がっている。
高度成長期、整備された。東京オリンピック、なのだが。
とすると、東京外苑も、昭和の、時代から、取り残された、ということかも。
おそらく、そういう、ことだろう。
高度成長期の後の、安定期、バブル期は、拡大の時代。
都心部は、むしろ、変化、は少なかった。
バブルが、崩壊して以降、再開発は、都心に、集中。
ただ、ここらへん、まだ、再開発は、及んでいないようだ。
ひょっとすると、東京外苑が、再開発されないからかもしれない。
わからないけど。
北東への、坂道を、上っていく。
(2012年12月記)

副都心線北参道駅(千駄ヶ谷三丁目 古い家屋)

2014-06-16 04:00:22 | Weblog
新宿イーストサイド地階から、さらに、下へ。
改札を抜け、副都心線東新宿駅ホーム。
たしかに、便利。
こうして、ダイレクトに、地下鉄に、乗り込める。
副都心線で、北参道駅。
代々木駅か、千駄ヶ谷駅でも、いいのだけど。
でも、歩かない分、早いのは、確かだ。
地上に出ると、南北に伸びる、明治通り。
明治通り、といえば、尾根道。
尾根道、ということで、東側には、鎌倉街道が、通っていたようだ。
明治通りから、東へ。住宅地の中、入っていく。
タイムスリップをしたような、変わらぬ、家並み。
おそらく、高度成長期から、変わっていないのだろう。
そんな、住宅地の中、東へと、歩いていく。
(2012年12月記)

都営大江戸線東新宿駅(新宿イーストサイド地階)

2014-06-15 06:31:30 | Weblog
新宿イーストサイドの地階は、飲食店スペースになっている。
サンクンガーデン、というらしい。
地表部の、緑地帯、公園も、含むのかな。
わからないけど。
地階スペースの一画には、地下鉄への、入口。
そういえば、たしか、南側の、高層住宅には、スーパーも、あったっけ。
典型的な、駅前再開発。
駅近くに、一通り、揃っている。
駅構内、というわけでもないけど、外に出ないでも、済んでしまうのだ。
しかも、地下鉄で、すぐに、都心部、いろいろな場所へ、行ける。
まさに、再開発が、拡散しないで、集中する、ということだろう。
(2012年12月記)

都営大江戸線東新宿駅(新宿イーストサイドスクエア)

2014-06-14 04:15:46 | Weblog
高田馬場駅で下車。
早稲田通りを、東へ。
坂を、上っていく。
しばらくして、南北に伸びる、明治通り。
坂の上の、尾根道。
尾根道、ということは、太古の道、あるいは、鎌倉街道、なのだが。
実際、東側には、鎌倉街道跡、が通っている。
南へ歩いて、ほどなくして、副都心線西早稲田駅。
副都心線に乗り、隣の、東新宿駅で下車。
西武新宿駅から歩いても、あるいは、そのまま、明治通りを、歩いていっても、よかったのだが。
それはそれとして、さっそく、東新宿駅、地上に出てみる。
地上に出ると、明治通りの、東側、新宿イーストサイドスクエア。
最近、完成した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
(2012年12月記)

総武線大久保駅(北新宿三丁目 大久保通り)

2014-06-13 06:09:47 | Weblog
南へ。来た道を、引き返す。
神田川の、東岸、台地になっていて、静かな、住宅地。
昔から、暮らしやすかったのだろう。
太古の、遺物が、あったのかどうかは、わからないけど。
ひょっとしたら、鎧神社あたり、あるのかも。
などと、考えているうちに、だんだん、賑やかになっていく。
しばらくして、東西に伸びる、大久保通り。
大久保通りを、東へ。
インターナショナルな感じ。
このように、賑やかになったのは、たしか、バブルの頃、だったかな。
歌舞伎町繁華街が、肥大化して、北側まで、迫り出した、というところ。
今も、相変わらず、賑やかだが、当時とは、ちょっと、違うかもしれない。
大久保駅を通り過ぎ、新大久保駅。
もう、帰ることにする。
郷愁に浸る、暇も、ない。この先、ずっと、ないかもしれない。
新大久保駅改札を抜け、山手線ホームへ、向かう。
(2012年12月記)

総武線東中野駅(北新宿三丁目 鎧神社)

2014-06-12 06:08:32 | Weblog
細い道、北へ北へと、歩いていくと、西側には、鎧神社。
こちらも、創建は、わからない。
やはり、鎌倉時代、というところだろうか。
昔のことなので、実際、わからない。
そのこととは、別にして、このあたり、柏木、という地名だったそうだ。
昔は、柏木、かなり、南側に、広がっていたらしい。
そして、その中心が、今の、鎧神社、円照寺、のあたり。
中心地だったから、名残りとして、寺社が、あるのだろうか。
やはり、はっきりとは、わからないな。
遺物として、館跡、なんて、出てくれば、ちょっとは、わかるのに。
もう、すっかり、歴史の中に、埋もれてしまった。
今は、静かな、住宅地が、広がるのみ。
(2012年12月記)

総武線東中野駅(北新宿三丁目 円照寺)

2014-06-11 04:39:10 | Weblog
北新宿四丁目の、商店街から、南へ。
住宅地の中、南へと、歩いていく。
しばらくすると、中央線高架。
トンネルを潜り、南側に出る。
さらに、南へ南へと、向かう。
ほどなくして、円照寺。
創建は、よくわからない。
鎌倉街道が、開通してから、あたりが、拓かれたとすると、鎌倉時代の、終わり頃だろうか。
あるいは、もう少し、あたらしいのかもしれない。
円照寺を後にして、東へ。
すぐに、北へ曲がり、そのまま、北へ向かう。
(2012年12月記)