retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

丸の内線西新宿駅(パークタワー西新宿エムズポート工事現場)

2012-12-21 04:47:52 | Weblog
西武新宿線中井駅で、下車。
都営大江戸線に、乗り換える。
都庁前駅で、下車。長い長い、地下通路を、北へ。
青梅街道北側で、ようやく、地上に出る。
青梅街道は、西新宿高層ビル街の、北辺。
ということで、青梅街道から、北側は、高層ビル、建たないはず、だったのだが、バブル崩壊以降、都心に、再開発が、集中するようになって、その、歯止めが、なくなったみたい。
最近、次々と、高層ビルが、建っていく。
青梅街道の北側を、通る、税務署通りが、拡幅され、バイパスになったので、そこまでが、西新宿高層ビル街の、北辺に、なったのかも。
青梅街道を、西へ、歩いていくと、すぐに、成子天神社。
その、成子天神社の、さらに、北側あたり、パークタワー西新宿エムズポートの工事現場、となっている。
まだまだ、西新宿高層ビル街の、拡大は、続いているようだ。
(2012年4月記)

丸の内線四谷三丁目駅(愛住町 愛住公園)

2012-12-20 05:20:08 | Weblog
西へ、向かうと、また、南北に、伸びる、細い、通り。
こちらも、北側を、下りとする、坂道に、なっている。
江戸時代から、ある、坂道なのだが、特に、名前は、ないようだ。
暗闇坂の方が、一般的に、使われていたのかもしれない。
北へ、坂を、下っていくと、すぐに、西側に、愛住公園。
かつては、寺院が、あった場所。
ここ以外にも、南北に、寺院が、連なっていたが、すべて、なくなっている。
ちなみに、愛住公園の場所には、知光院、という、寺院が、あったようだ。
移転したのか、なくなったのか、あるいは、それが、いつなのか、わからない。
さらには、南側に、永昌寺、という寺院。
こちらは、明治時代の終わり頃、四谷第四小学校に、なっている。
その、四谷第四小学校は、最近、廃校になり、今は、おもちゃ美術館。
まさに、時代は、流れていく、ということか。
さあ、もう、帰ろう。
春の雨の中、曙橋を、目指して、坂を、ゆっくりと、下っていく。
時代は、変わっていくが、とりあえず、巡ってくる、春を、感じながら。
(2012年4月記)

丸の内線四谷三丁目駅(愛住町 法雲寺)

2012-12-19 04:25:25 | Weblog
すぐに、坂道の西側、浄運寺の、南隣には、法雲寺。
寺院が、南北に、連なっているようだ。
法雲寺についてだが、いつ、創建されたかは、わかっていない。
おそらく、まわりの、寺院と、同じではないかと、思われる。
その後は、江戸時代を通して、江戸の街の、寺町の、一画を、担っていたのだろう。
江戸時代の、地図を、見ると、実は、寺院、もっと、多い。
時代を、経て、いくつかの、寺院は、なくなってしまったのかな。
そんな寺町も、今は、住宅地の中。
江戸時代は、甲州街道への、守り、という側面も、あって、防壁の如く、びっしりと、寺院が、固まっていたのだろうけど。
明治時代以降、その必要性は、もう、なくなった。
もっとも、住宅地の中に、寺院が、埋もれていても、それはそれで、いいのかもしれない。
春の雨が降る中、細い路地を、西へと、歩いていく。
(2012年4月記)

丸の内線四谷三丁目駅(愛住町 浄運寺)

2012-12-18 03:48:28 | Weblog
西に、進んで行くと、すぐに、暗闇坂。
北側、曙橋、谷地に、向かって、下りになる。
名前の由来は、そのまま、昼なお、暗かったから、だろうか。
実際、寺町で、寺院が多く、寺院の境内には、樹木が、鬱蒼と、生い茂っていることも、多い。
そういうわけで、暗かったのだろう。
さらに言えば、武家屋敷の広がる一帯、賑やかさなど、なかったはず。
また、墓地も、多かったので、なおいっそう、暗い感じがしたに違いない。
まさに、暗闇。
といっても、その先、坂を、上っていけば、ほどなくして、甲州街道に出られるので、暗闇、という名前、深刻な、意味はないのだろう。
そんな、暗闇坂を、上っていくと、すぐ、西側に、浄運寺。
創建は、江戸時代の、初め頃。
やはり、麹町の地に、創建、しばらくして、この場所へ、移転してきている。
さらに、南へ。
坂を、上っていく。
(2012年4月記)

丸の内線四谷三丁目駅(愛住町 全長寺)

2012-12-17 04:54:19 | Weblog
ちなみに、町名、舟町、というのは、江戸時代初め頃、舟材の、杉を、このあたりの、杉林で、調達していたらしい。
だから、舟町。
本当に、杉林が、あったものかどうか、わからないけど。
西へ、歩いていくと、しばらくして、全長寺。
寺院が、多く、一帯は、寺町となっている。
創建は、江戸時代の初め頃。
当時は、今の、麹町に、あったらしい。
江戸城の、拡張に伴い、ほどなくして、この地に、移転。
まわりの、寺院と、同じだ。
さらに、言うと、どうやら、武士団の、集合住宅の、西側を、囲むように、寺院が、配置されている。
いざ、となった場合には、防壁になったのかもしれない。
再び、路地を、西へと、歩いていく。
(2012年4月記)

丸の内線四谷三丁目駅(舟町 西迎寺)

2012-12-16 06:55:54 | Weblog
外苑東通りを渡り、西側、細い路地に、入っていく。
麹町、番町と、同じような、台地、山の手。
江戸時代は、武士団の、集合住宅が、あったようだ。
西側からの、攻撃に、備えてのことだろう。
住宅地の中、さらに、西へと、歩いていく。
しばらくすると、西迎寺。
実は、さっき、訪れた、全勝寺の、すぐ、北西側にあるのだが、路地が、迷路のようになっていて、なかなか、辿り着けなかったのだ。
創建は、江戸時代の前、室町時代。
ただ、場所は、ここから、東側、今の、皇居の中、紅葉山に、あったらしい。
江戸時代になり、江戸城の、拡張のため、この地に、移転している。
全勝寺と、ほとんど、同じだ。
たぶん、無作為に、移転地を、決めるのではなく、それなりに、関わりのある、寺院を、まとめて、という風だったのかもしれない。
さらに、西へと、歩く。
(2012年4月記)

丸の内線四谷三丁目駅(策の池と津の守弁財天)

2012-12-15 07:03:52 | Weblog
窪地に、降り立ち、東へ。
迷路のような、路地を、歩いて行くと、突然、開けた、場所。
そこには、策の池、そして、津の守弁財天、がある。
池があって、いかにも、窪地の、底、という感じだ。
ちなみに、明治時代の、地図だと、池は、もっと、大きく、南北に、細長い、形をしていた。
ひょっとしたら、美濃高須藩上屋敷だった頃、日本庭園の、池に、設えられていたのかもしれない。
だが、明治時代になって、屋敷地ではなくなり、そのまま、忘れ去られ、草木、生い茂るままに、なっていたのかな。
おそらく、そんな、隠れ里のような、ひっそりとした、景観に、惹かれて、料亭などが、徐々に、集まってきたのだろう。
そして、花街、料亭街が、形成されていったのかもしれない。
すぐ近くには、甲州街道が、通っていて、すでに、賑やかだったので、ひとたび、店を、構えれば、客には、困らなかったはずだ。
もっとも、今は、荒木町料亭街、名前ばかりで、店は、ほとんだなくなり、数軒、残っているだけ。
路地を抜け、坂を上り、再び、外苑東通りへ。
(2012年4月記)

丸の内線四谷三丁目駅(荒木町窪地への坂道)

2012-12-14 06:10:17 | Weblog
一帯は、広範囲、窪地になっているようで、興味深い。
そこで、再び、坂を、上って、外苑東通りへ出てみる。
総じて、外苑東通りから、東側は、坂道。
しかも、下り勾配が、急なので、階段になっている。
ひょっとしたら、太古の昔、大きな、池にでも、なっていたのだろうか。
北側、曙橋の方、堰が、切れたので、池は、なくなったのかも。
昔のことなので、わからないが。
ところで、江戸時代、あたりは、美濃高須藩上屋敷地だったらしい。他の、例に洩れず、明治時代になって、屋敷地ではなくなる。
明治時代初め頃の地図を見て、実際、そうなっているのだが、どうも、屋敷跡、他に、転用されなかったようだ。
甲州街道沿いは、商家、民家が、並んで、賑やかだが、ちょっと、北側、ぽっかりと、何も、なくなる。
その、なにもないところが、目の前、荒木町の、窪地。
おそらく、窪地に、商家が、あるはずもなく、また、じめじめしていて、住むにも、適していなかったので、そのまま、放置されていたのでは、ないだろうか。
怪談を下り、また、窪地に、向かう。
(2012年4月記)

丸の内線四谷三丁目駅(荒木町料亭街)

2012-12-13 05:05:26 | Weblog
全勝寺が、今の、麹町に、あったとき、創建は、おそらく、江戸時代の前、室町時代であろうか。
当時は、江戸城から、西へ、まっすぐ、国府路が、伸びていただけ。
江戸城の、周囲に、寺社が、あったぐらいかな。
全勝寺も、その中の一つ、などと、遠い、昔日に、思いを、馳せながら、外苑東通りを、横切り、通りの、東側、細い路地へ。
すぐに、下り坂。
外苑東通りが、崖上の、縁に沿って、通っている感じだ。
坂を、下りきると、そこは、荒木町料亭街。
といっても、今は、料亭が、軒を、連ねている、というわけでは、ない。
江戸時代、一帯は、美濃高須藩上屋敷だったのだが、明治時代になり、屋敷が、なくなった後、しばらくして、料亭が、徐々に、集まってきたらしい。
やがて、賑やかな、花街を、形成。
一時は、かなり、盛んだったようだ。
でも、今は、その面影はない。
春の雨、静かに、降るばかり、となっている。
(2012年4月記)

丸の内線四谷三丁目駅(舟町 全勝寺)

2012-12-12 05:05:08 | Weblog
雨の中、いつの間にか、冬枯れから、緑が、萌え出ている。
季節とは、不思議なものだ。
春は、必ず、やって来るのだがら。
小雨の中、青山通りを、東に歩いていくと、赤坂見附駅。
丸ノ内線に乗り込む。
四谷三丁目駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる、新宿通りと、南北に伸びる、外苑東通りとの、交差点。
沿道には、低層のビル、マンション等が、建ち並んでいるものの、さっきの、永田町界隈とは、うって変わって、庶民的な、雰囲気。
スーパーも、あるし。
外苑東通りを、北へ向かう。
しばらくして、通りの、西へ。
細い路地に、入っていくと、全勝寺がある。
創建は、江戸時代の初め頃。
当初は、ここから、東側、麹町あたりに、あったらしい。
江戸城が、拡大し、江戸の街が、開かれたことによるのだろう。
東へ。
再び、外苑東通りに出る。
(2012年4月記)