retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

都営浅草線高輪台駅(高輪一丁目 正満寺)

2013-12-11 03:38:26 | Weblog
北へ歩く前に、桜田通り、東へ。
通りの、東側には、正満寺。
創建は、江戸時代。
創建の地は、日本橋だったらしい。その後、築地に移転。
さらに、程なくして、この地に、移転してきている。
比較的、新しい寺院、といったところか。
かつては、境内の池から、水流が、北へと、流れ出していたらしい。
東側斜面、樹木谷と呼ばれる、一帯。
長閑な場所だったのだろうか。
桜田通り、今度こそ、北へと、向かう。
(2012年10月記)

都営浅草線高輪台駅(明治学院大学)

2013-12-10 06:10:07 | Weblog
北へ北へと、歩いていくと、通りの西側には、明治学院大学の敷地。
ミッション系らしい、欧風の、美しい、校舎。
山の手には、相応しい、感じがする。
創立は、かなり、古い。
明治時代の、直前。横浜で、開校している。
その後、明治時代になり、築地の、居留地へ。
そして、明治時代半ば、この地に、移転。
西洋的なるものが、明治維新後、いかに、広がっていったかを、示しているようだ。
特に、この場合は、山の手への、広がり。
きれいな、校舎の前、桜田通りを、再び、北へと、歩いていく。
(2012年10月記)

都営浅草線高輪台駅(プラウドタワー高輪台工事現場)

2013-12-09 06:12:25 | Weblog
桜田通りを、南へ、歩く。
すぐに、通りの東側、プラウドタワー高輪台の工事現場。
他にも、工事中、完成したばかりの、高層住宅などがある。
東側、坂を下ると、品川駅、あるいは、品川駅北側。
こちらにも、高層住宅、高層オフィスビルが、建ち並ぶ。
また、将来的には、品川駅の北側には、新駅が、設けられ、周囲は、大規模に、再開発されるらしい。
そのように見ていくと、高輪台周辺の、再開発も、品川の、再開発の、一環、といえるのかも。
どのように、なるのか、今は、わからないけど。
桜田通りを、北へ向かう。
(2012年10月記)

都営浅草線高輪台駅(高輪三丁目 桜田通り)

2013-12-08 07:14:46 | Weblog
高田馬場駅から山手線。五反田駅で都営浅草線に乗り換える。
高輪台駅で下車。
地上へ。
高層住宅が、完成して、地下鉄の出入口が、きれいになっている。
都営浅草線沿線は、下町の雰囲気なので、高輪台駅も、そんな感じだったのだが。
下町の雰囲気は、一掃されていて、今は、ない。
地上に出ると、南北に伸びる、桜田通り。
幅広で、交通量の多い、幹線道路だ。
そんな、桜田通りなのだが、台地、山の手にもかかわらず、都心に、再開発が、集中し始めると、その沿道、高層住宅が、建ち並び始める。
そして、今も、再開発は、終わらない。
(2012年10月記)

小田急線南新宿駅(南新宿駅を通過していくロマンスカー)

2013-12-07 07:12:08 | Weblog
宵闇迫る、ホーム。
なかなか、電車は来ない。
来るのは、通過する、車両だけ。
新宿は、眼と鼻の先なのだが。
ホームの、東側、すぐ、新しく、完成した、山野学苑の、高層ビル。
手の届きそうな、ほんの、近く。
そのとき、ロマンスカーが、通過していく。
昔からある車両。まだ、走っているらしい。
一度だけ、乗ったような気がする。
でも、もう、乗ることはない。たぶん。
そもそも、箱根に行くこともないし。
意外なほど、ゆっくりと、ロマンスカーは、過ぎ去ってしまった。
後に残るのは、ぼんやりとした、夕闇。
ホームには、誰もいない。
この駅から、新宿まで、小田急線の電車に乗る、客は、自分だけ。
新宿まで、眼と鼻の先なのだから、当たり前か。
それから、しばらくして、日がすっかり落ちた後、ようやく来た、各駅停車に、乗り込む。
(2012年10月記)

小田急線南新宿駅(南新宿駅駅舎)

2013-12-06 06:16:38 | Weblog
商店街ではないのに、店が、並んでいて、商店街然となっているのも、いいものだ。
そのまま、北へ北へと、歩いていくと、小田急線南新宿駅。
南新宿駅から、帰ることにする。
ところで、南新宿駅についてだが、開業は、昭和の初め頃。
場所は、ここから、もう少し、東側だったようだ。
さらに言えば、駅名は、千駄ヶ谷新田駅。
千駄ヶ谷、という谷は、今の、千駄ヶ谷駅近くとして、とすると、新田、というのも、駅名としては、いいのかもしれない。
しばらくして、近くにある、小田急本社に因んで、小田急本社前駅。
また、しばらくして、小田急が、東急に、合併されてしまうと、南新宿駅。
実際、新宿駅の、南といえば、南だから、これで、いいのかな。
さらに、時代は下り、高度成長期。
西側へ、つまり、この地に、南新宿駅は、移動している。
もう、新宿駅の、南側ではないのだが、駅名を、変更するわけにもいかず、仕方がなかったのかな。
もっとも、西新宿高層ビル街が、誕生し、新宿は、西側に、かなり、拡大したので、南新宿で、いいのかもしれないけど。
改札を抜け、南新宿駅の、ホームへ。
(2012年10月記)

小田急線南新宿駅(代々木一丁目 南新宿駅前商店街)

2013-12-05 06:09:47 | Weblog
平田神社、境内がないので、住宅のような、佇まいに見える。
なぜ、そうなったのかというと、創建された当時、すでに、一帯が、住宅地に、なっていたからだろう。
境内を持つ、広い敷地は、もはや、確保できなかったのかな。
創建は、昭和の時代、戦後になって、しばらくしてから。
もともとは、平田篤胤の、邸内に、あったようだ。
明治時代、文京区に、移転。
さらに、昭和の時代、戦後、この地に、移ってきている。
そんな、平田神社を後にして、南へ。
途中、東西に伸びる通りに出て、東へ曲がり、そのまま、東へ向かう。
しばらくして、今度は、北へ。
商店街となっている。南新宿駅前商店街。
そういう名前の、商店街なのかどうか、わからないが。
さきほど、訪れた、参宮橋駅前と、同じように、いつしか、商店街になったのだろう。
商店街を、北へと、歩いていく。
(2012年10月記)

小田急線参宮橋駅(代々木三丁目 平田神社)

2013-12-04 06:09:47 | Weblog
天王橋は、渡った先、つまり、小田急線の、東側の、神社に、因んでいるようだ。
神社がある、ということは、それなりに、昔の、道なのかもしれない。
もちろん、小田急線が、開通したとき、掘割が、穿たれ、橋が架かったので、橋そのものは、新しいのだろうけど。
ちなみに、参宮橋の方は、代々木練兵場のために、架けられたらしい。
とすると、天王橋を、通る、道の方が、古いのだろう。
天王橋から、北へ。しばらくして、西へ曲がり、そのまま、西へと、歩いていく。
程なくして、再び、北へ。
住宅地の中、進んでいく。
すぐに、道路の、西側、平田神社。
住宅地の中、住宅のような、神社。
(2012年10月記)

小田急線参宮橋駅(代々木三丁目 天王橋)

2013-12-03 06:10:32 | Weblog
そのまま、商店街、北東へと、歩いていくと、小田急線、参宮橋駅前。
とくに、駅前広場などは、ない。
参宮橋駅西側を、北へ。
しばらくすると、首都高新宿線の、高架と、地上の、道路。
南から、北へ伸びる通りと、東へ伸びる通り。
通りを渡り、さらに、北へ。
東側は、参宮橋。
橋といっても、河川が、あるわけではない。河骨川は、ずっと、南側で、北からの流れに、変わっている。
小田急線の、掘割に架かる、橋。
小田急線、西側を、北へ。
すぐに、もう一つの橋、天王橋がある。
参宮橋より、ずっと、小さな橋だ。
(2012年10月記)

小田急線参宮橋駅(代々木五丁目 参宮橋駅前商店街)

2013-12-02 04:51:18 | Weblog
河骨川流路跡を辿り、水源地まで、行こうかと思ったが、すぐに、見失ってしまう。
あらかじめ、下調べも、してこなかったし。
それでも、それらしき、跡を辿って、坂を、住宅地の中、上っていく。
小田急線の、西側に出て、北西方向へ。
坂を、上っていくが、さすがに、諦めて、北東へ、曲がる。
河骨川の、水源地を、探すのは、また、今度、ということにしよう。
北東への道は、商店街、参宮橋駅前商店街だ。
正式には、参宮橋商店会、なのかもしれない。
都心を離れると、商店街とは、名ばかりで、住宅地になってしまったところも、多い中、都心部は、意外と、こうして、残っている。
しかも、昔からの、店舗も、多い。
そんな、参宮橋駅前商店街を、北東へ、歩いていく。
(2012年10月記)