retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

都営大江戸線蔵前駅(蔵前三丁目 蔵前神社)

2014-02-18 06:11:49 | Weblog
冷たい、晩秋の雨が、降り続く。
そんな中、なかなか、高層ビルの工事現場、見つからない。
再び、南へ。
江戸通りを、南へ、歩いてみる。
蔵前橋の袂で、今度は、北西に伸びる、国際通り。
あきらかに、ありそうにない。
またしても、蔵前駅入口。
今度は、大通りではなく、そのまま、街中、細い路地を、南へ、入ってみる。
もっとも、高層ビルともなれば、工事現場は、広いので、たとえ、街中にあっても、わかるものなのだが。
細い路地、南へ南へと、歩いていくと、蔵前神社。
創建は、江戸時代前半。
江戸の町の、成り立ちに、関わる、神社なのだろう。
さらに、南へ。
(2012年11月記)

都営大江戸線蔵前駅(蔵前三丁目 榧寺)

2014-02-17 04:44:01 | Weblog
西武新宿線中井駅で、都営大江戸線に乗り換える。
今日は、朝から、激しい雨。晩秋の大雨だ。
都営大江戸線の車両に乗り込み、都庁前駅で、反対方向の、車両に乗り換える。
蔵前駅で下車。
地上に出ると、ますます、激しい雨。
雨のために、視界が、よくない。
高層ビルの、工事現場を、探しているのだが、どこだろう。
付近を、ぐるりと、ひとまわりしたが、判然とはしない。
結局、もとの、都営大江戸線への、入口に、戻ってしまう。
そこには、東西に伸びる、春日通り。
通りの、南側には、榧寺。
創建は、江戸時代の前。
江戸の町が、できる前から、このあたり、開けたいたのかもしれない。
(2012年11月記)

東急多摩川線鵜の木駅(鵜の木駅駅舎)

2014-02-16 06:11:06 | Weblog
再び、光明寺池の塀に、沿って、北へ。
どんな事情があるのか、わからないが、せっかく、大きな池があるので、公園として、整備すれば、いいと思うのだが。
緑も多く、美しい景観になると、思うのだけど。
そういえば、光明寺池、大昔の、多摩川の、流路跡、ということだ。
多摩川は、いまよりも、東側を、流れていたらしい。
といっても、どのくらい、前なのだろうか。
わからないが、古い、寺社は、この、光明寺よりも、多摩川寄りには、建てられていないように、思える。
などと、考えながら、多摩堤通り、北へ北へと、歩いてくと、西側には、東急多摩川線鵜の木駅。
鵜の木駅で、帰ることにする。
東急多摩川線も、長閑な、路線。
そんな路線を、ゆっくりと、列車は、進んでいく。
もう、ここらへんには、来ないかもしれないなあ。
途中、東急東横線に、乗り換えて、渋谷駅へ。
(2012年11月記)

東急池上線久が原駅(鵜の木一丁目 光明寺池)

2014-02-15 06:21:07 | Weblog
多摩堤通り、北へ、歩き、途中、東へ。
光明寺に、北辺に、沿って、細い、坂道。
塀は、この、坂道までも、延々と、続いている。
この、塀の、向こうには、なにがあるのだろうか。
もちろん、光明寺の、境内なのだが。
実は、光明寺池、という、大きな、池がある。
ちょっと昔までは、塀は、なくて、普通に、池は、見れたらしいが、やはり、道路際、危険なので、塀を、設置したのかもしれない。
よほど、塀に、よじ登って、光明寺池を、見ようかと、思ったが、やはり、やめた。
そのまま、東へ。
再び、環状8号線に出て、南へ、向かい、光明寺。
境内に、入ってみるが、こちらからも、光明寺池には、近付けないようだ。
諦めて、帰ることにする。
光明寺を後にして、多摩堤通りへ。
(2012年11月記)

東急池上線久が原駅(鵜の木一丁目 多摩堤通り)

2014-02-14 06:09:17 | Weblog
住宅地の中、西へ。
すぐに、北へ伸びる、多摩堤通り。
多摩堤通りを、北へ、歩く。
東側には、光明寺の、塀があり、塀の中は、森になっている。
今は、塀の中だけの、森だが、昔、江戸時代より前、光明寺の寺域は、池上線の、東側一帯まで、広かったらしいので、森も、かなり、広かっただろう。
その森が、やはり、鵜の森、だったのかな。
とすると、かなり、昔は、久が原の、台地と、ここらへんも、関係が、あったのかもしれない。
大昔のことなので、もう、わからないけど。
光明寺の、塀に、沿って、北へ北へと、歩いていく。
(2012年11月記)

東急池上線久が原駅(鵜の木一丁目 光明寺)

2014-02-13 05:10:19 | Weblog
南へ歩いていくと、すぐに、光明寺。
こちらは、江戸名所図会にも、載っている、古い、寺院。
創建は、鎌倉時代。
当時は、かなり、有名な、寺院であったようだ。
話は、変わるが、地名の、鵜の木は、もとは、鵜の森、だったらしい。
その、鵜の森には、明神社があり、どうやら、その、明神社は、光明寺の、場所に、あったらしいのだ。
関係があるのか、どうか、わからないけど。
ただ、この場所が、かなり、古くから、知られた、場所では、あったようだ。
光明寺の、南側を、西へと、向かう。
(2012年11月記)

東急池上線久が原駅(鵜の木一丁目 増明院)

2014-02-12 05:10:36 | Weblog
環状8号線を渡ると、通りの、西側には、増明院。
創建は、江戸時代の、前半、ということらしい。
おそらく、一帯が、開拓された頃と、思われる。
とすると、さっき、訪れた、東側、台地の、鵜の木八幡神社とは、時期が、異なることになる。
おそらく、開拓のされ方が、違うのだろう。
江戸時代前半は、用水を、開削し、広範囲に、田畑を、拓いていったの違いない。
それ以前、戦国時代の初め、室町時代の、開拓は、どのようなものであったのか、わからないが。
環状8号線を、南へ、向かう。
(2012年11月記)

東急池上線久が原駅(鵜の木一丁目 環状8号線)

2014-02-11 05:08:33 | Weblog
途中、西へ。
坂を、下ると、南北に伸びる、環状八号線。
さっき、歩いていたとき、すでに、西側、坂の下、環状8号線は、見えていたのだが。
環状、となっているが、都心西側だけ。
いつも、混んでいる、イメージだが、今回は、それほどでもない。
あるいは、ここらへんは、それほど、混まないのかな。
それはそれとしても、東側の、台地からは、便利な道路。
坂の下なので、見えないし。
環状8号線を、渡って、東側に、向かう。
(2012年11月記)

東急池上線久が原駅(南久が原二丁目 八幡神社)

2014-02-10 04:48:05 | Weblog
途中、住宅地の中、南へ曲がり、そのまま、南へ。
かなり、歩くと、道路の、東側には、八幡神社。
鵜ノ木八幡神社、となっているので、住所は、南久が原なのだが、鵜の木と、関係があるらしい。
創建は、わからない。
江戸時代の前、戦国時代の初め頃、一帯が、再開発されたらしいのだが、そのとき、かもしれない。
あるいは、太古の昔から、暮らしがあるので、祭祀の場、古墳が、あったのかもしれない。
そういえば、鵜の木は、久が原の西側、台地から、下った、低地なので、開発された、ということは、あり得るように思う。
八幡神社を、後にし、さらに、南へ。
(2012年11月記)

東急池上線久が原駅(久が原駅末広商店会)

2014-02-09 07:12:47 | Weblog
駅西側には、商店街が、伸びている。
城東、城北の、下町商店街とは、また、違った、長閑さ。
そういうのも、たまには、いいのだが、自分には、あまり、実感、湧かない。
そんな、商店街を、抜けていくと、閑静な、住宅街。
ちなみに、昔は、久河原、という地名だったらしい。
さらに、その前は、木河原、だろうか。わからないが。
多摩川の、北側の、台地で、木々が、生い茂っていたのだろう。
そのような、場所には、太古の昔から、暮らしがあるようだ。
実際、遺跡も、多いらしい。
太古の昔も、今も、長閑な、環境、なのかな。
西へと、歩いていく。
(2012年11月記)