retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京浜東北線鶴見駅(総持寺総門)

2011-10-11 03:23:30 | Weblog
北へと向かい、再び、駅前広場。
駅前広場の北側に、西口に出る、通路があった。
さっそく、階段を登り、通路を通って、鶴見駅西口に出る。
東口とは、まったく、雰囲気が違うな。
なにか、品の良い、郊外住宅地、そんな、感じ。
山の手、というほどでもないけど、東口の、京浜下町とは、対照的だ。
こういう街並み、似ているとすれば、大森。
鉄道と駅が、山の手と下町の、境界線になっている。
いつから、そういう、街並みになったのか、わからないけど。
ただ、最近、その街並みの秩序、崩れ始めているようだ。
つまり、下町の部分が、再開発され、高層住宅が、建ったりしている。
山の手が、下町に、迫り出しているような感じ。
でも、特に、豊かになって、山の手が、広がったわけではない。
逆で、もはや、下町を、支えきれなくなったのだろう。
そんな、どうにもならないことを、考えながら、駅前広場から、南へ南へと、歩いていくと、西側に、総持寺への参道。
さっそく、参道を上っていく。
しばらくすると、ちょっと、こじんまりとした、総持寺総門がある。
(2011年1月記)

京浜東北線鶴見駅(ロイヤルタワー横濱鶴見)

2011-10-10 08:23:28 | Weblog
駅前広場を、南へと歩いていく。
駅前広場の、東側には、京浜急行。
沿線は、下町地帯、庶民的な感じの路線だ。
最初、来たとき、京浜急行の駅近くにも、行ったのだが、とても、記憶に残っている。
ぼろくて凄かったな。川崎も、かつては、かなり、ぼろかったけど。
鶴見の方が、凄い感じがした。
でも、そこがまた、庶民的で、とても、いいんだけど。
たしか、バブルの後ぐらいの時期だったかな。でも、もう、そういった街並みは、一掃されてしまったかもしれない。
などと、昔の思い出に、浸りながら、南へと、歩いていく。
すぐに、京浜急行の高架の、細い道路を挟んで、西側に、ロイヤルタワー横濱鶴見。
最近、竣工した、高層住宅。(工事中はこちら
そういえば、駅舎から、駅前広場の南側一帯にかけて、再開発工事中になっている。
どう見ても、この高層住宅は、その南側を占めているようだ。
たぶん、再開発が、完成した暁には、高層住宅と、鶴見駅は、一体となるだろう。
とすると、まてよ、昔、鶴見を訪れたとき、見かけた、ぼろい街並み、ひょっとして、この、再開発されている場所なのかな。
今となっては、もう、わからない。
(2011年1月記)

京浜東北線鶴見駅(鶴見駅東口駅前広場)

2011-10-09 07:19:22 | Weblog
高田馬場駅から山手線。品川駅で、京浜東北線に乗り換える。
多摩川を越えて、神奈川県。さらに、川崎を越えて、南へ。
鶴見駅で下車。
ここまで来ると、異郷、という感じだな。
もっとも、最近は、年のせいか、川崎ぐらいの遠さでも、十分、異郷なんだけど。
さっそく、改札口を出て、東側へ。
それにしても、馴染みがない場所だなあ。特に、観光地でもないし、用もないし。
そういう意味でも、異郷と感じるのかな。
駅周辺は、日暮里駅や、大森駅と、同じように、駅を、挟んで、西側が、山の手、東側が、下町、となっている。
そういえば、かなり、昔、そんな鶴見に、来たことあるな。
そのときも、駅東側に出たのだ。
典型的な、京浜下町。工場や港湾が、近くにあって、庶民的な、居酒屋や焼肉屋が、多そうな感じ。
そして、そのような下町は、住環境、あまり、よくないので、再開発されやすいのだ。
高層ビルが、建つとすると、たいてい、そういった場所。
(2011年1月記)

東西線茅場町駅(日本橋茅場町一丁目 日枝神社)

2011-10-08 07:33:08 | Weblog
兜神社の南側は、証券街。
株を、取引しているので、兜神社、という名前は、語呂が、いいのかな。
そういえば、たしか、バブルの頃、賽銭は、法外だったらしいけど、今は、どうなっているのやら。
さらに言えば、一帯には、巨大高層オフィスビルが、建つ予定だったのだが、当然のごとく、計画は、バブルが崩壊して、霧消してしまったのだろう。
途中、南へ、曲がり、そのまま、南へと、歩いて行く。
しばらくすると、通りの、東側に、日枝神社。
創建は、江戸時代の初め頃。
永田町にある、山王日枝神社の神輿が、立ち寄るので、こちらにも、神社ができた、ということらしい。
オフィスビルに、囲まれて、ここだけ、森閑としている。
江戸時代そのままではないだろうけど、雰囲気は、そのままだ。
静かな境内を出て、南へ。すぐ、茅場町駅。
昔、再開発が、このあたり、あちこち、あったので、よく、茅場町駅で、降りたなあ。
今は、そういう計画はなく、穏やかなものだ。
あれだけ、盛んに、工事をしていたのに。
それも、今は、昔。本当に、もう、二度と、過ぎ去りし日々は、戻らない。
そろそろ、茅場町駅から、帰ろう。
(2011年1月記)

東西線茅場町駅(兜神社)

2011-10-07 06:10:13 | Weblog
昭和通りを越えて、そのまま、東へ東へと、何の気なしに、歩いていったら、人形町あたりまで、来てしまう。
どおりで、見覚えがあると思った。
あわてて、南西方向へ。
やはり、昭和通りの東側は、昔の街並みが、残っている。
ひょっとすると、その中心が、人形町なのかもしれない。
などと、考えているうちに、再び、昭和通り。
昭和通りを、南へ。すぐに、日本橋川に架かる、江戸橋。
江戸橋を渡ったところで、今度は、東へ進む。
すぐに、高速都心環状線の高架を、潜った先、北側、日本橋川沿いに、兜神社。
小さい社だが、とても、有名な神社だ。
ただ、創建がいつだったのか、あるいは、謂れについては、よくわからない。
もともと、兜神社のあった場所は、ここから、南東側、鎧の渡しあたり。
もっとも、今、日本橋川となっている河川、江戸時代の初め、開削された、運河、道三堀、だったのだ。
とすると、兜神社の北側に、道三堀が、開削され、その渡し場が、兜神社に、因んで、鎧の渡しに、なったのだろうか。
わからないが、江戸時代より前、一帯は、海に面していたらしい。
兜神社が、当時、あったとすると、海岸に、あったわけだ。
漁民に、兜神社が、信奉されていたのは、そういうところに、理由があるのかもしれないけど、結局、それ以上には、わからない。
わかったから、どうだ、というわけでもないけど。
日本橋川に沿って、南東へ。
(2011年1月記)

東西線日本橋駅(日本橋本町二丁目計画工事現場)

2011-10-06 05:10:19 | Weblog
商業地、街中の細い道を、東へと、歩いていく。
まだまだ、古い感じの、建物が、多いな。
そう思いつつ、歩いていると、南北に伸びる、昭和通りに、行き当たる。
昭和通りの西側には、日本橋本町二丁目計画の工事現場。
日本橋の変動が、ここまで、及んでいるものらしい。
秋葉原や、京橋あたり、あるいは、上野も、同じような感じかな。
とりあえず、再開発は、昭和通りあたりまで。
それほど、質全盛や、意味が、あるわけではないだろうけど。
ただ、昭和通り、というのは、名前の通り、昭和の初め頃に、開通した通り。
おそらく、合わせて、沿道に、街並みも、整備されていったに違いない。
だから、昭和の街並みが、多いように見える。
そして、その、昭和通りまで、再開発が、広がる、となると、まるで、現代と、昭和の時代との、境界線、のようになっていくのかな。
本当に、そんな風に、再開発が、進んでいくのか、将来は、わからないけど。
(2011年1月記)

東西線日本橋駅(日本橋室町一丁目 とても古いビル)

2011-10-05 05:03:43 | Weblog
次々と、建ち上がっていく、高層ビル。
その片隅に、すごく古そうなビルがある。
いままで、もともと、そこに、あった、小さなビルが、残っているのだろうけど。
調べてみると、竣工は、高度成長期の、初め頃。
東京タワーが完成した時期だ。
まさに、「ALWAYS三丁目の夕日」の世界。
この建物は、その頃から、ずっと、ここにあるわけか。
もっとも、まわりの、古そうな、建物も、皆、同じだろうけど。
当時は、一帯に、これ以上、高い、建物なんて、なかったのだろうなあ。
しばらくすれば、東京オリンピックの開催。
東京の街並みが、変わり始めた。
そして、無我夢中の、高度成長期は、終わり、安定期。
高度成長の達成を、誇示するかのように、高層ビルが、あちこちで、建ち始める。
大手町、西新宿。まあ、そんなところか。
そういえば、池袋サンシャイン60、なんてのもあったな。
だが、安定期は、徐々に、熱狂の、バブルへ。
浮かれている間に、バブルは崩壊。それでも、浮かれ気分は、そのままだったけど。
まがりなりにも、景気がよくなって、でも、それも、終わり。
浮かれ気分は、もう、二度と来ない。
今、あるのは、都心部を、中心とした、再開発だけ。
それも、どこまで、続くのやら。
そういった有様を、この、古い古い、ビルは、見続けて来たのだろうか。
(2011年1月記)

東西線日本橋駅(日本橋室町野村ビル)

2011-10-04 06:07:32 | Weblog
ちょっと前まで、商業地だったのに。
と思っていると、少し離れて、北側には、さらに、別の、高層オフィスビル。
日本橋室町野村ビルが建つ。
こちらも、最近、竣工している。(工事中はこちら
短期間で、急速に、街並みが、変わっていくようだ。
日本橋、あるいは、東京駅の東側は、ちょっと前まで、たいがい、取り残された感じが、あったものだけど。
ここにきて、変化が、激しくなっている。
もともと、高層オフィスビル、というと、東京駅の西側、丸の内、大手町。
といっても、バブルの頃は、丸の内、大手町ですら、再開発は、それほどでもなかったように、記憶している。
だが、最近は、あちらこちらで、再開発。ついに、飽和状態なのかな。
もともとあった、高層ビルを、取り壊して、さらに、高層ビルを、建てているぐらいだから、もう、限界なのだろう。
それで、東京駅の、東側に、波及してきたのかもしれない。
時代は、流れていく。
(2011年1月記)

東西線日本橋駅(室町東三井ビルディング)

2011-10-03 03:09:38 | Weblog
高田馬場駅から東西線。日本橋駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる、永代通り。
世の中は、正月以降、休みが、続いているので、今日ぐらいになって、やっと、落ち着いてきた感じだな。
それにしても、寒い。久しぶりの、寒冬。
永代通りを、東に、歩くと、すぐに、南北に伸びる、中央通りとの、交差点。
中央通りに入り、北へ。
ちょっと前に、来たときは、ここらへん、銀座みたいな、華やかな、商業地区、という感じだったのに、いつの間にか、オフィス街になっている。
東急百貨店が、消滅したのが、大きいのだろうけど。
たしか、地下鉄の駅から、直接、東急百貨店に、入れたはずだったな。
なくなってしまうと、あっけないものだ。
日本橋を越えると、通り西側には、三越百貨店。
こちらも、昔、何度か、入ったことある。
何か、買おうということではなくて、こういうところでは、よく、展覧会を、やっていて、それを、見に行ったのだ。
デパートの中も、見れるし。
だが、もう、そういうことも、なくなったな。
そんな、昔のこと、思い出しながら、さらに、北へと、歩いていると、通りの、東側には、室町東三井ビルディング。
最近、竣工した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
(2011年1月記)

田園都市線桜新町駅(弦巻五丁目 蛇崩川支流の源泉跡近く)

2011-10-02 07:23:16 | Weblog
細い、川筋の跡を辿っていくと、その先には、源泉があるはずだが。
行ってみると、そこには、大きなマンションが、立ち塞がる。
それでは、ということで、そのマンションの、北西側に、回り込んでみると、さらに、大きな、マンション。
それに、三田用水跡の、南北に伸びる、通りがある。
昔、に限らないのかもしれないが、用水は、尾根筋に、作られることがあり、だから、この場合も、南北に伸びる、尾根があったのだろう。
とすると、もう、この先には、源泉が、あるはずはない。
通り沿いにある、マンションの公開緑地に立ってみる。
ここは、尾根の斜面になっているので、源泉があったとすると、この下の部分かな。
ちょうど、最初に、立ち塞がった、マンションが、建っているあたり。
実際は、泉じゃなくて、崖から、清水が、染み出していたのかもしれないが。
でも、斜面の下に、泉があって、そこから、小川が、流れ出していた、と考えた方が、なんか、いいな。
今となっては、こんな、想像を、してみるしかないのだが。
もう、帰ろう、と思ったけど、ちょっと、まわりを、歩いてみる。
ほとんど、マンション。ただ、すごく、古い店なども、残っていた。
そこだけ、高度成長期から、変わらないのかな。
当時は、駅近くを、除けば、田舎びた、郊外だったのだろう。
それが、こんなになってしまったわけか。
自分には、関係のないことだけ。
寒いので、早く、帰ろう。来た道を引き返し、駅に向かう。
(2011年1月記)