retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東急池上線久が原駅(東急池上線久が原駅ホーム)

2014-02-08 07:39:38 | Weblog
東急池上線は、昭和の初め頃、五反田駅に、沿線してきたようだ。
建物は、建て替わったらしいが、当初から、ホームと、ビルが、直結していたらしい。
当時は、白木屋デパート。
ずいぶんと、賑わったのだろう。
そんな、池上線五反田駅ホームを、後にして、列車は、進んでいく。
池上線は、南へ南へと、進んで行くのだが、もともと、池上本門寺のための、路線だったようだ。
本門寺、以前、一度、行っているのだけど。野良猫が、たくさん、いたのを、覚えている。
もう一度ぐらいは、行っても、いいかな。
沿線は、長閑な、住宅街。
南へ向かい、しばらくして、久が原駅。
久が原駅で、降りる。
(2012年11月記)

山手線五反田駅(東急池上線五反田駅入口)

2014-02-07 03:53:45 | Weblog
再び、五反田駅。
東口駅前広場南側には、東急ストアのビルがある。
スーパーがある、というのは、なんとも、庶民的な感じだ。
そういえば、大崎にも、あったっけ。
高層オフィスビルが、建ち並ぶ前の、痕跡なのだろうか。
もっとも、五反田駅は、まだ、そうなっていないが。
五反田東急ストアの、階段を、上がっていく。
日用品、食料品売場のある、フロアを、過ぎていき、4階。
なんと、このフロアには、東急池上線の五反田駅ホームがある。
何度か、訪れているので、今さら、驚くことはないが、最初、来たときは、やはり、珍しい感じがしたな。
今回は、東急池上線に、乗ることにする。
(2012年11月記)

山手線五反田駅(大崎フォレストビルディング)

2014-02-06 04:46:25 | Weblog
東へと、歩いていくと、しばらくして、南側に、大崎フォレストビルディング。
最近、完成した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
大崎周辺の、高層ビル化は、まだ、続いているらしい。
ただ、北側、つまり、五反田への、拡大は、終わったかな。
ひょっとすると、五反田も、飲み込まれるように、思われたものだが。
そんなことには、ならなかった。
おそらく、五反田が、歓楽街、だけではなく、山の手近く、という、側面も、持っているからかもしれない。
いずれにしろ、再現もなく、拡大していくことは、ないということだろう。
ここで、品川への大通り、引き返し、五反田へと、戻る。
(2012年11月記)

山手線五反田駅(東五反田二丁目 目黒川への路地)

2014-02-05 06:10:46 | Weblog
まっすぐ、東に向かうと、品川になる。
かつては、五反田のような、歓楽街が、品川と、直結するとは、思えなかったが。
今は、そんな歓楽街もなくなり、品川と、隣接していても、意外では、なくなった。
大通りから、南へ、街中、路地に、入る。
ちょっと前、たしか、ボーリング場が、あったのだ。
路地らしく、飲食店も、並んでいたように、記憶する。
それらは、もう、なくなってしまった。
大崎の、高層ビル街に、飲み込まれたように、見える。
整備された、きれいな、街並み。
でも、なぜか、昔が、懐かしく、思えてしまう。
再び、品川への、大通りへ。
(2012年11月記)

山手線五反田駅(東五反田三丁目 五反田駅から東へ伸びる大通り)

2014-02-04 04:03:03 | Weblog
高田馬場駅から山手線。
五反田駅で下車。
ひさしぶりだ。
以前と比べて、ずいぶんと、変わったな。
五反田、といえば、歓楽街、だったのに。
今は、そんな感じは、しない。
高層ビル街になった、大崎と、目黒の、中間、という感じかな。
東口に出て、陸橋で、東側へ。
この、陸橋は、昔のままだ。
ひょっとすると、改札が、2階になり、ペデストリアンデッキが、整備されれば、便利かもしれない。
そうなれば、陸橋は、不要となる。
東へ伸びる、大通りに、出て、そのまま、東へ。
(2012年11月記)

日比谷線三ノ輪駅(都営東日暮里一丁目アパート)

2014-02-03 04:59:19 | Weblog
国際通りを、歩いていくと、ほどなくして、昭和通りと、合流。
そこからは、日光街道になる。
通りの、西側には、都営東日暮里一丁目アパート。
その、レトロな佇まいに、惹かれて、近くまで、行ってしまう。
完成したのは、高度成長を達成した頃。
当時は、ずいぶんと、賑やかだったのだろう。
高度成長期までが、一番、賑やかだったのかな。
その後、バブル期までは、なんとか、上辺だけの、賑やかさで、もっていたけど。
バブルが崩壊してからは、閑散とするばかり。
それも、時代なので、仕方がない。
もう、帰ることにする。
国際通りに、戻り、北へ。
すぐに、日比谷線三ノ輪駅がある。
そういえば、もうじき、酉の市。
でも、結局、一度も、訪れないかもしれない。
そんなこと、考えながら、ホームに、入ってきた、日比谷線車両に、乗り込む。
(2012年11月記)

日比谷線三ノ輪駅(竜泉二丁目 千束稲荷神社)

2014-02-02 07:03:38 | Weblog
国際通り、北へ北へと、歩いていく。
しばらくすると、通りの、西側には、千束稲荷神社。
創建は、江戸時代前半。
江戸時代になって、千束池が、埋め立てられ、整備されて後、創建されたようだ。
他にも、南側に、もう一つ、神社が、創建されたらしい。
埋め立てられた、千束池が、広大だったからだろうか。
かくて、上野と、浅草との、間にあった、湿地帯は、消滅し、江戸の町に、なったわけである。
国際通り、北へと、歩いていく。
(2012年11月記)

つくばエクスプレス線浅草駅(竜泉一丁目 大音寺)

2014-02-01 07:04:29 | Weblog
西徳寺の北側には、大音寺がある。
創建は、おそらく、江戸時代半ばだろうか。
ところで、再び、酉の市、鷲神社のことについて。
それほど、歴史がないことが、わかったのだが、では、本当の、鷲神社は、どこにあるのだろうか。
ここから、はるか、北側、足立区、埼玉県の堺近く、花畑、という場所の、大鷲神社が、本物らしい。
昔、一度、行ったことがある。
たしか、東武伊勢崎線の、さる駅から、バスで、行ったのだが、区内とは、思えないほど、バスの本数が、なくて、驚いた。
ひょっとしたら、埼玉県からの方が、バスの本数は、多いのかもしれないけど。
とにかく、遠く、不便な、場所に、大鷲人神社は、あったのだ。
江戸時代、交通事情が、異なるとはいえ、江戸の町からは、やはり、遠く、不便な、場所だったことだろう。
そう思っていると、意外と、近く、長国寺境内に、鷲大明神が、あるではないか。
そんなわけで、酉の市が、こちらでも、開かれるようになったのかも。
さらに、北へと、向かう。
(2012年11月記)