retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東急大井町線荏原町駅(旗の台三丁目 旗ヶ岡八幡神社)

2014-04-20 07:12:23 | Weblog
法蓮寺の北側には、旗ヶ岡八幡神社。
こちらは、平安時代後半の、創建。
かなり、古い、神社だ。
太古の街道が、交錯している場所なので、古い神社が、あっても、不思議ではないのだけど。
あたりは、立会川の、北岸、台地の南側斜面。
いかにも、暮らしやすそうな環境、太古の昔から、集落がある感じ。
住宅地も、長閑な、雰囲気。
太古の昔から、暮らしが、続いているのだろうな。
(2012年12月記)

東急大井町線荏原町駅(旗の台三丁目 法蓮寺)

2014-04-19 07:15:30 | Weblog
荏原町駅の北側、特に、駅前広場があったり、商店街があったり、ということはなく、住宅地となっている。
まず、住宅地の中、北へ。しばらくしてから、東へ向かい、さらに、南へ。
北側を、迂回したわけだが、それなら、駅東側から、向かえば、よかったかも。
南へ南へと、向かうと、駅近く、法蓮寺。
創建は、鎌倉時代。
すぐ、近くを、南北に、鎌倉街道が通り、西側に、中原街道、南側には、東西に、品川道、という風に、交通の、要衝だったので、当時、開けていたのだろう。
そして、すぐ、南側には、立会川が、流れていたわけだ。
(2012年12月記)

東急大井町線荏原町駅(荏原町駅駅舎)

2014-04-18 05:09:20 | Weblog
そういえば、立会川の跡を、辿っていたのだった。
ただ、川跡の、緑道は、駅前あたりで、途絶えている。
ちょうど、荏原町駅の、下になるので、仕方がないのかな。
西へ、進み、駅の、西側で、東急大井町線の、線路を、越える。
ところで、町名は、中延、あるいは、旗の台、なのだが、駅名は、荏原町。
ちなみに、荏原、という町名は、ここから、ちょっと離れて、北になる。
これは、いったい、どうした訳なのだろうか。
あまり、深い意味が、あるとは、思えないけど。
荏原町駅の、北側に、出てみる。
(2012年12月記)

東急大井町線荏原町駅(荏原町商店街)

2014-04-17 05:06:09 | Weblog
駅近くになり、街並みも、賑やか。
荏原町商店街となる。
鉄道路線に、沿って、東西に伸びるような感じ。
東側に、行くと、さっき、訪れた、三間道路。
こちらも、商店街が、伸びていたので、かつては、繋がっていたのかもしれない。
だとすると、大井町まで、商店が、連なっていたことになる。
そんな、荏原町商店街なのだが、今は、特に、盛んな感じでもなく、むしろ、長閑。
でも、寂れているような、感じでもない。
のんびりしている雰囲気だ。
山の手でもあるので、それなりに、やっていけるのだろう。
駅の、北側に向かう。
(2012年12月記)

東急大井町線荏原町駅(中延五丁目 立会川跡 立会川緑地)

2014-04-16 06:08:22 | Weblog
住宅地の中、立会川緑道、西へ西へと、歩いて行く。
徐々に、飲食店など、並び始める。
駅が、近いようだ。
そういえば、都心の西側に、住んでいると、ここらへんは、まるで、馴染みがない。
大袈裟に言えば、異郷の地。
なんとなく、川崎、横浜に、近いような、気がする。
同じ、京浜、ということだからかな。
あるいは、神奈川県に、近いからかな。
そんなことを、考えながら、歩いていく。
次第に、立会川緑道、北へと、向きを変えていく。
駅は、近い。
(2012年12月記)

東急大井町線荏原町駅(中延六丁目 立会川跡 立会川緑地)

2014-04-15 04:58:18 | Weblog
そういえば、第二京浜の地下には、都営浅草線が、通っている。
地上には、まっすぐで、幅広の、道路。地下には、地下鉄。
こうして見ると、郊外の、ニュータウン、という感じだ。
でも、実際は、昭和の、取り残された、街並み。
第二京浜は、昭和の初め頃、開通。都営浅草線の方は、高度成長期に、開通している。
とすると、おそらく、高度成長期で、時間が、止まったのかな。
なんとなく、懐かしい感じがする。
そんな、住宅地、立会川跡、立会川緑地を、西へと、歩いていく。
(2012年12月記)

横須賀線西大井駅(二葉四丁目 第二京浜)

2014-04-14 05:05:35 | Weblog
しばらく、西へ歩いていくと、南北に伸びる、第二京浜。
江戸時代の、東海道。それより前の、中原街道。
それらの、間を、通る、新しい通り。
開通は、昭和の初め頃。
都心に対する、郊外が、誕生したことと、関係があるのかもしれない。
そういえば、今回、通ってきた、立会道路、三間道路、それらを、巡るバスは、この、第二京浜で、折り返している。
ずっと、前、そのバスに、乗ったときは、雪だったのだ。
さっきの、天祖神社を、訪れたところで、雪が、積もりだし、雪景色になっていったっけ。
あわてて、バス停に、行ったのだ。
もう、夕暮れ時。
真っ白になった、三間道路を、バスが、ゆっくりと、走っていったのを、まだ、覚えている。
立会川の跡を、辿って、さらに、その先、西へ。
(2012年12月記)

横須賀線西大井駅(二葉四丁目 天祖神社)

2014-04-13 07:06:44 | Weblog
三間通り、西に歩き、途中、北へ。
すぐに、天祖神社がある。
創建は、おそらく、鎌倉時代。
あるいは、ひょっとすると、江戸時代、あたりが、開拓された頃かもしれない。
ちなみに、前回、訪れたとき、ここから、東側、もう一つの、天祖神社を、訪れたのだが、江戸時代以前、これら、二つの、天祖神社、一つだったらしい。
ただ、一つだった頃の、天祖神社、どこにあったのかは、わかっていないけど。
話は、変わるが、南側には、品川道、という、古い、通りがあったらしい。
立会川よりも、南側になる。
とすると、それなりに、かなり、古くから、開けていたので、鎌倉時代から、神社が、あったのかもしれない。
南に、向かい、立会道路に、戻る。
(2012年12月記)

横須賀線西大井駅(二葉四丁目共栄会商店街)

2014-04-12 07:10:32 | Weblog
立会川跡、立会道路を、西へ西へと、歩いていく。
なんとなく、小河川の跡、という感じではあるが、川筋は、まっすぐ。
昔は、もう少し、蛇行していたのかな。
江戸時代、開拓されて、まっすぐに、川筋が、改修されたのかもしれない。
しばらくして、北へ曲がり、住宅地の中、そのまま、北へ。
すぐに、北側、立会道路に、平行して、伸びる、三間道路。
二葉四丁目共栄会商店街、になっている。
他の地域と、同様、住宅地化しつつあるが、ちょっと前は、賑やかだったに違いない。
興味深いのは、バス停。
さっき、歩いてきた、立会道路には、西方向行きの、バス停があり、同一のバス停、こちらは東方向行き、がある。
同一の、バス停に、しないで、巡回バスにすればいいように、思うが、昔は、乗客が、多かったから、そうなったのかも。
わからないけど。
(2012年12月記)

横須賀線西大井駅(西大井六丁目 立会道路 立会川跡)

2014-04-11 06:10:08 | Weblog
品川駅、横須賀線。
横浜方面には、もう、行っていないので、久しぶりだ。
次の、西大井駅で下車。
京浜の下町、という感じが、まだ、残っている。
改札を抜け、駅東口。
前回は、大井町駅から、立会川跡を、遡って来たのだっけ。
そういえば、大井町、再開発が、進み、だいぶ、変わった。
昔は、京浜工業地帯だったのだが。
京浜工業地帯は、立会川に、沿って、西大井までも、広がっていたらしい。
その面影、今は、もう、ないな。
ただ、大井町と比べれば、少しは、あるのかもしれない。
今回は、さらに、立会川跡を、遡ってみる。
(2012年12月記)