retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

西武新宿線沼袋駅(新井三丁目 中野水再生センター)

2013-08-11 07:12:27 | Weblog
南へ南へと、歩いていくと、西側には、中野水再生センター。
広大な、下水処理施設の敷地が、広がる。
かつては、中野刑務所があった場所。
高度成長の後、安定期に、中野刑務所は、なくなり、跡地は、いろいろな、施設になっている。
中野水再生センターも、その一つだ。
生活も、豊かになり、こうした、様々な、施設も、整備されていく、ということか。
もっとも、敷地が、広大すぎて、いまだに、全体は、完成していないらしい。
完成しない間に、安定期は過ぎ、バブルは崩壊して、失われた10年。
その後、都心中心に、もの凄い、再開発が、始まるが、それも、世界同時不況に、見舞われる。
こうした、浮き沈みに、このあたりの、整備が、左右されたのかどうか、わからないけど。
ゆっくりと、完成には、近付いているようだ。
再び、まっすぐ、南へ、向かう。
(2012年8月記)

西武新宿線沼袋駅(新井三丁目 沼袋駅から中野駅への道)

2013-08-10 07:11:20 | Weblog
西武新宿線沼袋駅で下車。
駅西側に出る。
南北に伸びる、通りを、南へ。
沼袋、という地名から、おそらく、近くを、流れる、妙正寺川が澱み、沼沢地になっていたのだろう。
南へ向かうと、台地。
こちらの地名は、新井。
東側にある、有名な、新井薬師は、新井にあるから、新井薬師、なのかな。
その新井薬師近くには、鎌倉街道が通っていて、古くから、開発された地域だとわかる。開発されるとき、まず、井戸が、整備されるので、新しい、井戸、から、新井、なのかもしれない。
沼袋駅から、まっすぐ、南へと、歩いていく。
(2012年8月記)

千代田線北千住駅(千住二丁目 北千住駅西口から伸びるメインストリート)

2013-08-09 04:56:35 | Weblog
東武伊勢崎線の列車は、緩やかに、カーブを、描きながら、北へと、向きを、変えていく。
しばらくして、次の駅、北千住駅。
改札を出て、西口、ペデストリアンデッキに、出てみる。
そこから見えるのは、西へ、まっすぐ伸びる、メインストリート。
そういえば、たしか、バブルが崩壊した後だったかな、バスで、北千住に、来たのは。
この、メインストリートを、抜けて、バスは、走ってきたのだ。
季節は、もう、忘れてしまった。
晩秋の頃だったかな。たぶん、そうだと、思う。
忙しない中にも、なにか、ほっとしたような、雰囲気。
今となっては、昔のこと。ただ、懐かしいばかり。
帰ることにするが、ちょっと、なにか、食べていくことにする。
どうせなら、昔から、あるような、店がいいかなと、思って、探すけど、もとより、そんな店は、なくなっている。
諦めて、駅の、階段を、上るとき、階段の中ほどに、立ち食いのそば屋があったな、と思い出した。
見てみると、はたして、今でも、残っている。
帰る前に、なにか、食べていこう。
(2012年8月記)

千代田線北千住駅(東武伊勢崎線牛田駅駅舎)

2013-08-08 04:57:12 | Weblog
柳原千草公園、工場の跡地を、利用した、ということだ。
おそらく、高度成長気前までは、あちこちに、工場が、あったのだろう。
その後、高度成長を、達成し、そうした、工場は、いらなくなったのかな。
高度成長の後、安定期、バブル期に、そのような、工場の跡地は、再開発される。
豊かな時代だったので、荒地にならず、こうして、緑の、公園に、整備されたわけか。
それにしても、せっかくの、公園なのに、誰もいない。
静かなのは、いいのだけど。
柳原千草公園を出て、住宅地の中、西へ。途中、南へ曲がり、そのまま、南へと、向かう。
しばらくして、東武伊勢崎線牛田駅。
以前は、ずいぶんと、長閑な、駅だったのだろうな。
今は、まわりに、マンションなども建ち、普通の駅。
牛田駅で、東武伊勢崎線の列車に、乗る。
(2012年8月記)

千代田線北千住駅(柳原一丁目 柳原千草公園)

2013-08-07 06:09:02 | Weblog
荒川土手の上から、南西側、住宅地を、見渡すと、はたして、家並みの、向こう、こんもりとした、木立が、見えた。
さっそく、土手を、下りて、そちらの方へ、行ってみる。
住宅地の中、歩いていくと、柳原千草公園。
千草の、名前の如く、緑が生い茂っている。
公園、分け入っていくと、中央には、大きな池。
かつて、湿地帯だった頃、こんな景観だったのだろうか。
完成したのは、バブルの頃。
あたりの、商店街も、賑わっていて、こうした、公園も、整備されたのかな。
今は、静かなものだ。誰もいない。
ひとわたり、歩き回り、公園を、後にする。
(2012年8月記)

千代田線北千住駅(柳原一丁目 荒川の土手)

2013-08-06 06:11:25 | Weblog
並木の緑が、木陰を作っていて、気持ちのよい、通りだ。
もっとも、実は、道に、迷っているのだけど。
方角は、わかっているのだが、目指す場所が、この、広い通りの、南側だったのか、北側だったのか、忘れてしまったのだ。
通りを、歩けば、なにか、手掛かりが、掴めるかも。
そういうわけで、歩いている。
だけど、いっかな、わからない。
このまま、歩いていると、北千住駅まで、行ってしまうので、途中で、引き返す。
今度は、広い道、東へ。
しばらく歩いていると、荒川に、行き当たる。
土手を、上ってみる。かなり、見晴らしがいい。
これなら、目指す場所が、わかるかも。
(2012年8月記)

千代田線北千住駅(柳原二丁目 東西に伸びる広い通り)

2013-08-05 05:03:33 | Weblog
住宅地の中、南へ、歩くと、すぐに、東西に伸びる、通り。
下町、という感じがしないような、整備された、一直線の、道路だ。
しばらく、通りを、西へと、歩いてみる。
両側の、並木から、それほど、古くある、通りとは、思えない。
かといって、道路沿いの、店舗は、最近、開業したわけでもなさそうだ。
ちなみに、バブルの頃の、地図を、見ると、すでに、開通している。
おそらく、高度成長期が終わった後の、安定期に、できあがったのかも。
当時は、いたるところ、街並みが、きれいに、整備されていったので、あり得る。
バブルの頃の地図で、もう一つ、気付いたこと。
北千住から、東に伸びた、商店街は、やはり、連続して、このあたりにも、伸びてきていたようだ。
バブルの頃まで、まだ、盛んだった頃の、街並み、残っていたらしい。
さらに、西へと、向かう。
(2012年8月記)

千代田線北千住駅(柳原二丁目 柳原稲荷神社)

2013-08-04 07:10:24 | Weblog
すぐに、道路の、東側に、柳原稲荷神社。
創建は、おそらく、江戸時代、だろうか。
あたりが、開拓された頃。
明治時代初め頃の、地図を見ると、この場所に、神社が、記されているので、たぶん、そうだろう。
ところで、さきほど、訪れた、理性院なのだが、地図によると、柳原稲荷神社の北側、今の、千寿桜堤中学校あたりに、あったようだ。
理性院が、今の場所に、移動したのは、大正時代、荒川の、開削に、よるらしい。
さらに言えば、柳原の集落の、東側、かなりの部分は、荒川になっている。
もっとも、その後、北千住の街が、広がって、むしろ、賑やかに、なっているので、それほど、目立たなかったのかもしれない。
柳原稲荷神社から、南へと、向かう。
(2012年8月記)

千代田線北千住駅(柳原二丁目 大和湯)

2013-08-03 07:05:58 | Weblog
南東へ歩いていくと、道路の東側に、大和湯。
駅から、離れた場所にも、こうして、銭湯が、残っている。
あたりは、どうやら、かつては、賑やかな、商店街。
そういうわけで、銭湯も残っているのかな。
ここまで、北千住の、街が、広がっていたとすると、昭和の時代、高度成長期の前、いかに、盛んなだったか、ということだけど。
ただ、今は、住宅地の中、忽然と、商店が、固まっていて、不思議な感じ。
なんで、こんなところに、と思ってしまう。
さらに、南東へ、歩いていく。
(2012年8月記)

千代田線北千住駅(柳原二丁目 理性院)

2013-08-02 03:15:02 | Weblog
住宅地の中、東へ東へと、歩いていく。
しばらくすると、突き当たり、理性院、という寺院。
創建は、江戸時代の、初め頃。
とすると、さっき訪れた、三吉稲荷神社も、同じ頃、ということか。
おそらく、このあたりが、開拓され、水田が、整備された頃だろう。
もっとも、西側に、開設された、千住宿と、どういう関係か、わからない。
水田の開拓が、先か、千住宿の開設が、先か。
年代的に見れば、千住宿の方が、先かもしれない。
たしか、水運の、要衝だったはず。江戸時代よりも、ずっと前。
当時は、一面、湿地帯だったのだろうな。
理性院を後にして、南東へと、住宅地の中、進んでいく。
(2012年8月記)