retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線目黒駅(下目黒五丁目 林試の森公園あかしあ門)

2013-04-20 06:49:49 | Weblog
目黒不動商店街、しばらく、歩き、途中、北へ、曲がる。
そのまま、北へ、進むと、目黒不動尊。
木々が、鬱蒼と、繁茂し、池もあり、本当に、ここが、都心かと、疑ってしまうほど。
どこぞの、地方と、言われても、信じただろう。
それほどに、鄙びた感じなのだ。
今回は、目黒不動尊を、訪れる、予定ではないので、通り過ぎるけど。
目黒不動尊を、訪れるときが、楽しみだな。
西へと、進んで行くと、すぐに、住宅地。
山の手の、閑静な住宅地が、広がる。
さらに、歩いていくと、今度は、南側に、鬱蒼とした、森林。
林試の森公園だ。
住宅地なのに、ふんだんに、緑が、ある。
閑静な、山の手住宅地というのは、こうしたものなのかな。
林試の森公園も、訪れる予定ではないので、通り過ぎる。
(2012年6月記)

山手線目黒駅(下目黒三丁目 成就院)

2013-04-19 04:50:43 | Weblog
ほどなくして、南側には、成就院。
蛸薬師で、有名だ。
創建の時期は、わからない。
さっき、通ってきた、目黒川沿いが、江戸時代の、初め頃。
というと、こちらも、そうだろうか。
ただ、ここから、北側には、目黒不動尊、大鳥神社が、あり、そちらは、江戸時代よりも、かなり、古い。
あるいは、目黒不動尊、大鳥神社と、同じ時期かも。
目黒不動尊、大鳥神社を、訪れたときに、また、考えてみよう。
さらに、南西へ。
あたりは、目黒不動商店街。
時代の流れが、止まったかの如き、レトロな、街並み。
門前町とは、こうしたものか。
とても、懐かしい、雰囲気だ。
(2012年6月記)

山手線目黒駅(パークキューブ目黒タワー)

2013-04-18 06:10:00 | Weblog
太鼓橋を渡ると、その、先には、パークキューブ目黒タワー。
ちょっと前に、建てられた、高層住宅だ。
パークキューブ目黒タワーが、竣工した頃は、たしか、世界同時不況、だったかな。
もっとも、それ以前、計画され、着工されたわけだから、景気が、いい頃の、産物なんだろうけど。
当時は、都心部、あちこちに、高層ビルが、建ったものだ。
パークキューブ目黒タワーも、その一つ。
世界同時不況が、治まると、また、同じように、再開発が、始まるのかな。
などと、考えながら、南西方向へ、歩いていくと、南北に、伸びる、新しい道。
新しい道路を、南へ、向かう。
いつの間に出来たのかな。
とにかく、バブルが崩壊して以降、こうした、再開発は、都心部が多い。
しばらくすると、南東へ、伸びる、山手通り。
いつ果てることもなく、工事中。
山手通りを渡り、細い道、南西へ。
(2012年6月記)

山手線目黒駅(下目黒一丁目 太鼓橋)

2013-04-17 06:08:59 | Weblog
ちなみに、江戸名所図会を見ると、大円寺、当時は、廃寺、になっている。
その、西側には、明王院、という、寺院。
だが、今は、明王院の場所に、目黒雅叙園。
どういうことか、というと、大円寺は、明和の大火の、火元として、責任を、とらされ、廃寺、ということになったのだ。
実際は、西隣の、明王院に、吸収合併、ということになっている。
ようやく、大円寺、再建が、許されるのだが、明治維新、明治時代に、なると、今度は、明王院が、衰退。
今度は、明王院が、大円寺に、吸収合併され、今に、至っている。
いろいろな、変遷が、あるものだ。
坂を下ると、目黒川に、架かる、太鼓橋。
江戸時代、アーチ状の、橋、だったらしい。
このような、形状の、橋、一般的にも、太鼓橋、と呼ばれるようだ。
太鼓橋を、渡る。
(2012年6月記)

山手線目黒駅(アルコタワーアネックス)

2013-04-16 05:03:09 | Weblog
大円寺。創建は、江戸時代の、初め頃。
さっき、訪れた、山手線沿いの、徳蔵寺も、同じ頃の、創建。
そういえば、徳蔵寺、もともとは、目黒川の、近くに、あったらしい。
大円寺も、行人坂を、下れば、目黒川。
目黒川沿い、何か、江戸時代になることで、大きな、変化が、あったのだろうか。
今となっては、わからないが。
さらに、坂を、下ると、南側には、目黒雅叙園。
敷地内、目黒川沿いに、アルコタワーがある。
竣工は、バブルの頃。
そして、その、東側には、新しく、竣工した、アルコタワーアネックス。(工事中はこちら
バブルが崩壊して以降、ちょっと、景気がよかった時期の、産物、であろうか。
目黒雅叙園を後にし、さらに、坂を、下っていく。
下りきった先には、目黒川に、架かる、太鼓橋。
(2012年6月記)

山手線目黒駅(下目黒一丁目 大円寺)

2013-04-15 04:56:21 | Weblog
ドレッセ目黒インプレスタワーは、目黒駅に、近いのだが、直接、直結しているわけではない。
とても、わかりにくい、場所だ。
駅を、利用するには、便利だが、だからといって、駅前の、喧騒に、さらされることはない、というわけ。
また、坂を、上っていくと、山手線沿いの、坂道に出る。
再び、北西へ。
いまだ、忘れ去られた、場所みたいだな。
将来は、再開発されて、整備されるのだろうか。
たぶん、そうなのだろうけど、具体的には、わからない。
そんな、上り坂を、進んで行くと、目黒駅の、駅前。
丘の上に、駅が、あるのか。
こんどは、西側。
急な、下り坂、行人坂へ。
坂の途中、南側には、大円寺がある。
(2012年6月記)

山手線目黒駅(ドレッセ目黒インプレスタワー)

2013-04-14 07:14:25 | Weblog
徳蔵寺。
創建は、江戸時代の、直前ぐらい。
戦国時代から、江戸時代へと、時代が、移り変わる、画期。
そういう時期に、建てられたようだ。
ちなみに、場所は、今のような、崖の、中腹ではなく、坂を、下った、ところだったらしい。
とすると、目黒川の畔、というところかな。
徳蔵寺を、後にして、坂を、再び、上り始める。
上りきると、そこは、台地の上。
変電所があるだけで、ずっと、以前から、何もない。
実は、さきほどの、ライオンズタワー目黒川工事現場、こういう場所かな、と思っていたのだが。
実際は、違ったみたい。
山手線に沿って、北西へと、進み、途中、南へ。
そのまま、南へと、歩いていくと、ドレッセ目黒インプレスタワー。
竣工したのは、ちょっと、前。
バブルが崩壊した後、景気が、よくなった頃。
(2012年6月記)

山手線五反田駅(西五反田三丁目 徳蔵寺)

2013-04-13 07:11:39 | Weblog
実は、この、ライオンズタワー目黒川の工事現場、場所を、探すのに、苦労した。
だいたいの、住所は、わかっていたのだが。
高層ビルともなると、工事現場は、ある程度、広いし、クレーンも、大きい。
たいてい、遠くからでも、わかるものだ。
ということで、あてどなく、あちこちと、歩き回ってしまったけど。
とくに、目黒川の、東側。
まったく、見当が、つかず、ひょっとして、と思い直し、目黒川の、西側に、言ってみて、ようやく、工事現場、見つけた。
高層ビルの割には、面積は、狭く、かなり、細長い、ビルになるみたい。
今度は、北へ。
山手線の手前、線路に、沿って、北西へ。
急勾配の、上り坂。
坂の中腹、南側には、徳蔵寺がある。
(2012年6月記)

山手線五反田駅(ライオンズタワー目黒川工事現場)

2013-04-12 06:09:01 | Weblog
高田馬場駅から山手線。
五反田駅で下車。
駅西側に出る。
五反田駅、ちょっと、足が遠のいた間に、ずいぶんと、変わったものだ。
よくある、きれいな、店に、置き換わっている。
こんな駅だったかな、と思うぐらい。
どうせなら、駅東側の、歩道橋を、なんとか、して欲しいような気もするけど。
エスカレータ付きの、ペデストリアンデッキに、なれば、便利だ。
もっとも、五反田に、住んでいるわけではないので、どうでも、いいことだが。
北へと、歩いていく。
たしか、駅舎の、北東端に、立ち食いの、そば屋があったと思う。
もう、今は、とっくに、ない。
桜田通りを渡る。
桜田通りから、先は、まだ、昔の、五反田が、残っているようだ。
北西へ、進むと、しばらくして、南北に伸びる、大通り。
上空には、首都高目黒線の、高架。
大通りを、南へ、向かう。
目黒川を、渡ると、西側には、ライオンズタワー目黒川の工事現場。
(2012年6月記)

有楽町線千川駅(有楽町線千川駅前)

2013-04-11 03:39:58 | Weblog
道なりに、北へと、歩いていく。
さっき、訪れた、粟島神社に、源泉が、あるとすると、この先は、上り勾配、尾根、となるのだが。
あまり、そのような、感じはない。
かなり、緩やかな、勾配なのだろう。
さらに、北に、歩いていくと、ちょっと、賑やかになってくる。
すぐに、広々とした、大通り。
その、大通り沿いには、千川駅。
ただ、大通りが、あったり、駅が、あったりするのだが、どちらも、新しいので、とくに、大きな、商店街が、あったりはしない。
だからだろうか、繁華な、駅前、という、感じはしないな。
ところで、千川、という名前、かつて、千川上水が、流れていたからだろう。
こうした、上水は、四方への、配水を、容易にするために、尾根筋に、作られる。
千川上水も、そうした、上水の、一つ。
さあ、もう、帰ろう。
谷端川の源泉も、訪れたし。
千川駅の、入口に、向かう。
(2012年5月記)