retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線大崎駅(大崎 百反坂)

2010-04-10 06:36:43 | Weblog
大井町駅に戻り、再び、京浜東北線に乗り込む。
品川駅で、いったん、降りて、今度は、山手線。大崎駅で下車。
大井町駅から大崎駅、というのは、近接しているのだが、乗り換えがあって、意外と、不便だな。
大井町駅にいるとき、一瞬、りんかい線に乗ろうかと、思ったけど。
ただ、運賃のことを考えると、やっぱり、JRを選んでしまう。
もし、りんかい線が、特例を設けて、大井町駅、大崎駅間の運賃を、JRと同じにすれば、利用客が増えるかも。
もっとも、そういう利用者が、そもそも、いるとは、思えないが。
そんなことを考えながら、大崎駅の改札を抜け、西側に出る。
目の前には、巨大な高層ビル。
いつ間にか、一帯は、オフィス街になってしまったな。
ちょっと前までは、工場地帯だったのに。すっかり、変わってしまった。
しかも、まだまだ、この変貌は、南側へと、拡大しつつある。
山手線に沿って、南へと、歩いていく。
やがて、山手線の下を通る、昔からあるような地下道と、さらに、古ぼけた歩道橋。
変貌著しい一帯にあって、これらは、昔のままだ。
地下道の方は、歩行者は、通れそうになく、歩いた記憶は、あまりないが、崩れそうな歩道橋の方は、便利なので、何回か、利用した。
といっても、便利なのは、あちこち歩き回っている、自分ぐらいか。後は、地元かな。
頻繁に、往来があるわけではないので、ずっと前から、そのままに、放っておかれているに違いない。だから、壊れそうなのだ。
そんな歩道橋の下、信号のある交差点を、西に曲がり、そのまま、西へ。
上り坂になる。百反坂、という名前の坂道だ。
商店街、というほどでもないが、道の両脇に、商店が並ぶ。
昔ながらのお店らしく、こちらも、まだ、昔から、変わらないようみたい。
なんとなく、懐かしい雰囲気だ。
(2009年9月記)

京浜東北線大井町駅(アワーズイン阪急)

2010-04-09 06:09:17 | Weblog
京浜東北線に沿って北へ。駅前へ引き返す。
再び、駅前広場。
駅前広場の南西側には、アワーズイン阪急がある。
ある、というよりも、見えるようになった、というほうが、いいかな。
どういうことかというと、たまたま、今、手前の建築物が、工事のため、撤去されているので、アワーズイン阪急の建物が、駅前広場から、見ることができるのだ。
ただ、せっかく、見えるようになったけれど、残念ながら、再来年(2011年)には、取り壊されてしまうらしい。
そんなアワーズイン阪急なのだが、オープンは、高度成長期の終わり頃。
世の中が、ようやく、豊かになり、安定してきた時期だ。
誰しもが、ショッピングやレジャーを、生活の一環として、楽しめるようになったのだろう。
だから、アワーズイン阪急のような施設も、誕生したわけだ。
だが、半世紀も経たないうちに、なくなってしまうのか。
いちおう、リニューアル、ということだろうけど。実は、手前の工事中のビルが、それなのだが。
でも、このように、早々に、以前の施設が、取り壊されてしまうことを考えると、なんだか、高度成長によって、達成されたものが、実は、脆くて、儚いものだったんじゃないか、と思えてしまう。
自分の拠って立つ場が、砂上の何とか、だったと思えてしまうのだ。
実際、本当に、そうなのかもしれない。
なぜなら、アワーズイン阪急のような施設は、誰しも、利用できる、ものであったのに対して、新しく、リニューアルされる施設は、自分が、利用することは、まず、ないだろうからだ。
その建物を、外から、眺めるのが、唯一、可能なこと。
つまり、自分にとっては、リニューアルではなくて、拠って立つ場が、消滅したことになる。
半世紀も、もたずに、消え去るわけだ。
(2009年9月記)

京浜東北線大井町駅(ヴィアイン東京大井町)

2010-04-08 06:09:12 | Weblog
西武新宿線で高田馬場駅へ。山手線に乗り換える。
品川駅で、さらに、京浜東北線。大井町駅で下車。
西口に出る。相変わらず、整備された、広々とした駅前広場は、気持ちがよい。
だが、天気がよくないので、清々しい、というほどでもないな。
そういえば、今年の夏は、ずっと、今日のような天気だった気がする。
涼しいので、避暑地に滞在していたと思えば、いいのだろうが。
そんな、どんよりした空の下、階段を下り、線路に沿って、南へと歩く。
たいてい、線路際の通り、というのは、ごみごみしていたり、下町っぽい感じがするものだが、意外と、きれいな感じだ。
以前は、やっぱり、ちょっと、薄暗い雰囲気がしていたんだけど。いつの間に、明るい通りになったのかな。
程なくして、南西に伸びる、三ツ又商店街の入口。
その南側には、白亜の高層ビル、ヴィアイン東京大井町ビルがある。(工事中はこちら
最近、竣工した、ビルだ。
こんな、瀟洒な建物が建つと、ずいぶん、おしゃれな街になった感じがするな。
ちょっと前は、下町商店街だったのに。
ただ、ついこの間、来たとき、三ツ又商店街を通ってみたのだが、流行の、こぎれいなお店が、並んでいて、少しも、下町っぽさは、なかった。
たぶん、実際は、もう、かなり前から、お店が、徐々に、建て替わって、おしゃれな、通りになっていたのだろう。
入口の部分だけ見ていたので、わからなかったのだ。
そして、今回、その入口に、きれいな高層ビルが建っている。
だから、もう、下町、という風に、見間違うこともない。
もっとも、それはそれで、ちょっと、寂しいような気もしてしまう。
自分にとっては、おしゃれな街よりも、下町の方が、居心地がいいからだ。
(2009年9月記)

千代田線油島駅(湯島天神)

2010-04-07 06:10:35 | Weblog
実盛坂の急な階段を登りきると、台地の上に出る。
文京山の手、本郷台地だ。
西に行くと、すぐに、南北に伸びる通り。
通りに入り、北の方を見やると、遠く、鳥居が見える。
ひょっとしたら、昔は、神社の参道だったのかな。
その通りを、北へ進んでいくと、はたして、有名な、湯島天神。
歴史は、そうとう、古いのだが、菅原道真を祀り、天満宮になったのは、鎌倉時代と室町時代の間ぐらいだ。
そのように考えると、むしろ、新しい神社なのかもしれない。
では、それ以前は、なんだったのかな。
おそらく、今となっては、もう、まったく、わからなくなっているだろう。
そもそも、「湯島」という地名も、その由来が、わかっていないのだ。
古い地名は、実際、本当に、わからないものだな。
わかっているのは、この場所に、太古の昔から、連綿と続く、暮らしが、あったということだけ。
台地の上なので、とても生活しやすかったのだろう。
変わらぬ、長閑で、穏やかな、環境が、今に至るまで、続いてきたに違いない。
それに比べて、麓の低地は、変化が、著しい。
最近の、秋葉原の変化、そして、今は、すぐ近くで、高層ビルを建てている。
そういった変化の中でも、もっとも、顕著な変化は、南へ、流れていた、石神井川を、王子付近で、東側に流れるように、流路を付け替えたことだろう。
川がなくなったおかげで、一面に広がっていた、沼沢地の開墾が、可能になったのだ。
それは、鎌倉時代のことだったらしい。
とすると、湯島の神社が、天満宮になった時期と、同じなのかな。
同じどころか、実は、関係があるのかもしれない。
もし、そうだとすると、この、新しく開墾された土地が、台地の上と、同じように、いつも、変わらず、穏やかであって欲しい、そういう、願いが込められているのだろうか。
もう、今となっては、まったく、わからないけど。
でも、そんな願いがあったかどうか。いずれにせよ、やっぱり、麓の低地は、変わっていくようだ。
(2009年8月記)

千代田線油島駅(湯島 実盛坂)

2010-04-06 06:10:17 | Weblog
住宅街を、さらに、西に向かうと、眼前には、とても急な、階段が現れる。
階段なのだが、実盛坂、という坂なのだ。
この坂の名前、平家物語に出てくる、斉藤実盛から、とられているらしい。
ただ、なぜ、そうなのかは、さっぱり、わからない。
そもそも、斉藤実盛の本拠地は、ここから、はるか北側、埼玉県熊谷のさらにもっと北、利根川の南岸の、妻沼という場所なのだ。
そんな場所にいた、斉藤実盛と、文京区湯島の東側の地に、何か、関係があったとは、とうてい、思えない。
唯一、あったとすれば、妻沼には、有名な妻沼聖天山歓喜院があるのだが、実盛坂の近く、湯島天神の東側にも、湯島聖天心城院なる寺院がある。
両方とも、大聖歓喜天を祀っていて、なにか関係がありそうだが、たぶん、共通点は、それだけだろう。
ということで、実際、名前の由来については、よくわからないのだ。
それでは、しようがないので、ちょっと、平家物語の登場人物、斉藤実盛について、調べてみた。
調べてみると、時代の波に翻弄された、なんとも悲しく儚い、斉藤実盛の生き様が、浮かび上がってくる。
平家物語は、源氏の隆盛とともに、滅びゆく平家を、哀切に、謳いあげた、物語なのだが、その中で、どう考えても、彼は、うまくすれば、源氏の側として、立ち回ることができたように思える。
だが、滅びるとわかっている平家に、なんの因果か、身を置いて、獅子奮迅の働きをするのだ。
もちろん、その活躍ぶり、なんの、成果も生まず、崩壊していく平家に、巻き込まれ、結局、命を、散らせてしまう。
なんか、身につまされてしまうような、話だなあ。
驕る平家は、久しからず。驕る日本も、久しくなかったわけかな。
(2009年8月記)

千代田線油島駅(湯島ビル工事現場)

2010-04-05 03:33:17 | Weblog
街中に入って、北へと、歩いていく。
以前は、パソコンの部品専門店が、軒を連ねていたのだが、今は、ちょっと、雰囲気が、違うみたい。まるで、マニアの街、中野ブロードウェイのようだ。
賑やかなのは、昔と、変わらないけど。
それでも、そんな中、かまわず、北へ北へと進んでいく。
すると、はたして、パソコンの部品屋が、たくさん、あるではないか。
どうやら、そのまま、北側に、お店が、移動しただけのようだ。
少し、ほっとした。なくなってしまったのかと思ってしまったから。
さらに、北へ。すぐに、東西に伸びる、蔵前橋通りがある。
東側、中央通りには、銀座線の末広町駅。
秋葉原の街は、だいたい、ここまで、となっている。
ただ、以前は、もっと、浅草っぽい、下町のような雰囲気がしたものだが。
今は、パソコンの部品屋が、移転してきていて、昔の秋葉原の中心のようになってきつつある。
そのような蔵前橋通りを越えて、北へと進む。
静かな、都心にあるような、マンションの点在する、住宅街。途中、西へ曲がって、そのまま、西へ。
南北に伸びる、不忍通りを渡り、住宅街の中、西へ入っていく。
しばらくすると、文京山の手、本郷台地の崖の手前に、湯島ビルの工事現場。
こんなところにも、高層ビルが建つようになったのか。
秋葉原の大変貌が、遠く、ドミノ倒しのように、波及してきたのかもしれないが。
どちらにせよ、変化の波は、確実に、押し寄せてきている。
(2009年8月記)

総武線秋葉原駅(住友不動産秋葉原ビル)

2010-04-04 06:28:48 | Weblog
秋葉原に行ったときは、ザ・コンピュータ館には、必ず、寄っていたものだ。
それが、あまりにも、日常化していて、つい最近、訪れたような、感覚がしていたのだけど。
今でも、近頃は、地階が、携帯電話売場になってしまい、なんだか、コンピュータ専門店とは、様相が変わってきたな、なんて、記憶が、ちゃんとある。
ただ、そんな記憶も、実は、もう、数年前のものだったのだな。
ひょっとしたら、ザ・コンピュータ館が、いつも、変わらず、秋葉原にある、という思い込みが、そのような、勘違いを、もたらしたのかもしれない。
だが、永遠にあると思っていた、ザ・コンピュータ館は、もう、今は、なくなってしまったわけだ。
そんなザ・コンピュータ館が、開業したのは、たしか、バブルの頃だったかな。
パソコンが、NEC98から、PC/AT互換機に変わって、大いに盛り上がった時期だ。
信じられないぐらいに、パソコンの値段が、下落して、個人でも、普通に、購入できるようになったのだ。
そういうわけで、それ以来、自分も、秋葉原には、よく、足を伸ばしたものだな。
そのような、思い出に浸りながら、通りを東へ向かうと、すぐに、南北に伸びる、中央通りとの交差点がある。
その交差点の北西側には、住友不動産秋葉原ビル。(工事中はこちら
こちらも、最近、竣工した、高層ビルだ。
そういえば、このビルの建つ前、この場所には、銀行があった。
ちょっと、大きな買物があると、ここで、お金を下ろしていたんだったな。
今は、巨大な、オフィスビルになっている。
なんだか、よく知っていた、昔の事物が、目の前から、次々と、姿を消していくような、そんな気がするな。
(2009年8月記)

総武線秋葉原駅(ラオックス ザ・コンピュータ館跡)

2010-04-03 07:12:59 | Weblog
交通博物館の東側の大通りを、北に向かえば、すぐに、万世橋。橋を渡ると、秋葉原の中心部に出られる。
だが、あえて、ここは、従前通り、玄関からではなく、勝手口から、秋葉原へ。
もと来た道を引き返し、中央線の高架に沿って、西へ歩く。
さきほどの交差点で北に曲がり、そのまま北へ。
中央線の高架を潜って、昌平橋を渡る。
橋の北側、通りの東側は、秋葉原の街だ。
上空を、総武線の高架が、西へと伸びているのだが、その高架下が、もう、秋葉原によくあるお店でいっぱい。
懐かしくなるなあ。店の中身は、昔とは、かなり、違っているようだが、ごちゃごちゃした感じは、変わらない。
さらに、総武線高架の北側は、石丸電気。相変わらず、派手で、明る過ぎる店内。こちらも、昔と変わらないな。
石丸電気の脇を、北へと、歩いていく。
商店街を抜けると、東西に伸びる通り。信号は、ないのだが、たいてい、皆、渡ってしまうのだ。クルマも、心得ていて、歩行者を、優先させてくれる。
すべて、昔のままだ。
ふと、何か、忘れているような気がして、振り返ると、通りの南側に、廃墟のような、ビルが、建っている。賑やかな街には、場違いな感じがして、痛々しい姿だ。
しばらく見ていて、ようやく、そのビルが、ラオックスのザ・コンピュータ館だと、気付いた。
いつの間に、こんなになってしまったのだろうか。この廃墟のような佇まいを見ると、数ヶ月前、閉館、というわけでも、なさそうだ。もっと、以前のことに違いない。
あらためて、少なからぬ、時間が、経ってしまったことを、思い知らされてしまったということだ。
でも、こういうことで、知るのは、ちょっと、寂しい。
(2009年8月記)

総武線秋葉原駅(交通博物館跡)

2010-04-02 04:34:32 | Weblog
通りは、南へと、向きを、変えていく。その、東側には、廃墟のような、大きな建物。
その場所には、かつて、交通博物館の敷地が広がっていたのだが。
施設自体は、ちょっと前に、すでに、閉鎖している。
今、残っているのは、コンクリの残骸ばかり。
そんな交通博物館なのだが、閉鎖する前、一度、入ったことがある。
古そうな佇まい、昭和の雰囲気に惹かれたのだ。
興味がてら、何か、お土産でも買おうかとも思っていた。
だが、結局、そのときは、夕刻、終業間際に、入場したので、なにがなんだか、わからずに、何も買えずじまい。
それでも、館内の、レトロな雰囲気が、とても、印象に残っている。
レトロさが、もともとのテーマではないと思うのだが、そこらの、昭和の時代テーマパークなんかよりも、迫力があったな。
昭和の頃から、変わらずに、あるのだから、当たり前かもしれないけど。
ここまで、レトロだと、なんだか、交通博物館そのものを、丸ごと、歴史博物館に収蔵した方がいいんじゃないかと、思ってしまう。
ただ、残念ながら、程なくして、交通博物館は、閉鎖。再度、訪れることは、もはや、叶わない。
今は、埼玉県に移設されて、真新しく、リニューアルされたらしいけど。
でも、なんだか、そちらには、行く気がしないな。
(2009年8月記)

丸ノ内線淡路町駅(住友不動産神田ビル2号館)

2010-04-01 06:09:57 | Weblog
さらに、北へと進む。
やがて、中央線の高架を潜ると、神田川に架かる、昌平橋。
その先は、もう、秋葉原の領域だ。
昔は、いつも、こんな具合に、秋葉原の街に入っていたのだけど。
駅が、秋葉原の玄関だとすると、こちらは、勝手口、というところか。
とにかく、駅からよりも、目指すお店に、ダイレクトに、行けるので、こういうコースになったのだ。
今回は、その手の、お店に、用があるわけではないので、中央線の高架の手前で、東に曲がる。
中央線の高架に沿って、東に歩いていくと、すぐに、通りの南側に、住友不動産神田ビル2号館。(工事中はこちら
最近、竣工した、高層ビルだ。
数年前から始まった、秋葉原の大変貌が、中央線の線路を越えて、南側に、迫り出してきたような感じ。
いつまでも、変わらないなあ、と思っていても、こんな風に、変わっていくこともあるのだな。
もっとも、あまり、こっちの方にまで、来たことはないので、それほど、思い入れは、ないんだけど。
覚えていることがあるとすれば、今、歩いている、この、中央線高架の南側の道路、けっこう、幅広で、立派な通りなのだが、まるで、クルマが通らないことぐらいか。
たまに、タクシーが、休んでいたりしたけど。
でも、これは、今でも、同じことかな。
目の前で、やっぱり、タクシーが停まっているし。
高層ビルが、一棟、建ったぐらいでは、変わらないこともあるのだ。
(2009年8月記)