retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

総武線本八幡駅(ガレリア・サーラ)

2010-03-11 06:09:18 | Weblog
総武線の高架に沿って、住宅地の中を、東へと、歩いていく。
本八幡駅に向かうのであれば、さっき、訪れた、菅野駅に戻って、京成電鉄に乗ればよかったと、すぐに、気付いたが。
今さら、引き返すのも、面倒で、そのまま、東へ東へと、進んでいく。
でも、進むたびに、疲れが出てきて、やっぱり、菅野駅に戻ろうかと、性懲りもなく、考えてしまう。
そんな風にして歩いていくうち、街中も、だんだん、賑やかになってきて、やっと、本八幡駅に、辿り着く。
都営新宿線の地上にある通りと、千葉街道との交差点の南東側には、最近、できた、高層住宅、ガレリア・サーラ。(工事中は、こちら
その通り沿いには、他にも、本八幡キャピタルタワープリームスクエア本八幡があり、高層ビル群を形成している。
実は、この、高層ビル群、下総国分寺の東側の外郭環状道路工事現場からも、遠く、見えていたのだが。
そのとき、小さく見える、高層住宅の建物を、目指して、歩いていこうなんて、考えていたら、たぶん、気持ちが、折れていただろうな。
結局、踏破したんだけど。
外郭環状道路が完成すれば、この、長い道のりを、クルマで、すいすいと、移動できるわけか。
もっとも、そうなると、その道のりの周囲に広がる、様々な風物に、触れることはないに違いない。
便利さが、それに、優先するなら、それで、いいんだけど。
そんなことを考えながら、交差点にある、地下鉄の入口を通って、階段を下りていく。
改札を抜け、ホームに降り立ち、都営新宿線の車両へ。
あとは、このまま、シートに座っていれば、都心に向かってくれるだろう。
そして、今回の道行きを、ゆっくり、回想するのだ。
せっかく、歩いてきたのだから、それぐらいの、楽しみは、あってもいいかな。
(2009年8月記)

京成電鉄菅野駅(総武線高架の南側外郭環状道路工事現場)

2010-03-10 04:46:36 | Weblog
南へ歩いていくと、東西に伸びる、千葉街道がある。
その通りの先から、再び、外郭環状道路の工事用フェンス。
たぶん、そういうことだろうな、という感じはしたが。
工事現場を、迂回しながら、さらに、南へ進むと、総武線の高架。
高架の先にも、工事現場が、続いている。
この工事現場、どこまで、伸びているのか、というと、まずは、京葉道路の市川インターチェンジ、そして、また、さらに、湾岸道路の高谷ジャンクションまで、伸びているようだ。
さすがに、そこまで、追跡していないので、わからないが、たぶん、そうだろう。
ちなみに、湾岸道路の高谷ジャンクションと京葉道路の市川インターチェンジまでは、側道が、すでに、開通しているらしい。
ようするに、千葉街道から、南側は、順調に、工事は、進んでいる、ということだ。
また、千葉街道あたりには、市川南インターチェンジが、予定されている。
ということは、市川北インターチェンジと市川南インターチェンジの間を、地下構造にすればいいかも、などと、想像してしまうのだが。今さら、無理だろうけど。
ただ、このままだと、暫定的に、市川南インターチェンジまで開通、なんてありうるかもしれない。
それでも、やはり、いつか、開通するに違いないのだが。
そういえば、以前、市川北インターチェンジ予定地の、西側にある、下総国分寺を訪れたのだが、その時は、市川駅から、バスで、行ったんだったな。
バスに揺られて、松の木々の中を行くのも、長閑で、いいものだ。
高速道路なら、ほんのすぐの距離なのだが、そのような、風情はないだろう。
バス路線が、なくなるわけではないので、バスに乗れば、いいだけなのだが。
でも、遠い、という距離感は、なくなるに違いない。
市川に関わりが、あるわけではないので、そんな、心配は、しなくともいいんだけど。
(2009年8月記)

京成電鉄菅野駅(菅野駅外郭環状道路工事現場)

2010-03-09 06:49:37 | Weblog
どんどん、南へ歩いていくと、やがて、小さな駅に、辿り着く。
京成電鉄の菅野駅だ。
計画によると、外郭環状道路は、菅野駅の直下を、通るらしい。
直下といっても、トンネルで通るわけではなく、掘割だ。
だから、菅野駅は、橋上駅舎みたいになるだろうし、まわりの景観も、かなり、変貌することになるだろう。
菅野駅には、来たことはないが、駅の南側、千葉街道沿いの、諏訪神社には、行ったことがある。
といっても、実は、ほとんど、覚えていないけど。
ただ、やはり、松の木だけは、印象に残っているな。
特に、諏訪神社の、北側は、平田緑地という、松林になっている。
外郭環状道路は、たぶん、その松林の直近を、かすめるようにして、通っていくのだろう。
そう思って、ちょっと、地図を見てみたら、諏訪神社と平田緑地は、菅野駅の、南側にあるではないか。
どう見ても、影響がありそうだ。どうするのだろう。
やっぱり、市川北インターチェンジから、地下構造にした方が、よかったんじゃないかな。
それと、あたりに影響を、与えそうな、もう一つの、計画がある。
京成電鉄の高架化だ。
もし、完成すれば、総武線の車窓から見える、松並木、という景観は、なくなってしまうに違いない。
総武線からの風景が、楽しめないので、京成電鉄を地下化する、というのも、どうかと思うが。
でも、何か、他に、方法はないものだろうか。
(2009年8月記)

市川市菅野(菅野の松林)

2010-03-08 05:04:50 | Weblog
さらに、南へと、歩いていくと、松林が広がっている。
総武線に乗って、千葉方面に向かっているとき、江戸川を渡って、市川に入ると、まず、目に入るのが、北側に、東西に連なる、松だが、その松こそ、今、目の前にある、松の木なのだ。
列車の車窓から見ると、並木のように見えるが、松林といっても、実際は、けっこう、疎らに、植わっているみたい。
この松の木、種類は、クロマツで、海岸に分布している方のマツである。ちなみに、内陸のマツは、アカマツだ。
ということは、かつて、真間川のすぐ、南側は、海岸だった、ということになる。
実際、江戸名所図会には、このあたりを、真間の浦、真間の浜、真間の入江、と記している。
おそらく、その海岸に、クロマツを、たくさん植え、防風林にした上で、内陸の湿地帯を開墾したに違いない。
ただ、現在、海岸線は、はるかに、南側に、移動してしまっている。
海岸は、埋め立てて、移動しても、クロマツの方は、移動するということには、ならなかったのだろう。
だから、本来、海岸に植わっているはずの、クロマツが、多く、内陸に取り残されて、今に至っているのだ。
そして、取り残された、松林が、住宅街になっている。
総武線から見える、松林が、なぜ、目を引くのか、というと、このような、不思議な組み合わせからなる、光景によるのかもしれない。
海岸でもないのに、クロマツの林があって、しかも、そこは、住宅地になっているわけだ。
一種の奇観、といってしまうと、言い過ぎかな。
住宅地に、海辺の景観が、プラスアルファで、くっ付いてきた、という感じだろう。
そんな、松林を、南へと進んでいく。
(2009年8月記)

市川市菅野(菅野付近外郭環状道路工事現場)

2010-03-07 06:58:57 | Weblog
そのまま、道なき道を、南へと、歩いていく。
実際、道はあるのだが、本当に、路地裏、住宅街の中の道、という感じだ。
そのうち、徐々に、まわりは、普通の郊外、という趣になってくる。
ちょっと、違うのは、さらに南側、遠くに、松林が望めることかな。
東西に流れる、真間川を越えると、菅野に入る。
菅野は、漢字の示すごとく、水辺に生える、菅が、一面、繁茂した野、からきているのだろう。野、というよりも、湿地帯だったろうが。
その湿地帯の中心は、真間川だったに違いない。
その、真間川についてなのだが、昔は、北から、流れくだり、西に、向きを変えて、江戸川に、合流していたのだ。
だが、今は、逆に、江戸川から、分流して、東へと流れている。
湿地帯を、とても、緩やかに流れていたので、こんなふうに、流れを、正反対にできたのだろう。
ただ、穏やかなのは、真間川ばかりではない。
真間川の流域の環境、雰囲気も、穏やかなのだ。
今回、最初に、訪れた、国府台も、そうだったっけ。その丘陵地も、西側では、真間川のすぐ、北側まで、迫り出している。
そして、こうした、温和な、環境だと、やはり、例に洩れず、幾多の、歴史上の、遺跡が、多数、残っていたりする。
中でも、有名なのは、手児奈伝説かな。
たぶん、古代の、言い伝えや、その頃の、遺物から、伝説が、生まれたのだろう。
万葉集に、その手児奈伝説から、生まれた、歌が載っている。
山部赤人の有名な歌だが。
その時の、経緯が、面白い。
下総国府を訪れた山部赤人、手児奈伝説に興味を惹かれ、かの故地を散策し、手児奈の弔われた場所を、探したが、草木が生い茂っていて、判然としなかった、云々、といった件。
おそらく、もともと、古墳があって、その古墳が、伝説のヒントになったのかな。
それよりも、万葉集が、編まれた、古代も、今も、やっていることは、同じようなことだ、というのが面白いのだ。
さて、外郭環状道路工事現場を辿る、道行は、まだまだ、続く。先を、急ごう。
(2009年8月記)

市川市須和田(須和田付近外郭環状道路工事現場)

2010-03-06 06:16:30 | Weblog
下総国分寺の東側あたりには、北千葉道路とのジャンクションとは、それほど、離れてはいないものの、市川北インターチェンジができる予定だ。
インターチェンジと接続するのは、東に伸びる、県道264号線。
県道264号線は、その予定地あたりで、南側に曲がり、市川方面にも、伸びているので、市川北インターチェンジが、完成すると、そちらからも、クルマが、集まってくるかもしれない。
そうなると、環境は、様変わりするだろうな。
太古の昔からの風景となっている、葦原も、姿を消してしまうのだろう。
そんな、湿地帯なのだが、以前、下総国分寺を訪れる、ちょっと前に、こちらにも、来ている。
下総国分寺が、春の頃だったが、湿地帯の方は、冬だったかな。
冬枯れの中、どこまでも、広がる、枯草の眺めは、とても、印象的だった。
今から考えると、そのように、湿地帯が、残っていたのは、外郭環状道路の予定地だったからかもしれない。
たぶん、そうなんだろう。
ただ、外郭環状道路の工事現場は、フェンスで囲われてるのだが、南に歩いていくと、そのフェンスは、なくなってしまう。
国分の南側、須和田、という地域だ。
住宅地なんだろうけど、農村地帯、といってもいいくらい。
このような、長閑な、光景を見ていると、将来、ここに、高速道路が、通るなんて、信じられなくなる。
ひょっとしたら、市川北インターチェンジまで、暫定的に、開通させるのかな。
もし、そうなるなら、市川北インターチェンジから先は、地下に変更しても、いいんじゃないかな。
今更、無理だろうが。
でも、このような、長閑な光景の中、歩いていると、そんな空想も、したくなってしまう。
(2009年8月記)

市川市国分(国分付近外郭環状道路工事現場)

2010-03-05 06:42:54 | Weblog
荒野のような場所を、東へと、歩いていくと、やがて、南北に、伸びる道路に出る。
その道路に、沿うようにして、東側に、南へと、流れている、小川が一筋。
その小川の周囲には、湿地帯が広がる。葦原、というのだろうか、背の高い植物が、一面、なびいている。
おそらく、かつての、関東平野は、全体的に、こんな風景だったのだろう。
そんな光景の中、今度は、南へと、進んでいく。
西側一帯は、対照的に、丘陵地になっていて、木々の緑が濃い。
その丘陵地の一画には、下総国分寺がある。
昔、一度、下総国分寺は、訪れたな。
とても、長閑な雰囲気のなか、古雅な佇まいだったと記憶している。
もっとも、平安時代の創建から、連綿と、現代に到っているとは、思えないけど。
でも、江戸名所図会には、ちゃんと、載っている。江戸時代、歴史的価値のある建物として、再建されたとは、思えない。
とすると、連綿、ではないものの、そして、幾多の曲折は、あったものの、ひょっとしたら、今に到っているのかもしれない。
いったい、太古の昔から、どういう、歴史を辿ってきたのだろうか。ちょっと、興味深いことだな。
調べている時間はないけど。
ただ、目の前に広がる、一面、葦原の光景を見ていると、十分に、太古の時代に、思いを馳せることができる。
かつての、小高い丘の上にあった、下総国分寺から、見下ろした景色も、同じような、風景だったに違いないからだ。
なるほど、だから、国分寺が残ったわけか、と思えるな。
ところが、その湿地帯は、昨今、高速道路に、変わろうとしている。
そうなると、下総国分寺だけ、ぽつんと、残ることになるわけか。なんか、風情が湧かない。
歴史の流れなので、仕方がないけど。
(2009年8月記)

市川市中国分(中国分付近外郭環状道路工事現場)

2010-03-04 05:36:13 | Weblog
小塚山を越えると、その先には、何もなかった。
丘の上の林と、麓に広がる、荒野、畑地があるだけ。
住宅地は、小塚山まで、なのだな。
台地が尽きて、低地になっていくのと、高速道路の予定地、ということで、何もないのだろう。
トトロの森、トトロの里は、こんな場所かな、と、前回、訪れた、東村山のことを、思い出しながら、東へ東へと、歩いていく。
丘陵地を後にし、まわりは、平地が、広がっていくのだが、一面、荒野があるばかり。
たぶん、外郭環状道路と北千葉道路との、ジャンクションの予定地だからかもしれない。
ジャンクションは、広大な面積を必要とするので、かくのごとく、どこまでも、荒野が広がる、というふうになったのかな。
その北千葉道路なのだが、千葉ニュータウン内、北総開発鉄道の両脇を、通るようだ。側道の一般道は、もう、開通している。
千葉ニュータウンを造成するとき、同時に、北千葉道路の予定地も、確保しているので、いつでも、開通しそうな感じだが。
ただ、千葉ニュータウンの外へ出たところは、どうなっているのだろう。
平地なので、たぶん、千葉ニュータウンの入口から、外郭環状道路とのジャンクションまで、最短距離のコースなんだろうな。
実は、その予定地の近く、かなり昔、知り合いが、住んでいて、クルマで、何度か、訪れたことがあるのだ。
何か、特別な、観光名所が、あったりは、しなかったけど。
ただ、たくさんの梨農園は、とても、思い出深い。
秋口ともなれば、道路脇に即売所が設けられていたっけ。
山梨のブドウ農園と同じような感じだ。
果物の中では、梨が、一番好きなので、訪れるたびに、買って帰ろうと思うのだが、そのたび、いつも、次でいいかな、と、見送っていた。
しばらくして、知り合いは、別の場所に、引越ししてしまい、そういうわけで、梨農園とは、すっかり、間遠になってしまったな。
今でも、秋になれば、美味しそうな梨が、道路脇で、売られているのだろうけど。
でも、もう、行くこともないし。
そして、今度は、その、梨農園を切り開いて、高速道路が、できるわけだ。
それなら、あの時、梨を、買っておけばよかったかも。
ちょっと、残念な気がしてくる。
もっとも、買ったら買ったで、気の利いた、思い出が、一つ、増えるだけ。
思い出など、もう、いらないな。
やっぱり、高速道路ができる前、いつか、もう一度、梨農園に行ってみよう。
そう考えると、少し、気が晴れてきた。
(2009年8月記)

市川市北国分(北国分小塚山公園付近外郭環状道路工事現場)

2010-03-03 04:24:25 | Weblog
外郭環状道路の工事現場に沿って、南東方向へと、歩いていく。
まわりは、閑静な住宅街。高速道路が、近い将来、通るとは、とても、思えないような雰囲気だ。
以前、矢切に来たとき、市川松戸線から、東側、住宅街の中に入ったことがある。
まだ、北総開発鉄道が開通して、日が浅かったからか、新しい住宅街、という感じはしなかったけど、でも、落ち着いた、いい環境だった、という記憶は、今でも残っている。
そんな住宅地の中、南東へと進んでいくと、こんもりとした、小さな森を、戴く、丘陵地が目の前に現れる。小塚山という名前らしい。その丘陵地の周囲は、小塚山公園となっているようだ。
そこも、外郭環状道路の工事現場なのだが、丘陵地、ということで、さすがに、掘割には、できなかったのだろう。
その部分だけ、トンネルにするみたいだ。
ところで、丘陵地の名前が、小塚山となっているのだが、それは、たぶん、昔、古墳があったからかもしれない。
実際、そのような、遺跡は、発見されていないけれど、ただ、あたりには、古墳が、いくつかある。
そればかりではなく、石器時代、縄文時代、弥生時代、と古代のそれぞれの時代の遺跡も、あちこちにあり、一帯が、太古の昔から、生活の場だったことを、うかがわせる。
今もそうなのだが、この台地、やはり、昔から、暮らしやすい、環境だったのだな。
だから、北総開発鉄道が開通して、駅が、新設されたとしても、煌びやかなショッピングセンターができたり、新築のマンションが、建ち並んだりはしないのだろう。
つまり、最初っから、住宅地なわけだから、それ以上に、開発のしようがないのだ。
山の手とは、こうした、場所をいうのかな。(もう少し、南側が、正真正銘の、山の手なのだが)
そういうわけで、たとえ、外郭環状道路が開通しても、まわりは、ほとんど、変わらないような気がする。
ただ、掘割の底を、クルマが通過していくだけだ。
(2009年8月記)

北総開発鉄道矢切駅(矢切付近外郭環状道路工事現場)

2010-03-02 06:10:55 | Weblog
市川松戸線を北へと、歩いていく。
沿道のお店は、昔のままみたい。鄙びた感じがしていい。
しばらくすると、通りの両側に、広大な工事現場。
外郭環状道路の工事を行っている。
西側の方は、一般道だけだが、どうやら、開通しているようだ。
反対側の、東側は、これから、というところ。
高速道路の方は、まだまだ、なんだろうけど、完成すれば、たぶん、市川松戸線の地下を、通ると思う。
このあたりが、台地になっているので、北総開発鉄道もそうだが、地下に入るのだ。
ただ、ずっと、地下を進んでいくわけではなく、市川松戸線あたり以外は、掘割になるらしい。
側道として、一般道が通るので、延々と、地下トンネルというふうには、できないのかな。
掘割だと、高架よりは、景観は、変わらないが、近くに行くと、深く広い谷が、地表を抉ったように見える。
せっかくの台地なのだが、仕方がない。
ところで、一帯の地名は、矢切、なのだが、どんな、謂れがあるのだろう。
一般的には、戦国時代、国府台合戦、という戦争が起こり、戦いの、あまりの激しさで、矢が尽きてしまったので、「矢切」という地名になったらしい。
だが、実は、国府台合戦より前から、「やぎり」だったようなのだが。
おそらく、その頃は、「谷切り」のような、漢字だったんじゃないかな。
つまり、谷が、切れ込んでいる、地形から、そのような、地名になったのかも。
台地の縁が、崖になっている様子を、谷が、切れ込んでいる、としたのか、ちょっと、わからないけど。
そういえば、将来的には、外郭環状道路が開通して、巨大な、谷のような、掘割が、できるんだっけ。
台地に、切れ込まれた、谷地。これこそ、「谷切」だ。
けれど、あまり、ロマンを感じさせるような言葉には、思えない。
やはり、「矢切」のままの方が、いいかな。
(2009年8月記)