retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東西線西船橋駅(西船五丁目 勝間田公園)

2013-10-11 06:08:40 | Weblog
南へ歩いていくと、しばらくして、勝間田公園。
昔は、勝間田池があり、池を、埋め立てて、公園に、したようだ。
おそらく、埋め立てられたのは、高度成長を達成した、安定期、だろうか。
実は、この池、江戸名所図会にも、載っている。
江戸時代、蓮の花に覆われる水面の、あまりの、風光明媚な様から、万葉集に歌われた、勝間田の池に、なぞらえて、勝間田の池、となったらしい。
江戸時代には、近くの街道、往来も、盛んだったようで、本当のことだろう。
それ以前、一帯は、本郷と呼ばれており、勝間田の池も、それに因んで、本郷の溜池、だったようだ。
溜池、ということは、もともとは、農業用水として、河川を、堰きとめて、作られた、池に違いない。
そんな、勝間田の池なのだが、今は、もう、消滅して、なくなっている。
時代は、流れていく、ということか。
勝間田公園を後にし、さらに、南へと、向かう。
(2012年9月記)

京成線京成西船駅(京成西船駅駅舎)

2013-10-10 04:25:00 | Weblog
春日神社のある、小さな、丘陵の、麓を、北へ。
ひょっとしたら、江戸時代、春日神社が、建つ前から、祭祀の場、だったのかも。
西側、市川には、国府があったし、東側、船橋には、太古の昔、湊があったようだ。
とすると、その間に挟まれた、この一帯にも、暮らしが、あったかもしれない。
もう、昔のことで、わからないけど。
北へ、歩いていくと、しばらくして、京成電鉄の、京成西船駅。
西船橋駅とは、ちょっと、離れているが、乗換え客は、いるのだろうか。
実は、自分は、何度か、乗換えたことがある。
もっとも、今は、東葉高速鉄道が、京成電鉄と、勝田台で、接続しているので、そちらで、乗換えるのかな。
そういえば、京成電鉄から、勝田台で、乗客が、大勢、東葉高速鉄道に乗換える、ということだったと、記憶しているけど、今は、本当に、そうなっているのだろうか。
そういう話も、なにか、遠い昔話のように思える。
今回は、京成西船駅で、京成電鉄に、乗換えるわけでもなく、南へ。
住宅地の中、入っていく。
(2012年9月記)

東西線西船橋駅(印内町 春日神社)

2013-10-09 05:23:23 | Weblog
千葉街道、西に歩くと、すぐに、春日神社がある。
創建は、おそらく、江戸時代。
それほど、古い、神社ではない。
ただ、一帯が、丘陵地になっていて、木々に、覆われ、なんとなく、歴史を、感じさせる佇まいだ。
ところで、この、神社のある、丘陵地だけ、印内町、飛地に、なっている。
西船橋駅の、南口が、もとの、印内町。ちょっと、離れるが、北側にも、印内、という住所があるのだが。
おそらく、それら含めて、全域が、印内で、春日神社が、鎮守だったのだろう。
そして、新しく、宅地化された場所が、西船、という町名になり、宅地化されなかった、春日神社周辺だけ、もとの、印内町の、ままだったのかな。
春日神社の、西側に出て、北へと、歩いていく。
(2012年9月記)

東西線西船橋駅(西船四丁目 千葉街道)

2013-10-08 05:06:32 | Weblog
北口駅前広場から、北へ。
昔と、あまり、変わっていない。
かつての、地方都市みたいだ。
すぐに、東西に伸びる、千葉街道。
昔、何度か、クルマで、通ったことがある。
いつも、渋滞していた。
幅広の道路ではないが、幹線道路。
松並木があって、長閑なんだけど。
おそらく、昔からの、通りで、今さら、拡幅など、できないのだろう。
渋滞は、解消していないようだけど、歴史的な、松並木の道に、なれば、いいのかも。
沿道には、寺社も、多いし。
千葉街道を、西へ、向かう。
(2012年9月記)

東西線西船橋駅(西船橋駅駅舎)

2013-10-07 04:49:41 | Weblog
東葉高速鉄道。しばらくすると、西船橋駅。
西船橋駅で下車する。
東西線、東葉高速鉄道、総武線、武蔵野線が通る、交通の、要衝なのだが、あまり、ぱっとしない。
都心と、遠過ぎるからだろうか。
東西線には、便利なので、自分には、馴染みのある、駅なんだけど。
ひょっとすると、総武線快速が、停まらないからかもしれない。
乗換え客が、あまりいないと、やはり、ぱっとしないのかも。
そういえば、駅構内、エキナカで、店舗が、できたのは、それほど、昔ではない。
それ以前は、がらん、としていたな。
改札を抜けると、昔のまま、という感じ。
懐かしくなる。
駅北口駅前広場へ。
(2012年9月記)

東葉高速鉄道八千代緑が丘駅(八千代緑が丘駅駅舎)

2013-10-06 07:06:57 | Weblog
駅前から見渡すと、周囲は、集合住宅に囲まれ、未来的な、空間となってる。
ペデストリアンデッキからは、ショッピングモール。
閉ざされた、快適な空間。
ただ、賑わいはなく、閑散としている。
ひょっとしたら、ショッピングモール内、閉まっている店舗があったかもしれない。
南口に、巨大な、ショッピングセンターがあるので、いらないといえば、いらないのだが。
集約化は、たしかに、便利を、生み出すけど、かくのごとく、賑やかさがなくなり、閑散とした雰囲気も、生み出してしまうのかもしれない。
そうなると、東葉高速鉄道が、開通した当初の、未来は、夢になってしまった、ということになる。
八千代緑が丘駅改札を通り、ホームへ。
この先、高層ビルが建つことは、ないので、たぶん、もう、来ることはないな。
しばらくすると、東葉高速鉄道の電車が、ホームに、やってくる。
(2012年9月記)

東葉高速鉄道八千代緑が丘駅(八千代緑が丘駅北西側)

2013-10-05 07:10:16 | Weblog
ペデストリアンデッキ。ショッピングセンター。集合住宅。整備された公園。
そして、高層住宅。
そうした、再開発された、区域を抜けて、北西側、その、外に出る。
荒れ果てた、郊外が、茫洋と、広がるばかり。
駅近くだけ、離れ小島のようだ。
その、離れ小島の中だけで、用が足りてしまうので、外に、出る必要が、ないから、別に、いいのだろうけど。
それに、駅を、使えば、どこへでも、行けるし。
ただ、本来は、外に広がる、荒れ果てた、郊外ではなく、そこは、田園や、里山、自然の野山に、帰すべき、だと思う。
駅前再開発が、たんに、便利を、追求しただけなら、そうは、ならないだろうけど。
再び、駅前に、戻る。
(2012年9月記)

東葉高速鉄道八千代緑が丘駅(パークタワー八千代緑が丘)

2013-10-04 06:09:51 | Weblog
高田馬場駅から、東西線。
東陽町駅を過ぎ、南砂町駅を過ぎると、地下から、地上へ。
都心の東側、江戸川区。
最近、こちら側には、まったく、来たことないな。
あまり、高層ビル、建つ様子もないし。
高層ビルが、建つとすると、都心ばかりだ。
列車は、西船橋駅を、過ぎ、ここからは、東葉高速鉄道。
東葉高速鉄道が、開通したのは、いつ頃だったっけ。
もう、はるか、昔のような気もする。
当時は、本当に、革新的な、感じだったけど。
あまり、変わらなかったのかな。
開発は、もっぱら、都心に、集中している。
そんなこと考えているうち、しばらくすると、八千代緑が丘駅。
北口に出る。
駅前広場の北側には、パークタワー八千代緑が丘。
最近、完成した、高層住宅だ。(工事中はこちら
もっとも、これが、最後だと、思うが。
(2012年9月記)

田園都市線三軒茶屋駅(三軒茶屋二丁目 三軒茶屋駅界隈)

2013-10-03 06:10:19 | Weblog
246号を東へ。
しばらくすると、田園都市線三軒茶屋駅の入口。
ところで、三軒茶屋の地名だが、本当に、三軒の茶屋があったから、らしい。
そのままのようだが、えてして、新しい地名は、そうしたもののようだ。
その、三軒の茶屋があったのは、江戸時代の頃。
茶屋が、あるくらいだから、往来も、あったのかな。
そのように、賑わい始める一帯が、三軒の茶屋を、地名にするのは、なんとなく、わかるような気もする。
そういえば、三軒の茶屋のうち、一軒は、茶屋ではないものの、今も、残っているということだ。
今度、来たとき、訪れてみよう。
そのとき、三軒茶屋は、どうなっているのだろうか。
そんなことを、思い描きながら、階段を下り、田園都市線の、ホームへと、向かう。
(2012年9月記)

田園都市線三軒茶屋駅(三軒茶屋一丁目 246号線に差し掛かる)

2013-10-02 05:22:54 | Weblog
蛇崩川緑道、西へと、歩いていくと、行き止まり。
246号が立ちはだかる。
もっとも、蛇崩川緑道は、246号の先、ずっと、続くのだが。
以前、その先の蛇崩川緑道は、すでに、辿ったので、もう、帰ることにする。
そういえば、246号、江戸時代の、大山道。
明治時代の初め頃の、地図を見ると、沿道には、ぽつぽつと、家屋が、並んでいる。
当時、それなりに、賑わっていたのだろう。
おそらく、繁華な街並みになったのは、昭和に入ってからかな。
郊外が、誕生した頃。
高度成長期まで、賑やかさは、続いたのかもしれない。
他の地域の、商店街と、同じだ。
三軒茶屋駅の方へ、向かう。
(2012年9月記)