retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

半蔵門線半蔵門駅(千鳥ヶ淵公園から臨む半蔵濠)

2011-01-11 05:02:45 | Weblog
甲州街道を東へ。
内堀通りに戻り、再び、北へ、歩く。
東側には、半蔵濠。
そして、半蔵濠と内堀通りに挟まれた区域は、有名な、桜の名所、千鳥ヶ淵公園、となっているのだ。
永田町から、なんで、北へ北へと、歩いてきたかというと、麹町二丁目ビルの工事現場、ということもあるが、実は、この、千鳥ヶ淵公園、が大きな理由。
ちょうど、観桜の頃合だし。
と思ったら、ものすごく、寒い。真冬並み。
それでも、暖冬だったし、開花宣言も出ていたので、大丈夫、と思っていた。
でも、千鳥ヶ淵公園に入り、北へと、歩いてみると、閑散としている。
そもそも、桜が、ほとんど、咲いていない。
それ以前に、とても、寒くて、観桜どころじゃないな。
ということで、桜は、諦めて、東側の、半蔵濠を、眺める。
桜田濠と同様、壮観な眺めだ。
違うとすれば、さっきの、半蔵門から、西へ伸びる、甲州街道が、尾根になっているので、その、北側にある、半蔵濠は、北へ向かって流れる、谷地になっている。
もっとも、今は、小川の流れではなく、濠になっているので、どっちに、流れているのか、見ても、わからないけど。
などと、考えているわけだが、それにしても、寒い。
曇っているので、なおさら。それに、日も落ちてきた。
早く、帰った方がいいな。
ただ、ここまで来たので、もう一つの、桜の名所、靖国神社に、寄ってみようと思う。
(2010年3月記)

半蔵門線半蔵門駅(麹町二丁目ビル工事現場)

2011-01-10 07:29:35 | Weblog
半蔵門から西へ、まっすぐ、甲州街道が、伸びている。
甲州街道に入って、西へ、しばらく歩いていくと、通りの北側には、麹町二丁目ビルの工事現場。
さらに、もう少し、先にも、高層住宅の工事を、やっているらしいが、気が付かなかった。
このように、甲州街道沿い、再開発が、盛んになっている。
たぶん、南側の、青山通りから、再開発の波が、甲州街道まで、押し寄せているのだろう。
ところで、一帯の、地名、麹町、となっているのだが。
どんな謂れがあるのかな。
「こうじ」は、国府への路、国府路、「こくふじ」、「こうじ」、ということらしい。
本当かどうかわからないけど。
ただ、実際、甲州街道を、そのまま、まっすぐ、西に進むと、たしかに、府中、昔の国府に行き当たる。
とすると、甲州街道は、昔は、国府路、だったのだろうか。
もっとも、そんな話、聞いたことないな。それに、ここら近辺だけ、なんで、地名が、国府路、「こうじ」、麹町、なんだろうか。
たぶん、こういうことかも。
昔、鎌倉時代、たとえば、鎌倉街道は、南北にしか、伸びていなかったわけで、ここから、府中、という、東西に伸びる通りは、一般的ではなかったのだろう。
つまり、江戸城を、最初に、築いた、江戸氏が、国府に、用事がある場合に、勝手に、開いた道、なのかも。
だから、国府路は、一般的な道路ではないし、通りの名前も、江戸城に、近い近辺の部分、でしかないのだ。
想像に過ぎないのだけど。
(2010年3月記)

半蔵門線半蔵門駅(半蔵門あたりから臨む桜田濠)

2011-01-09 07:20:59 | Weblog
内堀通りを北へと、歩いていく。
通りの東側は、桜田濠だ。
しばらくすると、半蔵門。
この半蔵門より、南側が、桜田濠で、北側が、半蔵濠、となっている。
それにしても、この場所からの景観、なんと、壮大なんだろうか。
海が、すぐそばなのに、大きな、深い谷。
人工的に、濠を、穿った、というよりも、たぶん、もともと、天然の谷地なのだろう。
逆に、濠として、転用したからこそ、もとの、地形が、残ったとも、考えられる。
そうでなければ、平に成らされていたに違いない。
ところで、この、谷地の、西側斜面に、さっき、訪れた、最高裁判所、および、国立劇場が、あるわけだが、江戸時代の初め頃、そこには、山王日枝神社が、一時期、あったことがある。
元山王、という地名が、残っているのは、そのためだ。
山王日枝神社、大田道灌の頃、室町時代に、川越から、連れてこられたのだが、最初は、江戸城、梅林坂あたりにあったらしい。
その後、徳川家康の頃に、西側、紅葉山に移り、さらに、その西側、桜田濠の西斜面に移っている。
そして、また、しばらくすると、今度は、溜池の東岸へ移動し、今に至る。
江戸城、あるいは、江戸の町が、拡大するにつれ、移動していった、ということかもしれない。
もともと、太田道灌の頃は、江戸城、今の、皇居東御苑のあたりの部分しかなかったようだ。紅葉山も、その頃は、江戸城の西側の、丘だったのだろう。
桜田濠も、麹町あたりからの、幾筋もの細流を、集めて、流れる、谷地だったに違いない。
ただ、この壮大な景観は、昔のまま、なんだろうなあ。
(2010年3月記)

南北線永田町駅(隼町 国立劇場)

2011-01-08 07:34:51 | Weblog
最高裁判所の北側には、国立劇場がある。
これら二つの施設が、隣り合っているのは、たぶん、偶然なんだろうけど。
国立劇場の方は、最高裁判所よりも、少し、早く、高度成長期の真っ只中、完成している。
当時の地図を見ると、完成した、国立劇場の南側には、なにもない。
その場所、実際は、更地になっていたのか、国立劇場の、敷地になっていたのか、判然とはしないが。
それ以前は、何があったのだろう。
その頃の、地図を見てみればいいだが、手元にないので、判らないとしか、いいようがない。
さらに、その前、昭和の初めより前のことだが、東京第一病院、というのが、この場所に、あったらしい。
東京第一病院、今の、新宿、戸山にある、国立国際医療センターだ。
新宿、戸山、といえば、戦前、軍事施設が、多数、あった場所。
そういうところから見て、東京第一病院は、軍関係の病院なのだろう。
もっとも、軍関係だろうが、そうでなかろうが、病院は、病院、それ以外の何物でもないはずだが。
とにかく、明治維新から、昭和の初めにかけて、このように、皇居の周囲は、軍事施設が、固まっていたらしい。
国立劇場が、できるなんて、まだまだ、先のこと。
そんなにまで、完成したのに、ついぞ、行ったこともないな。
興味がない、ということもあるけど。
(2010年3月記)

南北線永田町駅(隼町 最高裁判所)

2011-01-07 05:03:39 | Weblog
南側に歩き、青山通りへ。
青山通りを東に向かうと、すぐに、南北に伸びる、内堀通りに、行き当たる。
その先は、桜田濠。行き止まりの交差点。
交差点の、北西側には、最高裁判所。
特に、裁判所に、興味があるわけでもないが、あまりにも、奇妙な、デザインをしているので、思わず、写真に撮ってしまった。
建物の、完成は、高度成長期の達成する頃。
たぶん、この国の、将来、磐石なる思い、そして、安堵たる思い、動かしがたく。
ということで、でかい、角ばった巨石が、積み上がった感じになっているのかな。
安心、安寧、たしかに、そういう感じもする。
ふと、あの頃が、懐かしくなってしまうな。
今、作るとしたら、どうなるのだろうか。
未来などはなく、現状も、不安で、いっぱい。
格差社会の、重圧と、そんな社会への、不信感。
貧困と孤絶。虚しさと重い疲労感。
それらを表現するとしたら、ムンクの「叫び」、みたいな雰囲気がいいのかも。
いや、ムンクの「叫び」には、不安は、あっても、どうしようもない疲労感、というのは、ないようだ。
なんて、別に、裁判所の建物のデザインが、時代の雰囲気を、反映したものである必要なんて、ないんだけど。
それ以前に、なんで、裁判所の建物について、考えなければ、ならないのだ。
この、奇妙なデザインの建物を見て、古き良き、時代を、思い出してしまったから、そういうことかも。
(2010年3月記)

南北線永田町駅(平河町森タワー)

2011-01-06 05:08:16 | Weblog
高田馬場駅で東西線。飯田橋駅で、有楽町線に乗り換え、永田町駅で下車。
地上に出ると、幅広の、青山通り。
上空には、首都高都心環状線の高架。
坂上、尾根になるのだが、この高架のおかげで、日が差さず、見通しもよくない。
もっとも、いろいろ、重要な施設が、あるので、あまり、見通しいいと、まずいのかもしれないけど。
南側には、行政、立法の諸機関、つまり、国会を中心とした、政治に関する施設が、配置されている。
対照的に、北側は、都心にあるような、普通の、街並み。
青山通りは、その、境界になっているのかな。
その、青山通りを、東に、歩き、途中、北側へ。
坂を、降りきったところに、平河町森タワー。(工事中はこちら
最近、完成した、高層のオフィスビルだ。
高層とはいえ、坂下に建っているので、青山通りから見ると、それほど、高い、建造物に見えない。
これなら、反対側の、政治の中心からは、目立たないので、その方がいいのだろう。
そういえば、最寄り駅は、永田町のはずだが、わざわざ、坂を上って、青山通りに、出なければならないみたい。
ようするに、隔絶されているわけだ。
というわけで、低地、平河町一帯は、取り残されたような、場所なのだけど。
ただ、高層ビルが、建っていくと、そのような場所、徐々に、消えていくように、思えるが。
(2010年3月記)

有楽町線辰巳駅(都営辰巳一丁目団地)

2011-01-05 03:57:16 | Weblog
南北に伸びる大通りを、北へ歩いていく。
この大通り、いちおう、晴海通りなのだが、晴海通りは、晴海で、折れ曲がり、豊洲まで、迂回しているので、交通の便は、よくない。だから、クルマは、あまり、多くない。
もっとも、これで、交通量が、多かったら、近未来都市、東雲キャナルコートを造成しようなんて、思わないだろうな。
東雲キャナルコートの北端に、達したところで、東へ曲がり、そのまま、東へと進む。
やがて、辰巳運河。辰巳橋で、運河の対岸へ。
その先には、団地が、果てしなく、広がっている。
都営辰巳一丁目団地だ。
この団地が、完成したのは、高度成長期、真っ只中。
懐かしいなあ、なんて、今、自分が、住んでいるところも、たいして、変わらない。
いや、まだ、この団地には、商店が、残っている、という点は、違うかな。
どこの団地も、そうだろうけど、団地内の商店なんて、全部、シャッター通りになっている。
こんな風に、商店が、残っているなんて、ましな方かも。
そういえば、当時、団地こそが、近未来都市だったな。
いつしか、時代に、追い越され、今は、すっかり、古ぼけてしまった。
近未来都市に、住んでいたとしても、未来に、行けるわけではない、ということか。
でも、未来への夢が、共有できただけでも、よかったかな。
そもそも、何百年も先の、未来を見れるわけもないし。それでいいのだ。
今は、こうして、のんびりと、運河の先、新しい、近未来都市を、高みの見物。
まるで、堤防の上、寝そべっている、あのトラネコのように。
春の、暖かい陽射しの下、まどろんでいればいい。
(2010年3月記)

有楽町線辰巳駅(公務員住宅工事現場)

2011-01-04 07:17:34 | Weblog
東雲キャナルコートの南側を、西へと進み、南北に伸びる、大通りに出る。
その、大通りに面して、東雲キャナルコート南西部には、公務員住宅工事現場。
公務員住宅というと、公務員のためなので、公共事業、なのだろうか。ちょっと、わからないけど。
ただ、いちおう、有効需要の創設には、違いない。
たぶん、東雲キャナルコートの、外周に、高層住宅を、並ばせる、という、当初の構想が、頓挫しかかったので、有効需要の出番、になったのだろう。
かくて、バブル的な、計画は、実現へと、邁進していくわけだ。
でも、なんだか、無理やり、という感じもする。
それに、家賃が、ものすごく安いらしい。
こう見ると、公務員の、既得権益のように、見えてしまう。
でも、例えば、ウィークリーマンション、と考えれば、そういう、価格設定なのかもしれないな。
つまり、宿泊施設ではないが、家でもないのだ。
だから、その点で、割引いてあるのかも。
などと、持って回ったようなこと、自分が、考えてやらなくても、いいんだけど。
ただ、この家賃だったら、なんて、一瞬、考えてしまった。
所詮、どっちにしろ、東雲キャナルコート、自分とは、まったく、関係のない代物だ。
(2010年3月記)

有楽町線辰巳駅(東雲キャナルコートの街並み)

2011-01-03 07:34:53 | Weblog
トラネコに、別れを告げ、西へ。
すぐに、近未来都市の街並みが、目の前に広がる。
東雲キャナルコートだ。
中央部を低層の住宅棟、その周りを、取り囲むようにして、高層の住宅棟が、並び建つ、はずなのだが、今のところ、中央部分、及び、南側と東側の、高層住宅が完成しているだけ。
さらに、あろうことか、北西部の、一画には、ショッピングセンターが、すでに、できてしまったので、そこには、もう、高層住宅が、建つことはない。
計画そのものが、バブル的なので、もはや、バブルの時代、来ることが、あり得ないことを、考えると、計画通りに行かないことは、致し方のないことだろうけど。
そんな、東雲キャナルコートの街中、中央部に、入ってみる。
洗練され、贅を尽くした、空間。整備された、きれいな街並み。
おしゃれな店が並ぶ、商業地に、紛れ込んだ、錯覚を、覚える。
なんか、高度成長期、あるいは、それ以降の、ニュータウンとは、異質だ。
つまり、豪華な雰囲気はあっても、そこには、生活や、暮らしの、空気が、漂ってこないのだ。
まして、軒下に、ノラ猫などが、いそうな感じもしないし。
遠くから、見たところは、建造物が、たくさん、建っていて、たしかに、ニュータウンやバブル的に見える。でも、中身は、別物なのだろう。
見物する分には、興味深い、といったところかな。
それで、トラネコが、堤防の上で、のんびりと、眺めていたわけか。
(2010年3月記)

有楽町線辰巳駅(東雲水辺公園堤防上に佇むネコ)

2011-01-02 07:16:03 | Weblog
辰巳桜橋を、渡りきると、東雲。
近未来都市に、辿り着いたわけだが、その手前、橋の、袂には、東雲水辺公園がある。
緩衝地帯として、緑の公園が、広がっているのだろう。
運河の波打ち際や、堤防などは、まだ、この地に、工場や、倉庫があった頃のままだからだ。
その、かつての、荒々しい、光景を、覆い隠すように、公園の、緑が、茂っている。
もっとも、まだ、季節は、春先なので、緑が、繁茂している、というわけでもないが。
それにしても、今日は、暖か。本当に、春、という感じ。桜も、もう、すぐ、かも。
ふと、堤防の上を見ると、その、春の陽光を、浴びて、気持ちよさそうに、寝ている、ネコを見つける。
近付いてみると、丸々とした、トラネコ。
あまり、近付きすぎると、昼寝の邪魔になるので、早々に、離れたが。
このような、近未来都市に、野良猫がいるとは、思わなかったな。
いったい、どこから、来たのだろう。
集合住宅で、飼われていた、ネコが、逃げたのだろうか。
ただ、この、トラネコの風体、どう見ても、魚屋に並んでいる、サカナを、ひったくっていそうな、ふてぶてしさがある。
行儀よく、マンションの部屋に、収まっているような感じがしない。
想像を、膨らませると、北側の、埋立地、枝川か、潮見、だろうか。下町っぽいので、ありえるかも。
あるいは、もう少し、北側、木場、古石場かな。こちらは、船宿もあり、エサには、困らない感じがする。
そうだとして、なんで、こんなところに、やって来たのだろうか。
たぶん、ネコも、真新しい、近未来都市、見てみたくなったのかな。
まさかね。
(2010年3月記)