retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

日比谷線入谷駅(根岸三丁目 千手院)

2013-11-20 04:16:23 | Weblog
南北に伸びる、金杉通りを越え、さらに、西へ。
道路は、途中、北へ、向きを変える。
道なりに、北へ、曲がり、そのまま、北へ。
道路の、西側には、千手院。
創建は、江戸時代の直前。創建の地は、今の、秋葉原の、南側あたり。
しばらく、時代を経て、この地に、移ってきている。
ところで、北に向かう道路、うぐいす通り、となっているが、なにか、謂れは、あるのだろうか。
近くの、鶯谷駅から、なんだろうけど。
ただ、鶯谷、という駅名にしても、そのような、谷が、あるわけでもないし、もともとの、地名が、あるわけでもない。
長閑な、景観から、さも、鶯の鳴声が、聞こえてきそうな、雰囲気ではあるけど。
結局、わからない。
うぐいす通りを、南へ。
鶯谷駅へ、向かう。
(2012年10月記)

日比谷線入谷駅(下谷二丁目 法昌寺)

2013-11-19 06:10:15 | Weblog
小野照崎稲荷神社の、道路を挟んで、南側には、法昌寺がある。
他にも、寺院が、多く、寺町のようだ。
法昌寺、創建は、江戸時代になって、しばらく経った頃。
創建の地は、ここから、南側、上野近く。
程なくして、この地に、移っている。
江戸の町の、拡大に、伴うものだろうか。
あるいは、日光街道が、整備されたことに、伴うものだろうか。
わからないが、寛永寺が、完成して後、さらに、その、北側に、寺町が、形成され、法昌寺が、その、一画に、加わった、ということは、確かなようだ。
金美館通り、再び、西へと、向かう。
(2012年10月記)

日比谷線入谷駅(下谷二丁目 小野照崎稲荷神社)

2013-11-18 04:41:27 | Weblog
北へ歩くと、すぐに、東西に伸びる、金美館通り。
西へ曲がり、そのまま、西へ。
本当に、静か。今までの、都心の喧騒からは、隔絶されている。
西へ歩いていくと、しばらくして、通りの、北側には、小野照崎稲荷神社。
長閑な、佇まい。境内も、しんとしている。
創建は、わからないが、古いようだ。
もともとは、上野照崎、忍岡、今の、鶯谷駅の南側にあったらしい。
忍岡、忍岡中学校の名前に、残っている。
江戸時代の初め頃、寛永寺が、建てられたとき、この地に、移転。
上野、というと、上野公園に、古墳が、あったりして、相当、古くから、暮らしがある場所だ。
忍岡にも、ひょっとしたら、太古の、祭祀の場が、あったのかもしれない。
そして、それが、いつしか、神社に、なったのかも。
ただ、もう、今となっては、まったく、わからない。
時代の、彼方に、埋もれてしまっている。
(2012年10月記)

日比谷線入谷駅(下谷二丁目 感応寺)

2013-11-17 09:40:44 | Weblog
小伝馬町駅で、日比谷線。
秋葉原、仲御徒町、上野、と過ぎていく。
路線は、今から、ひと昔、いや、ふた昔前、というところか。
忘れ去られた、昭和の時代。
レトロな歴史的テーマパーク。
そして、しばらくすると、入谷駅。
こちらも、昔は、賑わっていたことだろう。
地上に出ると、南北に伸びる、昭和通り。
通りの西側には、感応寺がある。
創建は、江戸時代初め頃。
小田原に、建てられたが、程なくして、蔵前、さらに、この近く。また少しして、この地に、移転してきている。
江戸の町が、北へ、拡大してきたことに、よるのであろうか。
感応寺を後にし、北へ。
(2012年10月記)

日比谷線小伝馬町駅(日本橋小伝馬町 十思公園)

2013-11-16 09:12:03 | Weblog
大安楽寺の、北側には、十思公園。
こちらも、伝馬町牢屋敷。
それなりに、広い、敷地だったようだ。
同じように、跡地は、用途がなく、公園、ということになったのだろうか。
ただ、西隣の、十思小学校、今の、十思スクエアが、建て代わった、昭和の初め頃、完成している。
小学校自体も、移転してきたのかも。
とすると、明治時代の初め、伝馬町牢屋敷がなくなってからは、どうなっていたのだろうか。
おそらく、寺院の、敷地だったと思う。
時が、十分に、経ってから、小学校なり、公園なりに、なったのかな。
再び、南へ。
小伝馬町駅へ、向かう。
(2012年10月記)

日比谷線小伝馬町駅(日本橋小伝馬町 大安楽寺)

2013-11-15 06:11:45 | Weblog
人形町通りを南へ向かうと、再び、東西に伸びる、江戸通りとの、交差点。
交差点の、北西側には、大安楽寺。
創建は、明治時代初め。
意外と、新しいのだが、それは、この場所に、江戸時代、伝馬町牢屋敷が、あったからだろう。
牢屋敷の跡地だと、やはり、寺院が建つしかない、ということか。
とくに、江戸時代の地図を、見ると、大安楽寺の場所、どうやら、伝馬町牢屋敷内の、処刑場のように、思える。
明治時代になり、監獄が、市ヶ谷に移転した後、しばらく、荒地になっていたそうだが、これでは、他に、用途は、ないだろうな。
大安楽寺の、北側に、歩いていく。
(2012年10月記)

日比谷線小伝馬町駅(岩本町一丁目計画工事現場)

2013-11-14 06:11:23 | Weblog
高田馬場駅で東西線。茅場町駅で日比谷線に乗り換える。
小伝馬町駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる、江戸通りと、南北に伸びる、人形町通りとの、交差点。
人形町通りを、北へと、進む。
しばらく、歩いていくと、通りの西側に、岩本町一丁目計画の工事現場。
東京駅近くの、高層ビル建設の波、ここらへんまで、来ているのかな。
ちょっと前は、東京駅の西側、丸の内、大手町、だったのだが、最近は、東京駅の、東側でも、高層ビルの、建設が、始まっている。
日本橋、八重洲、京橋。
岩本町だと、日本橋の、東隣。
日本橋から、高層ビルの建設が、ここらへんまで、及んできた、ということか。
もっとも、どんどん、広がっていく、ということは、ないだろうけど。
人形町通りを、南へ。
もと来た道を、引き返す。
(2012年10月記)

山手線田端駅(山手線田端駅駅舎)

2013-11-13 03:37:30 | Weblog
長閑な商店街を、南東へと、歩いていく。
のんびりした感じがいい。
山の手は、えてして、こうしたものなのだろうけど。
しばらくすると、山手線田端駅。
駅前、という感じは、あまりしないな。
広い駅前広場が、あるわけでもないし、デパートが、あるわけでもない。
かなり、古い駅なので、再開発しようがないのだろうか。
賑やかな駅もあれば、ひっそりとした駅もある、ということだろう。
もともと、山の手なので、賑やかなのは、合わないだろうし、それに、日暮里が、あるので、そちらが、賑わえばいいのかも。
この先も、ずっと、ずっと、変わりそうにない。
さあ、もう、帰ろう。
田端駅改札に向かう。
(2012年9月記)

山手線田端駅(田端六丁目 田端高台通り商店街)

2013-11-12 05:19:09 | Weblog
山手線に沿って、東へ。
すぐに、南東へ、曲がり、そのまま、南東へと、歩いていく。
道路は、田端駅への、道、商店街。
田端高台通り商店街、となっている。
都心とは、思えないような、時代に、取り残された、雰囲気。
といっても、郊外のような、寂れた、という感じではない。
いちおう、山の手なので、商店街は、維持できるのだろう。
歴史的テーマパーク、という側面も、あるし。
たしか、文士村、というのが、あったはずだ。
次回、来ることがあったら、そちらを、訪ねてみよう。
南東へ、歩いていくと、その先、山手線、田端駅、となる。
(2012年9月記)

山手線田端駅(田端五丁目 その先の新しい道路)

2013-11-11 03:23:11 | Weblog
道路が、細くなっている部分を、過ぎると、再び、幅広の道路となる。
そのまま、北西へ。
しばらくすると、山手線の掘割。
ここで、新しい道路は、途切れる。
ただ、山手線の、北側にも、道路が、伸びているらしく、あとは、陸橋を、架けるぐらい、というところか。
開通するのは、いつになるのか、わからないけど。
さらに、北、本郷通りと、合流し、王子方面へ。
こちらは、すぐにではないものの、いつかは、開通するのだろうな。
南側は、どうなのだろう。
おそらく、西日暮里駅の西側、南へ。さらに、谷中霊園の西側、そして、上野公園、となるのだろう。
谷中霊園あたりは、寺院も多いので、地下にしてしまった方が、いいように思うが。
もっとも、開通するとしても、はるか、先になるので、今、考えても、仕方がない。
山手線から、今度は、東へ、歩く。
(2012年9月記)