retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

中央線御茶ノ水駅(順天堂大学B棟工事現場)

2013-06-20 06:08:51 | Weblog
神田と呼ばれた、水田跡の、近くには、神田明神。
といっても、神田明神は、江戸時代の初めに、移ってきていて、本来、この、場所に、あったわけではない。
あまり、関係あるとは、思えないけど。
ただ、ここ以外、他に、田圃が、あったとも、思えないし。
やはり、あたりの、地名の、謂れとなるような、水田が、あったのだろうか。
今となっては、わからない。
蔵前橋通り、西へ、歩いていくと、南東に、伸びる、本郷通りに、行き当たる。
南へ、伸びる通りを、南へ。
神田川、北側に、壁のように、ビルが、建ち並ぶ。
まるで、文京山の手の、防壁のような、感じ。
さらに、南へ、向かうと、通りの西側、順天堂大学B棟の工事現場。
神田川の、北側、ビルの壁に、また、高層ビルが、加わるものらしい。
(2012年8月記)

千代田線湯島駅(湯島二丁目 清水坂)

2013-06-19 04:21:58 | Weblog
南へと、歩いていくと、下り坂。
谷地の、斜面。
さらに、歩いてくと、東西に伸びる、蔵前橋通り。
この、道路が、ちょうど、谷底になる。
反対側、南側の、斜面を、上ると、有名な、神田明神。
ふと、交差点を、見ると、清水坂交差点、となっている。
清水坂、ということは、名前、そのままに、昔は、清水が、湧き出していたのかな。
その、清水から、湧き出した、水の流れが、谷を、穿ったのに、違いない。
実は、それだけではなく、清水と、谷地を、利用した、水田が、大昔、あったらしいのだ。
神田、というのは、その、水田のこと。
本当かどうか、わからないけど。
蔵前橋通りを、西へ、向かう。
(2012年8月記)

千代田線湯島駅(湯島二丁目 霊雲寺)

2013-06-18 03:12:51 | Weblog
三組坂を、上りきると、台地が広がる。
台地の上、文京山の手。
といって、坂の下が、下町、というわけでもないけど。
御徒町あたりが、下町、といえるのかな。
そんなことを、考えながら、閑静な住宅地を、西へと、歩く。
しばらくすると、通りの、北側に、霊雲寺。
創建は、江戸時代の半ば。
江戸時代の、盛んな様、偲ばれるほどに、豪壮な、建物。
江戸城、鬼門の方角に、据えられた、寺社の、うちの、一つでも、ある。
もっとも、今となっては、江戸城、もう、関係ないけど。
湯島天神、妻恋神社、と同じ、台地の上にある、寺社の、一つかな。
霊雲寺を、あとにして、今度は、南へ、向かう。
有名な、神田明神の、方角だ。
(2012年8月記)

千代田線湯島駅(NTTファシリティーズ湯島ビル)

2013-06-17 04:28:10 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
大手町駅で千代田線に乗り換える。
湯島駅で下車。
地上に出ると、南北に伸びる、不忍通り。
文京山の手、閑静な、街並みだ。
不忍通りを、南へ。
途中、西に曲がり、そのまま、西へ、向かう。
三組坂、という、上り坂。
坂の途中、北側には、NTTファシリティーズ湯島ビル。
最近、完成した、高層ビル。(工事中はこちら
閑静な、山の手住宅地であっても、近頃は、高層ビルが、建つものらしい。
あえて言えば、上り坂なので、山の手の斜面。
だから、山の手ではないと、いえるのだけど。
三組坂を、さらに、上っていく。
(2012年8月記)

山手線駒込駅(駒込三丁目 大国神社)

2013-06-16 07:14:11 | Weblog
染井、といえば、桜の、ソメイヨシノ、発祥に地。
江戸時代に、作られた、品種、らしい。
ソメイヨシノ、今は、桜の代名詞。
そもそも、桜自体が、日本を、代表する、樹木、花、だし。
さっき、訪れた、植木屋の、屋敷が、あれだけ、豪壮なのは、そのためなのだろう。
などと、考えながら、歩いているうちに、山手線。
山手線に、沿って、東へ。
しばらくすると、駒込駅近く、大国神社。
創建は、江戸時代。新しい、神社だ。
開拓も、軌道にのった、ということだろう。
駒込駅も、近いので、もう、帰ることにする。
そういえば、駒込、という、地名、どういう、謂れがあるのだろうか。
漢字から、「馬」、が関係するのかもしれないけど。
そうなると、江戸時代、一帯が、開拓されるよりも、はるか、昔、ということになる。
昔過ぎて、もう、見当が、付かない。
とりあえず、帰ることにする。
「駒込」の地名については、別の、機会に、考えようかな。
山手線、駒込駅に向かう。
(2012年8月記)

山手線巣鴨駅(駒込三丁目 蔵と門がある広場)

2013-06-15 07:35:03 | Weblog
細い道、南東に、歩き、突き当りを、南西へ。
桜並木になっていて、静かで、美しい、景観。
しばらくすると、東側には、蔵と門がある広場。
本当に、ぽつんと、蔵があり、そして、門が、ある。
名前の通りだ。
もともと、敷地は、さる、植木屋の、敷地だったらしい。
蔵は、昭和の、初め頃。
門の方は、もっと、古くて、江戸時代の後半。
当初は、近くの、津軽藩下屋敷の、裏門。その、裏門を、移築したらしい。
それはそれとして、植木屋にしては、ずいぶんと、豪壮な、屋敷だな。
蔵と門がある広場を後にし、南西へ。
しばらくすると、南東に伸びる、染井通り。
染井通りを、南東へ、向かう。
(2012年8月記)

山手線巣鴨駅(駒込六丁目 西福寺)

2013-06-14 04:23:42 | Weblog
染井稲荷神社の、東側には、西福寺。
創建は、江戸時代の、直前、だろうか。
当時、一帯が、開拓されたのだろう。
ところで、すぐ、北側、谷田川、という、川が、流れていたらしい。
遡っていくと、染井霊園の、北で、西へ、向きを、変え、中央卸売市場豊島市場あたりにあった、長池に、辿り着く。
今は、もう、ないが、この、長池が、谷田川の、源泉、だったのだろう。
痕跡が、残っているのかどうか、わからないけど。
いつか、行ってみようかと、思う。
そんな、谷田川なのだが、長池から、流れ出して、西福寺の東側を、南へと、流れ下り、途中、名前が、藍染川へ。
そして、不忍池、さらに、海へと、流れ込んでいた。
今はもう、昔のことだが。
(2012年8月記)

山手線巣鴨駅(駒込六丁目 染井稲荷神社)

2013-06-13 03:03:09 | Weblog
そめいよしの桜の里公園の、北側に、出ると、染井稲荷神社がある。
創建は、江戸時代の、前半か。
江戸時代の初めに、巣鴨が、開拓され、次いで、ここらへんも、開拓されて、染井稲荷神社が、建てられたのかも。
江戸名所図会には、もともと、泉があり、その泉の、名前が、染井、そして、その、泉の、あった場所に、染井稲荷神社が、建てられた、とある。
泉の名前が、染井、だったかどうかは、わからないけど、泉があったのは、おそらく、本当のことだろう。
さらに言えば、昔から、祭祀の場、だったのかもしれない。
ちなみに、染井、とは、その泉で、布を、染めたから。
どのように染めたのか、ちょっと、わからないけど。
ひょっとしたら、あちこちから、そのような、泉が、湧き出していてのかな。
今となっては、もう、わからない。
(2012年8月記)

山手線巣鴨駅(駒込六丁目 そめいよしの桜の里公園)

2013-06-12 05:10:43 | Weblog
閑静な、住宅地の中、北東へと、歩いていく。
そういえば、今日は、久しぶりの、雨。
暑い夏の中、ひとときの、涼雨だ。
実は、傘を、持っていなかったのだけど。
途中、歩道橋の下で、雨宿り。
でも、濡れても、かまわないだろう、ということで、歩き出す。
むしろ、雨に、濡れた、アスファルトの上、歩くと、気持ちいい。
植物の、緑も、久方の、雨で、瑞々しく、蘇ったかのよう。
そんな、住宅地の中、歩いていくと、しばらくして、静かな、公園。
そめいよしの桜の里公園。
できたのは、最近のこと。
桜、ソメイヨシノ、発祥の地、なのだな。
もう少し、歩いてみる。
(2012年8月記)

山手線巣鴨駅(巣鴨三丁目 地蔵通り商店街入口付近)

2013-06-11 04:10:44 | Weblog
東側、すぐに、賑やかな、通り。
有名な、地蔵通り商店街だ。
真性寺に、江戸六地蔵の一つが、あるので、地蔵通り、でも、いいと思うのだが。
そうではなく、とげぬき地蔵から、ということ。
ただ、とげぬき地蔵が、この地に、移ってきたのは、明治時代の半ば。
歴史は、それほど、あるわけではない。
それ以前は、巣鴨の、地蔵、といえば、真性寺の、江戸六地蔵、のこと。
もっとも、とげぬき地蔵が、移ってきて、地蔵通り商店街が、できたとして、当時は、普通の、商店街、だったらしいけど。
一帯が、変貌したのは、高度成長期の後半。
巣鴨駅近くに、スーパーの、西友が、開店してから。
衰退の危機に、直面し、高齢者向けに、特化して、今に到る、ということだ。
地蔵通り商店街、また、次の機会に、訪れよう。
南北に伸びる、白山通りを、渡り、さらに、東へ。
(2012年8月記)