retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京成電鉄京成関屋駅(イニシア千住曙町)

2010-08-21 07:21:09 | Weblog
高田馬場駅で山手線に乗る。
日暮里駅で京成電鉄へ。
列車は、まず、北へ向かい、町屋で、東へ向きを変える。
そのまま、東へ進み、隅田川を渡り、さらに、東へ。
車両は、京成関屋駅ホームに滑り込む。京成関屋駅で、下車。
相変わらず、ローカル駅っぽくて、いい感じだな。
それに、すぐ、北側に、東武伊勢崎線牛田駅があるのに、乗換駅ではあるものの、まったく、別の駅、というのも、興味深い。
たぶん、まさか、こんなに、再開発が、押し寄せてこようとは、夢にも、思わなかったのだろう。それで、一つの駅にするようには、なっていないに違いない。
そこを敢えて、一つの駅にするとすれば、駅名は、町名からとって、千住曙駅がいいかな。
たぶん、そんなことには、ならないと思うけど。将来のことは、わからないが。
駅の南側には、墨堤通りが、南東へ伸びている。
通りに入り、そのまま、南東へ。
しばらくすると、通りの南側に、イニシア千住曙町。(工事中はこちら
最近、完成した、高層住宅だ。
たしか、この、建物が建つ前は、タクシー会社の営業所かなんかが、あった気がするけど。
もう、今となっては、そんな光景、思い出すことすらできないな。
以前は、そのような、タクシー営業所が、ぴったりの、雰囲気だったのに。
今は、隅田川に面した、アーバンリゾートの趣。
変われば変わるものだ。
(2009年11月記)

京葉線稲毛海岸駅(稲毛海岸駅前南側 新しい団地群)

2010-08-20 02:55:15 | Weblog
稲毛海岸駅から、京葉線に乗って、帰ることにする。
改札を抜け、高架上のホームへ。
そのホームからは、南側に、広がる、真新しい、ベイマークスクエアの集合住宅群を見ることができる。
これらは、バブルが崩壊した後、失われた10年の最中の完成だ。
最近、よくある、駅近くの、再開発の端緒なのだろう。
もう、普遍的な利益をもたらす、壮大な、再開発は、やめて、限定された、拠点のみの再開発に、切り換えたわけかな。
たしかに、駅は、都心部と、直結され、便利だ。そもそも、交通の結節点なわけだし、その便利な場所を、さらに、再開発するわけだから、便利さは、どんどん、増していく。
ただ、そのような便利さは、普遍的な利益、というわけではない。
利益の享受は、常に、かなり限られたものとなる。
そして、その、限られた利益は、いわゆる、差別化、を促す。
しかも、生活環境そのものの、差別化だ。
では、なぜ、そのような、差別化が、失われた10年以降、必要になったのだろう。
それは、社会の中の、競争を、煽るために違いない。
競争の勝者への、ご褒美が、魅力的であれば、あるほど、競争は、真剣味を増してくるものだ。
そのような競争こそが、社会全体の豊かさを維持し、結果的に、利益は、普遍化する、というわけかな。
そして、その、競争の、ご褒美を作りだすのが、再開発なのだ。
でも、それは、本当なのかな。社会全体の豊かは、辛うじて、維持されているのかもしれないけど。
ただ、どう考えても、生活は、ますます、よくない方向に向かっているし。
どこもかしこも、ぎすぎす、しているし。
そんな中、唯一の救いは、競争だとか、ご褒美だとかいっても、そんなもの、時代の流れの中では、なんの意味もない、という確かな事実だろうか。
その、確たる、モニュメントこそが、高層ビルなのかもしれない。
後世に残る、夢の跡、モニュメント。
だから、高層ビル巡りは、まだまだ、続くのだ。
(2009年11月記)

京葉線稲毛海岸駅(稲毛海岸駅前広場)

2010-08-19 05:00:39 | Weblog
まっすぐ伸びる、幅広の通りを、そのまま、南西へ。
ニュータウンらしい道路だな。
近未来そのまま。子供の頃は、このような、風景が、将来は、当たり前になると思っていたけど。
そんなことは、なかった。
子供の頃、夢見た未来は、そのまま、立ち尽くして、今は、もう、レトロになってしまったのだ。
ニュータウンは、どこも同じ。
そのような昔の思い出に、浸りながら、歩いていくと、やがて、京葉線稲毛海岸駅。
今度は、バブル時代の思い出か。
稲毛海岸の埋立地に広がる、団地群が、高度成長時代の、象徴なら、この、京葉線は、バブルの象徴だ。
あの頃、ニュータウンの、その先には、バブルが、あったのだな。
といっても、バブルは、はじけて、つまり、崩壊して、初めて、バブルの時代、という認識ができるわけで、当時は、近未来が、いよいよ、現実になる、と実感していた。
高度成長期を、駆け上がり、ようやく、辿り着いた、安定期。
そういえば、京葉線から先、海岸までの団地群は、安定期に完成している。
とすると、京葉線、というのは、実は、そもそも、近未来の路線などではなく、これら集合住宅群の、交通路線に、すぎなかったのかもしれない。
それが、なぜか、壮大な、夢の路線に、祭り上げられてしまったのかな。
とんでもない、未来が、すぐそこに、来ているなんて、錯覚。今から、考えれば、完全な錯覚だ。巨大な利益が、生まれるはずはない。
だから、当然、その先には、何もないのだ。
でも、その、何もないところに、すでに、将来の分も含めて、全財産を、賭けてしまっている。
だから、今のところ、賭け勝負を、止めるわけには、いかない。
そんなことしているうちに、京葉線も、レトロになってきているような感じがする。
つまり、昔の夢は、今も、こうして、立ち尽くしているのだ。
(2009年11月記)

京成電鉄京成稲毛駅(稲毛海岸の団地群)

2010-08-18 04:38:26 | Weblog
千葉街道を渡り、さらに、南西方向へと、歩いていく。
京成稲毛駅あたりから、千葉街道までは、歴史のありそうな、雰囲気の道程だったが、千葉街道から先は、ニュータウン、という感じだ。
実際、通りの、東側には、稲毛海岸三丁目団地が、広がっている。
この団地が、できたのは、高度成長期の、終わり頃。
まさに、日本が、坂の上を、突き進んでいた時期だ。
もっとも、その代わりに、海岸の埋め立てが進み、稲毛浅間神社の、美しい景観は、なくなってしまったのだが。
そういえば、漫画のサザエさんで、こんな、話があったっけ。
波平が、団地の真ん中で、怒って、何か、喚いている。その傍らには、潮干狩りの道具を持った、当惑した顔の、カツオやワカメ。
何を喚いているのかというと、この場所で、つい、この間、潮干狩りをしたばかりなのに、いつの間にか、団地になってしまった、ということ。
団地の真ん中で、潮干狩りの道具、持って、喚いていれば、たしかに、妙な光景なのだが、波平にしてみれば、こんなに早く、埋め立てが進み、団地ができてしまうと、おちおち、潮干狩りも、できない、というわけだ。
まさか、波平が、訪れていた、団地は、ここではないんだろうなあ。
でも、波、打ち寄せる、海辺に鳥居の立つ、昔の写真を見ていると、あり得るかも、と思ってしまう。
そんな時代も、もう、過ぎ去った、昔になってしまった。
(2009年11月記)

京成電鉄京成稲毛駅(稲毛浅間神社)

2010-08-17 04:48:38 | Weblog
道なりに、南西へと、歩いていくと、南側一帯には、こんもりとした、森。
稲毛浅間神社の、鎮守の森だ。
たぶん、京成稲毛駅からの道でも、境内に入れるのだろうが、やはり、大鳥居から、入ることにする。
さらに、西へ向かうと、南東方向へ、大通り、千葉街道。
千葉街道を、南東へ少し歩くと、すぐに、稲毛浅間神社への入口がある。
昔は、この、千葉街道が、海岸だったらしい。
とすると、稲毛浅間神社は、海に面していたわけか。
実際、昔の写真を見ると、鳥居が、波打ち際にあって、大袈裟にいえば、広島県の厳島神社みたいだったらしい。とても、風光明媚な景観だったのだろう。
参拝も、まさに、海から、ということ。
よほど、海と関わりのある、住民が、いたのだろうな。
創建は、おそらく、平安時代から、鎌倉時代。関東地方の開拓の時期。
ただ、その頃は、海と関わりがあるわけではなく、農業を生業としている、住民のための、祀りの場だったと思う。
けれど、この場所に、それ以前にいた、古代、入植者のための、祀りの場が、すでに、あったに違いない。
そして、その、入植者こそ、海と、関わっていた住民なのだろう。
といっても、もう、すっかり、今となっては、痕跡が、残っていないのだ。
記憶にすら、残っていない。そもそも、稲毛、という地名の、謂れも、わからないし。
でも、こんなに立派な、神社が、残ったのだから、それで、いいのかもしれないな。
(2009年11月記)

京成電鉄京成稲毛駅(稲毛駅西口の古い通り)

2010-08-16 03:50:51 | Weblog
西へ向かう。総武線の高架を潜って、駅西側へ。
北へ歩くと、すぐに、稲毛駅西側の駅前広場。
駅東側と比べても、ずいぶん、古ぼけた感じがする。
都心に近い、総武線沿線の下町地帯は、今や、次々と、開発され、整備されてるけど、その、開発が、ここまでは、及んでいないのだろうか。
たぶん、そうなんだろう。
駅前広場から、メインストリートが、西へ伸びているが、そちらには、行かず、別の道、北西方向へと歩いていく。
やがて、総武線の駅前よりも、もっと、古めかしい雰囲気の道路へ。
かつて、バブルの頃、クルマで、通った道だ。
あの頃も、忘れられた街並み、という感じだったけど、これほど、閑散としてはいなかったな。
そのまま、進んで行くと、京成稲毛駅。
以前、通ったときは、地方都市然としていた。
旧市街という感じ。
おそらく、街の雰囲気から、総武線の方よりも、街の歴史としては、京成稲毛駅のある、このあたりの方が、歴史がありそうだ。
実際は、総武線の開通の方が、早いのだけど。ひょっとしたら、総武線は、旧市街を、避けて、敷設されたのかな。
そんな、すっかり、時代から、取り残された、京成稲毛駅周辺なのだが、バブルの時代までは、こういう、場所も、賑やかだったのだ。いや、むしろ、地方の方が、発展していたぐらい。
そういう頃も、あったんだなあ。
(2009年11月記)

総武線稲毛駅(プラウドタワー稲毛)

2010-08-15 08:00:10 | Weblog
駅前広場から、総武線に沿って、南へ。
すぐに、プラウドタワー稲毛。
最近、竣工した、高層住宅だ。(工事中はこちら
近頃、よくある、駅近くの、集合住宅なのだろう。
駅の周辺は、寂れていくのに、駅の近くだけ、発展しているみたいだな。
でも、それは、仕方がないのかもしれない。
一帯が、衰退していくよりも、せめて、都心と、鉄道で、直結した、駅近くだけは、発展した方が、まだ、ましだ、ということ。
そういえば、稲毛の街、駅に降り立ったのは、前回と、今回の、二回だけかもしれないけど、バブルの頃は、クルマで、何度か、通ったことがある。
同僚が、千葉に住んでいて、よく、訪れていた。
千葉、といっても、ちょっと、北側なので、稲毛を通って、東に、向かった方が、都合がよかったのだ。
たしか、千葉街道から、東へ伸びる細い道に入り、そのまま、道なりに、東へと、向かう。
そして、稲毛駅の近くを、通って、さらに、東へと、進むと、千葉モノレールの高架がある。もう、細かいところは、忘れてしまっているけど。
それにしても、あの頃は、ちょうど、千葉市が、政令指定都市になったり、千葉モノレールが、開通したり、賑やかな感じだったなあ。
根拠のない、未来への期待で、街全体が、盛り上がっていた。
でも、もう、あんな時代は、二度と、来ないに違いない。
今は、それが、実は、普通なことだと、思っているぐらい。
実際、本当に、そうなんだろうけど。
(2009年11月記)

総武線稲毛駅(稲毛駅東口駅前広場)

2010-08-14 07:11:03 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で、総武線に乗り換える。
錦糸町駅まで行き、さらに、総武快速線へ。
稲毛駅で下車。
さすがに、遠いな。
稲毛、というと、もう、千葉の中心、といっていいぐらいなのだ。
もっと、正確に言うと、千葉の中心部の中の、場末、というところか。
改札を抜け、駅の東側に出る。
ちょっと、来ない間に、だいぶ変わったな、と言いたいところだが、もう、そんな、毎年毎年、発展し、街並みが変化する、という時代ではない。
特に、都心部から、離れると、変わらないどころか、逆行しているんじゃないか、とさえ思うような、場所もあるぐらいだ。
実は、自分の住んでいる、郊外が、そうなんだけど。
稲毛駅前は、というと、最近、よく、見かけるような、チェーン店が、目立つぐらい。
こんなもんだろう。
あとは、変化なし。いや、やはり、ちょっと、寂れた感じはするかな。
チェーン店が、進出したのは、地元の店が、消滅したからかもしれないし。
そういえば、ちょっと、お腹が空いたな。
時間がないので、稲毛駅に来るまで、何も、食べていないのだ。
さっそく、その、真新しい、チェーン店の一つ、ファストフード店に入る。
当たり前だけど、こんな、遠くに来て、まったく、いつもと、同じメニュー。
いいんだか、よくないんだか。
旅情は、ないけど、落ち着けていいのかも。
もっとも、これなら、わざわざ、来る理由はない。
だから、寂れていくのかな。
(2009年11月記)

山手線五反田駅(東五反田スクエア)

2010-08-13 07:16:51 | Weblog
工場地帯にして、下町、そして、賑やかな、繁華街。
というと、この間、訪れた、錦糸町を、思い浮かべてしまう。
五反田と、錦糸町は、似ているのかもしれない。
最近、俄かに、変貌している、というところも、似ているな。
そんなことを、思い出しながら、駅前広場から、東へ伸びる、大通りへ入り、そのまま、東へ。
少し歩いて、すぐに、南へ。街中の細い道を、そのまま、南へと、歩いていく。
しばらくすると、大規模な、再開発現場。
その中のオフィス棟が、先行して、完成している。
東五反田スクエアという高層ビルだ。(工事中はこちら
この再開発は、一連の、大崎駅付近のビル群の一部。
これで、そのビル群の端が、五反田駅の近くまで、達してきた、ということになる。
もっとも、これ以上、五反田駅の近くで、再開発の予定はないので、五反田駅そのものが、大崎のビル群に、呑み込まれる、ということはないんだろうけど。
ただ、将来のことは、わからない。
やっぱり、そうなるかもしれないし。
それに、もう、すでに、五反田の街からは、下町的な雰囲気は、一掃されている。
でも、昭和の初め頃、ここら一帯が、工場地帯になったときは、煌びやかな、近未来都市だったに違いない。
古きよき田園地帯が、消滅した、と嘆いていた者が、いたかも。
それがいつしか、賑やかな下町になったのだ。
とすると、同じように、この、高層ビル街も、結局は、下町になっていくんじゃないかな。
ずっと、先のことになるだろうけど。
もちろん、自分は、その姿を、確認することは、到底、できない。
(2009年11月記)

山手線五反田駅(五反田駅 有楽街入口)

2010-08-12 07:12:24 | Weblog
山手通りを南へ。山手通りは、緩やかに、南東へと、カーブをきっていく。
道なりに、南東へ進む。
しばらくして、東急目黒線の高架を潜り、また、さらに、首都高目黒線の高架を潜る。
そして、幅広な、桜田通りとの、交差点。
桜田通りに入り、北へ向かう。
目黒川を、渡ると、もう、五反田の街だ。
山手線の高架を潜り、五反田駅の東側に出る。
駅前広場の、東側には、有楽街の入口。
五反田を代表する、繁華街となっている。
楽しさの有る街、有楽街。
なんとも、べたな名前の、繁華街なのだが。
ただ、ちょっと前は、新宿の歌舞伎町みたいな、賑やかさが、あったのに。
今、見ると、とても、静か。繁華街とは、思えないほど。
そういえば、それほど、昔ではない、以前、五反田、大崎の、目黒川沿いは、工場地帯だった。
つい最近のことのように、覚えている。
だから、五反田の繁華街も、下町的な、賑わいに満ちていたのだ。
でも、今や、工場が、すべてなくなって、街の雰囲気も、変わってしまったらしい。
客層が、変化しているので、当たり前か。
五反田は、たまにしか訪れていないので、こうした、変化には、付いていけないな。
今でも、この、入口から、猥雑な、賑やかさが、溢れてくるような気がしてしまう。
すべては、昔、過ぎ去ったことだ。
(2009年11月記)