retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

有楽町線豊洲駅(豊洲フロントビル)

2011-05-21 07:21:06 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で有楽町線に乗り換える。
豊洲駅で下車。
地上に出ると、天気が、とてもいい。
台風、それたが、いちおう、台風一過、ということかな。
それにしても、今年の夏は、とても、暑かった。
しかも、長い。秋なのに、ずっと、夏が持ち越し。
そんな夏も、台風が、連れて行ってくれたのかも。
今日の晴れは、秋晴れ。清々しい感じ。
盛夏の頃のような、ぎらぎらするようか感じではないな。
目の前には、北西に伸びる、晴海通りと、南西に伸びる、大通りとの、交差点。
天気はいいものの、台風の接近、とあって、あまり、賑やかではない。
晴海通りを、北西に歩いていく。
しばらくすると、通りの北側に、豊洲フロントビル。
最近、竣工した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
いままで、豊洲には、高層住宅ばかりが、新しく、建ってきたから、少しは、オフィスビルも、ということかな。
あるいは、職住近在、なのかも。
とりあえず、豊洲に、新しく、高層オフィスビルが、加わる。
(2010年9月記)

高崎線上尾駅(宮本町 氷川鍬神社)

2011-05-20 05:07:38 | Weblog
西に歩き、再び、旧中山道。
旧中山道を、南に、歩く。
駅前に戻っているが、まだ、帰るわけではない。
行ったり来たりして、なんか、無駄な気もするが、でも、それが街歩きの醍醐味、なのかな。
特に、そう決めているわけではけど、たいてい、いつも、そうなる。
などと考えているうちに、さっきの古いデパート。
その南側には、氷川鍬神社。
創建は、江戸時代の初め頃、ということだ。
ということは、江戸時代に入って、中山道が、開通し、上尾宿が、設置されるわけだから、その頃からの、一帯の中心なのだろう。
街並みは、南、愛宕神社から、北は、遍照院、あるいは、もっと、先までかな。
江戸時代より前は、集落の中心、鎌倉街道の近く、だったのかも。今となっては、わからないけど。
江戸時代が終わり、明治時代。
上尾の街の西側に、駅が、設置される。
もともと、あまり、大きい街並みではなかったためか、駅の場所は、比較的、近い。
大きい街だと、駅は、街外れに設置され、じきに、駅の方が、新市街になり、もとの街は、旧市街になっていくものだ。
理由は、ともあれ、こうした、小さな街は、様々な、時代が、混ざっているみたい。
そして、今度は、駅前再開発。現在が、加わるわけか。
次、来るときは、そうなってるはず。
ということで、さあ、帰ろう。
上尾駅から、新宿駅まで、30分と少し。すぐだ。
(2010年9月記)

高崎線上尾駅(上町一丁目 遍照院)

2011-05-19 04:59:28 | Weblog
旧中山道を北に歩く。
ちょっと混んでいるけど、旧道なので、趣があるな。
かなり、歩いたところで、東へ。
住宅地の中、そのまま、東へ進むと、すぐに、遍照院。
ずいぶんと境内の広い寺院だ。
創建は、室町時代。
このような立派な寺院がある、ということは、このあたり、江戸時代、中山道が、開通する前から、少しは、開けていたのだろう。
実際、かなり、離れるが、南側に、北東に伸びる、鎌倉街道が、伸びていたようだ。
さらに、羽根倉道、というのも、通っていた。
当時の、交通の要衝だったに違いない。
ところで、南側を、北東に伸びていた、鎌倉街道、その先に、上尾宿、という地名。
江戸時代の、上尾宿は、もちろん、今の、旧中山道沿いにあったので、その、上尾宿とは、違うはずだ。
もしかすると、鎌倉街道にも、宿があったのかな。
ちょっと、わからないけど。
近くでは、再開発の工事中。バブルの頃のデパートもあるし、旧中山道は、江戸時代の、中山道。
なんか、新旧が、混在していて、不思議な感じがする。
(2010年9月記)

高崎線上尾駅(上尾中山道東側地区再開発工事現場)

2011-05-18 05:04:25 | Weblog
上尾駅東口の、このデパート、バブルの頃に、開店したらしい。
とすると、ペデストリアンデッキも、あるいは、そのまわりの、商業施設も、同じ頃、できたのかも。
そういえば、上尾に限らす、あの当時、地方が、賑わった時代だったな。
だが、今、見ると、デパートは、すっかり、古ぼけている。
まわりを見回しても、なにか、レトロな感じ。
そんな東口駅前、ペデストリアンデッキを東に向かい、地上に降り立つ。
目の前には、南北に伸びる通り、旧中山道。
その、旧中山道の東側には、上尾中山道東側地区再開発の工事現場がある。
最近、多い、駅近くの高層住宅だ。
この位置なら、ひょっとしたら、ペデストリアンデッキが、伸びてくるかもしれない。
そうなれば、駅まで、直結する。
しかも、上尾駅から新宿駅まで、30分と少し。
だとすると、このような駅前再開発で、地元のデパートは、少しは、賑わうだろうが、やはり、衰退していくのかな。
どうなるか、わからないけど。
(2010年9月記)

高崎線上尾駅(上尾駅東口のデパート)

2011-05-17 06:06:39 | Weblog
高田馬場駅から、山手線。新宿駅へ。
新宿駅構内で、ちょっと、腹ごしらえしてから、湘南新宿ラインに乗る。
埼玉方面に向かうのだが、どの駅に停車するのか、わからないので、確実な、新宿駅まで、行って、乗車したのだ。
新宿駅構内のそば屋に、行きたかった、ということもあるけど。
湘南新宿ライン、乗ってみると、さすがに、速いなあ。
それに、本数も多い。特急というより通勤電車。
池袋駅を過ぎ、赤羽駅。そして、荒川を渡って、埼玉県へ。
ここからが、また、さらに、速いのだ。
ノンストップで、一気に、大宮駅。
そして、目的地の、上尾駅へ。
所要時間、30分とちょっと。
こんなに近かったっけ。
ちょっと前は、大宮までが、けっこう、遠くて、まだ、その先まで、行くのか、なんて、思っていたものだけど。
そのときは、湘南新宿ライン、知らなかっただけかもしれないが。
さらに、もっと昔、バブルの頃は、大宮、完全な、地方都市だったな。
ということで、湘南新宿ラインのおかけで、格段に、都心と近くなった、上尾駅で、下車。
駅東側、ペデストリアンデッキに出る。
目の前には、古いデパート。
そこに広がるのは、なんとなく、懐かしい、地方都市然とした、風景だ。
(2010年9月記)

東西線大手町駅(大手町1-6計画工事現場)

2011-05-16 03:23:33 | Weblog
東西に伸びる永代通りに入り、東へ。
しばらくすると、通りの北側に、大手町1-6計画の工事現場。
この工事現場の、広さからすると、かなり、大規模な、建造物だと、見て取れる。
さらに、驚くべきことは、西側の、高層ビル、大手町フィナンシャルセンターも、再開発地の中に入っている、ということだ。
ということは、この新しそうな、高層ビルまでも、解体してしまうものらしい。
大手町フィナンシャルセンターが、竣工したのは、バブルの頃。
建ってから、まだ、20年足らず。
儚いものだな。
ただ、上野の高層ホテル、ソフィテル東京も、バブルの頃、竣工して、最近、解体されたので、そういう例、ないわけでもない。
さらにいえば、こういうケース、今後は、もっと、多くなるのだろう。
でも、なんだか、やはり、もったいない感じがする。
さっきの、JFEビルは、高度成長期の頃で、まだ、使えるものなら、というところだけど、大手町フィナンシャルセンターの方は、たかだか、20年。
使えるものなら、どころか、完全に、現役だ。
世の中に、どこか、なにか、無理があるんじゃないかと、思ってしまう。
もっとも、そんなこと考えても、どうしようもないけど。
東京駅へ。
そろそろ、帰ることにする。
(2010年9月記)

東西線大手町駅(三井住友銀行本店ビル)

2011-05-15 07:11:40 | Weblog
日比谷通りを南へ歩く。
しばらくすると、東西に伸びる、永代通りとの交差点。
その交差点の南西側に、三井住友銀行本店ビル。(工事中はこちら
最近、竣工した、高層オフィスビルだ。
かくのごとく、丸の内、大手町の、再開発は、とどまるところを知らないな。
ところで、この場所には、かつて、JFEビルという高層ビルが、建っていた。
それほど、巨大なビルではないものの、さりとて、低層ビル、というわけでもない。
そこそこには、大きな、高層ビルだったのだ。
しかも、竣工は、高度成長期の終わり頃。
古いといえば古いけど、霞が関ビルでさえ、今も、残っているというのに。
老朽化して、撤去も、やむなし、というほどでもない。
なんか、新しい高層ビルを建てるために、既存の、高層ビルを、解体するというのは、もったいない気もする。
おそらく、新しい土地に、建てるほうが、費用が、かかるのだろうけど。
時代の流れなので、仕方がないか
(2010年9月記)

東西線大手町駅(大手町一丁目 読売新聞東京本社ビル)

2011-05-14 07:25:44 | Weblog
東に歩き、南北に伸びる日比谷通りへ。
今度は、日比谷通りを、南へ。
しばらくすると、東側に、読売新聞東京本社ビル。
読売新聞には、まったく、興味ないけど。
ただ、最近、同じところに、高層ビルが、集中して建つので、必然的に、同じ場所しか訪れていない。
だから、もう、訪れるところもなく、たまたま、近くにあった、読売新聞東京本社ビルを撮っただけのことなのだ。
興味ないなりに、昔は、コンビニとかで、たまに、買っていたけど。
もっとも、記事はともかくとして、読みやすいな、という印象しかなかったな。
あとは、「美味しんぼ」で、海原雄山側に立った新聞社、帝都新聞社のモデルということぐらいか。
たぶん、読売新聞が保守的な感じなので、海原雄山側のイメージ、なのかな。
そんな読売新聞社なのだが、この、大手町に移転してきたのは、高度成長期の終わり頃。そして、発行部数が一位になったのは、高度成長を達成した後の、安定期の頃。
日本の隆盛と、期を一にするのは、やはり、保守的な新聞社だからだろうか。
でも、今は、隆盛どころか、右肩下がり、衰退していく日本。
ということで、もう、読売新聞は、まったく、見ていない。
早く、次へ行こう。
(2010年9月記)

東西線竹橋駅(JAビル)

2011-05-13 05:04:09 | Weblog
高田馬場駅で東西線。竹橋駅で下車。
地上に出れば、はやくも、大手町の高層ビル群を見ることができる。
大手町丸の内ビル群の北西端。
東京駅からは、ちょっと離れているが。
ところで、竹橋駅から、一番近いのは、気象庁なんだけど、その気象庁も、虎ノ門へ移転するらしい。
そうなれば、跡地は、どうなるのだろうか。ひょっとして、高層ビルが、建つのだろうか。
いまのところ、その後の予定は、わからない。
もし、建てば、竹橋駅と、直結して、便利になるのだけど。
そんなことを、考えながら、内堀通りを、南へ。
しばらくして、東に伸びる道路に入り、そのまま、東へと、進む。
道路北側には、高層ビル群。
日本経済新聞社東京本社ビル、JAビル、経団連会館ビルだ。(工事中はこちら
ちょっと前は、こんなところまで、高層ビルが建つとは、思わなかったな。
このあたり一帯だけが、いまだに、拡大を、続けている。
(2010年9月記)

埼京線赤羽駅(志茂スズラン通り商店街)

2011-05-12 03:49:12 | Weblog
スズラン通り商店街を、さらに、歩いていく。
しばらくすると、南北に伸びる道路。
ここで、スズラン通り商店街は、終わりだ。
ただ、都心部の下町にもよくあるが、終わったところから、また、別の、商店街が、始まっていたりする。
ここの場合も、その先、志茂スズラン通り商店街が始まっている。
その商店街は、地図によると、さらに、志茂平和通り商店街へとつながり、どんどん、東へと、伸びているのだ。
東側には、南北に伸びる、北本通り沿いに、志茂、という街があり、今度は、そちらが、商店街の、中心となる。
もっとも、その志茂に、この前、行ったのだが、商店街なんて、もう、名ばかりだったな。
普通の住宅街の道路に、店舗が、ぽつんぽつんと、あるばかり。
かつては、商店が、軒を連ね、賑やかだったんだろうけど。
そもそも、目の前にある、志茂スズラン通り商店街も、あんまり、賑やかとも、思えない。
その先にあるはずの、志茂平和通り商店街、行って見るまでもなく、というところか。
というわけで、もうここらへんで、踵を返して、帰ることにする。
次、来るとき、つまり、プラウドシティ赤羽が、完成したときは、どうなっているのだろう。
あんまり、変わっているとは思えないけど。
(2010年9月記)