retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

南北線永田町駅(赤坂Kタワー)

2012-12-11 06:11:55 | Weblog
高田馬場駅で東西線。
飯田橋駅で、南北線に乗り換える。
永田町駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる、青山通り。
青山通りを、西へと、向かう。
最近は、春の陽気が、続いていたのだが、今日は、あいにくの天気、雨模様。
ただ、冬の雨のような、厳しさは、ない。
春の雨は、穏やかで、柔らか。
その、雨に、濡れた、草木の緑は、生き生きとしている。
雨の中、西へ西へと、歩いていくと、しばらくして、通りの北側に、赤坂Kタワー。
最近、完成した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
かくのごとく、都心中心部では、再開発、いまだに、続いている。
だが、今回は、そんな、都心中心部ではなく、もう少し、離れた、場所を、訪れるつもり。
青山通りを、東へ。
駅に向かう。
(2012年4月記)

東西線門前仲町駅(牡丹一丁目 黒船橋から見る大横川)

2012-12-10 05:00:44 | Weblog
西に向かっていくと、南北に伸びる、清澄通り。
清澄通りを、北へ、歩くと、東西線の、門前仲町駅に、行き着く。
その手前、大横川の流れと、大横川に、架かる、黒船橋。
黒船橋は、江戸時代にも、架かっていたが、当時は、もう少し、東側、だろうか。
江戸時代の、地図を見ると、橋の袂、大横川の、南岸に、黒船神社が、あったようだ。
今は、小さな、祠だが、当時は、それなりに、大きな、神社。
ところで、大横川に、ついてだが、こちらは、黒船神社が、移ってくるよりも、早く、江戸時代の、前半、開削された、運河、ということだ。
つまり、運河が、開削され、一帯が、開かれて後、住民が、移住してきた、わけかな。
さらに、江戸時代の地図を、見ていると、黒船神社の近く、雀の森、というのがある。
もちろん、森林が、あったわけはなく、神社の、鎮守の森、のような、こんもりとした、木々の、叢林、だったようだ。
ただ、実際は、なんだか、わからない。あるいは、なぜ、そのような、叢林が、あったのかも、わからない。
あとで、調べてみよう。
黒船橋を、渡って、しばらくすると、門前仲町駅。
東西線で、帰ることにする。
(2012年4月記)

東西線門前仲町駅(牡丹一丁目 黒船神社)

2012-12-09 06:38:04 | Weblog
住宅地の中、北へ、歩いていくと、すぐに、黒船神社。
黒船、というと、幕末に、日本にやって来た、アメリカの、軍船を、思い起こさせる。
ただ、実際、その、黒船とは、違うようだ。
もとは、浅草の、南側に、あったらしい。
今も、彼の地には、黒船神社が、あるし、ちょっと、昔には、黒船町、という、町名だったのだ。
江戸時代、その、浅草の南の地から、ここへ、移住があって、神社も、一緒に、連れてきた、ということらしい。
とすると、この場所の、黒船神社の、創建は、江戸時代なのだろうけど、では、もとの、黒船神社の、創建は、いつなのだろう。
近くの、浅草が、相等に、古い、一帯なので、浅草の、南側にある、黒船神社も、鎌倉時代、あるいは、平安時代の、創建、なのかもしれない。
名前の、由来については、珍しいのだが、まったく、わからないな。
浅草にでも、行ったとき、考えてみよう。
黒船神社に、訪れたことだし、もう、帰ることにする。
(2012年4月記)

東西線門前仲町駅(牡丹町公園 古石場川)

2012-12-08 07:00:29 | Weblog
清洲通りを、横切り、さらに、東へ。
住宅地の中、細い道に、入っていく。
突き当たり、南へ、曲がり、そのまま、南へ。
東西に、伸びる、通りに出ると、住宅地の中、行き当たったのが、古石場川だと、わかる。
古石場川は、牡丹町公園へ。公園内で、南東に、向きを、変え、そのまま、まっすぐ、流れていく。
流路が、直線なので、自然な川ではない、とわかるが。
江戸時代、ここらへんに、波打ち際、防波堤が、築かれていたらしい。
その先、南側を、埋め立てたとき、防波堤の、際が、残り、川になった、ということのようだ。
もっとも、もし、そうなら、古石場川の、北岸だけ、石垣が、残っていても、よさそうな気もする。
それはそれとして、おそらく、運河に、再利用したのかもしれない。
わからないけど。
北へ。再び、住宅地の中、入っていく。
(2012年4月記)

東西線門前仲町駅(牡丹一丁目 黒船橋)

2012-12-07 06:10:39 | Weblog
近くのバス停で、都営バスに、乗り込む。
バスは、晴海通り、北へ向かい、途中、豊洲で、北東へ。
豊洲も、高層住宅が、建ち並び、すっかり、変わったものだ。
豊洲運河を越え、しばらくして、今度は、北西へ曲がり、そのまま、北西へと、向かっていく。
延々と、走っていくと、北東に伸びる、清洲通りに、行き当たる。
清洲通り沿い、越中島バス停で、下車。
本当は、西側に、歩いていき、隅田川沿い、越中島公園に、行きたかったのだが、時間がないので、清洲通りを、北東へ、門前仲町駅に、向かう。
途中で、西へ。大横川に架かる、越中島橋。
橋の袂から、大横川沿いの、遊歩道に、入ってみる。
川辺、桜並木になっていて、本当に、きれい。
花見客も、多く、賑やかだ。
川沿い、満開の桜の下を、東に、歩いていくと、再び、清洲通り。
大横川には、黒船橋が、架かる。
橋の上には、大勢の、見物客。
水、温む、春、を楽しんでいるのかな。
(2012年4月記)

有楽町線辰巳駅(国家公務員宿舎東雲住宅)

2012-12-06 04:29:20 | Weblog
晴海通りを、北へ歩いていく。
しばらくすると、通りの、東側には、国家公務員宿舎東雲住宅。
最近、完成した、高層住宅だ。(工事中はこちら
東雲の、高層住宅群の、一画を、成す。
本来は、低層の、建物、その、周囲を、高層住宅が、囲む、という風な、計画だったらしい。
だが、すでに、北西側は、ショッピングセンターになっていて、もう、高層住宅は、建たない。
さらに言えば、西側、晴海通り沿い、まだ、国家公務員宿舎東雲住宅しか、建っていない。
しかも、国家公務員用、というと、なにか、無理やりに、高層住宅に、仕立て上げた、そういう、感じがする。
実際、世界同時不況のときの、景気刺激の、一環だった、かもしれない。
ただ、ここにきて、周囲、再び、高層住宅が、あちこち、建ち始めている。
まだ、空いたスペースに、新たに、高層住宅が、建つかも。
将来は、わからないけど。
(2012年4月記)

有楽町線辰巳駅(パークタワー東雲工事現場)

2012-12-05 05:16:00 | Weblog
桜並木を歩いていくと、南北に伸びる、晴海通り。
通りの東側、大規模な工事中。
パークタワー東雲の、工事現場だ。
東雲一帯は、バブル崩壊後に、再開発が、盛大に、始まったものの、世界同時不況で、頓挫。
そのまま、停滞していた、地域なのだが。
ここにきて、再び、再開発が、始まったものらしい。
もっとも、それが、いつまで、続くのやら、わからないけど。
とりあえず、さらなる、都心の、集積化に、向かう、ということだろう。
東京駅、都心の主要駅、集中的な、再開発。
その場にいると、バブルの頃の熱気を、思い出してしまう。
ただ、根本的に、違うこと、それは、広く、共有されるかどうか、ということか。
バブルの頃は、祭事のごとく、遍く、共有できたものだ。
だが、最近の、都心部、あるいは、駅近くの、再開発は、たとえ、完成したとしても、特に、関係はないし。
こうして、眺めるぐらいだな。
(2012年4月記)

有楽町線辰巳駅(東雲一丁目 桜並木)

2012-12-04 06:09:07 | Weblog
前回は、雨風激しく、大変だったが、実は、その、数日後、もっと、すごい、暴風雨が、襲来。
このようにして、厳しい冬から、穏やかな、春へ、季節は、移っていくわけか。
実際、今日は、天気もよく、春の日和。
高田馬場駅から、東西線。
飯田橋駅で、有楽町線に、乗り換える。
辰巳駅で下車。
地上に出て、西へ。
辰巳桜橋で、辰巳運河を、越える。
橋を、渡りきったら、橋の袂に、桜の木。だから、辰巳桜橋に、なったのかな。
今、その、桜は、満開。
春の、柔らかな日差しの中、桜の花びらが、輝いている。
東雲、高層住宅群の、南側を、西へ。
こちらは、ずっと、桜並木。
満開の、桜の下を、歩いていく。
どんな、厳しく、長い冬も、いつかは、終わる、そう、実感してしまうな。
(2012年4月記)

総武線浅草橋駅(柳橋一丁目 屋形船が停泊する神田川)

2012-12-03 04:00:36 | Weblog
東西に伸びる、靖国通り。その北側へ。
東へ、流れる、神田川。
普段は、風情のある、川辺なのだろうが、今日は、そんな、雰囲気はない。
風雨が、激しく、歩くのが、精一杯だ。
神田川を見ると、荒天を、避けるためか、屋形船が、多数、停泊している。
季節柄、普段でも、停泊してるのかもしれないけど。
西へと、歩いていくと、浅草橋。
浅草とは、かなり、離れているが、実際、江戸時代から、浅草橋。
浅草橋を、渡って、北へ、延々と、歩いていけば、浅草に、行き着く、ということだろう。
今は、そうでもないのだろうが、かつては、浅草の、入口。
いちおう、浅草とは、関係が、深かったのかもしれない。
などと、考えているうちに、ますます、雨が、強くなってきたので、もう、帰ることにする。
浅草橋を、渡って、北に歩くと、しばらくして、総武線の、浅草橋駅。
総武線に、乗り込む。
実は、それからが、暴風雨の、ピーク。
総武線、ストップ、とはならなかったけど。
そして、その後、暴風雨、一時間もしないうちに、おさまる。
ウソのように、静かになり、雨も、止んだ。
春の嵐。冬から、春へと、季節は、動いていく。
(2012年3月記)

総武線馬喰町駅(隅田川に架かる両国橋)

2012-12-02 07:06:23 | Weblog
両国橋の袂へ。
本当は、隅田川の、岸辺に、出て、歩き回ってみたかったのだが、風雨、激しく、諦めた。
隅田川は、茶色く濁り、大きく、膨れ上がっている。
岸辺から、垣間見た、両国橋も、降りつける雨に、霞み、よく見えない。
梅雨時の豪雨や、台風ではないので、危険というほどでもないけど。
ところで、両国橋、江戸時代の、武蔵国、下総国の、境に、架かっていたので、両国橋、なのだが。
対岸の、下総国葛飾郡、両国橋が、完成した後、武蔵国に、編入されている。
そして、編入されたところは、江戸の街の、新興地、いまでいう、ニュータウンに、なったようだ。
ちなみに、忠臣蔵の舞台、吉良上野介の、屋敷は、両国駅の、南側。
忠臣蔵の討入り、江戸の、ニュータウンで、おきた事件、ということになる。
雨が、激しくて、ずぶ濡れ、両国橋は、また、機会があったら、来ることにしよう。
西へ向かう。
(2012年3月記)