retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

総武線錦糸町駅(アルカタワーズ錦糸町東武ホテルレバント東京)

2009-09-20 06:34:07 | Weblog
錦糸町駅の北側を、西へ歩いていく。
通りの南側には、アルカタワーズのビル群。
バブルの頃に計画され、鳴物入りで、実行に移されたのだが、その後、バブルは崩壊、どん底景気の真っ只中、竣工したんだったな。
当時は、無駄の骨頂、と、散々な言われようだったように、記憶している。
そんなアルカタワーズのビル群なのだが、年月を重ね、ようやく、こうして、今に到るわけか。
ところで、アルカタワーズのビル群の中には、アルカタワーズ錦糸町東武ホテルレバント東京、という高層ホテルがある。
この高層ホテル、通りから、写真に撮ろうと、思うのだけど、高層棟は、建物全体の奥まった場所にあるので、なかなか、うまく撮れない。
以前も、撮ったことがあるのだが、手前の低層棟が、大きく、写りこんでしまった。
別の高い建物から、あるいは、ひょっとして、錦糸町駅のホームから、ぐらいしか、うまく撮れないのかもしれないな。
結局、諦めて、さらに、西へ歩く。
途中、南へ曲がり、錦糸町駅の南側を目指す。
総武線の高架の手前に来たとき、ふと、地図が掲げてあるのに気付いた。
その地図によると、アルカタワーズのビル群と、総武線の高架の間に、どうやら、歩道が、東へ伸びているらしい。
その歩道、じめじめした建物の隙間、かと思ったが、実際、その歩道に入ってみると、細長い緑地のようになっている。
まるで、錦糸町ではないみたい。もっとも、今は、錦糸町駅の北側の通りも、きれいな並木道になっていて、錦糸町の雰囲気はしないけど。
その公園のような場所を、東へ歩いていくと、アルカタワーズ錦糸町東武ホテルレバント東京の真下に出てしまった。
たぶん、建物の中を通っても、この場所に出たかもしれないが。
それにしても、アルカタワーズのビル群の裏側が、こんなになっているなんて、知らなかったな。
バブルが崩壊して以降、「ここは、もう、昔の錦糸町ではないんだ」計画が、着実に進行していたみたい。
実際、そんなことは、ないんだろうけど、でも、それが、時代の流れなのだろう。
(2009年5月記)

総武線錦糸町駅(錦糸町駅北口のきれいな通り)

2009-09-19 03:49:49 | Weblog
高田馬場駅で東西線へ。
さらに、飯田橋駅で、総武線に乗換える。
総武線の車窓から見る風景は、眩しいくらい。
今日は、いい天気、五月晴れだ。
季節が、夏へ、着実に、進んでいるように感じられる。
世の中、不景気で、沈滞ムードに覆われている、ということを、一瞬、忘れさせてくれるようだ。
錦糸町駅で下車。
数ヶ月前に訪れたときと、打ち沈んだ雰囲気は、同じなのだが、それとは、別にして、錦糸町の街は、訪れるたびに、垢抜けていくように思われる。
たぶん、この変化、半蔵門線が、延伸してきてから、激しいようだ。
駅北側に出て、西へと歩く。
眼前に広がる、美しい並木、まったく、錦糸町ではないみたい。
まるで、田園都市線の沿線を髣髴とさせる。そんな、新緑の風景。
そういえば、田園都市線は、半蔵門線に乗り入れているのだったな。
どうりで、そんな雰囲気がすると思った。
ところで、ちょっと前、例えば、バブルの頃に訪れたときは、街の様子、今とは、ぜんぜん、違っていたけど。
薄汚くて、チープ。しかも、かなり、怪しげ。
ちょっと危険で、胡散臭くて。どうしようもなく猥雑で賑やかな街だった。
でも、敷居が低くて、親しみがあって、とても、居心地がよさそうな感じだったな。
けっこう、気に入っていたのに。
そういう雰囲気が、訪れるたびに、着実に、失われていっている。
たしかに、街並みは、きれいになった。センスがよくて、落ち着いた風情さえある。
けれど、自分にとっては、なんとなく、よそよそしさが感じられてしまうのだ。
それに、そもそも、それ以前に、そんな街、あまり、お金を持っていない者には、用がないような気もするし。
これも、時代の流れなので、仕方がないけれど。
(2009年5月記)

山手線新宿駅(代々木第三児童遊園地)

2009-09-18 05:02:47 | Weblog
甲州街道から、再び、玉川上水の跡地は、離れるていくのだが、そこから、今度は、代々木第三児童遊園地、となる。
また、細長い公園が続いていく。
細長い公園が終わると、その先には、道路が伸びている。
あおい通り、という名前の通りだ。葵橋が架かっていたので、あおい通り、というらしい。
その、葵橋の名前については、江戸時代、近くに、紀州徳川家下屋敷があったので、徳川家の御紋、葵(あおい)から、付けられた、ということだ。
ただ、紀州徳川家下屋敷の場所は、今の千駄ヶ谷なので、あまり、近いとはいえないけど。
たぶん、紀州徳川家下屋敷へ通じる橋、ということなのかな。ちょっと、わからない。
そんな、あおい通りを歩きながら、あたりを見回すと、もう新宿駅に近いので、ビルの裏側、というよりも、飲食店街の裏側、という感じだ。
どんどん進んでいくと、南北に伸びる通りに、行き当たり、ようやく、玉川上水跡地は、終わることとなる。
この場所に、葵橋が架かっていたのだが、玉川上水がなくなった後も、最近まで、橋の欄干だけは、残っていたらしい。
今では、欄干もなくなり、杭のような石碑が、立っているだけ。
その石碑についてだが、後日、昔の街並み写真集を、また、パラパラと、繰っていたら、葵橋と思われる橋の写真があり、よく見てみると、その石碑、今はない、葵橋の、欄干柱そっくりではないか。
なるほど、この石碑は、葵橋の欄干柱を模したものに違いない。
ついでだが、昔の葵橋の写真の中、橋の近くに、ゴミ用のポリバケツが、置いてあって、そのバケツに「鳥茂」、と書いてある。
この鳥茂、というのは、たぶん、今も近くにある、老舗の焼鳥屋のことだろう。
こんな風に、昔の写真を、注意深く見ていると、かすかに、今を、思わせるものも、なくはないな。
だけど、老舗の焼鳥屋のゴミ用ポリバケツ(今も使用しているとは思えないけど)以外は、すべて、なくなってしまったみたい。
時代の流れ、というのは、こういうことなのだな。
だとすると、何十年も経てば、今、あるもの、すべてが、変わってしまっている、ということだ。
もっとも、どんな風に、変わったか、自分は、それを、見届けることはないかもしれない。
結局、自分も、時代の流れの一部、なわけだから。
(2009年5月記)

都営大江戸線都庁前駅(玉川上水旧水路緑道)

2009-09-17 04:50:05 | Weblog
十二社通りへ戻り、南へと、歩いていく。
しばらく、進んでいくと、甲州街道との交差点。
甲州街道を横切り、少し、行くと、東西に伸びる、玉川上水の跡地がある。
この、玉川上水の跡地、十二社通りより、西側へは、この間、訪れた
今回は、東へと歩いてみる。
ところで、このあたりからは、神田上水助水堀、という小川が、北側に、まっすぐ、分流していたらしい。そのまま、北へ流れ、神田川に注いでいたのだ。
川の名前からして、用水路みたいなものなのだろうが、十二社熊野神社の横を、流れるとき、滝になっていた、ということだ。
この滝の風景、風光明媚な十二社の大池に、ますます、風雅の趣を、添えていたことだろう。
そんな風に、小川が、分流していたわけだが、今となっては、その痕跡すら、残っていない。
どんな具合に、分流していたのか、興味があったけど、仕方ないな。
気を取り直して、先へ進むことにする。
玉川上水の跡地は、細長い、細長い、公園になっている。
名前からは、幅広の緑道、というところだが、実際は、公園のようだ。
この細長い公園、甲州街道の南側を、並行するように、伸びている。
だから、甲州街道に沿って、並んでいる、ビルなどの、裏側を見ながら、歩くことになる。
普段、見慣れている風景の、裏側、ということなので、ちょっと、面白い光景だが。
さらに、歩いていくと、文化女子大学の、北側に出る。
文化女子大学そのものが、甲州街道沿いにあるので、文化女子大学の北側、ということは、甲州街道の歩道、ということになるのだけど。
ただ、並木が、玉川上水跡地を、なぞるように、植えられているので、さっきの、細長い公園と、連続した感じがする。
文化女子大学前の歩道は、何度も、歩いてきたけど、並木に、こんな、仕掛けがあるなんて、気が付かなかったな。
玉川上水の跡地を歩いてきたから、気付いたのだ。
並木の間、すなわち、玉川上水跡地をさらに、進んでいくと、再び、甲州街道から、離れ、公園になっていく。
まだまだ、玉川上水跡地は続いているようだ。
(2009年5月記)

都営大江戸線都庁前駅(新宿中央公園ジャブジャブ池)

2009-09-16 04:41:24 | Weblog
十二社通りを南へ歩く。
東側には、新宿中央公園が広がっている。
ちょっと、入ってみると、ジャブジャブ池なる場所。
池、なのだが、別に、水があるわけでもなさそうだ。ただの窪地みたい。
ひょっとしたら、かつての、十二社の、大きな池を模したものかと、期待したのだが、当てが外れてしまった。
少し高台にあるので、巨大な池を作るのは、無理なんだろうな。
それに、この公園に池が必要かな、とも思ってしまう。
だが、そもそも、大きな池があるから、十二社は、賑やかな、遊興地になったのだ。
ということで、形ばかり、ジャブジャブ池、というのを、作ってみたわけかな。
ところで、新宿中央公園ができたのは、広大な浄水場がなくなり、西新宿高層ビル街の工事が、いよいよ、始まろうとしていた時期だ。
だから、基本的には、西新宿高層ビル街とセット、なのだろう。
巨大なオフィスビルが建ち並ぶ一帯には、隣接して、広々とした、緑の公園が必要なのだ、とされたのかな。
つまり、オフィス街が、あまりにも、非日常的なので、そのような公園で、日常性を、回復させよう、ということかもしれない。
例えば、「ジャブジャブ池」、なんて、子供が、遊んでいるような感じで、実に、家庭的ではないか。
ここまで、考えてきて、昔、大きな池があった頃と、非日常、ということに関しては、ちょっと、違うことに、気が付いた。
昔は、風光明媚な景色と共に、非日常性を感じさせてくれる、遊興地が、あったのだ。
十二社三業地なんて、まったく、健康的ではない。
もちろん、あの頃は、一帯が、観光地だったわけで、現在のような、都会ではない。だから、比べようがないのだろうけど。
ただ、現在のように、健康的な演出をされてしまうと、それに、見合うだけの、不健康なものの存在が、どうしても、透けて見えてしまう。
そう考えると、やっぱり、ジャブジャブ池と、かつて、昔、あった、大きな池とは、根本的に、違うようだ。
(2009年5月記)

都営大江戸線都庁前駅(十二社天然温泉)

2009-09-15 06:09:27 | Weblog
公園通りを、再び、南へと歩く。
しばらく進むと、ふれあい通りとの交差点。
ふれあい通りに入り、西へ。
この通りは、新宿中央公園を横切っているので、その向こうへ出られる。
坂を上って行くと、南北に伸びる、十二社通り。
ふれあい通りも、実は、ここで、行き止まり、となっているのだが。
その、ふれあい通りの突き当りには、十二社天然温泉がある。
なんで、こんなところに、温泉が、と不思議に思ってしまうけど。
たまたま、温泉が湧いたから、ということも、あるかもしれない。
ただ、十二社天然温泉の北側に、大きな池があって、一帯は、江戸時代からの、近場観光地だった、ということだ。
十二社天然温泉が、開業したのは、高度成長期の初め頃、とっくに、大きな池は、埋められていたはずだが、まだ、当時は、遊興地の雰囲気が残っていたのかもしれない。
ということで、昔の街並み写真集を、ぱらぱらと、眺めていたら、実際、十二社三業地、というのが、あった。(三業地とは、今の歌舞伎町みたいな場所かな)
なるほど、十二社天然温泉、というのは、その十二社三業地の一部、だったわけか。
そして、時代は、下り、歓楽街は、歌舞伎町へ、東側の、広大な浄水場は、西新宿高層ビル街となり、十二社三業地は、消滅。後には、十二社天然温泉だけが、取り残されたのかな。
だから、この場所が、かつて、遊興地だったことを、物語る、唯一の名残りが、十二社天然温泉、ということになる。
そういう意味では、一種の歴史テーマパーク、でもあるのだ。
と、思ったら、最近、十二社天然温泉は、廃業してしまったらしい。
スーパー銭湯やら、健康ランドやら、岩盤浴やら、巷では、流行っているのに、残念だな。
取り残されて、そして、やはり、消えてしまうわけか。
時代の流れなので、仕方のないことだ。
(2009年5月記)

都営大江戸線都庁前駅(都庁西側の古びたオブジェ)

2009-09-14 04:20:53 | Weblog
さらに、南へ歩くと、都庁の壁際に、オブジェがある。
最初、見たときは、なかなか、いい雰囲気を、醸してるな、と思ったものだが。
見慣れてしまうと、風景の一部となってしまうものらしい。
そして、さらに、時が過ぎると、もう、忘れ去られてしまうのかな。
ちょっと離れた場所から見ても、ものすごく、汚いんだけど。
誰も、清掃することもなく、放置されているようだ。
水辺の風景は、最初から、水がなかったことにすれば、いいのだけど、汚れたオブジェは、このまま、というわけにはいかないだろう。
でも、忘れ去られているので、このままなのかな。
このオブジェ、都庁が完成した頃に、設置されたはずだから、もう、20年、経とうとしている。
あの頃は、バブル、日本の絶頂期、坂の上、だったな。
そういえば、自分の住んでいる、辺鄙な郊外にも、よくわからない、オブジェが、設置されたっけ。
オブジェの真価は、別としても、オブジェが設置されたということで、世の中が、本当に豊かになったんだな、と実感させられたものだ。
バブル期より以前は、こんな風に、地方が、劇的に変わっている。
同じ頃、ふるさと創生一億円事業なんてあった。さすがに、行き過ぎかと思ったけど。
なんとなく、よくない予感もしたし。
妙なオブジェが、あちこちに、設置されたり、生活が、なんとなく、よくなったり、それなら、いいと思う。
ただ、無意味に、一億円をばらまく、というのは、どうなんだろう。
そんな、のんきな時代もあったのだが、この、目の前の、汚れ放題のオブジェと同じように、安穏な生活、というのも、忘れ去られてしまったようだ。
高度成長の目的とは、そもそも、安穏な生活だったんじゃないのかな。
いつの間にか、勝ち組だ、負け組だ、という格差社会の価値基準の中、豊かな生活が、どこかに、いってしまったのだ。
このオブジェのように、汚れて、どこかに、放置されているのかもしれない。
(2009年5月記)

都営大江戸線都庁前駅(都庁西側の濠)

2009-09-13 07:31:10 | Weblog
再び、階段を降りて、中央通りへ。
中央通りを西へ歩く。
すぐ南側には、都庁の巨大な建物が聳え立っている。
さらに西へ行くと、南北に伸びる、公園通り。
ここで、中央通りは、行き止まりとなる。その先には、新宿中央公園の水の広場が広がっているだけ。
公園通りに入って、南へ向かう。
今度は、都庁の西側に沿って、進むことになる。
ふと、都庁と歩道との間に目をやると、建物に沿うようにして、凹地が伸びている。
たぶん、本来は、そこに、水が張ってあるのだろう。
つまり、都庁を取り囲む、濠をイメージした、装飾的な建造物なのだ。
地図を見ても、都庁のまわりを縁取るように、水色の部分が、表記されている。
地図上でも、この凹地に、水があることになっているわけか。
ただ、今、見ると、もう、水はなくなっているけど。
完成したのは、おそらく、都庁舎と同じ、バブルの頃。当時は、美しい水辺の風景を、演出していたのだろうな。
でも、ここだけではないけど、このような水辺を模した建築物は、数年で、放棄されてしまうようだ。
汚れてしまった場合、清掃して、元の状態に戻すことが、面倒なのだろう。
それに、すぐに、水自体が、黒くなってしまったり、水面に、ゴミが浮いたりするし。
また、建造物の表面も、水に接しているので、短時間で、汚れてしまう。
それでも、最初は、何度か、清掃しては、水を張り、ということを、していたのかもしれないな。
ところが、一度でも、その清掃が、延期されてしまうと、もはや、手が付けられないほどに、汚れが進行してしまう。
そこで、誰某が、水が張ってあるから、すぐに汚れるし、清掃も、面倒なのではないか。ならば、最初から、水を抜いておけばいい、と具申するわけだ。
なるほど、そういうことなら、汚れないし、汚れても、清掃は、格段に楽になる。
ということで、今のような、空濠状態になったのかな。真相は、わからないけど。
でも、もとの美しい水辺の風景は、どこへ行ったのやら。
その場限りの、熱狂的な、理念とは、えてして、こうなる運命なのかもしれない。
(2009年5月記)

都営大江戸線都庁前駅(西新宿中央通り)

2009-09-12 06:47:20 | Weblog
地上に出て、さらに、都庁脇の階段を登っていくと、南北に伸びる、都庁通り。
眼下には、今回、最初に訪れた、新宿駅西口から西へ伸びている、中央通りがある。
このように、西新宿高層ビル街では、東西の通りは下、南北の通りは上、となっており、立体的な都市構造を形成している。
交通の流れを、上下に分離した、快適な都市空間、というわけだ。
もっとも、一見して、便利そうだけど、いちいち、階段を登り降りしければならないので、面倒といえば、面倒なのだが。
さらに言えば、西へまっすぐ伸びる、幅広の立派な、中央通り、すぐに、新宿中央公園で、行き止まりになってしまう。
行き止まりになるから、外部から、クルマが侵入してこれないので、西新宿高層ビル街は、静かなんだろうけど。
ただ、これでは、幅広な車道、という意味は、まったくない。そもそも、交通の流れがないので、それを快適にする、というのは、無駄なんじゃないかな。
それに、歩行者にとっては、かなり、不便になってしまう。
もし、今なら、上下に分離するとすれば、歩道と、車道、だろう。つまり、ペデストリアンデッキを設置するところだろうな。
高度成長期の頃は、そこまでは、想定していなかったのだろう。
そういうことなら、中央通りを緑地帯にしてしまえばいいかもしれない。
つまり、新宿中央公園から連続して、緑の細長い公園を、新宿駅西口近くまで伸ばすのだ。
改札を出て、和やかな西口の地下駅前広場があり、さらに、緑の公園が、西へと伸びていれば、いい雰囲気かもしれない。
西新宿高層ビル街は、いまや、時代遅れの、高度成長期の描いた未来都市、というテーマパークと考えれば、そうなってもいいと思うのだが。
(2009年5月記)

丸ノ内線西新宿駅(都庁前駅への地下道)

2009-09-11 06:11:45 | Weblog
丸ノ内線西新宿駅に関しては、ちょっと前、一世を風靡した、秋庭俊氏の地下伝説本に載っていたような気がする。
だが、その本が、どっか、部屋の中に埋もれていて、未だに見つからないな。
たしか、こんな内容だったはずだ。
西新宿駅は、最初から、存在していて、政府関係者が、極秘裏に利用していた。
その必要性がなくなったので、民間に開放された。
という感じだったかな。
これが、本当なら、極秘裏の駅なので、そのまま、地上に出るわけには、いかないだろう。マンホールや、偽装した家屋が、入口になっていた、なんて、考えられないし。
政府の要人が、誰もいない時間を見計らって、マンホールの蓋を開けて、こっそり、出てきたら、マンガだな。
ということは、当然、その秘密の駅には、地下通路がなければならない。
ひょっとして、今、通っている、地下道が、その秘密の地下通路なのかな。
そういえば、バブルの頃から、西新宿高層ビル街は、かなり、訪れているのだが、西新宿駅も、この地下道も、その工事は、まったく、気付かなかった。
忽然と、完成したような気がする。
特に、地下道は、まさか、シールド工法で掘削するわけもないので、地上からでも、その工事は、わかるはずなんだけど。
これは、もしかすると、最初っから、駅も、地下道も、存在したのかな。妙な具合に、通路の幅が、広いのも、気になるし。
などと、考えるのは、都市伝説っぽくて、ミステリアスで、妙味深いな。
ただ、今、考えると、税務署通りのあたりまで、大規模な再開発も行われているので、駅があっても、違和感はない。あるいは、地下道も、さらに、その再開発地域まで、伸びるかもしれない。
そうなると、なんだか、不思議さの度合いも、薄まってきてしまうが。
そんなことに、思いを巡らしながら歩いていると、いつの間にか、都庁前駅へ。
階段を登り、外に出ると、ミステリーの世界から、醒めたような、気分がする。
(2009年5月記)