retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

有楽町線江戸川橋駅(関口二丁目 大泉寺)

2012-05-21 04:57:59 | Weblog
麹町駅に着き、そのまま、改札を抜け、有楽町線ホームへ。
池袋方面への、地下鉄に、乗り込む。
麹町駅周辺は、行き尽くしたし、あまり、見るものないので、今回は、別の場所に、行くことにしたのだ。
それに、麹町、番町は、山の手、そもそも、山の手には、興味ない。
一帯は、このような、山の手住宅地なのだが、では、それ以前、江戸時代は、どうだったのだろう。
旗本、武家屋敷が、並んでいたようだ。
外濠と内濠に、挟まれた場所とあって、防衛の、意味が、あったのだろう。
もっとも、武家屋敷、というのも、あまり、生活を、感じさせられるものではないな。
それ以前、室町時代。太田道灌の頃。
市ヶ谷あたりに、亀岡八幡宮が、創建されたりしている。
どうやら、その頃、一帯は、少し、開けたらしい。
今の府中、大昔の国府、への道、国府路も、当時、整備されたのかな。
ちなみに、この、国府路(こくふじ)、が、麹(こうじ)、になったのだろう。
さらに、それ以前は、もう、なにも、ない。
などと、考えているうちに、江戸川橋駅へ、着く。
下車して、地上へ、出ると、東西に伸びる、目白通りと、南北に伸びる、音羽通りとの、交差点。そして、東へと、流れる、神田川。
神田川を越え、北側。音羽通りの西側。
一帯は、目白の台地の縁になっている。
その縁になっているところ、大泉寺。
創建は、江戸時代初め頃、だと思う。
(2011年9月記)

有楽町線麹町駅(麹町パークハウス)

2012-05-20 04:11:20 | Weblog
高田馬場駅から、東西線。
飯田橋駅で、有楽町線に、乗り換える。
麹町駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる、新宿通り。
新宿通りを、西に、進む。
すぐに、新しく、完成した、高層ビルがある、はずだったが、まだ、工事中。
これは、無駄足になったかな、と思いつつ、さらに、西へ。
実は、もう一棟、高層ビルが、あるのだ。
そのために、とっておいたわけではないけど。
気を取り直して、さらに、西へ。
しばらくすると、大通り南側に、麹町パークハウス。
最近、竣工した、高層住宅だ。
ただ、このビル、工事中のとき、訪れていない。
工事しているのは、わかっていたのだが、行きそびれているうちに、完成してしまったのだ。
工事している期間が短くなった、ということもあるが、それよりも、最近は、工事が、中断、というケースも、よくあって、はたして、このまま、工事は、続くのかなと、思っているうちに、訪れる時期を、逸してしまう。
いちおう、このビルは、完成したわけか。
踵を返して、通りを、東へ。
麹町駅に戻る。
(2011年9月記)

山手線浅草橋駅(鳥越二丁目 鳥越神社)

2012-05-19 04:09:01 | Weblog
北東へ、歩いていくと、すぐに、東西に伸びる、蔵前通りとの交差点。
蔵前通りに入り、西へ向かう。
しばらくすると、北側に、鳥越神社。
正真正銘の古社だ。
創建は、大昔、なのだが、いつか、わからない。
ただ、延喜式に、載っていないので、最初は、神社という、ものでは、なかったのかもしれない。
近くにある、浅草寺も、同じ。
公式には、認められていなかったのかな。
さらにもう一つ、鳥越神社、以前は、白鳥神社、という、名前だったようだ。
一帯の、地名も、白鳥。
白鳥を、信奉する、住民が、もともと、暮らしていたのだろうか。
今となっては、もう、わからないけど。
そして、いつしか、なにを契機としてかは、不明だが、中央政府に、地方として、取り込まれたのだ。
名前が、鳥越に変わったのは、その時期かもしれない。
といっても、一帯の中では、名前が変わったの、鳥越だけなので、なんとも、いえないが。
そろそろ、帰ることにする。
そのまま、南へ。街中、細い道に、入っていく。太古の昔から、今に、戻った気分。
でも、浅草橋駅前、徐々に、昔に、なりつつある。
賑やかだった、昔は、もう、戻らない。
(2011年9月記)

山手線浅草橋駅(蔵前一丁目 榊神社)

2012-05-18 05:17:27 | Weblog
江戸通りを、北東方向へ。
たぶん、この通り、太古の街道の跡を、通っているのだろう。
しばらくして、東に曲がる。
すぐに、道路の、北側に、榊神社。
創建は、わかっていないが、太古の街道沿い、という土地柄から、やはり、かなり、古いと思う。
おそらく、銀杏岡八幡神社と同じ、平安時代の、終わり頃だろうか。
榊神社については、もう一つ。
幾たびか、変遷、している。
最初は、ここから、もう少し、北側にあった。
江戸時代半ばに、南側、神田川の、北岸に、移っている。
そして、昭和の初めに、この地へ。
変遷を経ても、やはり、太古の街道沿い、というのは、興味深い。
再び、江戸街道に戻り、北東へ。
(2011年9月記)

山手線浅草橋駅(浅草橋一丁目 銀杏岡八幡神社)

2012-05-17 04:58:51 | Weblog
東へ東へと、歩いていく。
やがて、賑やかな、浅草橋駅前。
と、言いたいところだけど、昔に比べれば、静かになったものだ。
昔は、賑やかな下町の商店街。
秋葉原と、街並みが、繋がっているような感じだった。
今は、秋葉原も変わり、そして、浅草橋駅前も、変わったわけか。
駅前飲食店街から、北へ。
街中、少し入っていくと、銀杏岡八幡神社がある。
創建は、意外と、古い。
おそらく、平安時代の後半だろうか。
近くを、太古の、街道が、通っていたので、それは、あり得ると思う。
一帯は、広範な、湿地帯なのだが、浅草から、南西側に、細長く、陸地が、伸びていて、街道は、その、陸地に、沿っていたようだ。
銀杏岡八幡神社も、細長い、陸地に、あったのだろう。
東へ、進み、北東へ伸びる、江戸通りへ。
(2011年9月記)

山手線秋葉原駅(東神田三丁目 清洲橋通り)

2012-05-16 06:06:46 | Weblog
しばらく、歩いていくと、南北に、伸びる、清洲橋通り。
清洲橋通りに入り、北へ。
神田川、美倉橋を、渡る。
江戸時代は、新橋、という名前だったようだ。
橋が、架けられたのは、神田川が、開削されて、すぐのことだったらしい。
ところで、神田川の、南岸、江戸名所図会を見ると、柳原堤、とよばれていたようだ。
名前の通り、実際、柳が、岸辺に、たくさん、植わっている。
しかも、その、柳の木々の中、柳森神社。
柳は、おそらく、開削された、神田川の、護岸を、固めるために、植えられたのだろう。根を張れば、堤は、崩れにくくなるものだ。
そして、その、柳以外、神田川の守り、として、神社を、置いたのかもしれない。
だから、柳森神社、なのだろうか。
昔のことなので、経緯は、もう、わからないけど。
東へ、曲がり、そのまま、東へ。
浅草橋駅へ、向かう。
(2011年9月記)

山手線秋葉原駅(神田須田町二丁目 古い建物)

2012-05-15 05:07:07 | Weblog
この通り沿いの、建物は、かなり、古い。
高度成長期どころか、もっと昔。
戦災を、受けていない、ということなので、昭和の初め頃、だろう。
大正時代の、関東大震災では、影響を、受けていると思われるので、昭和の初め頃より以前、ではないはずだが。
もっとも、戦災などに、遭わなければ、古い街並み、残る、というわけでもない。
残っても、結局、再開発されてしまえば、それまで。
つまり、忘れ去られる、ということも、街並みが、残る、条件、と思う。
実際、まわりの雰囲気、どうみても、電気街、でもないし、閑散としているし。
秋葉原が、電気街に、なったのは、高度成長期なので、当時からして、時代から、忘れられているのだ。
ただ、将来的にも、ずっと、このままかどうかは、わからない。
昭和初期の街並み歴史テーマパークにでも、なれば、残るかもしれないけど。
再び、通りを、東へ。
(2011年9月記)

山手線秋葉原駅(神田須田町二丁目 柳森神社)

2012-05-14 03:32:43 | Weblog
東へ向かう。
山手線の高架を、再び、潜ると、すぐに、道路の、北側、柳森神社。
創建は、江戸時代より前、室町時代、らしい。
場所も、ここではなく、今の、秋葉原駅あたりだろうか。
柳が、多く、植わっていた、ということで、柳森神社、といったのかな。
もっとも、当時は、一帯に、お玉ヶ池、という広大な、池があったようなのだが、とすると、柳は、その池の、岸に、植わっていたはず。
さらに言えば、柳森神社も、池の近く、だったと思う。
ちなみに、池の名前は、もともとは、桜ヶ池。
ただ、それ以上、柳森神社の、具体的な場所は、わからない。
おそらく、本郷台地の、東側だろう。
江戸時代になって、駿河台の台地を、東西に、開削して、神田川が、通された。
それを期に、柳森神社は、今のように、神田川沿いに、移転している。
神田川沿いに、柳が、植わっていて、それで、柳森神社、というわけではなかったのだな。
通りを、さらに、東へ、歩く。
(2011年9月記)

山手線秋葉原駅(ヴィアイン秋葉原)

2012-05-13 04:13:52 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
飯田橋駅で総武線に乗り換える。
秋葉原駅で下車。
今年の夏は、暑さが、長引くな。今日も、暑いし。
秋葉原の街、降り立つと、相変わらず、賑やか。
ただ、昔のような賑やかさではなく、観光地のような感じだ。
駅東側、南北に伸びる、昭和通りへ。
昭和通りを、南へと、向かう。
神田川を渡れば、いままでの喧騒、いずこかへ。静かなものだ。
こちらは、高度成長期以来、ずっと、変わっていないのだろうな。
西へ曲がり、そのまま、西へ。
しばらくして、山手線の高架を、潜る。
すぐに、道路の南側、ヴィアイン秋葉原。
最近、完成した、高層ホテルだ。(工事中はこちら
いままで、忘れ去られていた、場所にも、昨今の、再開発が、広がってきた、といったところか。
(2011年9月記)

山手線目黒駅(東五反田五丁目 池田山公園)

2012-05-12 04:44:35 | Weblog
そういえば、池田山公園の、北側には、小学校。
寺町に、小学校の敷地、幾重にも、外部から、守られている、ということか。
こうして、山の手住宅地は、変わらずに、残ったのだ。
ただ、東側、南北に、外苑西通りが、延伸してくるとなると、こうした、環境、変わってくるかもしれない。
今のように、都心部が、ますます、再開発されれば、それは、あり得る。
といっても、そうなるのは、ずっと、先のことだし、実際、わからない。
試みに、延伸ルートを、ちょっと、考えてみる。
東西に伸びる、目黒通りから、南へ。
ひょっとすると、立体交差、地下を、通るかも。
そのまま、芝白金団地を通り、ゆるやかに、東に向きを帰る。
そのとき、芝白金団地が、建替えになるのかは、わからない。
そのまま、白金児童公園を通り、桜田通り、高輪台交差点。
将来は、どうなるのだろう。
もう、帰ろう。再び、坂を上り、目黒通り。
目黒駅を目指す。
(2011年9月記)