retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京浜東北線東神奈川駅(コットンハーバータワーズベイウエスト)

2009-03-21 06:11:00 | Weblog
元町・中華街駅に戻り、再び、みなとみらい線に乗り込む。
そういえば、かつては、みなとみらい線は、さらに、延伸する予定だったらしいが。
たしかに、終点の元町・中華街駅は、どこのJR線の駅とも接続していないし、いかにも、中途半端な場所だ。
たぶん、観光客が集まりそうな地域まで、とりあえず、延伸、ということだったのかもしれない。
でも、とりあえず、だったのが、いつの間にか、そこからの延伸、という話は、立ち消えとなってしまったのかな。
その代わりに、反対側から、やや小型のリニア地下鉄、横浜市営地下鉄グリーンラインが、伸びてくる、ということになったらしい。
直通は、できないのだが、一応、その先の、JR根岸駅あたりまでは、伸びる、ということになるのだ。
もっとも、こちらの方も、いつになったら、実現することやら。やっぱり、立ち消えになるような気もする。
けれど、そもそも、みなとみらい線が開通していなかった頃でも、中華街や山下公園に行くのに、特に不便は、感じなったけどなあ。
ひょっとしたら、みなとみらい線は、本町通り沿いに多数ある、高層住宅の、通勤路線、というだけなのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、みなとみらい線は、横浜駅へ。横浜駅で、京浜東北線に乗り換え、東神奈川駅で下車。
南東へと、歩いていく。
運河を越え、街外れの荒涼とした場所を過ぎ、貨物線の踏切を渡ると、高層住宅群、コットンハーバータワーズがある。
南側の4棟の高層住宅と、ちょっと離れて、北側の1棟の高層住宅、という、構成になっている。
南へ進み、4棟の高層住宅群の中へ。
4棟のうち、ひときわ、高い高層住宅は、コットンハーバータワーズベイウエスト、コットンハーバータワーズシーウエストだ。
それにしても、よく、こんな僻遠の地に、高層住宅群を建てたものだ。
近くの貨物線が、通勤路線、京浜湾岸線になれば、都心と直結して、便利なのだが。
はたして、みなとみらい線みたいになるのかな。難しいような気もするが。
(2008年9月記)

みなとみらい線元町・中華街駅(山下町地区再開発工事現場)

2009-03-20 07:28:58 | Weblog
高田馬場駅から山手線で渋谷駅へ。
東急東横線に乗り換える。
そのまま乗っていると、みなとみらい線へ。
元町・中華街駅で下車。
今日は、ちょっと、肌寒いぐらい。天気もどんよりしているし。
少し前、先週の夜は、8月の猛烈な雷雨の再来だったな。
でも、夏のスコールのような雨ではない。
雨粒が、冷たく重いのだ。まさに、秋の雨。
家に帰り着いた頃には、体の芯まで冷えきってしまった。
ちょっと、早いけど、ストーブを引っ張り出して、冷えた体を温めたっけ。
あの大雨が、季節の変わり目だったのかな。
地上に出ると、東西に伸びる本町通り。
南側は、中華街があり、ちょっと北に行くと、横浜港を望む、山下公園がある。
観光地、横浜の、まさにメインストリートなわけだ。
ということで、観光客が多く集まり、賑わっている、と言いたいところだが、この空模様のためか、ちょっと、まばらな感じもする。気のせいかな。
そんな本町通りを西に歩いていく。
しばらく歩いていくと、通りの北側に山下町地区再開発の工事現場。
賑やかな観光地の中の、一等地なんだけど。
でも、なんとなく、閑散としている。
空には、灰色の雲が垂れ込め、ますます、重苦しい空気だ。
おまけに、冷え冷えとした感じだし。
これでは、観光、という気分には、なれないのかもしれない。
やはり、観光地、というのは、抜けるような青空が必要なのだろうか。眩しい太陽の光が、気分を高揚させてくれるのだ。
たぶん、こんな日、山下公園まで行って、海を見たら、鉛のような、海面が、鈍く動くだけの景色に、意気消沈してしまうかもしれないな。
もっとも、いつまでも、こんな日が続くわけでもない。
季節は変わり、天気も変わるのだ。
次、横浜を訪れたときは、快晴かもしれない。
そして、観光客で、大いに賑わっているかもしれない。
(2008年9月記)

半蔵門線錦糸町駅(アルカタワーズ錦糸町アルカイースト)

2009-03-19 06:11:27 | Weblog
水天宮前駅に戻り、再び、半蔵門線に乗り込む。
錦糸町駅で下車。
水天宮前からでも、こんなに簡単に、錦糸町に行けてしまうのだな。
半蔵門線の開通は、錦糸町駅を、かなり、便利にしているに違いない。
地上に出ると、すぐ目の前、JR錦糸町駅の北側に、アルカタワーズ錦糸町アルカイーストがある。
駅北側に並ぶ、アルカタワーズ錦糸町ビル群の東端の高層ビルだ。
竣工は、バブルが崩壊した後の失われた10年。
計画されていた時は、バブルで景気がよかったので、ずいぶん、もてはやされていたのだが、出来上がってみると、世の中、景気は失速、すっかり、どん底だった。
まだ、バブルをやっているのか、無駄なビルだ、という、非難の嵐を、今でも覚えている。
もっとも、現在、錦糸町には、アルカタワーズ錦糸町よりも、はるかに、巨大な高層ビルが、建っているけど。
懲りない、というべきか、時代の流れ、というべきか、わからなくなるな。
ただ、はっきりしているのは、都心部は、ものすごい勢いで、発展しているのに、生活は、なぜか、どんどん、苦しく、切迫してきている、ということだ。
どうしてだろうか。グローバリゼーションのせいなのかな。
なんのせいでも、いいけど、未来のない今はただ、バブルの前の、未来のあった安定期の頃が、懐かしいばかりだ。
だったら、世界中が、日本の安定期だった時期を目指せばいいような気もするが。
豊かだったのに、総中流で、格差はないし。未来も、あるし。
もっとも、この時期を、国家独占資本主義、とも言うらしいけど。
でも、世界中だったら、国家資本資本主義、という概念は消滅する。さらに、グローバリゼーション、ということなら、独占資本主義、という概念も消滅する。
もっと、このことを抽象的に、考えてみる。
例えば、第1項に、「日本」を置き、第2項に、「世界」を置いて、第3項で、日本の安定期が成立するとする。
だとすると、今度は、第1項に、「世界」を置き、第2項に、何か別のものを、置けば、第3項で、安定期、であれば、世界中が、安定期になるはずじゃないのかな。
なんてことを考えても、仕方ない。
生活の苦しさから、逃れるために見る、一時の夢。
夢が醒めれば、現実があるだけか。
(2008年9月記)

半蔵門線水天宮前駅(ロイヤルパークホテル)

2009-03-18 03:10:51 | Weblog
北に向かい、永代通りに出たところで、地下へ降りる。
大手町駅へ。
大手町駅、といっても、各地下鉄路線によって、離れ離れになっている。
永代通りの地下はとりあえず東西線の駅があるのだが、今回は、東西線に乗るわけではないので、地下道を、西へ西へと歩いていく。
かなり歩いたところで、北へ向きを変え、そのまま北へ進む。
やっと、半蔵門線大手町に辿り着く。
辿り着いたところで、ふと、気が付いた。
東京駅の東側にいたのなら、ちょっと北側に半蔵門線三越前駅があったんだな。そちらの方が近かった。
半蔵門線に乗り、水天宮前駅で下車。
地上に出ると、首都高の高架が空を覆っている。
高架の下を抜け、人形町通りを北へ歩くと、すぐに、ロイヤルパークホテル。
竣工は、バブルの頃だ。
バブル期は、あれだけ、熱狂的な時代だったわりに、目の前のロイヤルパークホテルもそうだが、あの頃の建築物は、あまり威圧的ではないような気がする。
逆に、皆が、熱狂的だったからこそ、他を圧する必要は、なかったのかもしれないな。
たぶん、そうなのだろう。
例えば、失われた10年の後に登場した汐留シオサイトの巨大ビル群を見ると、有無を言わさぬ、圧倒的な存在感がある。
それと比べると、ロイヤルパークホテルの、なんと、優しげなことか。
そういえば、バブルの頃は、切迫感なんて、まるで、なかったものなあ。
なぜ、あんなに安心な世の中だったのだろう。
たぶん、一方的な経済による、国際関係、この恩恵が最も、大きかったに違いない。
例えば、同じ労働でも、日本と発展途上国では、得るものは、まったく違う、ということだ。これでは、バブルで浮かれるのは、当然だな。
でも、グローバリゼーションは、この関係を破壊してしまった。
いつまでも、日本、あるいは、先進国だけ、優位な立場で、いるわけには、いかないのだ。
もっとも、都心の真ん中にいると、そんなことは、実感できないのだけど。
(2008年9月記)

山手線東京駅(丸の内トラストタワー本館)

2009-03-17 04:24:16 | Weblog
祝田通りを、さらに南へと歩いていく。
すぐに、丸ノ内線霞ケ関駅がある。
霞ケ関駅で丸ノ内線に乗り込む。東京駅で下車。
地上に出ると、東京駅の西側。目の前には、巨大な丸の内ビルが聳える。
なるほど、丸の内を通るから、丸ノ内線なわけだ。
駅前広場を横切り、東へ。JRの線路に沿って、北へと歩いていく。
それにしても、東京駅周辺は、本当に、急激に、巨大ビルだらけになってしまったな。
分相応かどうか、わからないけど。
東西に伸びる永代通りに入り、東へと進む。
JRの高架をくぐり、東側へ。さらに東へと歩く。
南北に伸びる外堀通りとの交差点。
外堀通りに入って、南へ。
しばらくすると、外堀通りの西側に丸の内トラストタワー本館がある。
新しい高層ビルだ。(工事中はこちら
また、東京駅周辺に、巨大ビルが加わる、ということになる。
地方は、すかすかになっていくが、中心部は、このように、どんどん、肥大化していくのだ。
まるで、日本、という枠組みを越えて、東京が、暴走しているようにも見える。
つまり、もはや、ここは、日本の東京、ではなく、世界のTokyo、なのかもしれない。
グローバリゼーション、というやつかな。
でも、世界政府みたいなものがあるわけではないから、世界のTokyoもあるが、やっぱり、同じ場所に、日本の東京もあるはずだ。
では、同じ場所にある、Tokyoと東京、どういう関係で存在しているのだろうか。
ひょっとしたら、昔の発展途上国の二重経済みたいな感じで、存在しているのかな。
例えば、目の前に聳え立っている、高層ビル群は、世界のTokyoだけど、100円ショップの店内は、日本の東京、とか。
あるいは、勝ち組ニューリッチは、世界のTokyoで、負け組ワーキングプアは、日本の東京、とか。
どうやら、それが、現実なのかもしれないなあ。
こんな世の中になるとは、思わなかった。
(2008年9月記)

有楽町線桜田門駅(中央合同庁舎第6号館B棟、C棟)

2009-03-16 06:11:54 | Weblog
中央合同庁舎第6号館A棟の南側には、中央合同庁舎第6号館B棟、C棟がある。
南北に並んで建っている。まるで、官庁街を守る壁のようだ。
竣工は、バブルが崩壊した頃。
有効需要の創設、ということで、建てたのだろうか。
バブルの頃に建った、北側の中央合同庁舎第6号館A棟と、どう違うのか、わからないけど。
たしか、バブルが崩壊した当初は、有効需要の創設、ということで、前倒し発注、という言葉が、勇ましく、あるいは、頼もしく、連呼されていたものだったな。
中央合同庁舎第6号館B棟、C棟も、その類なのだろうか。
とにかく、あっちでも、こっちでも、無理やり、工事着工を早めて、景気を活性化させよう、ということだったらしい。
もっとも、その工事によって、完成したものが、利益を生まなければ、後には、莫大な借金だけが残ることになる。
有効需要が、そもそも、本来は、どういう意味か、わからないが、あの頃の、前倒し発注は、ほとんど、人工的に、バブルを発生させようとしただけのような気もする。
工事をやっている間は、賑やかで、景気がいいのだが、終わってみると、後は、どうするのだろう、ということになってしまうのだ。
こういうことが、失われた10年、を生んだのかな。
そして、その後は、格差社会の登場、となってしまう。
もっとも、そのことで、利益が生じたり、豊かになったり、なんてことはない。単に、勝ち組、負け組、ができただけなのだが。
これでは、究極の選択、ということだな。
つまり、豊かさを維持するために、借金で、破綻を、先送りするか。あるいは、破綻を、負け組に被せるか。
他に道はないものなのだろうか。
ひょっとしたら、もともと、この経済大国、というのは、分不相応だったのかもしれない。
そう考えることで、他の道も開けるのではないかな。
(2008年9月記)

有楽町線桜田門駅(中央合同庁舎第6号館A棟)

2009-03-15 08:11:46 | Weblog
来た道を北へ。
どこにでもあるような郊外の住宅地。
そのまま、ぼーっと、歩いていると、どんどん、北へ北へと、進んでしまいそうになるな。
来るときに、覚えておいた、小さな祠に導かれるように、西に向きを変える。
そのまま、細い道を西へ。
駅に到る道とは、思えないが、静かな住環境、ということなら、しかたないのだろう。
それよりも、エルザタワーが、駅一体型、あるいは、駅近く、の高層住宅、とすると、微妙に、距離がある。
川口元郷駅をもっと、南側に設置して、駅前広場を、東側に設ければ、駅を出れば、目の前にエルザタワー、となっただろう。
だが、そうなると、今度は、川口駅と、やや離れてしまう。だから、今の場所に決まったのかな。
川口駅、川口元郷駅がつながれば、街の広がり、ということも、期待できるだろうし。
地図を見ると、たしかに、川口元郷駅から西へ道路が伸び、川口駅に達している。
この道路が、川口駅の東側の軸になっていくのだろうか。
もっとも、実際、川口元郷駅から降りて、川口駅まで歩いたことはないので、なんとも言えないんだけど。
どうなっているのかは、次回、訪れたときの楽しみにしておこう。
川口元郷駅で再び、南北線に乗り込む。
都心へと戻る。
列車は、荒川の地下を通り、東京都へ。南へ南へと走って行く。
永田町駅で有楽町線に乗り換える。
桜田門駅で下車。
地上に出ると、官庁街が広がる。
なるほど、駅一体型の高層住宅、というのは、便利なものだ。地下鉄に乗っているだけで、もう、官庁街に着いてしまったな。
濠の南側を東西に伸びる晴海通りで東へ歩く。
途中、交差点で、南北に伸びる、祝田通りに入り、南へ。
東側には、日比谷公園が広がっている。
少し歩くと、祝田通りの西側に、中央合同庁舎第6号館A棟がある。
竣工は、バブルの頃だ。
バブルの勢いで建ってしまったのだろうが。
でも、都心部には、もっと、巨大な高層ビルが林立しているし、さっき、見てきた、高層住宅、エルザタワーの方が、はるかに、巨大だ。
バブルの勢い、というのも、都心部にあっては、色褪せた、レトロの産物になってしまったのだろうか。
(2008年9月記)

南北線川口元郷駅(エルザタワー32)

2009-03-14 08:17:42 | Weblog
高田馬場駅から東西線。飯田橋駅で南北線に乗り換える。
南北線は、一路、北へ、埼玉県へと進んでいく。
荒川の地下を通って、北側、埼玉県川口市に着く。
川口元郷駅で下車。
駅の南側から地上に出る。
駅の北側から出れば、駅前広場があったらしいのだが。
南側からだと、普通の住宅地に、突然、出てしまった、という感じだ。
細い道を、東へと歩いていく。
帰り道が判らなくなると、困るので、小さな祠の場所を記憶に留めておく。
行きは、埼玉県で最も高い高層ビル、エルザタワーがあるので、遠くからでも、わかりやすい。
しかし、帰りは、変哲のないマンションが、点在するだけの住宅地なので、たぶん、道に迷うだろう、と思ったのだ。
南北に伸びる通りに出て、南へと歩いていく。
迷いそうだと言いながら、実は、この南北に伸びる道、以前、歩いたことがある、ということを思い出した。
エルザタワーの工事現場を見るために来たのだ。
その頃は、もちろん、南北線は、開通していないので、川口駅から、延々と歩いた。
辿り着いてみると、一帯は、湿地と朽ちかけたような工場しかなかったな。
今、歩いている、この道も、その頃は、田舎道そのもの、という雰囲気。
湿地帯とアスファルトの道路との境界がないような状態だった。
今は、マンションが、それなりに建っていて、市街化されている。
そのような道を、どんどん南へと進んでいくと、道路の東側に、巨大なエルザタワーと、その南に、ちょっと、小型のエルザタワー32がある。
竣工は、失われた10年が終わった後の集積化の時代。
これらの高層住宅の建設、川口の街外れの再開発なのだろうが、エルザタワー32が建つ少し前に、南北線が開通し、川口元郷駅ができている。
だから、やはり、エルザタワーも、最近、多い、駅近くの高層住宅の一つなのだろう。街外れ、というわけでもなさそうだ。
こんな風に、鉄道が通り、駅ができれば、湿地帯も、あっという間に、高層住宅街に早変わりする、というわけか。
この場所には、湿地帯だった頃にしか、来たことはないので、このような急激な変貌を目の当たりにすると、自分が、時代に取り残されたような気がしてしまうなあ。
(2008年9月記)

銀座線赤坂見附駅(元赤坂Kプロジェクト)

2009-03-13 05:01:57 | Weblog
赤坂サカスのビル群の東側を、南北に伸びる一ツ木通りに入り、北へ歩く。
この一ツ木通りから東側、外堀通りまで、ちょっとした、飲食店などがあり、栄えていた頃の往時を偲ばせている。
もっとも、休日の昼間だからだろうか、閑散としていて、誰もいないけど。
そんな一ツ木通りを、どんどん北へ歩いていくと、東西に伸びる大通り、青山通りに出る。
その青山通りの北側に元赤坂Kプロジェクトの工事現場。
この場所には、かつて、鹿島建設本社のビル群があったのだが。
今はなき、高層ビル、鹿島建設本社ビルの竣工は、高度成長期の頃。たぶん、まだ、南側の赤坂の繁華街が、賑やかだった時期だな。
そういえば、この高層ビル、ウルトラセブンの「第四惑星」という話に登場している。
第四惑星、というと、題名の通り、舞台は異星、なのだが、おそらく、この話においては、それは、未来、あるいは現実世界の暗喩、ということなのだろう。
その未来、ということを、表現するために、無機質なデザインの鹿島建設本社ビルが、選ばれたのだ。
たぶん、昭和の赤坂の繁華街から見て、この高層ビルは、本当に、未来的に見えたに違いない。
ストーリー的には、暗澹とした未来だったのだが、あの頃は、たしかに、未来像、というのがあったのだ。
そして、時代はどんどん過ぎ、その未来へと向かっている、はずなのだが。
だが、未来に相応しいはずの、鹿島建設本社ビルは、未来が来る前に、なくなってしまったな。
未来が来るまで、間に合わなかったのかな。
そうでもないようだ。なぜなら、来るべき、未来も、いつの間にか、消滅しているからだ。
今は、格差社会。今を、生き延びるだけで、精一杯。未来なんて、考えている、余裕はない。だから、未来像なんて、消えてしまった。
そもそも、格差社会の延長線、なんて、想像もしたくないし。
そんな格差社会に、そもそも、未来があるわけもないし。
あるのは、格差社会の今と、未来を夢見た昔の、その頃の未来の残骸。
その未来の残骸も、今、目の前から消失してしまったのか。
(2008年9月記)

千代田線赤坂駅(国際新赤坂ビル東館)

2009-03-12 05:02:21 | Weblog
西へ歩いていくと、いつしか、山王日枝神社に沿うようにして、道は南へと向きを変える。
鬱蒼とした木々を見ていると、ここが、都心とは、思えない感じだ。
そのまま、南へ歩くと、急に開けた場所。南北に伸びる外堀通りに出る。
そういえば、かなり前、山王日枝神社に、一度、行ったことがあるな。
かなり前なので、よく覚えていないが。
覚えていることといえば、意外と広い、ということと、なぜか、ニワトリがたくさんいたことぐらいだ。
境内をぐるっと回って、脇道のようなところを、どんどん、下っていったら、さっき、通ってきた、山王日枝神社に沿うように伸びている道に、ひょっこりと出てしまった。
西参道、というらしい。
それだけなのだが、とにかく、広い、ということが、印象に残っている。
たぶん、面積は、実際、それほど、広くはないのかもしれないが、大鳥居をくぐり、表参道の石段を上がり、境内のいろいろな事物を見て回っているうちに、そのことが、記憶の中に、広大な世界観を形成していく、ということなのだろう。
ある種の、よくできたテーマパーク、といっては、いけないのかもしれないが、そういう感じがする。
時間ができたら、もう一度、山王日枝神社をたずねて、ぜひ、あのニワトリが、なんだったのか、確かめてみたいな。
幅広な外堀通りを渡り、西に伸びる、赤坂通りへ。そのまま西へ歩く。
やがて、最近、登場した赤坂サカスのビル群。
そして、赤坂通りを挟んで、南側には、国際新赤坂ビル東館、西館がある。
竣工は、高度成長を達成した後の、安定期の頃。
国際新赤坂ビルのある赤坂は、高度成長期までは、屈指の繁華街だったらしいが、高度成長が終わってみると、静かな街になってしまった。
その代わりに、こうして、国際新赤坂ビルのような高層ビルが建っていったわけだろうか。
賑やかな繁華街から静かなオフィス街への変遷。
時代は流れる。
いつまでも、変わらないのは、山王日枝神社の鬱蒼とした森だけかもしれない。
あと、ニワトリを飼う習いも昔からかな。
やはり、今度、山王日枝神社のニワトリについて、調べてみなくては。
(2008年9月記)