retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東村山市諏訪町(七国山病院のモデル 新山手病院)

2010-02-18 05:05:15 | Weblog
東村山の北西側を、里山、というと、ちょっと、大袈裟すぎたかもしれないが。
でも、都心近郊にしては、よく、昔の風景は残っていると思う。
そんな一帯を、さらに、北へと歩いていくと、突き当たりは、森林に覆われた、丘陵地、そして、その手前には、幾つかの、医療施設の敷地が広がる。
この医療施設の一つ、新山手病院が、「となりのトトロ」に出てくる、七国山病院のモデルだといわれている。
ここでまた、不勉強を露呈してしまうが、てっきり、新山手病院だけ、あるのかと、思っていた。
敷地も、思いのほか、広いし。
どれが、新山手病院かわからず、東へと歩いていくと、だんだん、森の中に分け入ってしまう。
引き返すのも、面倒なので、そのまま進んでいくと、北側の、丘陵地の中へ。
山道を西へ歩き、適当なところで、南側への坂道を下る。
結局、ぐるりと一周してしまったわけだが。
坂道を下りきったところは、もちろん、最初に来た、もとの場所。
実は、その地点から、西側が、新山手病院だったのだな。
入口に立って、あらためて見ると、感激してしまった。
「となりのトトロ」では、木造の入院棟ぐらいしか、映っていないんだけど、その雰囲気は、今でも、残っているからだ。
気のせいかもしれないが。
ところで、この新山手病院は、最初は、保生園、という、結核療養所だった、ということだ。
おそらく、サナトリウム、保養所、などの機能も、期待されて、このような、環境のよい、里山に立地しているのだろう。(隔離という側面もあるが)
もっとも、患者さんにとっては、保養どころでは、ないかもしれないが。
でも、医療的に関わることのできない、まわりの家族、関係者にとっては、患者さんにしてあげられる、唯一のこと、それが、里山のような、場所での治療、だったんじゃないかな。
そう考えると、「となりのトトロ」に出てくる、七国山病院の立地環境は、幼いメイが、母親の病気を治そうとして、一生懸命、届けに行こうとする、もぎたてのトウモロコシと、同じような気がしてくる。
つまり、患者さんや、その家族、関係者の、不安、怖れ、悲しみの対極にあるものとして、その願いが籠っているのが、豊穣な里山なのだ。
だから、異様に美しく、里山が、描写されているのだと思う。
(2009年8月記)

西武新宿線東村山駅(前川弁天橋)

2010-02-17 05:07:19 | Weblog
細い道を、北へ北へと、歩いていく。
途中、道は、北へ流れる小川、前川の東岸を、沿うように伸びている。
この細流、水が透明なのだ。驚いてしまったな。
水は、普通、透明なので、驚くには当たらないんだろうけど。
ただ、都心近くだと、濁った水しかない。都心の方が、例外なのだが。
そういえば、「となりのトトロ」の主人公、サツキとメイが、初めて、作品の舞台に、登場したとき、家の前を流れる、小川の、透明な水に見入っていたっけ。
きっと、同じような、驚きだったに違いない。
ところで、「となりのトトロ」のモデルになった場所についてなのだが、不勉強のため、てっきり、自分は、東村山の北西側だと思っていた。
そういうわけで、勘違いで、こうして、歩いているのだけど。
本当のモデルは、東村山の、はるか、北東側、所沢の東側、松郷、という場所らしい。作品にも、この地名が、使われている。
実は、昔、その松郷の南側を通る道路を、たぶん、二、三回は、クルマで通ったことがある。
でも、特に印象にも残っていないし、そもそも、田園だったかどうか。
ひょっとしたら、地名だけ、借りたのかもしれない。松郷に、実際、行ってみないと、なんとも言えないが。
話は、戻る。
前川に沿って、さらに、北へ進むと、弁天橋。近くに、弁天池があるから、弁天橋なのかな。
橋を渡って、前川の西岸へ。
北へと、歩き続けると、両脇には、生垣で囲われた、農家が並ぶ。
路面が、アスファルトでなければ、まさに、「となりのトトロ」に出てくる、農村風景だ。
北へと歩き続け、西武西武園線を越えると、一面、畑地が広がり、その向こうには、木々の生い茂った、丘陵地。
眼前に広がるのは、典型的な、里山風景だ。
どこか懐かしい、牧歌的な景色。
しばらくの間、立ち止まってしまったな。
なぜ、このような光景に、大きく、心を揺さぶられるのだろうか。
(2009年8月記)

西武新宿線東村山駅(東村山駅西口から「トトロの森」への入口)

2010-02-16 05:03:45 | Weblog
駅前広場から、少し、西へ行くと、北へ、細い道が、伸びている。
自分では、この細い道、勝手に、「トトロの森」への道、と思っているが。
といっても、実は、今回、初めて、歩くのだけど。
ただ、西武新宿線で、東村山駅から所沢駅へ向かうとき、西側を見ると、森と田園が、車窓に広がり、まさに、「となりのトトロ」の作品世界を、思い起こさせる。
その、森と田園地帯を通っているので、「トトロの森」への道、というわけだ。
もっとも、一般的に、「トトロの森」、というと、もっと、北西側の、丘陵地一帯を、指すようだが。
森、ということなら、やはり、丘陵地の方が、相応しいかな。
でも、「となりのトトロ」の舞台は、田園であり、森があったとしても、深い森ではなく、里山、雑木林、なのではないかな。
だから、やはり、「となりのトトロ」、というと、こちらの方が、しっくりする。
なんて、書いていると、この作品に、詳しいのかと、思われそうだが、実は、あまり見ていないのだ。ジブリのアニメ全般に対しても、熱心なファンではないな。
たしか、「となりのトトロ」は、公開された後、しばらく経ってから、子供向けのアニメだけど、実は、凄い作品だ、という評判がたって、それで、レンタル屋で借りて、なるほど、凄いなあ、と思った程度。
その後は、ずっと忘れていた。
今回、東村山を訪れるにあたって、この作品を、予習として、改めて、念入りに、見ている。
ところで、「となりのトトロ」の監督は、宮崎駿なわけだが、宮崎駿の作品で、思い入れがあるとすると、「未来少年コナン」と「ルパン三世カリオストロの城」だ。
思い出深いけど、どちらも、楽しく、十分に、心惹きつけられるものの、結局、何だったのか、よく、わからない。
特に、「ルパン三世カリオストロの城」には、いろいろ、伏線らしきシーン、が出てくるのに、唐突に終わっているように、感じてしまう。
なぜだろうか。
そういったことなども含めて、「となりのトトロ」について、いろいろ、考えながら、進んでいこう。
「トトロの森」へ、出発。
(2009年8月記)

西武新宿線東村山駅(パークハウスワンズタワー)

2010-02-15 03:55:30 | Weblog
東村山駅西口に出る。
ちょっと前まで、東口とは、対照的に、地方都市然とした、駅前風景だったのだが。
東京ではないような、錯覚に陥ってしまうぐらいだったな。
今は、駅前広場の工事中。
完成すれば、東口と同じように、郊外のベッドタウン、という、趣になることだろう。
その、工事中の駅前広場の南側に、パークハウスワンズタワー。最近、完成した、高層住宅だ。(工事中はこちら
近頃、多い、駅近くの、高層ビルだ。
それにしても、東武伊勢崎線の北越谷駅前の高層住宅に匹敵するほど、辺鄙な、場所に、建っているな。
もっとも、例えば、つくばエクスプレスだと、何もない場所でも、高層住宅が建ったりするので、今は、交通が至便なら、どこでも、高層ビルが建つものなのかもしれない。
ところで、パークハウスワンズタワーが建つ前、この場所には、ボーリング場があったのだ。
そのボーリング場、実は、一度だけ、行ったことがある。
建物の中には、ボーリングだけではなく、他にも、いろいろな、遊戯施設があって、東村山の、娯楽の中心だったのだろう。
だが、自分が行ったときは、すでに、あまり、流行っているようには、見えなかった。
他にも、遊ぶ場所は、あるだろうし。
たぶん、地元だけで、何事も、完結する、ということは、なくなってしまったのに違いない。もしそうなら、それこそが、地方都市だ。
というわけで、地方都市が、郊外化、ベッドタウン化されるにしたがい、地方の社交場は、敢えなく、衰退してしまったのだな。
そして、その跡地には、駅と直結した、高層住宅が、建つわけだ。
ますます、都心との、結びつきが、強くなっていくような気がする。
(2009年8月記)

西武新宿線東村山駅(東村山駅東口)

2010-02-14 06:59:48 | Weblog
西武新宿線で、東村山駅へ。
改札を抜け、東口へ出る。
昔は、電車でも、クルマでも、よく来たものだ。
よく来た、といっても、用事があったわけではなく、通過しただけなのだが。
東村山駅の南側には、新青梅街道が、東西に伸びているし、すぐ、東側には、府中街道が、南北に伸びている。それに、西武線も通っている。
交通の要衝なのだな。
階段を降りて、東口駅前広場に降り立つ。
目の前には、整備された、駅前広場。東にまっすぐ伸びる、メインストリート。
地方都市、というよりは、典型的な、郊外のベッドタウン、といった方がいいだろう。
そんな東村山なのだが、自分にとっては、けっこう、身近な場所だけど、たぶん、世間では、かなり、マイナーな地域に違いない。
たぶん、東村山に関して、世間で、もっとも、有名なのは、志村けん、なのかも。
いちおう、駅前広場、降り立ったところの、北側に、志村けんが記念植樹した、立派な、欅が植わっている。
ただ、それを示すような、記念碑や、説明板のようなものは、まったくない。
ひょっとしたら、この、記念植樹、志村けんの東村山音頭に対して、だからかな。
東村山音頭、というのは、東村山が、地方都市として、最後の復活を託した、ご当地ソングなわけだが。その割には、効果はなかったみたい。
高度成長期の終わり頃、その歌を、志村けんが、揶揄した感じで、取り上げ、それが、一世を風靡してしまう。
地元の受け取り方は、複雑だったのかも。
そして、その後、地方都市、東村山は、郊外のベッドタウンになっていく。
このパターン、バブル期直前に、有名になった、「なぜか埼玉」と似ているな。
こちらも、その後、地方が、都心の郊外へと、組み込まれたんだっけ。
そういうわけで、地方都市、東村山は、消滅し、あとには、駅前に、欅が、残ったのだが、そこには、志村けんの東村山音頭について、何も、説明するものがない、ということなのかもしれない。
将来的には、何か、設置されるのかもしれないけど。
(2009年8月記)

京浜東北線桜木町駅(野毛山動物園の入口)

2010-02-13 06:40:08 | Weblog
さらに北へ歩くと、陸橋がある。
そこから、下を見下ろすと、西側に、野毛山動物園の入口。
楽しそうな家族連れが、多く、出入りしている。
入園料は、たしか、ただなので、一瞬、ちょっと、入ってみようかと、思ったが、時間がないので、やっぱり、やめた。
高校生のとき、一度、訪れているし。
といっても、今もって、そのときのことが、思い出せない。
なんか、大きな鳥がいたような、いないような。これでは、行っていないのと、同じことだな。
いつか、時間ができたら、改めて、寄ってみよう。
かくのごとく、動物園に対して、不真面目な、来園者であったのだが、これでも、子供の頃は、よく、動物園に、行ったものだ。
自分の住んでいるところだと、行くとすれば、多摩動物園。
森の中に、動物たちがいるようで、面白かったなあ。孔雀が、放し飼いになっていたっけ。
ところで、なぜ、動物園は、家族連れや、子供たちを、惹きつけるのだろうか。
ようするに、博物館の展示物が、生きた動物、ということなんだろうけど。
ただ、どうも、この、生きている、ということが、実は、重要なのかもしれない。
なぜなら、生きている、ということは、生態系を形成している、ということだからだ。
しかも、その、生態系には、動物園に限り、食物連鎖、あるいは、弱肉強食が、存在しない。
実際には、所定の場所に、各々の動物は隔離され、担当の飼育係が、管理しているわけだが。
でも、それらは、舞台裏、ということになっている。
だから、あたかも、それぞれの場所で、平穏に、暮らしている、動物たちを、順々に、訪問している感じになるのだ。
生きた標本の展示場が、期せずして、理想郷、桃源郷、になっているのかもしれない。
だが、残念なことに、そのことは、忘れられ、ひとときの行楽、として、片付けれてしまう。
そして、人生の黄昏の彼方に、子供の頃、訪れた、動物園を懐かしく思い出すばかり。
これでいい、といえば、いいんだけど。
なにか、割り切れない気持ちが、ちょっと、残るなあ。
もう帰ろう。帰りは、野毛坂を下るので、楽だ。
桜木町駅から横浜駅へ。
横浜駅に付いたら、ちょうど、湘南新宿ラインが来ていた。
すぐに、飛び乗る。早く、帰れそうだな。
(2009年8月記)

京浜東北線桜木町駅(野毛山配水池)

2010-02-12 04:12:55 | Weblog
野毛山公園の広場から北へ。
途中、東側一帯は、野毛山配水池、となっている。
池、といっても、水面は、見えない。
地下にあるらしくて、表面は、蓋がされ、その上には、緑が生い茂っている。
フェンスで囲われていなければ、普通の公園と、変わらない。
変わらないどころか、立ち入る者が、いないので、緑が、よりいっそう、濃いようだ。
完成したのは、明治時代の中頃。
日本初の、近代的な、水道施設の一環として、設置されたらしい。
当初は、浄水場も、あったのだが、全体的に、どのような施設だったのか、不明だ。
その後、関東大震災で、建造物が、破損し、配水池だけになっている。(あるいは、浄水場の代わりに、配水池が設置されたのかも)
ところで、この配水池、どういう仕組みになっているか、というと、いったん、水道水を、池まで、揚水し、その後、横浜の各所に、配水しているようだ。
つまり、野毛山全体が、給水塔の役割を、果たしている、ともいえる。
これで、横浜の水事情は、解消されたのだな。
こう見てくると、従来のように、ただ、遠方から、水を引いてくる方法では、横浜の水不足は、解決しなかったのだろう。
具体的に、どのような方法で、解決したのか、ちょっと、わからないけど。
ただ、こういう、インフラ整備による、生活の、劇的な、改善は、時代の動きを、実感させたに違いない。
明治時代しかり、高度成長期しかり、だ。
こんなふうに、特別な豊かさよりも、ごく普通の生活、安定した暮らし、それが、容易に、手に入るようになれば、本当の意味で、時代の進歩ではないかな。
でも、どうして、世の中、そういう具合に、時代が、動いてくれないんだろう。
いつも、不思議に、思ってしまう。
(2009年8月記)

京浜東北線桜木町駅(野毛山展望台付近から横浜を望む)

2010-02-11 06:34:57 | Weblog
野毛山公園の広場を、さらに、南に歩いていくと、展望台がある。
展望台の突端には、簡素な作りだが、2階建てぐらいの、見晴台の建築物もあるのだが、老朽化しているためか、立ち入り禁止で、利用はできない。
今は、その下、日陰になったところで、おじさんが、気持ちよさそうに、寝入っているばかりだ。
実は、バブルが崩壊した頃に、同僚と、この場所に、来ている。
たしか、そのときも、この見晴台は、立ち入り禁止だったな。
おそらく、ずっと、立ち入り禁止のままなのだろう。
ここからでも、十分に、横浜の街を、見渡せるので、敢えて、さらに、高いところに、上らなくともいいのでは、ということかな。
そんな展望台から、当時は、確か、みなとみらいの方や、遠く、東戸塚の方、高層ビルを目で追っていたっけ。たぶん、東戸塚は、無理だったと思うが。
躍動する、横浜の街の姿を、感じたかったに違いない。
バブルが崩壊したとはいえ、時代は、まだ、うきうきした雰囲気だったのだ。
そういえば、この展望台の帰り、坂道を下りたときに、横浜市中央図書館を見つけたのだ。
本当に、世の中、いい方向に、向かっていると、感じたものだな。
ところで、不思議なことなのだが、バブルが崩壊した頃、訪れた時、その前、高校生の遠足で訪れたことは、思い出さなかった。
気持ちが、輝ける未来に向かっていたので、過去のことは、どうでも、よかったのだろう。
でも、今は、高校生の頃のことも、懐かしく、思い出している。むしろ、そちらの方が、リアルでさえある。
つまり、あの、うきうきしたバブルの時代が、いかに、特異なものだったか、ということかな。
今、こうして、考えても、将来的に、どんな奇跡があろうと、バブルの時代が繰り返すことだけはないと、実感してしまっているし。
あの時代は、遠い、幻、蜃気楼、そういうことなんだな。
(2009年8月記)

京浜東北線桜木町駅(野毛山公園)

2010-02-10 05:03:55 | Weblog
野毛坂を、さらに、上っていく。
上りきったところが、野毛山公園かと思ったら、横浜市中央図書館の、野毛坂を挟んで、北側から、すでに、野毛山公園らしい。
坂の途中にあるので、その部分も、当然、斜面になっている。
ちょっと、入ってみたら、幕末に活躍した、佐久間象山の碑を見つけた。
なんで、こんなところに、というと、実は、横浜開港を献策し、働きかけたのが、佐久間象山だったらしいのだ。横浜にとっては、佐久間象山なかりせば、といったところか。
再び、野毛坂に戻り、上り始める。
やっと、頂上。南側に歩いていくと、広場がある。
この広場は、覚えているなあ。
高校生の頃、遠足で来たのだ。
遠足、といっても、ちょっと、遠足らしくない、遠足だったな。
自分の住んでいるところから、ここまでは、ある程度、遠いのだが、高校自体が、神奈川県にあったので、横浜だと、かなり、近場になるからだ。
当初は、なんという、手抜き遠足なんだ、という、学生の声が多かったな。しかも、コースも、自分たちで考えなければならなかったし。
だが、蓋を開けてみると、この、近場遠足、意外と、楽しかったりする。当日は、たしか、小雨が降っていたのだけど、それでも、だ。
ただ、どこを、訪れたのか、今では、ほとんど、忘れてしまった。
覚えているのが、大桟橋埠頭と、この、野毛山公園の広場。
野毛山動物園にも寄ったはずだが、なんか、動物がいたな、ぐらいしか、印象にない。
その後、この、広場に、辿り着いたのだ。
そして、誰かが、持ってきていた、ゴムボールで、なんと、手打ち野球が始まってしまった。
なにも、こんなところに来てまで、などという、疑問は、少しも感じなかったな。
まさに、若さゆえの、傍若無人、不遜、といったところか。
遠足を、ぶち壊しに、したかったのかもしれないが。でも、それが、結局、楽しい思い出になるのだから、妙なものだ。
時代は、バブル期前の安定期の頃。
まだ、横浜には、みなとみらいも、ランドマークタワーも、さっき、訪れた、横浜市中央図書館も、なかった。
でも、不遜な高校生にとって、遠足の途中で、手打ち野球に興じることが、何よりも、素晴らしく、それで、十分だったに違いない。
(2009年8月記)

京浜東北線桜木町駅(野毛坂にある横浜市中央図書館)

2010-02-09 03:48:49 | Weblog
野毛坂を上っていくと、途中、通りの南側に、山の手にありそうな、高級マンション。
なかなか、落ち着いた、山の手に相応しい、外観に、思わず、惹きつけられてしまう。
規模は大きいものの、派手ではないし、高い建物ではないのに、存在感がある。
実は、この豪奢な建築物、高級マンションなどではなくて、ただの図書館なのだ。
オープンしたのは、バブルの終わり頃。みなとみらいに、ランドマークタワーが、完成した時期と同じかな。
最初、見たときは、本当に、驚いてしまったなあ。
入ってみることは、しなかったけど。
この建物は、図書館なんだ、と教えられなければ、気付かないところだった。
ただ、当時は、まだ、バブルの雰囲気が、満ちていたので、このような、図書館があっても、豊かな世の中になったものだ、という感覚だったけど。
そして、これからも、この延長で、あちこちに、こういう、公共の施設が、増えていき、当然のような、存在になるのだろうと、思い込んでいた。
その時、外から見ると、たしか、喫茶スペースが、見えていて、そこで、ゆったりと、飲み物を、手にした、利用客が、何人かいたように、記憶している。
誰もが、このような施設の中で、無料で、時間を過ごせるわけだ。
バブルの頃は、ようするに、豊かさが、偏在してしたのだな。
今とは、まったく、違う。
こんな豪華な図書館、もう、あちこちに、作るということは、ないだろう。
そもそも、偏在させるほど、豊かではないし。
だからといって、豊かさのみを、今までどおり、求めれば、社会が、歪んだ、ものになるはず。それが、今の世の中だ。
でも、どうなればいいのか、わからない。
少なくとも、偶然、転がり込んできた、豊かさを、今度は、社会を歪ませてまで、維持しようとするのは、馬鹿げているんじゃないかな、とは思うけど。
自分としては、図書館なら、地方の、古ぼけた、公民館みたいな建物で、十分なんだけどなあ。
なんて、個人的に思っていても、仕方ない。
(2009年8月記)