retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京浜東北線川口駅(川口駅東口の商店街)

2011-01-21 05:04:59 | Weblog
ペデストリアンデッキを降りて、地上へ。
東へ東へと、街中を、進んでいく。
川口には、バブルが崩壊した後、エルザタワーの工事現場を、見に来たのだが、実は、その、ちょっと前にも、訪れたことはあるのだ。
当時、西口は、とにかく、工場と、住宅が、点在するのみ。
東口は、駅周辺に、地方都市らしい、古い、商家が、固まっていた。
そして、そこを過ぎると、工場。さらには、沼地。
信じられないが、たしかに、そうだったのだ。
しかも、アスファルトの道路には、歩道がない。
クルマが、通るたびに、危険を感じたな。歩くよりも、クルマを使え、ということなんだろうけど。
あれから、どれくらい、経ったろうか。
もっとも、バブルの頃だから、たいして、時間は、経っていないはずだが。
なのに、ずっと、昔のような、気がする。
たぶん、地方都市らしい、古びた、お店が、消滅し、今は、どこにでもある、チェーン店、おしゃれなお店が、軒を連ねているからだろう。
まるで、どこの、郊外にもあるような、商店街。
しかも、このようなことは、川口に限ったことではない。
つまり、バブルが崩壊して、以降、僅かの間に、地方都市は、皆、郊外になってしまったのだ。
(2010年4月記)

京浜東北線川口駅(川口駅東口ペデストリアンデッキ)

2011-01-20 04:31:57 | Weblog
ペデストリアンデッキで、川口駅東口へ。
駅舎を抜ける通路と、そのまま、ホーム上を、越える、通路が、二つあって、便利だ。
このような、ペデストリアンデッキ、たぶん、できたのは、バブルの頃かな。
川口駅から、ちょっと、離れるが、東側、エルザタワーの工事現場を、見に行ったとき、たしか、ペデストリアンデッキが、すでにあったので、おそらく、そうだろう。
川口に、ずっと、住んでいるわけではないので、わからないけど。
そういえば、エルザタワーが、建った頃は、バブルが崩壊していた時期だな。
バブルが崩壊して、失われた10年の後、駅近く、集中的に、高層住宅が、建ち始めたんだっけ。
そうした、工事現場を見に、何度も、川口駅に、通ったものだ。
西口の方は、公害資源研究所の敷地が、広がっていただけなので、新しい、ニュータウン、という雰囲気。
一方、東口の方は、地方都市らしい、商店が、軒を、連ねていたが、もう一つの側面、工場地帯、ということで、下町、でもあった。
だから、東口の方は、下町再開発、という感じ。
そうして、再開発が進み、今は、高層住宅が、林のごとく、建ち並ぶ、ということになった。
そのような、駅前集中都市において、ペデストリアンデッキは、ずいぶんと有効に、機能することだろう。
かくて、駅前だけが、便利になっていくのだ。
(2010年4月記)

京浜東北線川口駅(川口駅西口駅前広場)

2011-01-19 05:03:53 | Weblog
高田馬場駅で、山手線。
池袋駅で、埼京線に乗り換える。
さらに、赤羽駅で、京浜東北線。
荒川を越え、川口駅に到着。
短い距離、小刻みに、乗り換えるが、結局、これが、一番、早い。
ホームから階段を上がり、橋上駅舎、改札を抜け、ペデストリアンデッキへ。
川口駅は、ペデストリアンデッキが、西口、東口を、結んでいて、とても、便利だ。
さっそく、西口に、行ってみる。
ニュータウン、あるいは、よく、整備された、駅前、という感じ。
まわりには、駅前を取り囲むように建つ高層住宅群。
このような、再開発の工事を見るために、何度、足を、運んだことか。
その当時は、まだ、道路すら、整備されていなかったっけ。
本当に、新しい、街なのだ。
それもそのはず、高度成長期まで、川口駅西口一帯には、広大な、公害資源研究所の敷地があるだけ。
そんな場所の、再開発が、始まったのは、おそらく、バブルの頃。
もっとも、川口だけではなく、日本中の地方は、こうした、再開発が、盛んだったな。
そして、挙句の果ての、バブル崩壊。地方は、衰退していく。
ところが、川口駅周辺は、駅前再開発の波に乗り、かくのごとく、高層住宅が、密集することに、なったのだ。
ただ、西口のペデストリアンデッキを、歩き回っていると、再開発が、バブルの頃から、始まったためなのか、なんとなく、もう、古びてしまい、レトロになったような、感じもする。気のせいだろうか。
(2010年4月記)

都営三田線御成門駅(花見客で賑わう芝公園)

2011-01-18 06:10:38 | Weblog
芝東照宮の南側に、出てみると、木々の中、満開の桜。
一面、桜木で、覆われているのも、壮観だが、こうして、点在している、というのも、桜の美しさが、より、際立つように思える。
そんな、桜の木の下、あるいは、それに限らず、一帯は、花見客で、賑やか。
そういえば、今年は、暖冬だったものの、春先は、とても、寒くて、本当に、春とは、名のみ、だったな。
寒波が、過ぎ去るたび、これが、最後、と思っていたのに、次の、寒波が、より、強くて。
ちょっと、大袈裟だが、だんだん、冬に、逆戻りしているんじゃないか、そう思ってしまったけど。
だが、季節は、争えないものだ。
ある時期を境にして、もはや、後戻りできぬ勢いで、季節は、歩み出す。
この後、ひょっとして、寒い日も、あろう。ただ、それは、季節の、ほんの、迷い。
このような、冬から春への、季節の、大きな変わり目。それが、今日なんだろう。
そして、この時、桜は、散っていくのだ。
まるで、散っていくことによって、春から先の季節を、後押ししたみたい。
さらに言えば、その、後押しされた、一年一年の、積み重ねが、時代であり、歴史、なのかも。
この先、まだ、見ぬ、一年を、そのままに、散り行く、桜の花。
だから、桜は、こんなにも、感動的で、美しいのだな。
(2010年4月記)

都営三田線御成門駅(芝公園四丁目 芝東照宮)

2011-01-17 04:39:14 | Weblog
東へ。再び、日比谷通りに出る。
通りを南へ歩いていくと、しばらくして、西側に、芝東照宮。
増上寺の、南側、といっても、いいのだが、もともとは、芝公園全域が、増上寺だったわけで、どこまでが、増上寺の境内で、どこからが、芝公園なんだか、判然としない。
芝公園の中にある、芝東照宮も、当然、もとは、増上寺の境内にあったのだが。
江戸名所図絵を見ると、当時は、安国殿、といっていたらしい。
名前は、そうなっているが、徳川家康を、祀っているので、東照宮なのだろう。
つまり、有名な、日光東照宮と、同じわけだ。
そういえば、小学生の修学旅行で、日光東照宮、行ったな。
この歳になっても、まだ、覚えているぐらいだから、よほど、強い印象だったに違いない。
ぜひ、もう一度、今度は、ゆっくり、訪れたいものだが、たぶん、無理だ。
もっとも、東照宮なら、こうして、目の前にある。
さらに、全国のあちらこちらに、あるらしい。
恥ずかしい話だが、自分は、上野東照宮を、訪れるまで、東照宮といえば、日光東照宮が、唯一、だと思っていた。
こんな風に、実は、たくさんある、なんて、知らなかったな。
でも、芝東照宮の元の名前が、安国殿、ということから、判るように、徳川家康は、世の中を、安寧に、導いたわけだから、神社が、多数、あって、当然なのかもしれない。
ふと、石垣の上を、見ると、暖かな春の陽射しのもと、ネコが、気持ちよさそうに、寝入っているのに、気付いた。
日光東照宮の、「眠り猫」、なわけではないけど。
ただ、なるほど、こんな風に、ネコの寝入っている姿を見ると、安寧、これが、一番、いいのかな、と感じてしまう。
そういうことなら、神社の、一つや二つ、建ったとしても、不思議ではない。
(2010年4月記)

都営三田線御成門駅(芝公園フロントタワー)

2011-01-16 07:21:33 | Weblog
それにしても、増上寺のまわりは、一段と、賑やかだ。
まわりが、芝公園になっていて、行楽には、ちょうど、いいからかな。
こうして見ると、まるで、芝公園の中に、増上寺などが、あるように、見える。
でも、もとは、芝公園を含む、あたり、一帯は、増上寺の寺域だったのだ。
もっとも、その当時、例えば、江戸名所図会を見ると、広大な、公園みたいになっているので、環境は、変わらないのかも。
日比谷通りから、西へ。
通りに沿った、西側の部分も、公園になっている。
こちらも、いちおう、芝公園なのだろうか。ちょっと、わからない。
満開の桜の木があったりして、同じように、賑わっているけど。
公園から、街中に入っていくと、すぐに、芝公園フロントタワー。
最近、竣工した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら
他にも、もう少し、南側に、住友不動産芝公園タワーがある。
さらに、北側には、港区区役所、その他、一帯には、ホテルや、さまざまな施設が多く、点在する。
おそらく、もともとは、増上寺の寺域なのだが、明治時代になって、取り上げられた部分だからだろう。
つまり、新しく、供用された土地なので、いろいろな、施設に、転用されるのかな。
とすると、結局、やはり、増上寺だったころと、さほど、変わらないのかもしれない。
(2010年4月記)

都営三田線御成門駅(増上寺 三門)

2011-01-15 07:26:40 | Weblog
増上寺総門を過ぎ、さらに、西へ進む。
しばらく歩くと、南北に伸びる、日比谷通り。
日比谷通りから、西側が、今の、増上寺、となる。
そして、日比谷通り沿いには、増上寺三門。
今は、事実上、表門だが、実際の表門は、さっき、通ってきた、総門だ。
三門の方は、中門、ということになる。
建てられたのは、江戸時代の初め頃。都心に残る、最古の、建造物、なのかな。
とにかく、古い。
ちなみに、江戸名所図絵を、仔細に、見てみると、今、目も前にある建築物が、そのままの姿で、絵の中に、描かれている。
当時と、現在の、増上寺三門が、同一なので、当然なんだけど。
ところで、江戸時代より前、この場所には、もともと、芝大神宮が、あったわけだが、とすると、その頃、増上寺は、どこにあったのだろう。
一説によると、一時的に、日比谷、さらに、それ以前は、今の、国立劇場、最高裁判所のある場所にあったらしい。
この場所には、山王日枝神社が、江戸城から、一時、移っているので、増上寺の跡地だったのかも。
ただ、もう一説によると、今の、赤坂見附駅、弁慶濠の北側の、高台、紀尾井町に、あった、ということだ。
いずれにしろ、江戸城から、国府、今の府中に伸びる、国府への路、国府路の、すぐ、北側に、増上寺は、あったらしい。
創建は、室町時代の初め頃。
ちょうど、江戸城の創始者、江戸氏が、没落していく時期なので、なにか、関係があるのかな。
もっとも、もう、遠い昔のこと、歴史の彼方に、埋もれてしまっていて、わからない。
(2010年4月記)

都営大江戸線大門駅(増上寺 総門)

2011-01-14 05:05:30 | Weblog
南へ向かう。
再び、西へ伸びる、通りに、入り、そのまま、西へ。
すぐに、増上寺総門。
別名は、大門。こちらは、都営地下鉄の駅名になっている。
街中、唐突に、大きな門が、ぽつんと、あるように見えるが、もとは、この位置まで、増上寺だったのだ。
江戸時代は、徳川家の菩提寺、ということで、広大な寺域。
総門の前、東側に、北から南へ、桜川が、流れていた。
桜川を、挟んで、その東側には、さっき、訪れた、芝大神宮の境内。
さぞ、壮大な、眺めだったことだろう。
だが、江戸時代が終わり、明治時代になると、今度は、逆風。
増上寺は、かなり、面積を、狭められ、今日に、至っている。桜川も、いつの間にか、なくなっているし。
ただ、総門だけは、当時の場所に、残った。
もっとも、今の門は、昭和の初め頃に、再建されたもの。それほど、古くはない。
それ以前の門なのだが、実は、江戸城の大手門を、譲り受けたものらしい。
かほどにも、徳川家の寵が、厚かったのだ。
逆に、明治時代になって、そのことが、大きな、逆風の原因になってしまうけど。
それで、その門なのだが、関東大震災で、焼失してしまっている。
新しい門は、昭和の初めに、再建されたのだが、特別に、コンクリート製。過去に、いろいろあったので、頑丈に作ったのかな。
それが功を奏して、戦災を、免れたのかもしれない。
ぽつんと、建っている、この、増上寺総門。数奇な、運命を辿ってきたのだな。
(2010年4月記)

都営大江戸線大門駅(芝大門一丁目 芝大神宮)

2011-01-13 06:12:18 | Weblog
西武新宿線中井駅で、都営大江戸線に乗り換える。
今年は、暖冬だと、思っていたら、春先、遅ればせながらの、冬将軍。
いつまで経っても、春が来ない。
桜は、咲いても、満開にならず。
そんな、寒々しい日々が続いたが。
ただ、さすがに、季節は、争えない。
今日は、暖か。ようやく、春らしい、陽気だ。
大門駅で下車。
地上に出ると、春の陽射しが、いっぱい。
それに、とても、賑やか。
特に、商店街、というわけでもないけど。
この春の陽気に、誘われたのかな。
通りを、西へ。
南北に伸びる第一京浜との交差点を過ぎ、北へ曲がる。
細い路地に入って、そのまま、北へ。
さすがに、通りから、奥に入ると、静か。
少し、歩くと、西側には、芝大神宮。
創建は、平安時代。なかなかの古社だ。
ただ、この場所には、江戸時代に、移ってきている。
それ以前は、今の、芝公園にあったらしい。
そういえば、芝公園には、芝丸山古墳、があるのだ。
とすると、そこは、太古の昔からの、聖域。
さらに、近くには、暮らしの場が、連綿と続いていたに違いない。
そして、春の到来を、喜ばしく思う気持ちも、ずっと、続いてきたはずだ。
そのような気持ち、芝大神宮に、そのまま、幾重にも、積み重なっているように、見える。
(2010年4月記)

東西線九段下駅(花見客で賑わう靖国神社)

2011-01-12 03:41:30 | Weblog
内堀通りを、北へ北へと、歩いていく。
通りは、上り勾配。
坂を上っていくと、その先には、靖国神社がある。
近付いて行くと、もう、花見客で、大賑わいの様子。
たぶん、千鳥ヶ淵公園など、花見スポットに、繰り出したものの、あまりに、寒々しい光景に、気勢が削がれ、せめて、ということで、靖国神社に、流れてきたのだろう。
自分もそうなのだが、皆、考えることは、同じなんだな。
こちらも、桜こそ、咲いていないものの、たくさんの屋台が、出ていて、もう、お祭り気分。
花見客の波に押されるように、靖国通り、九段坂を、下りていく。
下りきった所に、九段下駅があるので、実は、もう、帰るわけだが。
えらく、寒いし、日も落ちるし。
ところで、なんで、桜は、こんなに、心を動かすものなのだろうか。
特に、年を経て、だけど。
子供の頃は、桜なんて、退屈、単調、なだけだったな。
桜が、感動的なのは、桜が咲く頃、その間際、季節が、劇的に、変化するから。そういう気がする。
いくら、冬、来たりなば、春、遠からじ、といっても、冬は、冬だし。
そして、そんな風にして、やっくる、春、待ちに待った、春の到来、なのに、咲き誇っていた、桜は、全部、散ってしまうのだ。
春は、待っていれば、来るに違いない。でも、散る身にとって、春は来ないのと同じ。
散る身であればこそ、春は、いかにも、切実なのだろう。
年を経れば、自分も、散る身であることが、否が応にも、判ってくる。
春が来て、桜が舞い散っていく光景に、心、動かされないわけが、ないではないか。
ただ、今日は、まだまだ、寒くて、桜どころではない。
早く、春が、来ないかな。
(2010年3月記)