retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

南北線永田町駅(参議院新議員会館工事現場)

2009-03-11 06:10:57 | Weblog
国会議事堂の西側を南北に伸びる大通りを、今度は北へ歩く。
来た道を戻っているわけだが。
しばらく進むと、衆議院会館北棟工事現場の北側に、参議院新議員会館工事現場がある。つまりは、この高層ビルも含め、議員会館の高層ビルが、国会議事堂の西側に3棟、南北に連なるように建つ、ということになる。
完成すれば、さぞ壮観な眺めだろうな。
でも、それは、高台の麓から見たときなんだろうけど。
参議院新議員会館工事現場の北側の急な坂を下っていく。
下りきって、下界に降り立つと、普通の街並みが、広がっているので、あっけない感じになってしまうが。
ところで、今の国会議事堂、昭和に入ってから、完成している。ということは、意外に新しいのだ。
その頃は、都心部と郊外、という、今の社会のあり方が、完成した時期でもある。
もっとも、国会議事堂の完成と都心部、郊外、というのが、どう関係しているのか、わからないけど。
ただ、新しい、ということは、国会議事堂の建物は完成しても、全体の施設は、まだ、未完成なんじゃないかな、という感じもしてしまうな。
なにをもって、完成、と呼べるのか、これもまた、わからないのだが。
とりあえずは、議員会館の高層ビルが完成したら、一区切りなのかな。
そんなことを考えながら、南へと歩き、山王日枝神社の森と日比谷高校の間の道に入って、西へ向かう。
この日に限らないけど、今年の秋は、残暑が厳しい。夏みたいだ。
その暑さの中、山王日枝神社の深い緑は、いっそう、輝いてみえる。
一方、細い道路を挟んで、反対側からは、クラブ活動かなんかやっているのだろうか。
高校生らの元気な声が響き渡っている。
思わず、まだ、夏休みかと思ってしまう。
本当に、こんな雰囲気の中にいると、ほっとする。
台地の上(実際は崖下なのだが)で、高層ビルが建っても、建たなくても、どちらでもいいけど。
今ある、下界の、この、静かな日常が、ずっと、そのまま、続いてくれれば、それでいい、と思うなあ。
(2008年9月記)

南北線永田町駅(衆議院会館南棟工事現場)

2009-03-10 06:11:03 | Weblog
少し南側に歩くと、今度は、衆議院会館南棟工事現場がある。
何故、今頃になって、高層ビルを建て始めたのか、よくわからないが。
ひょっとしたら、世間は不景気なので、有効需要の創設、ということなのだろうか。
あるいは、老朽化、ということもあるのかな。
理由はともかくとしても、今のところ、既存の建物が解体されて、なくなってしまったので、西側の方が開けていて、眺めがいい。
あらためて、高台にいる、ということを、実感してしまうな。
もっとも、既存の建物があった頃、この場所に来たことはないので、以前の景観がどうなっていたのか、わからないが。
ところで、この高層ビルも崖下から建つと思うので、完成したとき、ビル全体を見るには、やはり、国会議事堂のある高台からではなくて、崖下の溜池の方から見ることになるだろう。
そうなると、高台の斜面を、人工の建造物が覆ったような感じになるのだろうか。
そういえば、議員会館と国会議事堂は、地下でつながっている、ということらしい。だから、このような高層ビルになると、高台全体が、人工の建造物みたいになってくるのだろう。
そして、崖下の南側には、すぐ、首相官邸があったりする。
こちらは、どうなっているのかわからないけど、やはり、国会議事堂の方につながっているのだろうな。
こうして見ると、なんだか、昔の子供向け番組に出てきたような、要塞、秘密基地、を思い浮かべてしまう。
ただ、この国会議事堂のある高台が、秘密基地であろうと、なかろうと、自分には、あまり関係ないので、興味もないが。それに、秘密基地、というのは、今に始まったことではないかもしれないし。
とりあえずは、建設工事を始めているので、景気の足しには、なってるんじゃないだろうかな。
(2008年9月記)

南北線永田町駅(衆議院会館北棟工事現場)

2009-03-09 06:11:37 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で南北線に乗り換える。
永田町駅で下車。
南東へと向かう。いったん坂を下った後、急な上り坂。
台地の上へと向かっている感じだ。
登りきると、交差点。南へ曲がり、そのまま南へと歩く。
相変わらず、誰もいないが、当たり前か。
通りの東側には、国会議事堂。立法の中枢、ということで、賑やかなわけはないか。
閑散としている中、たまに、外国人の一行が通るのみ。
そんな国会議事堂前の大通りを南へ進んでいくと、国会議事堂の真ん中あたりの、通りを挟んで、西側に衆議院会館北棟工事現場がある。
そういえば、国会議事堂の東側に正門があるので、こちらは、裏側になる。
その裏側には、議員会館があるわけだ。
そして、今、その議員会館は、高層ビルへの建て替え工事をやっている。
ただ、議員会館とはいえ、国会議事堂の裏手に高層ビルを建てると、後ろに屏風があるみたいになってしまうような気もするが。
たぶん、この議員会館のある、国会議事堂の西側は、溜池への崖下になるので、その崖下から、高層ビルを建てていく、ということになるのだろう。
だから、台地の上にある、国会議事堂から見て、目立つわけでもないのかな。
とすると、このような場所にも、崖下、谷地は、再開発されやすい、という法則が成り立つ、ということか。
下町があるわけじゃないけど、興味深いことだ。
この高層ビルが完成すれば、溜池から見ると、チベットのポタラ宮みたいな景観になるかもしれない。
台地全体が、あたかも、人工の建造物みたいに見える、ということだ。
なんだか、究極の集積化、という感じがする。
もっとも、手前に山王日枝神社のこんもりした山があるので、遠くからでも、そう見える、ということはないだろうけど。
(2008年9月記)

日比谷線南千住駅(都営南千住四丁目アパート)

2009-03-08 07:56:09 | Weblog
トミンタワー南千住四丁目の西側には、リバーハープタワー南千住2号館がある。
その間にある階段を登っていくと、人工地盤の上に作られた公園。
草が生い茂り、なんだか、人工地盤の上にいるとは、思えないような感じだ。
その公園を横切って、北へ。
公園の北東側には、都営南千住四丁目アパートがある。
竣工は、同じく、失われた10年の終わり頃。
他にも、西側には、最近、できたロイヤルパークスタワー南千住がある。
このように、南千住の高層住宅群は、これら4棟の高層棟によって形成されている。
ちょっと前から、あちこちで、できている、典型的な駅前コロニー風の高層住宅群なのだろうな。
ただ、ほんの少し、他の高層住宅群と違うのは、この高層住宅群と駅の間に商業施設があって、けっこう、賑やかになっている、というところだろうか。
東側にも、団地があるので、客は多いのだろう。
自分もつい、いつも、誘われるように、その中に入ってしまう。気付いてみると、飲食店の中で、飲み物を手にして、休んでいたりするのだ。
そして、窓の外をぼんやり眺めていると、多くの家族連れが楽しそうに通っていく。
本当に、平和な光景だな。
昔の汐入の街が、跡形もなく消滅したとしても、これなら、本望なのかもしれない。
今回も、いつものように、一休みする。
ぼんやりしていたいのだが、帰らなければならない。
重い腰を上げ、店を出て、駅に向かう。
そういえば、以前は、日比谷線の南千住駅と常磐線の南千住駅は、まったく、違う駅のような感じだったっけ。
今は、一応、一体の駅にはなっているようだ。しかも、そこに、つくばエクスプレスの地下駅も加わっている。
路線からだけ見ると、一大ターミナルステーションなのだが。
駅自体は、まだ、そういう感じでもない。でも、将来は、そうなるのかもしれないな。
もし、そうなったとしても、家族連れの集う、平和な光景は、そのまま、残っていて欲しいものだ。
高架上の日比谷線南千住駅で家路につくとする。
(2008年9月記)

日比谷線南千住駅(トミンタワー南千住四丁目)

2009-03-07 04:46:26 | Weblog
また、晴海通りに出て、南東方向に歩く。
東銀座駅で日比谷線に乗る。
日比谷線は、東急東横線が乗り入れてきており、そのうえ、広尾、六本木、銀座と、ずいぶん、山の手っぽい場所を通るのだが、その割には、なんとなく、庶民的な雰囲気がする路線だ。
たぶん、反対側から、東武伊勢崎線が乗り入れ、そして、北千住、南千住、三ノ輪、入谷、上野、と、下町を通ってくるので、そちらからの影響なのだろう。
さらに言えば、開業は、高度成長期なのだが、南千住、北千住、あたりから、順次、都心に向けて、延伸していっているのだ。
なにか、世の中が、豊かさに向けて、邁進しているのに合わせている感じかな。
同じような路線に、半蔵門線があるが、こちらは、日比谷線のパターンとは、逆になっている。
山の手、田園都市から、順次、開通していき、そして、錦糸町、押上、曳舟、へと向かっているのだが、こちらは、今も、山の手路線のままだ。
山の手路線のままなので、錦糸町、押上、曳舟がその影響を受けて、再開発が行われているような気もするな。
そんなことを考えているうちに、列車は、地上に出て、高架上の南千住駅に滑り込む。
南千住駅周辺は、日比谷線沿線の中では、近年、もっとも、変化が著しい。
一頃よりは、落ち着いたが、変化は、まだ、続いているようだ。
下町路線の日比谷線沿線も、都心集積化の波を受けている、というわけかな。
そんな南千住の街に降り立つ。
駅西側に向かうのだが、昔は、電車の車庫が広がっているだけなので、まず、いったん、南側に出て、広大な車庫の南側を延々と東に歩かなければならなかった。
そして、車庫の東端に辿り着くと、今度は、北側に歩く。
かなり歩くと、その先には、今は、消滅しているが、汐入の街が広がっていたのだ。
昭和レトロな街並みで、少しでも、残っていれば、歴史テーマパークにはなったかもしれないな。
今は、駅から、ドナウ通りという、ずいぶん、おしゃれな名前の通りで、そのまま、西へ向かうことができる。
そのドナウ通りで西へと歩いていくと、やがて、高層住宅群。
その高層住宅群の南東側には、トミンタワー南千住四丁目がある。
竣工は、失われた10年の終わり頃。都心集積化が始まろうとしていた頃だ。
つまりは、その頃、汐入の街が消え、その代わりに、高層住宅が現れた、ということだな。
(2008年9月記)

都営浅草線東銀座駅(新王子製紙本社ビル)

2009-03-06 06:13:01 | Weblog
北へ向かい、田町駅に戻る。
今回は、駅通路を通って、北側に出るだけなのだが。
北側のペデストリアンデッキに出て、エスカレータで地上に降り、さらに地下へ。
三田駅に向かう。
この駅は、高度成長期に完成したので、芝浦が、工場街だった頃の雰囲気がまだ残っているような感じだけど。
たぶん、ただ、取り残されているだけなんだろうな。いずれは、きれいに整備されるのだろう。
三田駅で都営浅草線に乗る。
東銀座駅で下車。
地上に出ると晴海通り。
晴海通りは、勝鬨橋、築地から銀座を通って、有楽町に到る、銀座の一方のメインストリートだ。もう一方は、松屋、三越、松坂屋が並ぶ、中央通りだろうか。
晴海通りの方は、何度も通ったが、中央通りなんて、ほとんど、通ったことがない。そもそも、そんなところに用がないしなあ。
晴海通りを北西へと歩いていく。途中、北へ曲がり、そのまま北へ。
すぐに、新王子製紙本社ビルがある。
竣工は、バブルの頃だ。
銀座、と言えば、日本一、敷居の高い高級商業地、となっているのだが、ということは、山の手のようなものなので、高層ビルは建たないはずだ。そう考えると、よく建ったものだと思う。
バブルの勢いで建ってしまったのだろうか。
もっとも、建物内の王子ホール、というのは、銀座でも人気らしいし、ビル自体も、銀座の街に溶け込んでいるように見える。
そういえば、新王子製紙の創業者は、山の手住宅地、田園調布を作った、渋沢栄一だったはずだ。
なるほど、山の手つながりなら、高層ビルぐらい建つものらしいな。
本当は、どうだか、わからないけど。
とりあえず、銀座も、田園調布も、どちらも、自分とは、関係ない、ということは、はっきりしているな。
ということで、早いところ、退散した方がよさそうだ。
(2008年9月記)

山手線田町駅(芝浦アイランドブルームタワー)

2009-03-05 06:12:17 | Weblog
南に歩き、東西に伸びる幅広の交通量の多い甲州街道へ。
甲州街道を東へ東へと歩く。
新宿駅までは、遠いなあ。
こんな場所に、巨大高層ビルを建てようなんて、やはり、バブルの頃しか、思いつかないだろう。
西隣の西新宿3丁目西地区再開発が、なかなか、実現しないのも、実は、単に、駅と離れているからなんじゃないかな。
延々と歩いて、やっと、新宿駅に辿り着く。
山手線に乗る。
田町駅に向かうのだが、妙に遠回りだ、といつも思ってしまう。
ひょっとしたら、今回は、都庁前駅で都営大江戸線に乗り、大門駅で都営浅草線に乗り換え、三田駅で下車、というのが正解なのかもしれない。
田町駅に着き、南側に出る。
メインストリートを南へと歩き、運河を渡ると、芝浦アイランド。
この運河に囲まれた、小さな島に、巨大な高層住宅が4棟、建っている。
ひしめいている、という感じではないが。
通りを、東へ。芝浦アイランドの東側に、最近、完成した、芝浦アイランドブルームタワーがある。(工事中はこちら
この高層住宅が、最後なので、これで、芝浦アイランドは、完成、ということだろう。
ちょっと前までは、廃墟になった施設を、繁茂した木々が覆いつくし、まるで、ジャングルの中の古代遺跡みたいだったのだが。本当に隔世の感があるなあ。
今は、きれいに整備されて、近未来都市に生まれ変わった、というわけか。
ただ、惜しむらくは、周囲を囲む運河が、あんまり、きれいではない、ということかな。せっかくの水郷のような環境なのに。ひところに比べれば、水質は、改善されているんだろうけど。
例えば、底まで見えるぐらい、水が透き通っていて、海草が、揺らぐのが見えたり。たくさんの魚が泳いでいたり。夜は、打ち寄せるさざ波が静かに響いていたり。
そのような光景を想像してしまう。
江戸前。水郷の都市。芝浦アイランド。
しかし、残念ながら、実現することは、あり得ないだろうな。
そうなるには、より広範囲の整備が必要だ。現代のような、集積化の流れとは、逆行してしまうのだ。
だとすると、まるで、カプセルの中の水郷だな。
(2008年9月記)

都営大江戸線都庁前駅(新宿パークタワー)

2009-03-04 06:12:01 | Weblog
未来への希望の光。光が丘団地。
そんな、フレーズ、あったかな。ふと、思いついてしまったが。
そんなことを考えながら、いつまでも、光が丘団地にいるわけにはいかないので、とりあえず、光が丘駅に戻り、再び、都営大江戸線に乗る。
都庁前駅で下車。
改札を出ると、相変わらず、立体迷路で判りづらい。
バブルの頃は、熱気もあったが、余裕もあったので、このような構造も、むしろ、贅沢な人工的空間、という風に捉えられていたのかな。
今の自分には、贅沢も余裕もないので、早いところ、迷路から抜け出し、見通しのいい、地上の広い通りに出た方がよい、と考えてしまうのだが。
幅広の公園通りに出て、南へ南へと歩いて行く。
しばらく進んでいくと、甲州街道へ。
甲州街道の北側、公園通りの西側には、新宿パークタワーがある。
竣工は、バブル崩壊の頃だ。
都庁舎に続け、という感じで、思わず建ててしまったのだろうか。
そして、竣工した頃には、バブルの熱気はすっかり冷め、巨大すぎるこの高層ビルを見る目は、さぞ冷たかった、という風になったのかな。
でも、巨大高層ビル、というのは、バブルの頃よりも、バブルが崩壊した後の方が、圧倒的に多い。
その意味では、その先駆だったのかもしれない。
甲州街道を西に歩き、十二社通りに入って、今度は、北へ。
新宿パークタワーの周囲をぐるりと回ってきたわけだが。
何か裏側、あるいは、通用門みたいなところがある。入ろうかどうしようかと、と思ったが、入ってみることにする。
入ると、新宿パークタワーの北側の公開空地にひょっこり出てしまった。
その場所は、緑が多いわけではないが、なにか、日本庭園のような雰囲気で、意外だったな。こんなところが、あったのかと。
たぶん、北側に広がる、新宿中央公園との連続性を意識した作りになっているのかもしれない。
こういうところは、やはり、ちょっとバブルなのかな。
そういえば、十二社通りを挟んで西側には、この新宿パークタワーよりも、さらに巨大な高層ビルの計画、西新宿3丁目西地区再開発、というのがあったのだが、どうなっているのやら。
新宿パークタワーに続け、とばかりには、いかなかったのだろう。
そう考えると、駅から離れている、このような場所に、新宿パークタワーみたいな巨大高層ビルが建ったのは、バブルの影響が、少しはあったからかもしれない。
(2008年9月記)

都営大江戸線光が丘駅(光が丘パークタウン大通り中央3-9-1号棟)

2009-03-03 03:11:38 | Weblog
メインストリートを東へ。
光が丘駅の方へ戻る。
駅の南側に光が丘パークタウン大通り中央3-9-1号棟。
竣工は、こちらも、バブルの頃だ。
このように、高層棟も含めて、広大な光が丘団地は、バブルの頃に完成している。
今、目の前に広がる、集合住宅群の街並みは、バブルの頃にできたわけだが、では、それ以前は、いったい、どうなっていたのだろうか。
もともと、この場所は、大昔、戦前の頃は、公園かなんかになるはずだったらしい。
それが、戦争が始まったことにより、軍隊の飛行場に転用されてしまったのだ。
さらに、戦争が終わってからは、今度は、アメリカ軍に居住施設として接収され、グラントハイツ、という名前の住宅地になる。
そして、高度成長期が終わった頃、一帯は、やっと、返還されるのだ。
その返還された土地に、光が丘団地が建設されていく。
このような、戦争にまつわる、この土地の歴史を振り返ると、光が丘、という名前の重さが、わかるような気がするな。
しかも、世の中は、高度成長が達成された、安定期に入る頃だったし。
光が丘の「光」は、光り輝く未来、そう感じられたんだろうなあ。
光が丘団地の建設は進み、バブルの前ぐらいから、順次、完成していく。
たしか、当時は、交通の足は、バスしかなくて、鉄道に乗るには、東武東上線の駅までバスで行かなければならなかった、と聞いたことがある。
かなり、不便だっただろう。
ただ、その頃、クルマで見に行ったことがあるのだが、そこには、広大な公園と出来上がりつつある近未来的な街並みが広がっていて、本当に、時代は、いい方向に向かっている、と感じさせられたものだったな。
その後、光が丘団地の工事は、順調に進み、バブルの頃に完成。
また、交通の足として、都営大江戸線が練馬、さらには、都心の随所を結ぶ環状部分が開通している。
ひょっとしたら、この都営大江戸線の開通をもって、光が丘団地は、完成、ということなのかもしれないが。
こうして光が丘団地の歴史を見ると、バブルの頃に完成したもの、例えば、東京ドーム、アークヒルズ、東京都庁舎、など、いろいろあるけど、その中で、もっとも、感慨深いのは、やはり、この光が丘団地ではないだろうか、と自分では思ってしまう。
なぜなら、ここへ来ると、あの当時の、無邪気かもしれないが、未来への希望の光が、当たり前に、世の中にあった、そんな記憶が、蘇ってくるからだ。
(2008年9月記)

都営大江戸線光が丘駅(光が丘パークタウン大通り南7-8-1号棟)

2009-03-02 03:58:48 | Weblog
西武新宿線中井駅で都営大江戸線に乗り換える。
中井駅から上を見上げると、駅の上空を山の手通りが橋で越えているのが見えるが、その橋は、ずっと前から工事中だ。いったい、いつ、終わるんだろうか。
そういえば、バブルが崩壊した後、失われた10年の頃に都営大江戸線が開業したのだが、その前、開通が待ち遠しくて、中井駅で降り、山の手通りに出て、ちょっと、北側に歩いてみたものだ。
地下鉄の工事なので、地上の変化はないはずなんだけど。
そう思ったが、山手通りの拡幅工事をやっていたのだ。実際、都営大江戸線の工事と連動していたのかどうか、わからないが。
でも、なんとなく、そんな気もして、都営大江戸線が開業するまで、何回か、見に行ったりしたなあ。
開業してからは、中井駅を降りて、山手通りまで行く、ということは、もうなくなったけど。ただ、だとすると、山手通りの工事、というのは、少なくとも、その頃から、延々と続いていたことになる。
そんな工事中の中井の街を通って、都営大江戸線のホームへ。
乗換駅、といっても、東西に流れる妙正寺川を渡り、さらに、ちょっと、歩かなければならない。
それに、ホームは、やたらと、深いところにあるのだ。
乗り換えは、あまり、便利とは言えないな。
それに、自分以外に乗り換えをしている乗客は、いつ見ても、あんまり、いるとは思えない。
それでも、開業前は、あんまり関係ないとは思っていても、待ち遠しくて、山手通りまで行っていたのだけど。
そのように開業を待ちわびていた、都営大江戸線に乗り込む。
これから、光が丘団地へ向かうのだ。
光が丘団地に行くから、便利だった、というわけだな。
終点、光が丘駅で下車。
メインストリートの大通りを西へ西へと、歩いていく。
しばらくすると、光が丘パークタウン大通り中央3-9-3号棟があり、その高層住宅の通りを挟んで、西側に光が丘パークタウン大通り南7-8-1号棟がある。
竣工は、バブルの頃。
その、しばらく後、都営大江戸線が、練馬駅まで開業している。
そして、もう少し経てば、やっと、中井駅まで、都営大江戸線がやってくるのだ。
(2008年9月記)