retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線渋谷駅(道玄坂二丁目 道玄坂)

2013-09-20 05:24:01 | Weblog
高田馬場駅から山手線。
渋谷駅で下車。
西口へ出る。
最近は、ほとんど、渋谷には、来なくなったなあ。
街並みが、変わったからだろうか、それとも、自分が、変わったからだろうか。
両方なんだろうけど。
スクランブル交差点を渡り、西へ。
道玄坂を、上っていく。
あたりは、祭りの気分。
金王神社の祭りなのかな。
年々の、祭りだけは、変わらない。
たぶん、この先も、ずっと、変わらないだろう。
なんだか、ほっとしてしまう。
さらに、道玄坂を、上っていく。
(2012年9月記)

横須賀線西大井駅(西大井六丁目 立会道路)

2013-09-19 04:35:40 | Weblog
西大井駅東口駅前広場から、再び、立会道路へ。
西口に出るが、ここまで。
もう、時間がないので、帰ることにする。
ちなみに、立会道路は、まだまだ、この先、西へと、伸びているのだが。
辿るのは、この次としよう。
とりあえず、西大井駅へ。
それにしても、相変わらず、電車は来ない。電車の本数が少ないのかな。
駅がないよりは、ましなんだろうけど。
ホームで、電車を、待っていると、西大井駅が、開業した、安定期の頃を、思い出してしまう。
当時は、ずっと、この先、豊かだろうと、信じ込んでいたな。
何も、不安はなかったし。
どこでどう間違ったのだろう。
などと考えているうちに、やっと、電車が来た。
車両に乗り込むと、電車は、整備された、西大井駅を、後にして、ゆっくりと、走り出す。
とにかく、帰ることにしよう。
(2012年9月記)

横須賀線西大井駅(西大井駅東口駅前広場)

2013-09-18 06:08:48 | Weblog
二葉商店街、南西へ。
不思議なのは、この道、南側、立会川流路跡の、道路と、平行なのだ。
立会川の方は、ずっと、以前から、あったわけで、その跡に、開通した道路、立会川の、流れの通りなのだろう。
問題は、なぜ、その、道路に、平行に、伸びる、通りが、開通したのか、ということ。
工場地帯だったことと、関係があるのかな。はっきりとは、わからないが。
しばらく、歩いていくと、西大井駅前に出る。
西大井駅は、高度成長を達成した後の、安定期に、開業。
新しい駅だ。
京浜工場地帯から、住宅地に、変貌し、駅も、必要に、なったのかな。
もっとも、当時は、特に、西大井に限らず、日本中、同じような、感じだったけど。
(2012年9月記)

横須賀線西大井駅(二葉二丁目 二葉商店街)

2013-09-17 04:27:15 | Weblog
天祖神社、ちょうど、お祭り。
参道には、屋台が並び、賑やか。
秋は、祭りが、多いな。
創建は、江戸時代。あたりが、開拓された頃だろう。
天祖神社を、後にして、二葉商店街を、南西へ。
他の地域と同じ、ご多分に漏れず、商店街、といっても、もう、ほとんど、住宅地、といってもいい。
そういえば、昔、バブルの頃だったか、この道、バスで、通ったのだ。
まだ、当時は、商店街、という感じだった。
冬、夕暮れで、雪が降りだしたのだっけ。
暗い中、雪が、しんしんと、降りしきり、商店街の、街灯が、白くなった、路面を、浮かび上がらせていたなあ。
今でも、覚えている。
商店街は、ずっと、大井町まで、続いていたのだ。
そんな、思い出に、浸りつつ、歩いていく。
(2012年9月記)

横須賀線西大井駅(二葉一丁目 天祖神社)

2013-09-16 07:08:28 | Weblog
西大井広場公園の場所には、かつて、三菱重工業の、工場敷地が、広がっていた、ということだ。
高度成長の終わり頃、移転している。
高度成長を、達成したので、工場は、いらなくなったのだろう。
とりあえず、その、跡地、公園に、整備されたのかな。
ところで、公園が、道路の、南側、北側、両方に、広がっているわけなのだが。
道路が、立会川の、流路跡、そして、公園が、三菱重工業工場敷地跡。
とすると、工場敷地内を、立会川は、流れていたことになる。
一帯には、三菱重工業の工場だけではなく、他にも、工場は、多数、あったようだ。
ひょっとすると、立会川の、流路が、まっすぐになったのは、工場地帯になったからなのかもしれない。
などと考えながら、住宅地の中、北へ。
すぐに、立会道路に、平行するように、二葉商店街の、通りが、北東に、伸びている。
北東へ、歩いていき、しばらくして、北へ。
天祖神社がある。
(2012年9月記)

横須賀線西大井駅(二葉二丁目 西大井広場公園(道路北側))

2013-09-15 07:10:04 | Weblog
一帯が、畑地だったころ、川筋は、自然のまま、蛇行していたようだ。
そんな、立会川流域なのだが、宅地化されたのは、いつぐらいだったのだろうか。
高度成長期、すでに、川筋は、消滅しているので、もっと、早い時期なのかな。
ひょっとすると、郊外が、誕生した、昭和の初め頃かもしれない。
ただ、歩きながら、街並みを、見てみると、そんなに、古いとも、思えない。やはり、高度成長期、だろうか。
昔の地図を、見てみないと、なんとも、言えない。
そんなことを、考えながら、延々と、歩いていると、西大井広場公園。
道路の、南側、さらに、北側にまで、広がっている。
完成したのは、高度成長を、達成した後の、安定期。
世の中に、生活の余裕が、できた頃だ。
(2012年9月記)

京浜東北線大井町駅(二葉一丁目 立会道路)

2013-09-14 07:07:44 | Weblog
西に伸びる、立会道路を、歩くことにする。
立会道路は、かつての、立会川流路跡。
前回は、大井町駅の、西側、立会川流路跡を、少し、遡ったのだ。
立会川は、大井町駅の、下を、流れ、海へ。
大井町、立会川の、穿つ、谷地の、街なので、下町なのかもしれない。
もっとも、今や、その、下町の風景も、消えつつあるのだが。
そんなことなど、考えながら、立会道路を、歩いていく。
立会道路は、向きを、南西へ。
川筋跡は、比較的、まっすぐ。
明治時代初め頃の、地図を、見てみると、当時は、曲がりくねっていたようだ。
宅地化されたときに、川筋を、改修したのかもしれない。
(2012年9月記)

京浜東北線大井町駅(大井一丁目 南へと伸びる新しい通り)

2013-09-13 05:05:02 | Weblog
ブリリア大井町ラヴィアンタワーの西側は、南北に伸びる、新しい道路。
高層住宅だけではなく、道路も、新設されるわけだ。
結局、いったい、どこまで、伸びているのか、わからないのだけど。
北側については、大井町線高架下から、品川区役所の西側、さらに、湘南新宿ラインの、高架に沿って、北へ。
大崎まで、伸びている。
今は、大崎とは、別々の街だが、将来は、連続した、街並みになるのだろうか。
そうなるとしても、先のことなので、なんとも、言えない。
ただ、今のような、都心集積が、続けば、そうなっていくかも。
今回は、そんな、大井町から、さらに、西へと、歩くことにする。
(2012年9月記)

京浜東北線大井町駅(ブリリア大井町ラヴィアンタワー)

2013-09-12 04:57:15 | Weblog
のんびりと、大井町線高架下沿いの、通りを、西へと、歩いていく。
以前は、もっと、下町の、雰囲気がしたのだけど。
いたるところが、整備され、次々と、きれいな、街並みに、なっていく。
時代の流れなので、仕方がない。
しばらくすると、通りの、南側に、ブリリア大井町ラヴィアンタワー。
最近、完成した、高層住宅。(工事中はこちら
こうして、大井町、さらに、整備されていくわけか。
かつての、京浜工場地帯は、もはや、昔日、思い出の中へ。
豊かな時代は、そのままでも、よかったのだけど。
今は、寂れるか、再開発されるか、どちらかしかない。
いずれにしろ、消えるのみ、なのかな。
(2012年9月記)

京浜東北線大井町駅(大井一丁目 大井町線高架下の商店街)

2013-09-11 06:09:44 | Weblog
高田馬場駅で、山手線に、乗り換える。
品川駅で、今度は、京浜東北線。
大井町駅で、下車。
西口に出る。
大井町に来るのは、久しぶり。この前、来たのは、いつだっけ。
間が、空いてしまったけど、大井町には、定期的に、来ている感じだ。
高層ビルが、途切れずに、建ち上がっていて、そのたび、訪れているからだけど。
なんだか、来るたびに、街並みが、整備され、きれいになっていくような気がする。
バブルの頃は、たしか、京浜の、下町、という感じだったなあ。
駅前広場から、北へ。
すぐに、東西に伸びる、通り。
その通りを、西へ、向かう。
北側には、大井町線の、高架。
高架下には、飲食店などが、並んでいる。
ここだけが、昔の、大井町の、雰囲気を、残してるようだ。
(2012年9月記)