retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

千代田線湯島駅(旧岩崎邸庭園の洋館)

2011-10-21 05:01:39 | Weblog
不忍通りを、再び、南へ。
途中、西へ曲がり、そのまま、西へ進む。
すぐに、南へ。
西側には、塀に囲まれた、こんもりとした木々。
南へと歩いていくと、西側に、旧岩崎邸庭園の入口がある。
塀で囲まれたところは、旧岩崎邸だったわけだ。
庭園に入り、木立の中を、北へ、坂道を上っていく。
坂を上りきったところ、広場になっていて、南側に、瀟洒な洋館。
実際は、それほど、大きくはなく、かわいらしい感じだ。
洋館の南側には、広々とした、グラウンドがある。
ところで、岩崎邸、というと、三菱グループ創始者、岩崎弥太郎が建てたわけだが。
去年の大河ドラマ「龍馬伝」を思い出すなあ。
といっても、まったく見てないけど。
見たのは、岩崎弥太郎が、鶏の入った、大きな籠を担いでるところぐらいか。
ただ、総集編で、高杉晋作が、えらく、ぶっとんだ感じで、けっこう、面白かったな。もっとも、そのときも、見たのは、そこだけだが。
たしか、高杉晋作が、坂本龍馬に、現状の条件で、外国と取引していくと、どんどん、日本の富は、吸い取られていく、なんとかせねば、なんてことを、熱く語っていた。
そういった思想が、坂本龍馬、そして、岩崎弥太郎へ、さらには、三菱グループ、ということなんだろうか。
そう考えると、三菱グループは、再開発で、丸の内のオフィス街を、造成したわけで、現代にも、繋がってくる。
意外と、今に通じるような、奥深い、ドラマだったのかも。
などと気付いても、もう、遅いか。
(2011年2月記)

千代田線湯島駅(横山大観記念館)

2011-10-20 05:05:12 | Weblog
今度は、不忍通りを、南へ。
しばらくすると、通りの、西側に、横山大観記念館がある。
横山大観、というと、明治、大正、昭和に亘る、日本を代表する、芸術家。
日本画が、中心なんだろうか。あまり興味ないので、わからないけど。
横山大観を知ったのも、某テレビ局のなんでも鑑定団。
この番組、最初から、かかさず、見ていたな。
だけど、いつからだろうか、見なくなってしまった。
そういえば、番組が、始まったの、ソフィテル東京が、完成した頃ぐらいか。
バブルの末期。あるいは、もうバブルは、崩壊していたかもしれない。
ただ、バブルがなければ、あのような番組、とうてい、生まれなかっただろう。
番組の趣旨は、およそ、実用とは、思えないものに、値段をつけること。
それはそれで、夢のような話だったな。
でも、そもそも、そんなこと、お金が余っていないと、成立しようがない。
バブルの頃は、もちろん、お金が、余っていたわけだが。
だから、そうしたものが、身近に、感じられたのだ。
今となっては、非現実的なのかもしれない。
だけど、まあ、そんな世界が、あってもいいのかな。現に、山の手もあるわけだし。
もっとも、横山大観、せっかく、なんでも鑑定団で、知ったけど、すっかり、遠い存在になってしまった。
それも、時代の流れかな。
(2011年2月記)

千代田線湯島駅(シティタワー上野池之端工事現場)

2011-10-19 04:59:09 | Weblog
不忍通りを、さらに、北へ、歩くと、通りの、西側に、シティタワー上野池之端の工事現場。
早くも、次の、再開発が、始まっているとは、目まぐるしいな。
もっとも、これ以上は、さすがに、ないと思うけど、将来は、わからない。
そういえば、一帯は、昔、もともと、低湿地帯、じめじめしていて、あまり、住環境がよくはないのだ。
だから、高層住宅や、なんらかの施設が、建ちやすいのだろう。
施設、といえば、すでに、西側一帯は、東京大学の敷地が、広がっているし、東側、不忍池の北側には、上野動物園の敷地。
もう、普通の、住宅地や、商業地が、できるような感じではない。
ただ、昨今の不景気。さらに、その再開発が、北側、根津や、南側、湯島へと広がっていくことは、まず、ないだろうな。
おそらく、根津は、静かな、歴史テーマパークのようになっていくかもしれないし、湯島は、寂れていくのかもしれない。
将来になって見ないと、こればかりは、わからないのだが。
(2011年2月記)

千代田線湯島駅(冬枯れの不忍池)

2011-10-18 05:05:10 | Weblog
パークタワー上野池之端の、通りを挟んで、東側には、不忍池が、広がる。
夏には、蓮が、水面に、広がり、一面、緑になるのだが。
今は、冬なので、蓮は、枯れていて、とても、侘しい光景。
でも、こういうのも、それなりに、見ていて、風情があるものだ。
季節の移ろいとは、不思議なもの。
ただ、季節だけではなく、時代の変化、というのもある。
最近だと、不忍池の北側、今は、上野動物園西園になっているが、江戸時代、そこも、不忍池だったのだ。
明治時代に、埋め立てられている。
さらに言えば、昭和の時代よりも前、不忍池には、北から、藍染川という、小川が、流れ込んでいた。
また、別の川筋が、不忍池、手前で、分岐し、不忍池の西側を、南流していたらしい。
そして、もっと、昔、鎌倉時代以前は、石神井川が、流れ込んでいたのだ。
こちらは、藍染川のような、小川ではなかったので、不忍池の周囲、一帯が、湿地になっていたに違いない。
今とは、想像もつかない、景観だっただろう。
とすると、はるか未来の姿も、別なものになっているはず。
長い目で見れば、目の前の景色も、儚いものなのかもしれない。
(2011年2月記)

千代田線湯島駅(パークタワー上野池之端)

2011-10-17 06:08:52 | Weblog
さらに、北へ北へと、進んで行くと、通りの、西側に、パークタワー上野池之端。
最近、竣工した、高層住宅だ。(工事中はこちら
昭和の時代が残る、一帯にも、こうして、新しい波が、押し寄せているわけか。
ところで、この、高層住宅が建つ前、この場所には、ソフィテル東京、という高層ホテル棟があったのだ。
今は、もう、ないけど、ものすごく、珍妙な形のビル。
完成したのは、バブルの末期。バブルの産物といっていいだろう。
当時は、浮かれていたので、あんな、形のビルまで、出現したのかな。
まだ、建っていれば、バブルとは、いかなる時代だったのか、ということを、後世に伝える、モニュメントになった気がする。
でも、その、バブルの遺産は、あえなく、消滅。
儚いものだ。
そして、跡地には、最近、多い、都心再開発の、高層住宅。
時代は、動いていく。
(2011年2月記)

千代田線湯島駅(池之端一丁目 東天紅)

2011-10-16 07:12:17 | Weblog
高田馬場駅で東西線。
大手町駅で千代田線に乗り換える。
湯島駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる春日通りと、南北に伸びる不忍通りとの交差点。
東側には、御徒町の繁華街、北側には、不忍池周辺の木々が、遠く、見える。
街並みは、いまだ、昭和の時代。
来るたびに、懐かしさを、感じるな。
しかも、昭和から、時代が、離れる一方なので、なおさらだ。
不忍通りを北へ。
しばらくすると、目の前に、不忍池。
まわりに、自然の景観が、ないためか、こうしてみると、ずいぶん、広く見えるな。
不忍池の西側を、さらに、北へと、歩いていく。
程なくして、西側に、東天紅。
このレストラン、実は、高度成長期に、建てられたものらしい。
もっとも、どう見ても、昭和、という感じだけど。
上野、御徒町は、皆、こんな雰囲気の街並みかな。
でも、いつまで、この、取り残された、昭和の雰囲気が、残るのだろう。
(2011年2月記)

京浜東北線鶴見駅(鶴見神社)

2011-10-15 06:11:22 | Weblog
三門を潜り、坂を、下っていく。
下りきったところ、南北に伸びる、通り。
やっと、現世に戻った感じだ。
通りを、北に歩く。
商店が、建ち並び、ちょっと、賑やか。
しばらくすると、西口駅前広場へ。
時代から、やや、取り残された景観が、長閑で、懐かしい。
西口駅前広場を過ぎて、さらに、京浜東北線に沿い、北へ。
かなり歩いたところ、東西に伸びる、三角大通りに、行き当たる。
三角大通りに入り、東へ。
京浜東北線の、下を、潜り、京浜東北線の東側へ出る。
通りの南側には、鶴見神社。
なんの変哲もない、神社だが、意外と、歴史がある。
それに、昔は、もっと、境内も、広大なものだったらしい。
もともとの、名前は、杉山神社。
杉山神社、というと、鶴見川沿いに、多く、分布しているのだが、鶴見川の河口に位置する、鶴見神社は、その、総本山のような感じだったのだろう。
つまり、鶴見川河口から、ある一族が、鶴見川を、遡って、勢力を伸ばしていたったわけだ。
ただ、律令制が、施行されたとき、鶴見神社と、他の杉山神社は、別の、行政区分、郡に、分けられている。
勢力を、弱体化させるために、そのようにしたに、違いない。
そういうわけで、今、こんな風に、境内が、小さくなった、というわけでもないだろうけど。
そろそろ、帰ろう。
悠久の歴史を前にしていると、気が遠くなりそうだ。
とりあえず、今のところ、春を待つばかり。
陽射しは、もう春だし。
通りへ出て、南へ。鶴見駅へ向かう。
(2011年1月記)

京浜東北線鶴見駅(総持寺穴熊稲荷神社)

2011-10-14 05:07:03 | Weblog
南へ南へと、歩いていくと、三門の前へ出る。
三門の、さらに、南側には、ちょっとした、丘陵地。
その丘陵地を、石段で、上っていく。
上った先には、穴熊稲荷神社。
寺院の中に、神社が、あるわけだが、実は、それほど、奇異ではない。
たいてい、大きな、寺院には、神社があったりするものだ。
神社と寺院は、あまり、厳密に、区別するような感じではないのだろう。
ところで、そういえば、この、広大な、総持寺、意外と、最近、建てられたらしい。
明治時代の終わり頃。もうじき、百年、というところ。
もちろん、この地に、移転する前には、長大な、歴史を、持っていたはずだ。
では、総持寺が、移転してくる前、この場所には、何があったのだろう。
都心だと、たいてい、大名屋敷跡だったりする。
でも、鶴見だと、やはり、何もなかった、ということかな。
そういう未開の山野に、創建され、もうじき、百年。
そして、これから、何百年も、この地に、あり続けるわけだ。
そう考えると、いかにも、畏敬の念、持たないわけにはいかない。
(2011年1月記)

京浜東北線鶴見駅(総持寺百間廊下)

2011-10-13 04:48:38 | Weblog
壮大な、大祖堂も、見たことだし、もう、帰ることにする。
帰る段になると、いままでの、この世のものとも思えない、総持寺の光景、急に、色褪せてしまった。
これから、現実に、戻る、からだろう。
所詮、総持寺も、現実の中に、浮かぶ、小さな、テーマパークに過ぎないのかな。
でも、たしかにそうなんだろうけど、そう見ている自分は、さらに、さらに、小さく、限りがある存在なのだ。
だから、たとえ、総持寺の、光景が、すべてだとしても、それはそれで、何も、言うことはできない。
そんな風に、思いつめたわけでもないが、あと少し、散策してみる。
広々とした、道から外れ、西の方へ。
庭園のようになっていて、落ち着いた感じ。
そういえば、まだ、寒いけど、陽射しは春だ。
いつの間にか、季節は、進んでいる。
そして、南へ、歩いていくと、長い長い回廊。
百間廊下、という名前。
その、回廊を、越えると、外界へ、一歩、出て行くことになる。
現実に、一歩、戻っていくわけか。
とりあえず、帰ることにする。
(2011年1月記)

京浜東北線鶴見駅(総持寺大祖堂)

2011-10-12 05:14:00 | Weblog
なかなか、慎ましい、総門だな、と思いながら、さらに、参道を、上っていく。
しばらくすると、今度は、ものすごく、巨大な、三門。
巨大な、三門の北側にある、三松閣、という、これもまた、巨大な、建物が、すでに、見えていたので、とうに、慎ましい感じは、消えていたが。
三門を、潜ると、境内は、すごい迫力に満ちている。あらかじめ、総持寺について、よく調べていなかったので、なお、一層、気圧されてしまう。
これほどの規模、池上にある、本門寺ぐらいしか、知らないな。
おそらく、江戸時代だと、上野の寛永寺や、芝の増上寺も、こんな感じだったに違いない。
それにしても、それぞれの、建物が、皆、大きく、道も、広々としている。
北へ曲がり、そのまま、北へと進んで行くと、正面に回廊と、金鶏門。
回廊が、さらに一段、外界とを、隔てているのかもしれない。金鶏門を潜り、その中に、入ると、またしても、広々とした空間と、巨大な建築物。
どこまで続くのやら。
こんな風に、圧倒されると、些少な悩みなど、吹き飛んでしまうのだろう。
さらに、北へ進むと、正面、やや東側に、壮大な、大祖堂。
ここまで、来れば、現世の一つも、忘れよう、というものなのかな。
でも、まあ、結局、テーマパークの、一種、なのかもしれないけど。
(2011年1月記)