retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

都営大江戸線勝どき駅(勝どき六丁目 環状2号線予定地)

2012-02-19 07:21:40 | Weblog
さらに、南西へ。運河を、新島橋で、渡る。
すぐに、南側には、巨大な、高層住宅。
さらに、運河と、その、高層住宅の、間には、環状2号線の予定地。
居住地の、すぐ近くに、交通量の多い、道路が、作られるわけだが、いいものだろうかと、思ってしまう。
居住区とは、隔壁で、分離するらしいが。
本当に、うまく、分離できるのか、わからない。
そういえば、ちょっと、話は戻るが、さっき、訪れた、東陽院、有名な、「東海道中膝栗毛」の作者、十返舎一九の、墓所がある。
昭和の時代の、新しい、街なので、史跡、といったものは、ないのだけど、敢えて、挙げるとすれば、ここだ。
ところで、東陽院が、浅草の西側から、この地に、移転してきたときに、一緒に、移転してきた、と思えるのだが、実は、ちょっと、違う。
東陽院は、善立寺の、子院、ということなのだが、東陽院が、勝どきに、移ったあたりだろうか、善立寺が、別院を、今の、足立区梅田に、開設したおり、十返舎一九の墓所も、そちらに、移転したらしい。
数年経って、改めて、足立区梅田から、今の、勝どき、東陽院へ。
どういう、経緯が、あったのやら。
今となっては、わからないけど。
(2011年5月記)

都営大江戸線勝どき駅(勝どき四丁目 東陽院)

2012-02-18 07:28:38 | Weblog
実は、勝どき駅が、開業する前にも、何度か、ここへ、来ている。
実際、日比谷線築地駅、あるいは、有楽町線月島駅から、歩いてきた。
築地駅からは、築地場外市場を脇に見ながら、その後、勝鬨橋を、渡ることになる。
月島駅からは、もんじゃストリートを、歩いていくことになる。
どちらからも、このようにして、飽かずに、来ることができるのだが、それは、たまに、ということ。
日常的だったら、やはり、遠い距離だ。
そんな、昔のこと、思い出しつつ、清澄通りを、南西へ。
しばらくすると、通りの、南側に、東陽院。
昭和の初め頃、この地に、移転、創建されている。
勝鬨橋の架橋が、昭和の初め頃だから、勝鬨橋の架橋を待って、街が開かれ、寺院も、必要となったのかな。
新興地、というところだろう。
ところで、東陽院、以前は、浅草の西側、善立寺の子院、つまり、善立寺の境内に、あったようだ。
さらに、それ以前、江戸時代の前半だが、今の、東京駅の、南東側に、創建されたらしい。
しばらくして、いつの間にか、浅草の西側に、移転したようだ。
いろいろな、変遷があるものだな。
(2011年5月記)

都営大江戸線勝どき駅(勝どきビュータワー)

2012-02-17 05:05:22 | Weblog
西武新宿線中井駅で、下車。
都営大江戸線に乗り換える。
やや小振りな、大江戸線の車両に、しばらく、乗っていると、勝どき駅。
改札を抜け、地上へ。
都営大江戸線が、開通して、勝どきに来るには、本当に、便利になったものだ。
といっても、あまり、ここまで、わざわざ、来る用事は、ないかもしれないけど。
それはそれとして、もし、都営大江戸線が、なかったなら、勝どきへは、日比谷線築地駅、あるいは、有楽町線月島駅から、歩くしかない。
今は、とりあえず、都営大江戸線が、通っているので、こうして、簡単に、来れる。
そんな、便利になった、勝どき、地上に出ると、すぐに、晴海通りと、清澄通りとの、交差点。
そして、交差点の、北西側には、勝どきビュータワー。
最近、完成した、巨大な、高層住宅だ。(工事中はこちら
便利になれば、こういう、高層住宅も、建つのだろう。
(2011年5月記)

南北線六本木一丁目駅(六本木一丁目 西光寺)

2012-02-16 06:09:01 | Weblog
道源寺よりも、少し、下ったところには、西光寺。
これらの寺院、創建は、おそらく、江戸時代の初め頃か。
当時は、何もなかった、谷あい。
その谷間を、見下ろす、丘の斜面に、寺院が、建てられたのだろう。
谷底には、やがて、家屋が建ち並び、町になる。
町名は、谷町。地形、そのままの名前だな。
ひょっとしたら、門前町だったのかもしれない。
時代は、江戸時代から、明治時代へ。
しばらくして、東西に、伸びる、今の、六本木通りと、おぼしき、細い道路が、開通する。
ただ、道路が開通したといっても、都心とは、ちょっと、隔たった、谷あいの町、だったに、違いない。
また、時代は、流れ、昭和の時代。
戦後、世の中、高度成長。
六本木通りの上には、首都高の高架が、通り、道幅も、かなり、拡幅される。
あたりは、静かな、谷あいから、騒々しい、都心へ。
さらに、最近は、巨大ビルが、まわりに、次々と、建っていく。
そして、これからは、どうなるのだろうか。
まったく、わからない。
ここにある、寺院は、その先を、ずっと、見ることが、できるかも。
そう考えると、なにか、気持ちが、落ち着いてくるな。
そろそろ、帰ろう。
斜面を、下ると、六本木一丁目駅の入口。
南北線で、帰ることにする。
(2011年5月記)

南北線六本木一丁目駅(六本木一丁目 道源寺)

2012-02-15 06:09:44 | Weblog
ちなみに、21森ビル、25森ビルは、共に、高度成長期の、終わり頃に、竣工している。
高度成長のあとは、安定期、もっとも、いい時代だったかな。
これらのビル、その、安定期の、安穏とした、街並みを、見続けていたわけか。
やがて、時代は、バブルへ。
地方も都心も、いたるところ、浮かれていた。
この近くでは、東側に、アークヒルズが、建ったりする。
ただ、アークヒルズは、建ったものの、都心では、さほど、街並みは、変わっていないはずだ。
他には、東京ドーム、都庁舎の高層ビルくらい。
都心が、劇的に、変貌したのは、バブルが崩壊して、失われた10年に陥った後。
まるで、都心だけバブル、の状況。浮かれ気分は、もう、なかったけど。
そして、都心だけバブルも、世界同時不況に、見舞われる。
今も、その、どん底から、抜け出せていない。
そんな中、21森ビル、25森ビルは、消えていく。
なにか、儚いものを感じるな。
工事現場の、西側斜面を、上ってみる。
すると、そこには、道源寺。
こちらは、江戸時代から、変わっていない。
(2011年5月記)

南北線六本木一丁目駅(2125森ビル建替計画工事現場)

2012-02-14 06:12:20 | Weblog
六本木一丁目駅、六本木通りと、南へ伸びる、大通りとの、分岐点。
その、分岐点近く、南へ伸びる、大通りの、東側、2125森ビル建替計画の工事現場がある。
21森ビルと、25森ビル、2棟の、ビルを、併せて、一つの、高層ビルに、するようだ。
ただ、21森ビルは、さほど、大きくはないにしても、25森ビルは、けっこう、大きなビル。
大きなビルを、解体して、また、大きなビルを、その跡地に、建てるということ。
最近、そのようなケースが、多い。
建替えには、違いないのだが。
でも、なんとなく、建替える、というのは、小さなビルを、大きなビルに、ということだと、思っていた。
このように、まだ、使用できるのに、同じ規模のビルに、建て替えるのは、もったいないような、気もする。
時代の流れなので、仕方がないな。
(2011年5月記)

南北線六本木一丁目駅(アークヒルズフロントタワー)

2012-02-13 06:09:45 | Weblog
六本木通りを、東へと、歩いていく。
しばらくすると、通りの北側に、アークヒルズフロントタワー。
最近、竣工した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
六本木通りを、挟んで、南側に、アークヒルズがあるので、このような、ビル名なのかな。
もっとも、アークヒルズは、バブルの頃、華々しく、開業している高層ビル、最近、完成した、アークヒルズフロントタワーが、関係あるとも、思えないけど。
ところで、アークヒルズの「アーク」、どういう意味だろうか。
アルファベットでは、「ARK」。
「A」は、赤坂から、「R」は、六本木、から、らしい。
何か、こじ付けのような、気もするが、実際、住所は、赤坂一丁目、六本木一丁目に、またがっている。
それよりも、アークヒルズが、完成する、数年前、映画、「レイダース 失われたアーク」というのが、とても、人気だったが、ひょっとして、その映画の、「アーク」、だったりして。
ビルの形も、「アーク」、聖櫃、つまり、「箱」、みたいだし。
ただ、当初の、計画自体が、「ARK」、だったらしいから、なんともいえない。
でも、赤坂一丁目、六本木一丁目から、「ARK」、なんて、思いつくものなのかな。
当時の、文書が、はっきり、そうなっているのであれば、そうなんだろうけど。
六本木通りを、西へ。六本木一丁目駅へ、戻る。
(2011年5月記)

南北線六本木一丁目駅(六本木三丁目 谷町ジャンクション)

2012-02-12 07:32:55 | Weblog
高田馬場駅で、東西線。
飯田橋駅で、南北線に乗り換える。
六本木一丁目駅で下車。
改札を抜け、長い長い、エスカレーターに乗ると、南側に広がる、台地の上に、出るのだが、今回は、別のエスカレーターへ。
西側、南北に伸びる、大通りに、出る。
北側は、下り坂、下りきったところは、東西に伸びる、六本木通りとの、分岐点。
上空には、首都高都心環状線と首都高渋谷線のジャンクション。
高架が、曲がりくねりながら、縦横に、伸びている。
ジャンクションの名前は、谷町ジャンクション。まさに、名前の通り、谷底、にあるジャンクションだな。
完成したのは、高度成長期の頃。
オリンピックも成功のうちに終わり、日本は、上り坂。
こうした、宙を、うねる、高架、当時は、未来的な、光景だったに、違いない。
そんな、谷町ジャンクションの下にある、歩道橋で、六本木通りの、北側へ。
(2011年5月記)

総武流山電鉄鰭ヶ崎駅(鰭ヶ崎駅駅舎)

2012-02-11 04:56:31 | Weblog
細い道を、さらに、東へ東へと、歩いていく。
しばらくすると、総武流山電鉄の鰭ヶ崎駅。
まさに、ローカル鉄道、という感じ。
ずっと前、一度、終点まで、乗ったことがある。
鄙びた、地方の街、だったな。
ところで、駅名にもなっている、鰭(ひれ)ヶ崎という地名、珍しいが、どういう、謂れがあるのだろう。
さっき、訪れた、東福寺に、もとは、池があり、そこに、棲んでいる、竜の鰭(ひれ)から、ということらしい。
はて、竜に、鰭(ひれ)、あったのだろうか、背びれ、のことかな、と思ってしまうけど。
ひょっとしたら、一帯に、もともと、あった、集落、竜を、信奉していた、ということなのかもしれない。
などと、太古の昔に、思いを、馳せているうちに、古ぼけた車両が、ごとごとと、やってきた。
さっそく、乗り込む。レトロっぽくて、いいな。
今日は、行きは、つくばエキスプレス。帰りは、流山電鉄か。
小さな電車は、ゆっくり、走り出し、やがて、常磐線の馬橋駅。
今度、来るときは、流山まで、足を、伸ばせるといいな。
そんな思いを抱きつつ、馬橋駅で、常磐線に、乗り換え、都心へと向かう。
(2011年5月記)

武蔵野線南流山駅(鰭ヶ崎 東福寺)

2012-02-10 06:08:12 | Weblog
そういうわけで、今度は、旧市街、北側へ。
という風に、なると、いいのだけど、時間がない。
とりあえず、北東方向に、歩いてみる。
北東へ伸びる、通りを、渡り、すぐに、東へ伸びる、細い道へ。
住宅地を、そのまま、東へと歩いていくと、しばらくして、北側に、東福寺。
平安時代の創建、らしいのだが、近くには、古墳跡もある、ということなので、たぶん、本当なのだろう。
江戸川の、西側、さっき、訪れた、三郷は、低湿地だが、こちら、流山は、丘陵地、太古の昔から、暮らしが、あったのに、違いない。
ひょっとしたら、そのような、集落の祭祀の場、だったのかな。
それが、平安時代、東福寺、になったのかもしれない。
などと、思いを巡らすが、下調べしてこなかったので、それ以上は、なんとも、わからないけど。
先を急ぐので、細い道を、東へと、向かう。
(2011年5月記)