retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線目黒駅(東五反田五丁目 池田山公園の池)

2012-05-11 04:17:50 | Weblog
すぐに、鬱蒼と茂る、森林地帯。
池田山公園がある。
南西側一帯が、台地になっているので、池田山、なのだろうか。
園内に入り、ちょっと、南側。
すぐに、大きな窪地。そして、その底には、静かな池。
池田山公園、江戸時代には、岡山藩池田家の庭園だったらしい。
庭園にあった池が、そのまま、今に、残っているのか、わからないけど。
ちなみに、他に、南西側には、花房山、南東側には、島津山、さらに、その東側には、八ツ山、御殿山、と、いくつか、山がある。
もちろん、一帯が、山地、ということではなく、それぞれが、池田山のように、庭園、なのだろう。
こうした庭園が、あちこちに、点在しているわけだから、環境が、閑静なわけだ。
山の手住宅としては、相応しい。
ちょっと、歩き回ってから、公園の外へ出る。
(2011年9月記)

山手線目黒駅(上大崎一丁目 古い家)

2012-05-10 06:06:20 | Weblog
かつての、増上寺下屋敷、寺町を、抜けて、坂下へ。
寺町の南側に、出てみると、そこは、まるで、異次元、あるいは、タイムスリップしたかのような、景色。
高度成長期の頃の、写真、見たことあるけど、まるで、当時と、変わっていないのだ。
古い木造家屋が並び立ち、緑も多い。
このような場所、似ているとすれば、白金あたり、だろうか。
どうして、変わらなかったのか、偶然ではなく、それなりに、理由は、あるのだろう。
おそらく、都心部にして、山の手住宅と、近接している、ということ。
つまり、都心部なので、寂れることもなく、しかも、山の手なので、再開発のような、変化が、訪れることもなかった。
そういうわけで、時代のエアポケット、のような、場所が、できたのかも。
そんな、ノスタルジーの中、さらに、南へ、歩く。
(2011年9月記)

山手線目黒駅(上大崎一丁目 光取寺)

2012-05-09 03:17:45 | Weblog
北側、坂を上がると、光取寺。
創建は、江戸時代の初め。今の、虎ノ門あたりに、建てられたらしい。
まわりの寺院と、同じく、しばらくして、この地に、移転している。
増上寺の子院、ということだ。
そんな、光取寺を過ぎると、ようやく、寺町の北側に、出られる。
こんな風に、寺院が、密集していると、迷路のようになっていて、ちょっと、通りづらいな。
江戸時代は、台地の上、大名屋敷が、あったりするので、おそらく、そういった、通りづらさ、防御、という意味も、あるのだろう。
さらに言えば、今は、山の手住宅街の、閑静な環境を、保っているのかもしれない。
外部の、喧騒を、遮っているのだ。
高台に出て、見晴らしがよくなったところで、再び、坂を、下っていく。
(2011年9月記)

山手線目黒駅(上大崎一丁目 清岸寺)

2012-05-08 05:02:17 | Weblog
隆崇寺の西側には、清岸寺。
本当に、寺院が、多い。
ちなみに、清岸寺、創建は、江戸時代の初め頃。最初は、八丁堀に、あったようだ。
その後、いろいろと、変遷があり、最終的に、この地に、落ち着いている。
実は、一帯は、増上寺下屋敷、といわれていたらしい。
つまり、増上寺の飛び地、みたいなものだろうか。
だから、増上寺の子院が、集まっているのだ。
といっても、勢力を、拡大するというより、たとえば、江戸の市街地の、拡大に伴い、分散した、といったところだろう。
明治時代の移転については、おそらく、江戸時代、隆盛を、誇っていたことへの、反動で、明治時代になって、寺域を、削られたりして、子院が、避難してきた、ということかもしれない。
再び、坂の上を、目指して、歩いていく。
(2011年9月記)

山手線目黒駅(上大崎一丁目 隆崇寺)

2012-05-07 03:47:56 | Weblog
迷路のような、細い道を、下ってきたので、いったい、どこだか、わからなくなる。
また、坂を、上ってみるしかない。
寺町の上に、出て見れば、見通しが、利くだろう。
宝蔵寺から、やや、上がったところ、北側には、隆崇寺。
もとは、増上寺の、子院だったのだが、明治時代、この地に、移ってきたようだ。
ちなみに、宝蔵寺は、ここから、東側、高輪の、海岸に、あったらしい。
同じく、明治時代、この地に、移ってきている。
宝蔵寺が移ってきた場所には、了福寺、という寺院があったのだが、こちらは、隆崇寺と同じ、もとは、増上寺の子院、だったらしい。
高輪も、そうなのだが、台地の、縁になっている場所、おそらく、寺町に、なりやすいのだろう。
さらに、坂を、上っていく。
(2011年9月記)

山手線目黒駅(上大崎一丁目 宝蔵寺)

2012-05-06 06:26:33 | Weblog
実は、外苑西通り、目黒通り、まで、ということになっている。
いまさら、南側に、延伸、とはならないだろうな。
一帯は、山の手住宅街になっているので、いっそう、延伸は、あり得ない。
でも、まあ、それを承知で、予想してみると、延伸するとすれば、南東方向、桜田通り、高輪台駅あたり、だろうか。
そして、さらに、プリンスホテルの北側を、東へ。第一京浜に接続。
そこには、品川駅と田町駅の間にある、広大な、田町電車区があるのだが。
とすると、ひょっとするかもしれない。
最近は、都心部の再開発も、拍車が、かかっている。
いままで、山の手だったところも、再開発されないにしても、幹線道路ぐらい、通るかもしれない。
などと、考えながら、実際、外苑西通りと、目黒通りとの、交差点から、南東へ、歩いてみる。
住宅地、下り坂。どんどん、下っていく。
途中、寺院が、集まっている、寺町。
さらに、下ると、高度成長期以前から、変わっていないような、場所。
そんな中、寺町の中でも、もっとも、南側、宝蔵寺がある。
(2011年9月記)

山手線目黒駅(白金台五丁目 外苑西通り)

2012-05-05 07:10:15 | Weblog
山手通りを北へ進み、大崎広小路駅を過ぎて、すぎに、北東へ曲がる。
そのまま、北東へ、歩いていくと、五反田駅。
大崎駅と、五反田は、本当に、近い。
五反田駅で、山手線に乗り、目黒駅で下車。
目黒通りを、東へと進む。
一帯は、台地になっていて、町名は、上大崎。
「大崎」、というのは、台地の突端、からきているらしい。
とすると、もともと、大崎、今の、目黒駅の、周囲、のことだったのだろう。
さらに、東へ。
南北に伸びる、首都高目黒線の高架を、潜ると、商業地から、山の手住宅地。
台地なので、山の手なのだ。
しばらくすると、北側に、広々とした、外苑西通り。
山の手らしい、整備された、大通り。
(2011年9月記)

山手線大崎駅(大崎五丁目 拡幅されつつある山手通り)

2012-05-04 07:17:19 | Weblog
今度は、北へ。
再開発地を過ぎると、そこは、高度成長期の後の、安定期の世界。
その当時から、時間が、止まったような感じだ。
そういえば、大崎は、もともと、工場地帯。
だが、高度成長を、達成すれば、もはや、工場は、いらなくなってしまう。
その跡地が、バブル崩壊後、都心部の再開発で、急速に、巨大ビル群に、変貌。
まさか、こんなになるとは、思わなかっただろうな。
さらに、北へ行くと、山手通り。
山手通りは、拡幅工事中。
すでに、五反田近く、大崎広小路駅まで、拡幅、終わっているので、こちらも、完成は、近いだろう。
たしか、その、地下は、首都高中央環状線の工事も、やっているはず。
山手通りの、地下を、進み、そのまま、大崎駅の、東側に、出るのかな。
その後、目黒川の地下へ。
目黒川に沿い、東へ、向かい、高速湾岸線と、接続するらしい。
集中的な、都心部の再開発は、まだ、続くようだな。
(2011年9月記)

山手線大崎駅(ソニーシティ大崎)

2012-05-03 08:17:07 | Weblog
高田馬場駅で、山手線に、乗り換える。
大崎駅で、下車。
駅西側へ。
再開発が、断続的に、続いているので、来るたびに、景観が、変わっていく。
地方や、郊外は、衰退する一方、それと比べれば、まるで、別世界だ。
ひょっとしたら、地方、郊外が、衰えれば衰えるほど、都心部は、発展していくのかもしれない。
地上に降り立ち、駅に沿って、南へ。
すでに、すっかり、整備され、きれいな、街並み。
木々も、存外、多く、都心とは、思えぬほど、長閑な雰囲気。
さらに、それらの、整備された街並み、大崎駅と、ペデストリアンデッキで、直結されている。
まさに、最近、多い、駅前の再開発と同じ。
そんな、大崎駅の西側なのだが、その、南側に、新しく、高層ビルが、加わった。
ソニーシティ大崎。(工事中はこちら
整備された、街並みは、さらに、南側へと、広がっていく。
(2011年9月記)

京浜東北線大宮駅(仲町一丁目 高島屋)

2012-05-02 05:05:04 | Weblog
東へ東へと、歩いていくと、通りの南側には、高島屋。
かなり、レトロな感じ。
完成したのは、高度成長期の終わり頃。
さっき、訪れた、高層住宅が建つ前にあった、遊戯施設と、同じ時期だ。
他にも、駅前、かつての、デパートなども、同時期らしい。
まさに、高度成長の、達成による産物。
地方が、輝いていた、時代。
だから、整備されても、ただの、郊外にならず、地方都市であり続けたのだろう。
そのような、余裕があった、ということかもしれない。
でも、バブルが崩壊し、地方都市であり続ける、余裕は、なくなってしまった。
次第に、都心に対する、郊外に、なりつつある。
わずかに、地方都市は、歴史的テーマパーク、として、残されるのみ、ということになるのかも。
もっとも、まだ、大宮駅東口は、レトロな、街並みが、残っている。
これから、どうなるのか、わからないが。
もう、帰ろう。
再び、東へ。大宮駅を、目指す。
次、来るときは、氷川神社に行こうかな。
そこだけは、いつまでも、変わらないような気がする。
(2011年9月記)