retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅(パークシティ柏の葉A棟)

2009-07-21 04:59:11 | Weblog
おおたかの森流山駅に戻り、再び、つくばエクスプレスに乗り込む。
次の駅、柏の葉キャンパス駅で下車。
次の駅、といっても、つくばエクスプレスの場合、駅間が、かなり開いているので、だいぶ、距離があるけど。
実際は、駅名のとおり、流山から柏、といったところか。
ただ、特に、街並みが、変わるわけではないので、遠い距離を移動した、という感じは、あまりしないな。
変わったところを、強いて挙げれば、駅近くに建っているビルの形が違う、というところぐらいか。
それに対して、例えば、流山の街から、柏の街へ、移動したとすれば、なんとなく、その街の持つ、独特の雰囲気が変わるので、移動した、と実感することだろう。
と思ったけど、最近は、あんまり、そういう、固有の街の雰囲気なんて、画一化されていて、なくなっているから、そうとばかりもいえないかも。
宇都宮に行ったときも、あまりに、都心の郊外に、街並みが似ているので、危うく、帰るのを、忘れるところだったし。
そんなことを考えながら、駅の東側へ。
駅の東側一帯は、高層住宅群、パークシティ柏の葉が広がっている。
その高層住宅群の北側を東へと歩くと、北東端には、パークシティ柏の葉A棟。(工事中はこちら
まわりを見渡すと、さすがに、森はないけど、やっぱり、何もない。
何もないなら、木でも植えて、森林公園にでもすればいいのに。
だけど、高層住宅群のまわりに、何もないのは、そういう計画があったからではなく、期せずして、そうなっているにすぎないので、あらためて、森を作る、なんてことは、ないだろうなあ。
森はなくても、静かで、いいかもしれないけど。
(2009年4月記)

つくばエクスプレスおおたかの森流山駅(おおたかの森流山駅前広場)

2009-07-20 07:26:09 | Weblog
北へ歩き、駅へ戻る。
つくばエクスプレスの東側は、駅前広場になっているが、不思議なことに、クルマが入れるようには、なっていない。
だから、本当に、広々とした雰囲気。
その広場を挟んで、つくばエクスプレスの反対側には、低層のショッピングセンターがある。
広大な住宅地が、控えているわけでもないので、ずいぶんと、控え目な感じの、ショッピングセンターだな。
なにせ、今のところ、ザ・フォレストレジデンスぐらいしか、ないのだから、当然、そういうことになるだろう。
おおたかの森流山駅は、東西に伸びる、東武野田線と交差しているのだが、その東武野田線の北側は、もう少し、駅前らしい感じかもしれないけど。
ただ、常磐線沿線みたいに、広範囲に亘って、住宅地が広がる、なんてことは、もう、ないんじゃないかな。
特に、人口が増えているわけもないし。それに、都心回帰で、むしろ、人口は、都心へ移動しているし。
さらに言えば、すでに、高層住宅も建ってしまったので、宅地が広がりようもない。
普通は、宅地が広がり、最後に、それらを睥睨するようにして、駅近くの、便利な場所に、高層住宅が、建ったりするのだ。
特に、最近は、そのようなケースが多い。
でも、つくばエクスプレス沿線の場合、宅地開発は、もはや、無理なので、どうしようもなく、いきなり、高層住宅の方を、建ててしまったみたい。
真意は、わからないけど、結果的に、まわりの環境は、保たれたわけだ。
そういえば、この控え目な感じの、ショッピングセンター、観光地の、アウトレットモールに、似ているような感じがする。気のせいかな。
(2009年4月記)

つくばエクスプレスおおたかの森流山駅(美しい緑の公園と自然)

2009-07-19 06:56:00 | Weblog
高層住宅群ザ・フォレストレジデンスの南側には、湿地帯が広がっている。自然豊かな風景だ。
その水面に、春の日差しが、反射して、きらきらと光っている。そして、湿地帯の周囲は、青々とした植物が生い茂り、時に、吹き渡る風に、波打っている。
青い空、きらめく水面、さざ波のように揺れている緑の草地。
本当に、のどかな感じがして、いい環境だな。
ただ、この湿地帯、工事用のフェンスで囲われていたので、ひょっとしたら、埋立てられてしまうのかもしれないけど。
そうだとしたら、ちょっと残念だ。
残念、といえば、駅の西側には、駅名にもなった、森があるのだが、半分ぐらい消滅してしまった、ということらしい。
もし、消滅していなければ、この高層住宅群の周囲は、森になっていたことだろう。
また、オオタカが飛ぶ姿も見れたかもしれない。
たぶん、昔は、駅近くに、こんな風に、高層住宅を建てる、という発想がなかったのだ。だから、ひたすら、森を切り拓き、宅地造成地を広げようとしてしまったのだな。
ザ・フォレストレジデンスの東側には、広々とした公園が広がる。
ここも、高層住宅がなかったら、宅地になっていたのかも。宅地になっても、公園は、あったんだろうが、こんなに広々としてはいなかったに違いない。
最近、多い、高層住宅にしてみたら、期せずして、まわりの環境が残ったのだろうか。
理由は、ともかく、つくばエクスプレスの沿線が、こんなにいい環境だとは、思わなかったな。
いつまでも、このような、環境が残るといいんだけど。
もともと、そういう予定があったわけではないので、この先は、わからない。
でも、とりあえず、一帯には、最良の、春が、訪れているように思える。
(2009年4月記)

つくばエクスプレス流山おおたかの森駅(ザ・フォレストレジデンスBright Leaf)

2009-07-18 06:10:00 | Weblog
国際通りへ再び出る。
すぐに、つくばエクスプレスの浅草駅がある。
銀座線や東武伊勢崎線の浅草駅とは、かなり、離れているけど。
だとすると、そちらの浅草駅と区別するために、つくばエクスプレスの方は、西浅草駅でも、よかったかもしれない。
実際、駅名が同じだと、乗換駅と、勘違いするだろうし。
でも、さっきの、浅草六区レトロテーマパークの賑わいを見ていると、やはり、この一帯も、昔ながらの、あるいは、正真正銘の、浅草、という感じがしてくる。
だから、やはり、浅草駅で、いいのだろう。乗換駅でない、ということに、留意してもらえれば。
階段を降りて、地下の駅へ。
地上は、あれだけ、レトロな雰囲気で満たされていたのに、地下は、近未来的だな。
一瞬、この違いの大きさに、戸惑ってしまう。その戸惑いは、困惑、というより、心地よいものなんだけど。
つくばエクスプレスへ乗車。
相変わらず、速くて快適だ。
現代のように、未来志向がなくなってしまった、世の中にあって、よく、このような近未来的な鉄道を開通させたものだと、感心するなあ。
つくばエクスプレスは、瞬く間に、東京都を出て、埼玉県をかすめ、千葉県流山市へ。
流山おおたかの森駅で下車。
本当に、今でも、オオタカが生息しているのかどうか、知らないけど、とにかく、のどかな環境だ。
つくばエキスプレスの高架に沿うようにして、南へと歩いていく。
すぐに、高層住宅群。その中に、ザ・フォレストレジデンスBright Leafがある。
最近、竣工している。
いちおう、近頃、多い、駅近くの高層住宅、ということなんだろうけど。
ただ、つくばエクスプレスの場合、ちょっと、違う点がある。
それは、この高層住宅群のまわりに、何もないことだ。
一面、オオタカの森で覆われている、というほどでもないけど、宅地化されてはいない。どこまでも、のどかな環境が広がっているのだ。
(2009年4月記)

つくばエクスプレス浅草駅(花やしき)

2009-07-17 05:08:04 | Weblog
東へと歩き、西浅草に戻る。
今日は、天気もいいし、暖かだし、行楽日和だ。だから、賑わっているのだな。
さっきの国際通りへ。
この国際通りの東側が、賑やかな繁華街、となっている。
昔、バブルの頃に来たときは、むしろ、時代遅れで、寂れた雰囲気がしたものだが。
今は、レトロテーマパークとして、むしろ、かなり、人気があるようだ。
ちょっと、繁華街に入ると、ロック映画街。その南側の端には、ROX。
この「ロック」という、名前、昔、ここに来たのは、ロックのコンサートを見るためだったので、どうしても、音楽の方の「ロック」を、連想してしまう。
「ロック」は、浅草六区の「六区」だろうけど。
でも、当時は、バブルの時代にあって、その寂れた街並みが、反時代、という、ロックと馴染んだのかもしれない。なんて、ことは、ないんだろうな。
賑やかな通りを、少し、東へ行くと、花やしきがある。
レトロテーマパークの中でも、かなり、成功した部類だろう。
普通だったら、こんな、小さな遊園地に、客が集まる、ということは、珍しいのだ。
ところで、浅草、といえば、繁華街としての、その最盛期は、高度成長期の前。
その頃、ひょっとしたら、日本で、最も、賑やかな場所だったかもしれない。
そんな浅草なのだが、高度成長を達成し、工業立国から、成熟債権国家へ、変貌すると、寂れていく。その盛衰は、赤坂と似ているな。
ただ、寂れて、なくなってしまうわけにはいかないので、レトロな路線に活路を見出した、というわけだろうか。
ロック映画街を南へと、歩いてみる。ちょっと行くと、演芸場があった。
何の気なしに、演目を見ていたら、なんと、ミスター梅介、という懐かしい芸人さんの名前。(あまり有名ではないかな)
昔、テレビにいた芸人さんが、こんな風に、レトロテーマパークにいる、というのも、なんか、時代の流れを感じるなあ。
ちょっと、入ってみようか。
という具合に、ぶらぶらしていると、一日、経ってしまうので、繁華街を出ることにする。
後ろ髪引かれる思いで、次の場所に向かうため、駅へと向かう。
(2009年4月記)

つくばエクスプレス浅草駅(西浅草再開発)

2009-07-16 04:59:43 | Weblog
高田馬場駅から東西線。日本橋駅で銀座線に乗り換える。
銀座線なんて、ひさしぶりだ。
こういう、レトロな電車に乗るのも、たまには、いいかも。なんとなく、のんびりした気分になるし。
それにしても、観光客が多いな。自分も、その一人なんだろうけど。
浅草駅に着く。
観光客の波に押されるようにして、ホームへ出て、改札を通り抜ける。
その先には、レトロな地下街、と思ったら、普通のエキナカみたいになっていた。
すみずみまで、昭和のレトロ、浅草の街、というわけには、いかなかったのかな。
ちょっと、もったいないような気もするが。
地上に出ると、もうそこは、賑やかな嬌声で、溢れかえっている。
西へ進むと、雷門。定番の観光スポットだ。
自分は、通り過ぎるだけだけど。
そのまま、どんどん、西へ歩いていく。
観光地、というのは、賑やかでいいんだが、なんで、食べ物屋の値段が、馬鹿みたいに高いのだろうか。
そういうことも、観光地の証なんだろうけど。
南北に伸びる、国際通りとの交差点。国際通りに入って、北へと歩いていく。
雷門の方は、表向きの観光地だが、こちら側、西浅草は、ディープな浅草、という感じがする。
そんな西浅草の街を、北へ北へと歩き、浅草ビューホテルのところで、西へ。
街中を西へと進む。さっきまで、あれだけ、賑わっていたのに、通りを一歩、入ると、とても静か。
そのまま、西へ行くと、また、ちょっと、賑やかな通りに出た、と思ったら、かっぱ橋道具街だった。
将来的には、このかっぱ橋も、テーマパークとして、もっと賑やかになるかもしれないが、特に、かっぱ橋に行きたかったわけではない。なんか、目的地を素通りしてしまったみたい。
さっきの道を少し戻り、今度は、北へと、歩いていく。
しばらくすると、街中に、広い更地。西浅草再開発の予定地だ。
西浅草、とあるが、これなら、むしろ、かっぱ橋の方が近いな。
ここからなら、かっぱ橋は、目の前だし、ディープな観光地、西浅草にも、歩いて行ける。
そういうことだけ考えれば、楽しそうな環境だが。
(2009年4月記)

総武線飯田橋駅(ステージビルディング)

2009-07-15 04:41:12 | Weblog
この歩道橋から、西に向かっても、また、池上通りを、いったん、南に行き、交差点を曲がって、同じように西に行っても、西大井駅に辿り着く。
たぶん、西大井駅まで、同じ圏内、なんだろうな。
「時代屋の女房」の中では、その西大井駅近く、横須賀線の踏切のそばに、骨董屋さんと知り合いの、ちょっと、年老いた、クリーニング屋さんがいることになっている。
ある時、骨董屋さん、そのクリーニング屋さんに対して、電車が通るたびに、震動で、入れ歯が、カタカタ、音を立てていますよ、と言ってしまうのだ。
すぐに、お前さん、いやな事に、気が付くタチだねえ、と、たしなめられるけど。
普通、そんなことは、わかっていても、言わないものだ。何十年か経てば、自分も、同じ境遇になるのだから。
でも、時間の止まった、古道具に囲まれていると、年月が経てば、老いる、ということを、忘れてしまうのかもしれないな。
そんな骨董屋さんなのだが、徐々に、時間とは、無関係という、錯覚に、違和感を覚え始める。
そもそも、古道具だって、なんで価値があるのかといえば、それを必要とする者が、老いていく存在だから、ということでもあるんだし。
そして、決定的だったのは、ひょんなことから、骨董屋に転がり込み、一緒に暮らし始めた女性が、何の前触れもなく、数日間、姿を消してしまう、ということなんだろうな。
彼女に対する喪失感が、繰り返されれば、彼女の存在が、永遠でない、ということを、いやでも、実感させたに違いない。
儚い存在の、彼女を、だから、いとしく、感じるようになるのだ。
そこまで、考えて、歩道橋を降り、三ツ又商店街を通って、大井町駅に向かいながら、また、考え続ける。
なんで、このような、話が、バブル直前の時代に、生まれたんだろう。
あの頃は、昨日よりも今日、今日よりも明日、と生活がよくなっていく時代だった。そして、明日のその先には、未来があったのだ。
今とは、時代の感覚が、まるで、違っていたのかもしれないな。
大井町駅に着き、京浜東北線に乗る。
そういえば、あの頃の京浜東北線は、車体が青色だった。しかも、頑丈そうに見えた。今の車両は、ステンレス製でかっこいいけど、最初から、長持ちするようには、できていないみたい。
そのことは、時代というものが、昔は、未来への過程、だったのに対して、今は、ただの、変化、という違いを、表しているように思える。
そんな京浜東北線を、秋葉原駅で下車。総武線に乗り換える。
飯田橋駅で降りる。駅南側に出て、線路に沿って、西へ。坂を上っていく。
道路の南側には、再開発で、最近、出現したビル群。
その中の一つに、ステージビルディングがある。(工事中はこちら
以前、この場所にあった街は、もう、跡形もない。過去は、思い出の中だけ。
その思い出が過ぎった時、ふと、時代の感覚、が滲むように、溢れてきた。
ひょっとしたら、今の世の中、時代の流れ、というのは、こんな風に、失われたものでしか、実感できないのかもしれない。
とすると、今、時代屋があったら、そこに、彼女は、もう、戻っては、来ないだろう。
戻って来ない、というところから、時代屋の話は、始まるのだ。
(2009年4月記)

京浜東北線大井町駅(歩道橋から時代屋を臨む)

2009-07-14 05:01:10 | Weblog
若い女性(夏目雅子)が、やって来るのは、いつも、この歩道橋からなので、ちょっと、歩道橋から、時代屋のあった場所を、写真に撮ってみた。
なるほど、この歩道橋の上からだと、もし、本当に、時代屋があれば、かなり、目立つな。三ツ又商店街の、入口でもあるし。
ところで、この女性、どこから来て、どこへ行こうとしていたのかな。
地理的に見れば、南の方から、池上通りを、北へ歩いてきて、三ツ又商店街に入り、大井町駅へ向かっていた、としか考えられない。
ということは、少しは、このあたりの、土地勘は、あったわけだ。それどころか、何度か、このルートで、大井町駅に行っていた可能性が強いように思える。
もし、そうなら、たぶん、この歩道橋の下に、骨董屋があることも、あるいは、ひょっとして、その骨董屋の主人についても、遠目で見た限りにおいて、すでに、知っていたのだろう。
そのように考えると、ふらっと、時代屋に現れたのではなく、首尾よく、転がり込んだ、とした方が、自然な気がするな。
では、なんで、転がり込んだ先が、時代屋、という名前の、骨董屋なのだろうか。
たぶん、こういうことなのかもしれない。
骨董屋とは、さまざまな時代の物を扱うお店。だから、そこには、時間の流れ、というものがない。骨董屋の中では、時間が止まっているのだ。
つまり、「時代」を売っているお店は、時代からは、無縁な存在、に違いない。「時代屋」、という店名は、そのことを、暗喩しているのかも。
彼女にとって、そのように、時間が、止まっている場所が、欲しかったのだろう。(簡単に言えば、世間から、放って置かれたかったのかな)
そして、ふっと、数日間、姿を消している間だけ、時間が動き出していさえいれば、いいのだ。(テレビドラマで、リメイクしたとき、姿を消している間は、親権を失った、自分の子供に会っていた、という解釈だったみたいだが)
「吹き溜まりで、出会った、塵くず同士が、使い捨てられた品々を、売り物にして生きていく」
最初は、こんな具合だったけど、だんだん、そうではなくなっていく。
例えば、いつものように、何の前触れもなく、姿を消して、戻ってきた彼女を、骨董屋は、とても、優しく迎え入れる。
彼女は、涙を落としながら、呟く。「あんたって、本当に、ばかみたい」
優しくされれば、当初の思惑が、崩れていくのだ。
彼女は、ふと、こんな風にも、言ってみる。
「骨董屋さんが、優しくて、あたしが、残酷なのかしら」
「骨董屋さんは、気付かないで、残酷なのかもね」
なぜなら、優しくされれば、思い出ができる。
その思い出は、どんどん、積み重なっていく。
積み重なった思い出は、時を紡ぎ上げ、やがて、時間になっていくのだ。
そして、骨董屋の中で、止まっていたはずの、時間が、動き出す。
もっとも、それって、残酷なことなのかな。
彼女を見ていると、まんざらでもないように、見えるんだけど。
(2009年4月記)

京浜東北線大井町駅(時代屋の跡)

2009-07-13 03:25:42 | Weblog
JRの川崎駅に着き、京浜東北線に乗る。
大井町駅で下車。
次の目的地は、大井町なのだが、大井町、と言えば、「時代屋の女房」、ということになる。
その「時代屋の女房」ゆかりの場所を、ちょっと、訪れることにする。
この作品、バブル直前ぐらいに世に出たのだが、小説も映画(夏目雅子が出演している)も、当時は、ずいぶん、流行ったな。
ただ、売れていた当時、特に、読みもしなかったし、見もしなかったけど。
最近になって、遅ればせながら、見ようと思ったのだが、映画の方は、とりあえず、DVDが、まだ、残っていた。ただ、小説の方は、もう、ない。単行本になっている、自選集に収録されているのを、やっと、見つけたぐらい。
この作品の作者の文庫本、ちょっと前には、本屋に、ずらっと、あったのに、今や、一冊もないのだ。まさに、「時代」の流れを、感じるなあ。
あらすじは、以下の通り。
ある骨董屋に、若い女性が、ふらっと、現れ、いつの間にか、住み着いてしまう。
夫婦みたいに、暮らし始める、骨董屋の主人と若い女性。だが、その若い女性、突然、ふっと、何日間か、いなくなってしまう。
それが、重なるたびに、骨董屋の主人、愛惜の情が、高まってくる。
そして、ついに、最後には、胸も張り裂けるほどの状態になってしまう。だが、若い女性は、いつものように、けろりとして、戻ってくるのだ。そこで、おしまい。
結局、情が移った、という、お話、なんだろうけど。それが、なんで、小説たりえたのだろうか。そんな風に、難しく考える前に、まず、その舞台を訪ねてみよう。
駅の西側に出て、線路に沿って、南へ。
ちょっと前まで、通りの西側に、阪急デパートがあったのだが、今は、工事中で、更地になっている。
その阪急デパート跡地の南側から、南西方向に、三ツ又商店街が、伸びている。
かなり前に来たときは、ちょっと、下町っぽかったのだが、今、通ってみると、今風のお店が、並んでいて、拍子抜けしてしまったが。
少し上り坂になっている、その三ツ又商店街の端まで行くと、三叉路の交差点がある。
その交差点には、歩道橋があって、歩道橋の螺旋状の階段の下に、狭い駐車場。
そう、この駐車場に、時代屋が、あったのだ。
映画のまんまだなあ。えらく、感動してしまった。
もっとも、映画のまま、なのは、歩道橋と、時代屋の向かいにある、お地蔵さん、ぐらいなんだけど。
それに、まわりのお店は、当時は、下町っぽい、普通の商店街のお店なのだが、今は、おしゃれっぽいお店だらけになっている。
ただ、全体的に見ると、映画のまま。本当に、感動してしまったな。
(2009年4月記)

京浜急行大師線港町駅(港町駅ホーム)

2009-07-12 07:08:29 | Weblog
川崎駅から、歩いても、それほどの距離ではない、と思ったが、意外と、遠かったな。
帰りは、歩くのをやめて、一駅だが、電車に乗ることにする。
京浜急行大師線の港町駅へ。
ホームと、質素な駅舎だけの、シンプルな駅。ずっと以前から、変わらないみたいな感じ。
以前、京浜工場地帯を通る、鶴見線に乗ったことを、思い出してしまった。
工場地帯は、駅中心に街があるわけではないので、駅のまわりには、何もないのだ。
たしか、浜川崎駅、という駅には、すごく小さなパン屋が、一軒だけあった。そこで、菓子パン買って、昼飯にしたんだっけ。
そんな、港町駅なのだが、すぐ北側に、高層住宅が、建ち並ぶらしい。
ようやく、普通の駅らしくなるのだな。今度こそ、駅前広場や、商店街ができるかもしれない。
と、思ったら、実は、京浜急行大師線は、全線、地下化される、ということだ。
駅の場所も、この場所より、少し、南側、さっき歩いてきた、大師道沿いに、移動する予定。
だから、駅設備を更新しないで、そのまま、放って置おかれていたわけか。近い将来、路線ごと、消滅するのであれば、きれいに整備しても、仕方ないしな。
川崎駅行きの電車が、やっと来たので、乗り込む。
列車は、西へと進み、途中、ゆっくりと、大きくカーブを描きながら、南へと向きを変え、京浜急行の川崎駅へと、吸い込まれていく。
京浜急行大師線のホームは、支線のわりには、意外と、広いし、何よりも、高度成長期の雰囲気が、漂っている。
川崎大師への参詣客も多いだろうが、昔は、工場への勤務者も、多かったに違いない。
だが、この懐かしい感じのホームも、消えてしまうのだな。
こうして、自分の知っている風景が、次々となくなっていくと、なんか、自分が取り残されていくように感じてしまう。
京浜急行の川崎駅を出て、急いで、JRの川崎駅へ。次の目的地に向かう。
(2009年4月記)