retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

銀座線虎ノ門駅(環状第2号線再開発事業III街区工事現場)

2012-04-10 05:13:11 | Weblog
高田馬場駅で、東西線。
日本橋駅で、銀座線に、乗り換える。
虎ノ門駅で下車。
地上に出ると、南北に伸びる、桜田通りと、東西に延びる、外堀通りとの、交差点。
桜田通りを、南へと、歩いていく。
休日のためか、とても、静かだ。
高度成長期以前は、まだ、ここらへん、都心の中心、ではなかったので、休日でも、賑やかだったのだろうけど。
普通の、住宅地だったし。
でも、今は、低層の、オフィスビルが、建ち並ぶばかり。
しばらく、歩き、途中、東側、街中に、入る。
すぐに、広大な、工事現場。
環状2号線再開発事業III街区の工事現場だ。
完成すれば、環状2号線が、開通、そして、巨大な、高層ビルが、出現する。
今は、こうして、静かな、街並みも、数年後には、大きく、変わるわけだ。
これから、どうなるのだろう。
(2011年7月記)

日比谷線日比谷駅(日比谷公園 雲形池)

2012-04-09 06:08:41 | Weblog
公園の、木々の中、西へと、歩いていくと、池がある。
雲形池だ。
このあいだ、訪れた、心字池の方は、江戸時代の頃の、濠を、残したのだが、雲形池は、新しく、作っている。
大名屋敷の、日本庭園を、そのまま、残したのかと思った。
そうではなく、しかも、日本庭園、でもない。
ドイツ式庭園、ということだ。
もっとも、ドイツ式庭園、どういうのか、わからないけど。
あえて、言うと、自然の風景を、追求した、イギリス式庭園、幾何学模様を、追求した、フランス式庭園、それらの、折衷が、ドイツ式庭園、らしい。
とすると、目の前の、雲形池は、自然の池に見えるので、イギリス式庭園、なのだろうか。
たぶん、そうなのだろう。それに、そういえば、そもそも、日比谷公園、日本初の、西洋式公園、だったな。
さあ、そろそろ、帰ろう。
もう、少し、ゆっくりしていたいけど。
公園内、東へ。
今度は、いつ、来ることになるのだろう。
などと、考えながら、急いで、歩いていく。
(2011年7月記)

日比谷線日比谷駅(日比谷公園 大噴水)

2012-04-08 04:00:45 | Weblog
日比谷門から、日比谷公園に、入る。
日比谷公園、数ヶ月前、来たばかりなのだが。
高層ビルが、最近は、都心の、限られた、地域に、集中的に、建つので、新しい、高層ビルを、訪れていると、どうしても、こうして、同じ場所に、来てしまう。
仕方がないけど。
公園に、入ると、すぐ、目の前、大噴水。
日比谷公園自体は、明治時代の、終わり頃、できたのだが、この、大噴水は、高度成長期。
銀座の、変貌と、やはり、同じだ。
しかも、空に、向けて、水を、噴出する様は、高度成長、という時代に、相応しい感じがする。
訪れる者に、当時の、勢いのある、世の中を、実感させていたに、違いない。
今回は、たまたまか、いつもか、わからないが、水の噴出は、止まっている。
逆に、それはそれで、いいような感じ。
勢いよく、水が、出ていると、無理やりな感じが、するのだ。
時代に、寄るのだろう。
園内を、さらに、西に、進んでいく。
(2011年7月記)

山手線有楽町駅(有楽町一丁目 日生劇場)

2012-04-07 07:34:46 | Weblog
山手線の西側に出ると、有楽町。
有楽町という、町名は、江戸時代の初め頃、織田信長の弟、織田有楽斎の、屋敷が、あったことに由来するらしい。
それは、そうかもしれないが、今、こうしてみると、商業施設が、多いので、「有楽」、というのは、そういう意味でも、納得してしまうが。
南側、帝国ホテル、北側、日比谷シャンテ、その間を、西へ、歩いていく。
しばらくすると、南北に伸びる、日比谷通り。
日比谷通りとの、交差点、北東側には、日生劇場、がある。
御幸通りに、みゆき族が現れた、高度成長期の、完成。
当時は、本当に、あちこちで、街並みが、変貌したようだな。
もっとも、それは、都心部だけ、だったような、期もするけど。
地方や、郊外は、まだまだ、昔のまま。
だから、若者が、銀座の、御幸通りに、集まってきたのかな。
日比谷通りの、西側は、日比谷公園。
日比谷公園に、向かう。
(2011年7月記)

山手線有楽町駅(銀座五丁目 高速会社線高架下銀座ファイブ)

2012-04-06 03:57:18 | Weblog
西へ、西へと、歩いていくと、南北に、伸びる、外堀通り。
さらに、進むと、北側に、泰明小学校。
そして、その西側には、高速道路の高架、がある。
高速道路なので、首都高かと、思ってしまうが、実は、この、わずかな部分だけ、首都高ではない。
高速会社線、という、東京高速道路が、運営する、別の、高速道路なのだ。
しかも、料金は、高架下の、商店からの、賃貸料があるので、無料となっている。
ただ、首都高都心環状線と、繋がっているので、事実上は、首都高の、一部、といってもいいかも。
さらに、言えば、無料といっても、それは、通行してる、クルマから、料金を、徴収していないだけで、実際、高架下の商店から、賃貸料を、徴収している。
ということは、やはり、有料道路、なわけだ。
だから、高速道路を維持するだけの、賃貸料を、安定して、徴収できなければ、この方式、成り立たなくなってしまうだろう。
もっとも、そうなったら、首都高に、編入されるだけ、と思うけど。
高速会社線高架を潜り、西へと、歩いていく。
(2011年7月記)

日比谷線東銀座駅(銀座六丁目 松坂屋)

2012-04-05 04:04:34 | Weblog
西へ、進んで行くと、南北に伸びる、中央通り。
中央通りとの交差点、南東側には、松坂屋がある。
といっても、松屋も、松坂屋も、区別が付かないくらい、デパートには、興味がない。
ただ、通りすがっただけだが。
でも、ちょっと、見てみる。
松坂屋、名古屋発祥、らしい。
大正時代に、銀座に、進出。
他の、デパートも、同じ頃だろうか。わからないけど。
そんな、松坂屋なのだが、実は、来年、閉店する予定らしい。
しかも、リニューアルオープン、というわけでもない。
閉店後は、別の商業施設になるようだ。
これも、銀座が、衰退していく、ということの、現れなのだろう。
もっとも、今、見ても、家電製品の、ラオックスが、入店していたりして、もはや、銀座の、デパート、という感じはしない。
時代の、流れ。仕方のないことだ。
旧市街になっていくのかな。この先は、どうなるのか、わからない。
さらに、西へ、向かう。
(2011年7月記)

日比谷線東銀座駅(銀座五丁目 御幸通り)

2012-04-04 04:39:02 | Weblog
細い道、南西へと、歩いていく。
しばらくすると、東西に伸びる、御幸通り。
御幸、というのは、天皇が、通った道、ということ。
この、道を、通って、今、築地のある場所にあった、かつての、海軍兵学校や、浜離宮を、訪れたらしい。
明治時代の頃だ。
その後、御幸通りが、脚光を、浴びたとすれば、高度成長期の、みゆき族。
生活に、わずかながらでも、余裕が出来たのかな。
道路沿い、銀座アスターが、開業したのも、ちょうど、同じ時期。
ただ、銀座は、その頃から、徐々に、賑やかさが、なくなっていく。
わずかに手に入った、余裕の所産である、みゆき族にとって、銀座でなくとも、渋谷、新宿、池袋、でも、よかったのだろう。
むしろ、そちらの方が、安上がりだし。
その後、バブル期、最後の、光芒を、放って、今は、静か。
寂れた、というほどでも、ないけど、もう、かつての、輝きは、ない。
これから、どうなっていくのか、わからないけど。
御幸通りを、西へと、歩く。
(2011年7月記)

日比谷線東銀座駅(銀座五丁目 三原小路)

2012-04-03 06:08:07 | Weblog
西へ、歩いていくと、すぐに、不思議な、道路。
晴海通りの、両側、膨らむように、弧を描いている、細い道があるのだ。
いったい、どういう、謂れのある、道路なのだろう。
答えを、いってしまうと、以下の通り。
もともとは、三十間堀、があり、三原橋、という、橋が、架かっていた。
戦後、三十間堀は、埋め立てられるのだが、三原橋は、その上を、都電が、走っていたため、撤去されなかった。
その後、その橋を、利用して、橋の下に、地下街が、作られている。
そして、地下街の入口、外側に、膨らむように、敷地をとり、その、外周に、細い、道路を、配したのだ。
地下街、あとで、行ってみよう。映画館もあるようだし、興味深い。
ところで、地下街が、できる前、埋め立てられえた、三十間堀には、下町の商店街が、あったらしい。
その、商店街を、地下に移設するために、地下街を、作ったのかな。
わからないが、今でも、下町商店街の、風情は、残っている。
晴海通りの、南側、不思議な、細い道の、さらに、南、三原小路。
銀座とは、思えない、一画。
もう、店は、ほとんど、残っていないけど。
(2011年7月記)

日比谷線東銀座駅(銀座五丁目 大野屋)

2012-04-02 04:06:42 | Weblog
晴海通りと、昭和通りとの交差点、南西側、いかにも、古そうな店。
足袋、手拭、等、商っている、和装小物の店、大野屋。
老舗、というところだろう。
日本橋近くだと、街並みが、江戸時代からなので、江戸時代以来の、老舗が、あったりする。
こちらは、創業、明治元年。
江戸時代は、商業の中心は、ここから、北側、日本橋、銀座は、それほどでも、なかったようだ。
明治時代になって、賑やかさは、日本橋から、銀座へと、移っていく。
明治元年、開業というのは、ずいぶんと、いいタイミングだったわけだ。
もっとも、それでは、なぜ、賑やかさが、移ってきたのだろう。
たぶん、近くに、初の鉄道駅、新橋駅が、開業したことが、大きいに、違いない。
一般的に、江戸時代の、繁華な場所を、避けて、駅は、設置されるのだが、時代を、経ると、いつしか、駅前に、繁華な部分が、移動していく。
銀座も、その例、ということかな。
晴海通りを、西へ、歩いていく。
(2011年7月記)

日比谷線東銀座駅(KS計画工事現場)

2012-04-01 07:19:43 | Weblog
高田馬場駅で、東西線に乗り換える。
茅場町駅で、さらに、日比谷線。
東銀座駅で、下車。
地上に出ると、東西に伸びる、晴海通りと、南北に伸びる、昭和通りとの、交差点。
その、交差点の、北東側、KS計画の工事現場。
以前は、歌舞伎座、があった。
工事が、始まる前に、写真に、撮っておくべきだったかも。
撮ろう、撮ろう、と思っているうちに、徒に、時間が、経つうち、このように、なってしまった。
有名な、建物なので、敢えて、自分が、撮るほどのこともないかな、とも、思っていたのだけど。
でも、こうして、まったく、なくなってしまうと、やはり、もう、思い出せない。
いままで、当たり前にあった、建物が、きれいに、消え去っていると、過去の、記憶すら、なくなってしまうような、気がするのだ。
歌舞伎座自体は、ここに、高層ビルが、建った暁には、その、地階に、オープンする、ということらしい。
とすると、歌舞伎座にとっては、老朽した、施設を、更新できて、よかったわけだ。
ただ、過去が、なにか、手の届かない、ただの、思い出になってしまったようで、ちょっと、寂しい感じもする。
(2011年7月記)