retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

日比谷線八丁堀駅(湊一丁目 南高橋)

2013-05-21 04:22:54 | Weblog
途中、東側には、亀島川に、架かる、南高橋、がある。
完成したのは、昭和の初め頃。
それほど、古くはないのに、古い感じがする。
おそらく、両国橋の、鉄材が、流用されているからかもしれない。
両国橋は、明治時代の半ばに、鉄橋になったが、昭和の初め頃に、改築。
その際、撤去された、鉄橋の鉄材を、南高橋の、架橋に、使ったのだ。
しかも、もとの、両国橋の、デザインを、残したので、まるで、ミニチュアみたいに、見える。
当時としては、有効利用だったのだろう。
だが、今となってみると、期せずして、街中の、歴史的テーマパークの、オブジュに、なっているようだ。
さらに、北へと、歩いていく。
(2012年6月記)

日比谷線八丁堀駅(湊一丁目 鉄砲洲稲荷神社)

2013-05-20 03:58:11 | Weblog
意外と、緑が多く、静かな、園内を、東へ。
東西に伸びる、八丁堀を、埋め立てた場所に、公園はあるので、公園の敷地も、東西に、細長い。
しばらくして、南に曲がり、公園を出て、そのまま、南へと、進む。
街中、南へと、歩き、途中、東へ、曲がると、鉄砲洲稲荷神社。
創建は、意外と、古く、わからない。
この地に、移ってきたのは、明治時代の初め。
それ以前は、さっき、訪れた、八丁堀、亀島川への、合流地点、南岸に、あったようだ。当時は、湊稲荷神社、という名前だったらしい。
八丁堀の、河口に、できたのは、江戸時代の初め頃。
おそらく、八丁堀の、守護のため、八丁堀と、セットで、造られたものと、思われる。
さらに、それ以前は、もっと、内陸、西側に、あったようだ。
たぶん、埋め立てられる前の、日比谷入江の、岸辺に、あったらしいが、わからない。
もともとは、もっと、西側、桜田村の、場所に、あったのかもしれない。
もう、そこまでいくと、よくわからなくなる。
鉄砲洲稲荷を後にして、北へ。
(2012年6月記)

日比谷線八丁堀駅(入船一丁目 桜川公園)

2013-05-19 06:59:16 | Weblog
しばらく、歩いていくと、南北に伸びる、新大橋通り。
新大橋通りに入り、南へ。
すぐに、通りの、東側に、桜川公園。
桜川を埋め立てた跡地だ。
桜川、というと、馴染みがないが、もともとの名前は、八丁堀。
町名、駅名にもなっている、八丁堀、のこと。
江戸城外濠と、東京湾を、結んでいた。
また、北側には、船入堀、という、今の、埠頭、船荷を、揚陸するための、施設が、あったようだ。
江戸の町にとって、とくに、江戸時代の初め頃、八丁堀は、まさに、不可欠の、存在だったのだろう。
桜川公園の中、東へと、歩いてみる。
(2012年6月記)

銀座線京橋駅(京華スクエア)

2013-05-18 04:55:26 | Weblog
東西に伸びる通りを、東へ。
首都高都心環状線の高架を潜り、さらに、進む。
しばらくすると、南北に伸びる、平成通り。
昭和通りの次は、平成通り、というわけかな。
平成通りを、南へ。
途中、再び、鍛冶橋通り。
鍛冶橋通りを、今度は、東へ。
すぐに、通りの北側、京華スクエア、の建物。
もともと、明治時代半ばに、開校した、京華小学校の、跡地。
そのまま、を流用した、施設なので、かなり、古い、建物だ。
ただ、開校は、明治時代だが、その後、関東大震災で、全焼し、昭和の初め頃に、建て替えられている。
それでも、昭和の初め頃、やはり、古い、建物には、違いない。
さらに、東へと、歩いていく。
(2012年6月記)

銀座線京橋駅(清水建設京橋新本社ビル)

2013-05-17 06:08:44 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
日本橋駅で銀座線に乗り換える。
京橋駅で下車。
南北に伸びる、中央通りと、東西に伸びる、鍛冶橋通りとの、交差点。
東京駅から、離れ、ここらへんは、静かだ。
銀座のような、商業地でもないし。
鍛冶橋通りを、東へと、進む。
しばらくすると、南北に伸びる、昭和通り。
昭和通りに入り、北へ。
ほどなくして、通りの、東側には、清水建設京橋新本社ビル。
最近、完成した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
東京駅に、東側は、今まで、それほど、再開発は、行われていなかったはずなのだが。
都心部に、再開発が、集中する、ということで、ここらへんにも、再開発の、波が、やってきと、ということかな。
(2012年6月記)

有楽町線桜田門駅(法務省旧本館)

2013-05-16 06:10:21 | Weblog
南へ、歩く、といっても、そこから先は、官庁街。
とくに、見るべきものはない。
そんな官庁街なのだが、南へ伸びる、桜田通りの、東側に、古い、建物が、あった。
一見すると、博物館のような、建物。
法務省旧本館だ。
現在、使われているようには、思えないが、図書館などに、利用されている、ということだ。
建てられたのは、明治時代の、初め頃。
それ以前、役所は、あちこちに、点在していたらしいのだが、非効率、ということで、ここらへんに、集められたらしい。
そのときに、法務省旧本館、建てられたのだろう。
ちなみに、その前は、今の、東京駅近くに、あったようだ。
そちらが、官庁街でも、よかったのかもしれないけど。
いろいろと、理由があったのかな。
もう、帰ることにする。
桜田門駅に戻り、再び、有楽町線。
(2012年6月記)

有楽町線桜田門駅(江戸城 凱旋濠)

2013-05-15 04:44:34 | Weblog
桜田濠の南側には、凱旋濠。
桜田濠は、自然の、地形を、利用していて、普通の、谷地のように、見えるが、凱旋濠の方は、石垣で、周囲を、固められ、天然とは、かけ離れている。
もともとは、日比谷入江だったのを、埋め立てたからだろう。
そういえば、すぐ、南側、晴海通り。
今回、最初に、降り立った、豊洲にも、晴海通りが、通っていた。
もっとも、ここから、一直線に、豊洲まで、伸びているわけでも、ないけど。
とくに、晴見で、大きく、向きを、変えている。
とはいえ、銀座、勝どき、晴見、豊洲、東雲、という、連なりは、最近の、街並みの、繋がり、を感じてしまうが。
将来的には、大きな、軸、になるのだろうか。
晴海通りを渡り、さらに、南へと、歩いてみる。
(2012年6月記)

有楽町線桜田門駅(桜田門の櫓)

2013-05-14 04:51:54 | Weblog
外桜田門は、二つの門、高麗門と、渡り櫓門、に別れている。
正面、高麗門があり、そこを潜ると、しかし、行き止まり。
右手側、東側に、すぐ、渡り櫓門、がある。
門を、突破したと、思ったら、また、もう一つ、門がある、というわけ。
しかも、渡り櫓門は、櫓を、備えていて、上から、射掛けてきたり、あるいは、銃撃してきたりする。
この、二重構造になっている、門を、突破したとしても、その先は、西の丸下。
濠と、櫓に、囲まれた、広場。
そこで、袋の鼠、となるしかない。
城を、包囲していると、思っていたら、逆に、城に、包囲されてしまうのだ。
それに、万が一、落とされたとしても、もともと、そこは、城ではないので、想定内、というところかな。
再び、南へ。
(2012年6月記)

有楽町線桜田門駅(江戸城 外桜田門)

2013-05-13 04:35:51 | Weblog
桜田濠を、越えると、桜田門。
桜田濠に、橋が架かっているのではなく、西に伸びる、桜田濠と、東に伸びる、凱旋濠の、間を、通った、ということだが。
桜田門の、先には、皇居外苑。
江戸城においては、西の丸下。会津藩などの、上屋敷が、あったようだ。
さらに、それ以前、当初は、江戸城の、東側を、南北に、伸びる、幹線道路の、門、だったらしい。
江戸城の、拡大に伴って、西の丸下も、城塞、という風にしたのだろう。
あるいは、日比谷入江を、埋め立てたので、幹線道路は、そちらに、移し、通行は、なくなったので、城門にして、城塞の、一部に、取り込んだのかな。
今度、来るときは、桜田門を、潜って、西の丸下まで、行ってみると、さらに、興味深いに、違いない。
(2012年6月記)

有楽町線桜田門駅(桜田門から臨む桜田濠)

2013-05-12 08:37:55 | Weblog
再び、豊洲駅。
豊洲駅で、有楽町線へ。
ホームに、降りていくと、広範囲で、工事中。
地上は、ずいぶんと、きれいになったのに、地下の、ホームは、昔のまま。
ということで、地上に合わせて、改良工事でも、しているのかな。
わからないけど。
来た、列車に乗り、しばらくして、桜田門駅で、下車。
地上に出ると、南側には、官庁、北側には、皇居。
壮大な、眺めだ。
特に、城郭の縁、西に伸びる、桜田濠。
濠、というよりも、天然の、入江に、見えてしまう。
桜田濠を、越えて、北へ。
(2012年6月記)