retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

横浜線長津田駅(長津田町 大石神社)

2012-04-20 06:06:42 | Weblog
しばらくすると、東西に伸びる通り。
その通りに入り、西へ。
程なくして、北側に、大石神社。
地方によくある、神社だ。
創建は、おそらく、鎌倉時代。
長津田は、西側、南北に伸びる、鎌倉街道上道と、東側、南北に伸びる、鎌倉街道中道、との間を、結ぶ、東西の、鎌倉街道沿いにある。
とすると、一帯は、鎌倉時代に、拓かれ、神社も、そのとき、創建された、と思われるからだ。
あたりに、太古の遺跡が、あるようなので、あるいは、もともと、祭祀の場、だったのかもしれないが。
つまり、長津田は、かなり、昔から、交通の要衝だったのだ。
(2011年8月記)

横浜線長津田駅(長津田駅南口の街並み)

2012-04-19 04:31:33 | Weblog
駅北口には、巨大ビルの、工事現場しかなく、それ以上、いても、仕方がないので、南口へ。
駅構内を通って、南口。
そこは、まるで、地方の、駅前。懐かしい感じだ。
そして、妙に、閑散としている。
昔は、地方の駅前でも、それなりに、賑やかだったのだろうけど。
あるいは、ひょっとして、いや、間違いなく、バブルの頃は、最盛期だったはず。
当時、長津田に、行ったことはないが、日本全国、そうだったのだ。
そういえば、初めて、長津田に、行ったのは、ちょっと前、景気のいい頃。
たしか、駅の構内に、いろいろな、店が、進出していたな。
活気があって、まさに、これから、という感じ。
バブルの頃を、思い出させてくれた。
でも、結局は、一時の、夢。
衰退する郊外、ということに、変わりはないのだ。
そんな南口。さらに、南へと、歩いていく。
(2011年8月記)

横浜線長津田駅(長津田駅北口地区再開発工事現場)

2012-04-18 03:52:19 | Weblog
中央線で、八王子駅。横浜線に、乗り換える。
橋本を過ぎ、町田を過ぎて、長津田駅に到着。
もっと、僻遠の地、かと思ったが、横浜線のおかげで、それほど、時間は、かからなかったな。
もっとも、実際、僻遠の地、であることには、違いないのだけど。
そういえば、今年の夏は、暑かった。とくに、梅雨明け頃。
でも、そんな夏も、もう、過ぎようとしている。今日あたり、ようやく、涼しくなってきたところ。
長津田駅、改札を、出て、北口へ。
横浜線と、田園都市線が、接続していて、交通の要衝、のはずなのだが。
閑散とした感じ。
それでも、かなり前、来たときは、新しく、店など、開店していて、賑やかだった期がする。
当時は、それなりに、景気が、よかったからかな。
北口、降り立ってみると、目の前には、長津田駅北口地区再開発の工事現場。
最近、よくある、駅前の再開発だ。
(2011年8月記)

銀座線虎ノ門駅(虎ノ門一丁目 虎ノ門砂場本店)

2012-04-17 05:04:50 | Weblog
通りを、北へ、歩いていくと、西側に、とても、古そうな、店。
虎ノ門砂場本店。老舗の蕎麦屋。
店の、佇まいからして、由緒正しい、蕎麦処、なのだろう。
蕎麦には、あまり、興味、ないけど。
いちおう、歴史を、辿ってみる。
砂場、というのは、大阪城築城時、砂置き場の近くで、開業したかららしい。
江戸時代前のことだ。
江戸時代になって、大阪から、江戸の街に、進出してくる。
その後、幾つかの店に、分かれたうちの、一軒が、今の、麹町に、店を構え、砂場を、受け継いでいったらしい。
明治時代になって、そこから、分かれ、虎ノ門、この地に、虎ノ門砂場が、開店する。
ちなみに、目の前の、今の建物、大正時代に、建てられたそうだ。
そんな、虎ノ門砂場本店、なのだが、まわりに、もう、何も、なくなっている。
都心部の、再開発の波が、押し寄せてるのだ。
なくなることは、ないと思うけど、これから、どうなるのだろう。
もっとも、とりあえず、自分は、立ち食い、でいいのだけど。
さあ、帰ろう。帰りは、どこかの駅、立ち食い蕎麦、に寄ろうかな。
さらに、北に歩き、虎ノ門駅を目指す。
(2011年7月記)

銀座線虎ノ門駅(愛宕一丁目 真福寺)

2012-04-16 05:05:03 | Weblog
愛宕隧道を抜けると、南北に伸びる通り。
その通りに入り、北へ。
やがて、愛宕山の、北端。
北端部分に、真福寺がある。
江戸時代、この場所に、移転してきたらしい。
それ以前は、八丁堀に、あった、ということだ。
八丁堀には、運河が、十字に、交差するところがあり、そこに、三つの、橋が、架かっていたのだが、そのうちの一つが、真福寺橋。
真福寺に因んで、真福寺橋、となったらしい。
もっとも、真福寺が、その近くに、あったには、違いないのだろうが、実際、どこか、わからない。
真福寺橋は、明治時代の、地図を、見ると、まだ、残っている。
ただ、すでに、運河は、埋め立てられ、今は、もう、真福寺橋はない。
痕跡は、なくなっても、移った先の、真福寺は、あるわけだが。
さらに、通りを、北へと、歩いていく。
(2011年7月記)

銀座線虎ノ門駅(愛宕一丁目 愛宕隧道)

2012-04-15 07:15:37 | Weblog
東西に伸びる、通り。東に向かう。
すぐに、愛宕隧道。
愛宕山の、東側に、抜ける、トンネル。
昭和の、初め頃に、開通している。
その少し前に、東京放送局、今の、NHKの前身が、愛宕山で、放送を、開始しているが、トンネルの、開通と、何か、関係があるのだろうか。
わからないけど。
それとは、別にして、やはり、宅地化、されたから、かな。
実際、丸の内、オフィス街、あるいは、霞ヶ関の役所も、近いし。
もっとも、このような、谷地、に住むとは、思えないけど。
一説によると、新橋、銀座、あたりの、歓楽街、繁華街、あたりの、従業員が、住んでいたりしたらしい。
谷地は、下町、なので、それなら、あり得るだろう。
そういうわけで、だんだん、賑やかになってきて、トンネルも、開通した、ということだろうか。
愛宕隧道を、潜り、愛宕山の、東側に、出てみる。
(2011年7月記)

銀座線虎ノ門駅(虎ノ門三丁目 興昭寺)

2012-04-14 04:25:42 | Weblog
道路の、東側には、興昭寺。
こちらも、一帯に、多くある、寺院の一つ。
創建は、江戸時代だろう。
ちなみに、江戸時代の地図を、見てみると、このあたり、愛宕山の西側、広い範囲は、天徳寺の寺域。
天徳寺は、当時、境内に、多くの、支院、があったらしいので、今ある、寺院は、かつて、天徳寺の、支院、だったのだろう。
ところで、天徳寺の方は、江戸時代よりも前、江戸城に、あったらしい。
その後、いったん、霞ヶ関あたりに、移り、江戸時代になって、しばらくして、この場所に、移転している。
広大な、寺域だったことから、寺勢、盛んだったのだろう。
ところが、明治時代になると、その、反動か、境内は、縮小。普通の、寺院になる。
天徳寺の縮小に、伴い、その、支院だった、多くの、寺院は、独立し、今に至っている、ということか。
そして、余った、大部の土地は、住宅地に、なったわけかな。
細い道を、南へ、引き返す。
(2011年7月記)

銀座線虎ノ門駅(虎ノ門三丁目 栄立院)

2012-04-13 03:53:59 | Weblog
再び、桜田通りに戻り、今度は、東側、街中に、入ってみる。
通りから、一歩入ると、こちらもまた、一段と、静か。
しかも、昔の、雰囲気も、残っている。
ただ、住宅地、というわけでもないけど。
静かな街中、細い道を、北へ。
道路の、西側には、栄立院。
特に有名な寺院ではないが、一帯には、他にも、寺院が、多い。
寺町になっているようだ。
もっとも、多い、というより、寺院しか、残っていない、ということかも。
寺院以外は、低層の、オフィスビルに、なってしまったのかもしれない。
そんな、幾多の、寺院なのだが、創建は、おそらく、江戸時代。
東側、愛宕山の、愛宕神社が、江戸時代の、初め、創建されているから、そのまわりの、寺院も、同じ頃、と思う。
つまり、寺院だけは、江戸時代から、変わらない、ということになる。
(2011年7月記)

銀座線虎ノ門駅(虎ノ門四丁目 虎ノ門パストラル跡地)

2012-04-12 06:07:27 | Weblog
葺城稲荷神社の西側一帯は、柵で、囲われている。
かつては、虎ノ門パストラルが、あった場所。
今、建物は、すっかり、消滅して、更地が、広がるのみ。
そんな、虎ノ門パストラルなのだが、完成したのは、高度成長期。
当時、まだ、周囲は、普通の、住宅地だったはず。
そして、さらに、丘の上には、少し前に、完成した、ホテルオークラがある。
丘の上の、高級な、宿泊施設、その、麓、谷地には、下町、住宅地、ということだったのかな。
やがて、高度成長が、達成され、安定期になってみると、住宅地は、郊外に、移っていて、まわりは、すっかり、オフィス街。
それでも、景気が、よかったので、気にはならなかったのだろう。
ところが、バブルが崩壊して、風向きが代わる。
都心部に、再開発が、集中し出したのだ。
高度成長期に、完成した、虎ノ門パストラル、結局、時代遅れ、だったのかもしれず、あえなく、再開発で、消滅してしまう。
同じ時期に完成した、ホテルオークラは、残っているけど。
時代は、流れていく。
(2011年7月記)

銀座線虎ノ門駅(虎ノ門四丁目 葺城稲荷神社)

2012-04-11 04:45:09 | Weblog
桜田通りに戻り、再び、南へと、歩いていく。
しばらくすると、西側の台地と、東側の、愛宕山とに、挟まれた、谷地。
谷地なので、日が、陰り、いっそう、静かな感じ。
神谷町駅の、手前で、西へ。
赤坂、六本木、に亘る、台地の、麓。
斜面に、葺城稲荷神社がある。
おそらく、創建は、江戸時代。
斜面の上は、浜田藩上屋敷が、あったので、ひょっとすると、関係が、あったかもしれない。
あるいは、台地、ということは、太古の昔から、生活があり、祭祀の場も、あったのかな。その跡が、神社に、なったのかも。
今となっては、わからないけど。
それはそれとして、神社の周り、最近、大きく、変わった。とくに、バブル以降。
葺城稲荷神社だけが、変わらず、残ったのかもしれない。
(2011年7月記)