retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

常磐線北千住駅(東京電機大学北千住キャンパスW棟工事現場)

2011-04-10 07:33:34 | Weblog
高田馬場駅で東西線。大手町駅で千代田線に乗り換える。
北千住駅で下車。
地上に出ると、相変わらず、賑やかな下町。
ただ、昔よりも、かなり、落着いた感じがする。
駅西側が、再開発されて、ペデストリアンデッキが完成したからだろう。
なにか、北千住じゃないみたい。
半地下道を通って、駅東側に出てみる。
こちらは、昭和の時代から、変わっていない。
懐かしい商店街が、東へと、伸びている。
その先は、行き止まり、荒川なので、いままで、取り残されていたのかな。
と思ったら、商店街の、すぐ、南側、広い地域で、再開発の工事中。
東京電機大学北千住キャンパスを造成してるということだ。
その中で、W棟が、高層棟となる。
以前は、日本たばこ産業の社宅があったらしい。
よく覚えていないけど、社宅だから、団地みたいなものだろう。
それが、広大なキャンパスになるとするなら、だいぶ、雰囲気が、変わるに違いない。
たぶん、昭和の懐かしい街並み、という感じは、なくなる。
駅西側が、すでに、そうなっているので、駅東側も、遅かれ早かれ、というところだ。
仕方のないことかもしれない。
(2010年8月記)

京葉線千葉みなと駅(グランスイートブルー・ベイフロントタワー工事現場)

2011-04-09 07:38:22 | Weblog
また来た道を引き返す。
千葉ポートタワーは、ちょっと、寄っただけ。特に、用はない。
北へ、歩いていくと、程なくして、道路の西側、海に面した区域に、グランスイートブルー・ベイフロントタワーの工事現場。
それほど高くはないが、ひさしぶりの、高層ビルだ。
ただ、千葉の高層ビルは、これで、もう、最後かも。
建つとしても、もっと、都心よりの地域だろうな。
いくら、京葉線が、東京駅まで、通っていたとしても、船橋や市川には、適わない。
たぶん、京葉線に加えて、広大な公園があったり、海辺だったり、ということだろう。
さらにいえば、この、何にもないところが、いいのかもしれない。
つまり、一種のリゾート、というところか。
そういう数ある条件が揃って、やっと、高層住宅が建つわけだが、もう、それで、おしまい。
それにしても、バブルの頃の千葉は、政令指定都市になったこともあり、すごい、勢いだったのにな。
モノレールが、開通したり、駐車場だけの高層ビルが、建ったり。
もう、そういうことはない。
再び、北へ。幅広の、整備された、道路を、歩いていく。
千葉みなと駅に辿り着き、駅構内の食堂。
やっと昼食にありつけるわけだが、注文したラーメンの麺が糸こんにゃくみたいに固まっている。
客が、あまり、いないんだろうな。
うまいとは、とてもいえないラーメンを、急いで、食べ、千葉みなと駅ホームへ。
あの高層住宅が完成して、そのとき、来たとして、でも、ひょっとしたら、もう、千葉には、二度と、来ないかもしれない。
それも仕方ない。そもそも、そんな時代ではないのだ。
(2010年7月記)

京葉線千葉みなと駅(千葉ポートタワー)

2011-04-08 06:07:44 | Weblog
いったん、南東に歩き、再び、南へ。
しばらくすると、広大な公園。
緑の芝地が、とても美しい。
と思ったが、まわりの更地も、原っぱになっていて、まあ、たいして変わらないかな。
そんな芝地の中には、千葉ポートタワーが、唐突に、聳え建つ。
本当は、周囲に、都市が、できるはずだったので、こんなにも高い塔なのだろうか。
完成したのは、バブルの初め頃。
当時、よく、千葉を訪れていたのだが、その折、千葉ポートタワーにも、一度、行っている。
高く聳え、光輝く塔は、まさに、未来への道標に思えたものだ。
あれから、かなり、年数が経っている。
なのに、今、こうして、見ると、あんまり、変わらない。
未来の道標は、結局、そのまま。
その間、世の中は、未来への道筋を、失い、彷徨うばかり。
千葉ポートタワーも、もはや、潰えた夢の跡、だな。
その夢の跡の前で、犬が、芝地を、嬉しそうに、駆け回っている。
犬にとって、未来など、どうでもいいのだろう。
だとしたら、へたに、未来の夢など、持つものではないのかな。
(2010年7月記)

京葉線千葉みなと駅(中央港一丁目 千葉港を臨む)

2011-04-07 06:09:08 | Weblog
幅広の道を、南へ南へと、歩いていくと、海に行き当たる。
千葉みなと、というぐらいだから、当然、海に近いわけだ。
それどころか、ちょっと前まで、この場所も、海。
かつては、北側の、千葉街道あたりが、海岸だったらしい。
当時は、さぞかし、風光明媚な場所だったのだろう。
そんな千葉の海岸が、埋め立てられたのは、高度成長期の頃かな。
ただ、高度成長を達成すると、せっかくの、埋立工業地帯は、いらなくなる。
そこで、登場したのが、ウォーターフロントの再開発。
バブルの時代の到来だ。
遊休地は、すでに、あるし、海辺も近い。京葉線も、開通したし。
リゾート地を兼ねた都市には、うってつけの場所だったに違いない。
たぶん、千葉駅周辺が、旧市街、そして、千葉みなとが、近未来都市。
そういう、位置付けなのだろう。
でも、成長は、永久には、続かない。
どこかで、途切れてしまう。
途切れてしまえば、成長したときのために、用意してある、大きな器には、結局、何も、入らないのだ。
それが、いま、こうして、がらんとした、空地になっているわけ。
もっとも、海を眺める分には、まわりが、がらんとしていても、別に、かまわないのだけど。
(2010年7月記)

京葉線千葉みなと駅(中央港一丁目 千葉港への幅広の道路)

2011-04-06 06:09:06 | Weblog
高架上の駅舎から、地上に降り立ち、南へ。
京葉線の千葉みなと駅の下を通り、駅南側に出る。
見渡す限り、何もないな。
たぶん、この駅が開業した、バブルの頃と、あまり、変わっていないのかも。
そういえば、千葉都市モノレールは、京葉線に沿って、海浜幕張まで、伸びるんだったっけ。
今から、考えると、あり得ない話。
何もない、駅前広場から、幅広の通りを、南へ、歩いていく。
この整備された、広い通りを見ると、本当は、あたりに、大きな都市が、誕生するはずだったのかもしれない。
駅前には、ショッピングセンター。通り沿いには、集合住宅。
京葉線で、東京駅と直結し、千葉都市モノレールの乗れば、千葉の中心部は、間近。
これで、発展しないなんて、考えられない。
バブルの頃は、いかにも、そう、思えたに違いない。
でも、都心部が、再開発されれば、そんな考えは、霞のごとく、消え去るだろう。
たんに、遠いだけでしかないし。
残されているとしたら、郊外の、駅前再開発ぐらいかな。
ただ、大きな都市を想定しているためか、尺が大き過ぎるように思える。
駅前再開発なら、駅周辺に、こじんまりと、かたまるだけでいいのに。
このように、縦横に、幅広の通りが、伸びていると、駅前再開発は、やりにくいのかもしれないな。
それにしても、何もない。
そんな中を、南へと、歩いていく。
(2010年7月記)

京葉線千葉みなと駅(千葉都市モノレールの車両)

2011-04-05 05:06:00 | Weblog
高田馬場駅から、東西線。飯田橋駅で、総武線に乗り換える。
錦糸町駅で、さらに、横須賀線。千葉駅で下車。
さすがに、遠いなあ。
今度は、千葉都市モノレール。
ようやく、千葉みなと駅に辿り着く。
千葉みなと駅なら、京葉線でも、いいのだが、そちらの方が、遠いかも。
それに、千葉都市モノレールに乗れないし。
こういうモノレール、好きなので、千葉に来たときには、なるべく、乗るようにしているのだ。
千葉都市モノレールが、開通したのは、バブルの頃。
当時、知り合いが千葉にいたので、何度も、行ったな。
千葉都市モノレールが上空を走行する下を、クルマで走ったりもした。
懐かしい思い出。
ただ、今から考えると、ずいぶん、贅沢なことだと思う。
地上と、その上空、交通機関が、上下二重になっているのだ。
千葉に、そんな、需要が、あるとは、どう考えても、思えない。
そう思えてしまったのが、あのバブルの時代の、なせる技なのだろう。
でも、このように、モノレールが、縦横に、宙を、伸びていることが、自分にとっての未来。
だから、こうして、千葉にやってきたときは、モノレールに、できるだけ、乗ることにしている。
もっとも、そんな未来も、ずいぶんと、古ぼけたものだ。
未来は、レトロになってしまったのかな。
(2010年7月記)

西武池袋線大泉学園駅(シティタワー大泉学園)

2011-04-04 05:06:31 | Weblog
大泉学園駅で下車。
駅北側に出る。
今回は、「となりのトトロ」のモデルを探す道行なので、高層住宅は、付けたりだが。
いちおう、訪れてみる。
商店街の中、北へ進むと、程なくして、シティタワー大泉学園。
最近、竣工した、高層住宅だ。(工事中はこちら
かくして、駅前再開発は、今も、進んでいるものらしい。
ちょっと、ここで、また、宮駿の話に戻る。
「未来少年コナン」を、熱心に見たことは、書いたが、残念ながら、それ以降の作品、ほとんど記憶に残っていない。
安定期から、バブル期、次々と、作品が、世に出たことは、知っていたけど。
そして、バブルが崩壊した後の失われた10年、「もののけ姫」で、国民的な作家になったんだっけ。
作品のクオリティを、想定よりはるかに引き上げていけば、市場を、独占できる、ということを、実証した作品なのかも。
もっとも、その手法、最近は、あまり、効果はないみたい。
クオリティを究めて表現する、テーマそのものが、一貫して、「成長、進歩の混乱、その挙句の頓挫、破綻、そして、その後に続く、深い、安寧」、といったものだからだ。
こういうテーマ、安定期やバブルの頃のような、揺るぎない、平穏な日常があって、はじめて、リアリティを感じるものなのだろう。
今は、混乱と破綻があったとして、でも、その先に安寧があるなんて、そんな、楽観的な雰囲気じゃないはず。
だから、こうして、高層ビルの建ちゆく様を、眺めて、少しは、進歩しているな、と実感したいのかもしれないな。
もっとも、ごく最近は、宮駿の作品、けっこう、見ている。
かつての、安寧の時代に対する、ノスタルジーに浸りながらだけど。
(2010年7月記)

西武池袋線秋津駅(秋津町五丁目 JR西武連絡線トンネル)

2011-04-03 07:36:47 | Weblog
宮駿が、この地に、引っ越してきたのは、高度成長期の終わり頃らしい。
当時は、一帯に、もっともっと、緑が、多かったのだろうな。
ところで、宮駿というと、自分にとっては、「未来少年コナン」。
作品の内容よりも、NHKがアニメを始める、ということの方が、印象深かった。
あの真面目なNHKが、アニメを放映するのは、考えられなかったのだ。
いいのかな、と思う反面、高度成長を成し遂げた後の、安定期、その緩い感じが、思い出深い。
そのことに加えて、「未来少年コナン」の内容が、安定期に、すっかり、嵌っていた。
なにせ、未来が、すでに、潰えているのだ。
もはや、未来を追い求めなくてもいい。
そして、未来がなくなった後には、長閑な田園と、楽しそうな狩猟採取、ベルトコンベアに載って、パンが、次々と出てくる巨大な機械。
雰囲気的に、安定期の頃の日本そのものだな。
柳瀬川を渡った後、しばらくすると、南側に秋津公園。
実は、この公園、とても興味深い。
ここに、西武池袋線から分岐し、JR武蔵野線の合流する、トンネルがあるのだ。
安定期に入った頃、JR武蔵野線が開通するわけだが、その時、併せて、作られたものらしい。
武蔵野線が開通したとすると、秋津周辺は、宅地化されたのかな。
それで、淵の森の保護、だろうか。ここに住んでいるわけではないので、わからない。
武蔵野線新秋津駅を過ぎ、商店街を通り抜けると、やっと、西武池袋線秋津駅。
さっそく、西武池袋線に乗り込む。
(2010年7月記)

西武池袋線秋津駅(上安松西側に広がる田園風景)

2011-04-02 07:40:33 | Weblog
めげずに、再び、集合住宅を抜け、畑地を突っ切り、林の中へ。
この暑い中、何やってんだろう。
せっかくなので、もう一度、林の中、神社を探すが、さっきの崖の突端部分以外、やはり、ないようだ。
急坂を下りると、また、塚森の麓。
ここで、ちょっと別の方向、西側に行ってみる。
行ってみると、このあたりだけ、北側に、柳瀬川崖線の林、その麓に畑地、という、昔の光景が、広がっていた。
まさに、「となりのトトロ」の世界。
ところで、たしか、近くに、宮駿が、住んでいたはずなのだが。
昔、某テレビ番組で、秋津駅近くのパン屋が、紹介されたことがある。
そのとき、店主が、客として、宮駿が、よく来店していた、と話していたのだ。
そういえば、上安松が、住所だったと思う。
さらに追えば、さっき、西武池袋線の東側を歩いてみたのだが、そちらは、新興住宅地、西側の方が、古そうだ。
とすると、住んでいたのは、塚森の麓あたりなんじゃないかな。
なんとなく、近くの公園に、今でも、考えに耽る、宮駿の残像が、残っている気がする。
近所の誰かに聞けば、教えてくれるのかもしれないな。
もっとも、そこまで、宮駿に興味はないけど。
「となりのトトロ」のモデルが、確認できたので、もう、帰ることにする。
(2010年7月記)

西武池袋線秋津駅(上安松 西武池袋線土手下の通路)

2011-04-01 05:05:40 | Weblog
池の痕跡なりともないかと、探しているうちに、西武池袋線の土手に行き当たる。
仕方ないので、土手に沿って、南東へ。
しばらくすると、西武池袋線の東側に出る、通路。
この通路、「となりのトトロ」に出てきたな。
たしか、さつきさんとメイが、学校の帰り、雨に降られ、地蔵の建屋で、雨宿り。
そのとき、カンタが通りかかり、サツキさんに自分の傘を差し出す。
傘を置いて、雨の中、カンタが走り去る先に、電車の走る土手下の通路があるのだ。
それが、ここなのか。
この先、東側に、小学校でもあれば、と思うが、そこまで、忠実ではない。
でも、念のため、ちょっと、行ってみる。
こちらにも、柳瀬川崖線、崖地が伸びているのだが、一帯は、住宅地。
ところどころに、林が残るのみだ。
たぶん、昔は、こちら側も、林地が広がっていたのだろう。
とすると、けっこう、新しく、開かれた、場所に違いない。
ところで、なんで、あの日、サツキさんは、傘、忘れたんだろう。
カンタは、傘を持っていたのに。
それどころか、小学校の子供たちは、たいてい、傘、持っている。
さらにいえば、サツキさんの父親まで、傘を、忘れているのだ。
ちなみに、バス停で、傘を忘れたであろう父親を待っているとき、バスから、降りてきた、乗客も、傘を持っている。
なぜなんだろうか。そんなこと考えて、歩いているうちに、西武池袋線に架かる、陸橋のところまで、来てしまった。
陸橋を渡ると、さっきの集合住宅の場所。
振り出しだ。もう、所沢から帰ろうかな。
(2010年7月記)