retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線渋谷駅(神宮前 穏田神社)

2010-04-20 05:04:45 | Weblog
キャットストリートの東側、住宅街の中へ。
キャットストリートが、渋谷川の、谷地の跡を通っているので、斜面を、上って行くことになる。
このときは、さすがに、かつての、渋谷川の存在を、実感してしまうが。
斜面を、上り切ると、さっきの、喧騒が、ウソのような、静けさ。
しんと静まり返っているような感じがする。
そんな中、キャットストリートに沿うようにして、細い道を、南へと、歩いていく。
やがて、こんもりとした、小さな森。穏田神社だ。
この時は、ちょうど、お祭りの最中。
お囃子が流れ、様々な屋台が、参道に並び、閑静な住宅街の中にあって、そこだけが、ちょっと、賑わっている。
こういう、場所でも、お祭りは、皆、同じだな。
ちょっと、覗いてみようかと思ったが、やっぱり、やめた。
今回は、渋谷川跡を遡らなければ、ならないので、寄っている時間がないのだ。
それでも、この祭りの様子を見れば、かつての、長閑な景色を、十分に、想起できる。
ところで、江戸時代、この一帯には、水車が、幾つか、あったということだ。
当時は、のんびりと、大きな、水車が、回っていたのだろう。
今は、もう、水車もないし、そもそも、その水車を、回していた、流水は、下水のように、地下を流れている。
変わらないのは、お祭りと、閑静な住宅街かな。
閑静な住宅街は、ともかくとして、毎年、変わらず、催される、お祭りが、残っていてよかった。
時代が、変わると、すべてが、消滅する、というのは、心許無いような気もするし。
穏田神社から、また、かつての、渋谷川の谷底に戻ろう。
(2009年9月記)

山手線渋谷駅(キャットストリートの街並み)

2010-04-19 05:10:07 | Weblog
キャットストリートを、北へ北へと、歩いていく。
両側には、おしゃれなお店が、並んでいて、流行には疎い、自分にとっては、相当、場違いな感じだ。
一帯は、ファッションで、有名な、裏原宿、といわれる場所。
歩いていて、つくづく、縁遠い世界だな、と思ってしまう。
ところで、キャットストリート、という通りの名前、この裏原宿には、よく合っている気がするけど、特別な、謂れは、あるのだろうか。
名前について、考える前に、ちょっと、この通りの歴史を、辿ってみる。
高度成長期までは、おそらく、一帯は、ただの、住宅街の中の、静かな、遊歩道だったはずだ。
その景観が、変わったのは、高度成長が達成された後、安定期の頃だろう。
新宿、表参道から、原宿、渋谷へと、賑やかになり始めたのだ。
そのことを、象徴したのが、竹の子族。今、振り返ってみると、あの騒ぎは、いったい、何だったのだろうと、思ってしまうけど。
おそらく、世の中が、豊かになり、生活に余裕ができた、ということかもしれない。
そして、その賑わいは、やがて、静かな、住宅地の遊歩道にも、浸透していく。
おしゃれな店が、通りの両側を、徐々に埋めていき、今のようになったのだ。
それで、通りの名前、キャットストリート、についてなのだが、竹の子族が、登場した後ぐらいだろうか、この通りを拠点に、ブラックキャッツ、というバンドが、誕生し、一世を風靡した。
そのバンド名から、通りの名前が、キャットストリート、になったらしい。
もっとも、ここからは、想像なのだが、一帯が、まだ、住宅地の中の、遊歩道だった頃、ノラ猫が、たくさんいて、仲間内、あるいは、界隈では、すでに、キャットストリート、のような、名前があったのかもしれないな。
でも、そうだったとして、一般的な、通りの名前に、なっただろうか。どう考えても、ならなかったに違いない。
一帯が、流行の最先端になることによって、ただの、遊歩道は、「キャットストリート」になったのだ。
(2009年9月記)

山手線渋谷駅(渋谷 キャットストリート入口)

2010-04-18 07:38:36 | Weblog
渋谷駅に沿って、北へと歩いていく。
駅前広場を過ぎると、駅東側を南北に伸びる、明治通り。
そして、宮益坂から、西へ伸びる通りと、その明治通りとの交差点。
この交差点の、北西側にも、映画館がある。
この映画館、実は、昔、一度、行ったことがあるのだ。
何を見たのか、というと、スケバン刑事。
内容は、まったく、覚えていない。覚えていないというよりも、あまり、興味は、なかったんだけど。
会社の同僚で、そういう類の作品が、好きな者がいて、無理に連れて行かれたのだ。
当時、ずいぶんと、スケバン刑事というは、人気があったらしいけど、映画館の中は、それほど、どころか、空席の方が、目立つぐらいだったな。
その時は、付き合いとはいえ、なんで、こんな映画を見なければならんのだ、と思っていたが、今、振り返ってみれば、懐かしい思い出だ。
ところで、その映画館と、山手線の東側にある、のんべい横丁の間には、渋谷川が、かつて、流れていたらしい。
もっと、正確に言うと、今も、流れているのだが、地表ではなく、地下を流れているのだ。
下水みたいに、地下を流れているのでは、昔の、川が流れていた風景なんて、まったく、思い浮かばないけど。
さらに、のんべい横丁の北側では、西から流れてきた、宇田川が、渋谷川に合流していたようだ。
こちらも、完全に、蓋がされていて、見ることは、もう、できない。
これでは、川の流れは、たしかに、あっても、もはや、存在しないのと同じだな。
明治通りに入り、北へと歩いていく。
しばらくすると、北東側に、斜めに伸びる通り。
キャットストリートと呼ばれている、細い通りだ。
実は、渋谷川に蓋をして、できた、通りなのだが。
つまり、キャットストリートを歩くのは、渋谷川の上を歩く、ということになる。
今回は、渋谷川を遡ってみよう。
(2009年9月記)

山手線渋谷駅(渋谷駅近く 渋谷川)

2010-04-17 07:29:55 | Weblog
歩道橋から、バスターミナルの方へ、降り立つ。
別に、これから、バスに乗るわけではなく、橋上の渋谷駅舎から、直接、東急文化会館へ伸びていた、回廊が、どうなっているか、見てみようと、思ったのだ。
たしか、バスターミナルから、その回廊へ通じる階段があって、行けたように、記憶している。
でも、回廊まで行きかけたが、なんとなく、面倒になって、やっぱり、行くのは、やめた。
回廊の先が、消滅してしまっていて、行き止まりになっているわけで、それを、確認しても、そんなことは、どうでもいいような気がしてきたのだ。
再び、階段を上り、歩道橋の上へ。
歩道橋から、ふと、渋谷駅を見ると、ちょうど、同じ高さに、東急東横線の、渋谷駅ホームが見える。
やはり、歩道橋ではなく、渋谷駅の橋上駅舎から、直接、駅前広場の直上に、出られるようにした方がいいのかも。そういうのが、ペデストリアンデッキなんだけど。
将来的には、そうなっていくのかもしれないな。
歩道橋で、幅広の、交通量の多い、青山通りを越え、通りの南側へ。
その地点から、山手線の東側に沿うようにして、渋谷川の穿つ谷が現れる。
谷といっても、両岸や、川底は、すっかり、コンクリートで覆われているのだが。
さらに言えば、そこから、上流は、すべて、蓋をされて、地表からは、姿を消してしまっている。
これでは、下水管を、水が流れているのと、変わらないではないか。
せっかく、川の流れがあるのに。
もし、渋谷駅、特に、東口を、大規模に、再開発するなら、せめて、渋谷駅近くだけでも、渋谷川の蓋を、取り除いて、水の流れを、復活させると、面白いかもしれない。
もっとも、その頃は、上空を、ペデストリアンデッキが、覆っているかも。
やっぱり、蓋をされているわけだ。
けれど、それでも、今よりは、まだ、いいだろうと思ってしまうんだけど。
(2009年9月記)

山手線渋谷駅(渋谷二丁目21地区開発計画)

2010-04-16 06:10:38 | Weblog
西武新宿線で高田馬場駅へ。山手線に乗り換える。
渋谷駅で下車。
渋谷なんて、かなり、久しぶりだな。
以前は、頻繁に、あるいは、当たり前に、訪れていたんだけど。
最近、なんで、足が遠のいてしまったんだろう。
と、不思議がる前に、とくかく、お腹が空いたので、地下へ。
立ち喰いそばで、とりあえず、空腹を満たす。
そもそも、せっかく、渋谷に来たのに、立ち喰いそばに寄ってしまう時点で、もう、心が、渋谷から、離れてしまっているのかも。
そういえば、この地下街で、以前、天気が雨だったとき、傘を買ったんだっけ。
なかなか、いい傘だが。
でも、その傘は、今、傘立ての中。使うのは、もっぱら、安いビニール傘だ。
なんとなく、使う気にならないんだけど。
渋谷に来ると、このような、もやもやした気分になるな。
でも、なぜ、そうなるのか、わからない。
さて、そばも食べたし、再び、地上へ戻ろう。
地上に出て、渋谷駅の下を通り、駅東側へ。
東口に出ると、目の前には、駅前広場と、バスターミナル。
そして、ペデストリアンデッキ。歩道橋、といった方が、いいのかな。
階段を上り、歩道橋の上に出て、駅前広場の東側へ向かう。
そちらの方には、今、広大な工事現場。渋谷二丁目21地区開発計画だ。
たしか、昔は、東急文化会館があったのだが、今は、跡形もない。
その、東急文化会館には、何回か、行ったな。いくつか、映画館が、入っていた。
だが、行っていたのは、映画館ではなく、もっぱら、本屋。
もっとも、ここにしかない本があるわけでもないし、それどころか、こんな場所にも、けっこう、大きい本屋があるのは、ちょっと、無駄かな、なんて、思っていたりもしていたんだが。
それでも、機会があれば、寄っていた。
そんな東急文化会館も、今、見ると、すっかり、姿を消している。
この場所に、新しい高層ビルが、建てば、たぶん、もっと、大きな、本屋が、入るかもしれないけど。
ただ、この光景を見ると、何か、心に、ぽっかりと、穴が開いた気分がするのだ。
(2009年9月記)

山手線五反田駅(池上線五反田駅舎)

2010-04-15 05:01:12 | Weblog
池上線の高架に沿って、北へと、歩いていく。
だんだん、五反田に、近付いていくわけだが、とくに、賑やかになっていくわけもでもない。
まだ、都心にあって、ローカル線の雰囲気が濃厚な池上線の影響なのかな。
それなのに、高架は、新しくなっていくのは、妙な感じ。
やがて、南東へと流れる、目黒川に行き当たる。
目黒川に沿って、北西へ。ようやく、繁華街らしくなってきた。
ただ、賑やかな中にも、落ち着いた、佇まいのお店なども、混じり、興味深い。
たぶん、五反田の街には、池上線沿線の商店街の延長、あるいは、昔の工場地帯、という雰囲気だけではなく、他に、東側に広がる、高輪山の手の影響も、あるからだろう。
だから、下町の猥雑、山の手の閑静、それら二つが、溶け合って、独特な空気を作っているのだ。
とはいえ、もう、工場地帯は、あらかた、消滅してしまった。
そのためだろうか、猥雑で、繁華な歓楽街も、ちょっと前と、比べて、ずいぶん、存在感が薄れているな。
目黒川を渡り、東岸に出ると、五反田駅は近い。さらに、東へと歩き、五反田駅を通り抜け、東口へ出る。
東口に出ると、目の前には、ビルになっている、スーパー、東急ストア。
池上線は、山手線五反田駅を、高々架で越え、その東急ストアに、入り込んだところで、終点となっている。
昔、一度、池上線五反田駅で降りて、改札を抜け、東急ストアに入ったことがあるけど、まさに、庶民的な路線の終着駅に相応しい、感じだった。
もっとも、そんな東急ストアなのだが、最近、リニューアルして、ショッピングセンターに、生まれ変わったらしい。
やはり、というところか。
建物の外観や、五反田駅の駅舎が、あまり、変わっていないけど。
でも、これは、高輪山の手のため、閑静な、鄙びた、環境を維持しているからかな。
いずれにしても、なんだか、自分の居場所は、ここには、ないような気もする。
もう、帰ったほうが、よさそうだ。
(2009年9月記)

東急池上線大崎広小路駅(大崎広小路駅付近池上線高架下)

2010-04-14 05:04:33 | Weblog
拡幅予定地が、片側に広がる、山手通りを、北へ歩く。
すぐに、橋上駅舎となっている、大崎広小路駅。
そこらから先は、拡幅が、完了しているらしい。
ただ、道幅が、急に、半分になっているので、なんか、中途半端な感じだが。
ところで、なんで、このように、道幅を広げているのか、というと、地下に、高速道路、首都高中央環状線が、通るかららしい。
もっとも、地下を通るはずの、高速道路が、幅広なわけではないので、直接は、関係ないような気がする。
おそらく、最初は、高架にする予定で、高架にするからには、万が一、倒壊することを想定しなければならず、その被害を少なくさせるため、高架下の道幅を、拡幅することにしたのだろう。
ただ、途中で、高架は断念、ということになったのだが、山手通りの拡幅計画だけは、そのまま、一人歩きして、着々と、実現されていったのかな。
本当は、どうだか、わからないけど。
はっきりしているのは、拡幅されたおかげで、街並みが、きれいに、整備されてきた、ということだ。
大崎広小路駅周辺も、もちろん、例外ではない。
その整備の、一環なのだろうか、山手通りの東側、高架下あたりには、下町のような、お店が、軒を連ねていたと思うのだが、今、見てみると、工事中となっている。
どう考えても、工事が完了した後、お店が、再開されるようには、思えない。
山手通りの拡幅の、どさくさに紛れて、古いものは、処分されてしまうのかも。
こうしたことは、昔から、繰り返されてきたのだろうか。
そして、再び、新しい街が生まれ、その街も、古びていくに違いない。
(2009年9月記)

山手線大崎駅(大崎五丁目 山手通り拡幅予定地)

2010-04-13 06:10:03 | Weblog
鬱蒼とした、木々の下、居木神社の境内を抜け、石段を降りると、その先は、下り坂になっている。
その坂を下りきれば、交通量の多い、山手通り。
麓にある、山手通りから、居木神社の方を振り向いてみると、丘の上、こんもりとした小さな森が見える。居木神社の境内なのだが、まるで別世界のように思えるな。
そういえば、居木神社のある場所からは、貝塚が発見されているらしい。
たぶん、太古の昔から、暮らしがあるのだろう。台地の上は、長閑で、居心地よさそうだし。
ひょっとすると、今の、居木神社のある場所には、もともと、別の神社があったのかもしれない。
なぜなら、昔からある神社の敷地には、たいてい、太古の遺跡や、古墳があるからだ。
ということは、神社が、入れ替わったのだろうか。
たしか、一般的には、目黒川の洪水で、居木神社は、高台に、移転したことになっているけど。でも、このときの洪水だけが、移転の理由、というのは、解せない。
それ以前にも、たびたび、洪水は、あったはずだからだ。
ここで、再び、居木神社の元の名と同じ、五反田駅の東側、雉子神社について。
江戸時代以前は、神社と寺社が、セットになっていることが、多かったのだが、雉子神社も、宝塔寺、という寺社とセットになっている。
この、宝塔寺、居木神社が移転するちょっと前に、同じように、目黒川から、移転しているのだ。
とすると、雉子神社は、もとは、宝塔寺と同じく、目黒川沿いに、あったのかもしれないな。そして、今の雉子神社の場所には、例えば、雉子神社の、最初の名前、荏原神社、という神社が、もともと、存在していたのかも。
ならば、居木神社の場所に、神社が、あったとすれば、やはり、同じく、荏原神社、なのかな。
こんな風に、だんだん、想像は、膨らんでいくけど、でも、結局は、もう、今となっては、わからないのだ。すべては、過ぎ去ったこと。
今、歩いてる、拡幅されつつある、山手通りも、同じことなのかもしれない。
拡幅が完成して、それが、当たり前に成ったら、それ以前のことは、もはや、過ぎ去ったこととして、忘れ去られるのだ。
(2009年9月記)

山手線大崎駅(大崎 居木神社)

2010-04-12 06:09:41 | Weblog
百反坂を上りきり、台地の上へ。
北へ曲がり、住宅街の中を、そのまま、北へ北へと歩いていく。
オフィス街と化した、大崎駅周辺の間近に、こんな、閑静な場所があったとは、ちょっとした驚きだ。
もっとも、以前は、大崎駅周辺は、工場街だったので、その、対比の方が、強烈だっただろうけど。
そのような静かな住宅街の中、小学校の敷地の脇を過ぎると、こんもりとした木立。その中に、居木神社がある。
台地の上に、古社、いかにも、ありそうな光景だな。
でも、実は、居木神社、江戸時代にこの場所に、移動してきた、ということだ。
それ以前は、台地の麓、目黒川に架かる、居木橋の袂にあったらしい。
ただ、居木橋といっても、現在の、山手通りの通る、居木橋の場所ではない。当時の居木橋は、今の大崎駅の東側の、小さな橋、森永橋あたりだったのだ。
目黒川の北岸にあったわけだが、たしか、高層住宅が建っているんだっけ。まだ、そのビルの工事が始まる前から、何度か、行ったことがある。
そういえば、そんな感じがしたなあ。
もっとも、いまとなっては、もう、痕跡は、残っていないだろうけど。
ところで、興味深いのは、当時は、居木神社、という名前ではなく、雉子神社、だったらしい。
雉子神社といえば、五反田駅の東側にもあるのだが、そちらは、当時、荏原神社。
なんとなく、名前が、入れ違っているように見えるのが、ひょっとすると、何か、これらの神社は、関係があるのかな。ちょっと、わからない。(明治時代の地図を見ると、居木神社の名前は、雉子神社となっている)
時代の流れとは、不思議なものだな。
(2009年9月記)

山手線大崎駅(大崎ウエストシティタワーズ)

2010-04-11 07:14:27 | Weblog
百反坂を上っていく。
百反、という名前は、もとは、百段、だったらしい。
百段の階段、というほどに、急な坂なのか。なるほど、そうかもしれないな。
ただ、現在は、均されて、そこまで、急坂ではないけど。
それに、ちょっとした、お店があって、歩くのは、楽しい。
昔は、そこそこの商店街だった、ということだ。
まわりは、工場しかなかったので、お客さんは、この坂に、集まってきたのだろう。
もっとも、今は、大井町の三ツ又商店街と同じで、こちらも、日用品以外のお店に、変わりつつあるみたい。
そんな坂道を、しばらく歩いていくと、通りの北側に、大崎ウエストシティタワーズ。(工事中はこちら
E棟、W棟からなる、ツインの高層住宅だ。最近、竣工している。
この巨大ビルの、さらに、北側は、もう、大崎駅周辺の高層ビル群となる。
ということは、つまり、大崎駅周辺の高層ビル街が、ここまで、拡大してきた、ということだ。
昔からだと、想像もできない、変貌ぶり。
これ以上、さらに、高層ビル群が、拡大することはないだろうけど、ただ、それに伴って、お店や、街並みは、変わってしまうに違いない。
たぶん、下町商店街は、流行の、こぎれいなお店が並ぶ通りへと、置き換わってしまうのだ。
街並みも、よく整備された、明るいものになることだろう。
だが、そうなったら、もう、自分は、ここへ、来ることはないな。
もっとも、もとより、高層ビルは、完成していて、高層ビル巡りをしている自分としては、来ることは、ないんだろうけど。
(2009年9月記)