retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

横浜線橋本駅(THE HASHIMOTO TOWER)

2009-01-21 04:59:30 | Weblog
中央線で八王子駅へ。
今日も真夏らしい天気。とても暑い。
ただ、こんな夏の盛りの日は、こんな風に、緑の多い郊外に向かうのは、気持ちがいいな。
八王子駅で横浜線に乗り換える。
列車は、南へと走っていくのだが、南側には、多摩丘陵が広がっている。
郊外とは思えないような、田舎のような風景が車窓を流れ、目を楽しませてくれる、はずだったのだが。
ちょっと前よりも、あきらかに、山は削られ、木はなくなり、自然の景観はなくなりつつあるようだ。
時代の流れ、ということか。
横浜線は、やがて、多摩丘陵を抜け、神奈川県に入っていく。
風景は、また、一面に広がる住宅地、となる。
南へ向かっていた、横浜線は、東よりに向きを変え始め、そして、橋本駅に到着する。
北口に出る。
ペデストリアンデッキが広がり、ショッピングセンターがあり、そして、高層住宅が駅近くにある。
どこも、景観は同じだな。
ペデストリアンデッキの上を西へ歩いていく。
どんどん歩いていくと、そのまま、高層住宅へ辿り着けるようになっている。
便利には違いないけど、これでは、外界と遮断されているような気もする。
さらに、進むと、THE HASHIMOTO TOWERがある。(工事中はこちら
橋本駅近くでは、最新の高層住宅だ。
そして、最後ではないか、と思うのだが、どうなんだろうか。
ともあれ、これで、橋本駅前の再開発は一区切りとなる。
この壮大な再開発は、京王相模原線の橋本駅への延伸のおかげなのだろう。
ただ、バブル期の予定だと、京王相模原線は、橋本駅から、さらに西へ伸びる予定だったらしいのだ。
もし、そうなっていれば、ひょっとしたら、橋本駅近くに、集中して、高層住宅を建てる、という発想はなかったかもしれないな。
とすると、もしかしたら、この駅前高層住宅群のおかげで、山や森の自然環境が破壊から免れたのかな。
もっとも、自然環境保全を目的として、駅前に高層住宅を建てているわけではない。
そういえば、さっき、横浜線で、多摩丘陵を通ってきた時、自然の風景の喪失を目にしてきただった。
(2008年8月記)

中央線御茶ノ水駅(御茶ノ水セントラルビル)

2009-01-20 04:59:01 | Weblog
東京駅の日本橋口から入った先の通路は、なんだか、いつも、工事中だ。いったい、いつになったら、完成するのやら。
たぶん、日本橋口周辺の再開発が終わったら、ということだろうな。
でも、一方が終われば、また、他方で、新たな、再開発が始まったりする。
結局、永遠に終わらないような気もするな。
そのまま、建物の中をどんどん南に歩いていくと、八重洲口に出る。
東京駅で中央線に乗る。
東京駅では、中央線だけ、一段、高いホームになっているのだ。
この中央線ホームを高架にする工事、いったい、いつ完成したんだっけ。
もう忘れてしまった。最初は、エスカレーターを上っていくのが、面倒だったが、いつの間にか、当たり前になってしまったな。
東京駅の今度の再開発は、東北縦貫線なのだろう。
また、新しい路線が登場し、便利になるが、また、工事が始まるのだ。
中央線で御茶ノ水駅へ。
東側の改札口から出る。
南北に伸びる通りに出て、南へ。この通りを北に行くと、聖橋となるが。
通りの東側、中央線の南側に御茶ノ水セントラルビルがある。
竣工は、高度成長が終わった後の安定期の頃だ。
たしか、当初のビル名は、御茶ノ水日立本社ビル、というのではなかったかな。
気付かない間に、日立のビルではなくなっている。
そして、普通のオフィスビルになってしまった、このビルは、近々、解体され、新しい高層ビルに建て替えられるらしい。
まったく、時代の流れは、早いなあ。
この日立のビルで、覚えているのは、建物の直下に、地下鉄千代田線が通っているので、ビル建設は、かなりな難工事だったらしい、ということだ。
さすが、日立、と思ったものだな。(別に日立が建てたわけではないけど)
そのようにして、建った高層ビルも、もうなくなってしまうらしい。
来るべき未来よりも、過ぎ去っていく過去の方に気持ちが行ってしまう。自分が年を取ってしまったからかな。
こればかりは、仕方のないことだけど。
(2008年7月記)

山手線東京駅(丸の内中央ビル)

2009-01-19 05:06:40 | Weblog
東へ歩き、再び、東京駅の西側に戻る。
山手線に沿って、北へ。
西側には、丸の内オアゾの密集した高層ビル群が迫るように建っている。
東西に伸びる永代通りに入って、東へ。
山手線、中央線、新幹線の高架をくぐっていく。
くぐった先、永代通りの南側にも、また、巨大な高層ビル、サピアタワー。
本当に、東京駅周辺は、ここ最近、巨大ビルが増え続けている。
たぶん、このあたりが、日本で最も激変している場所なのかもしれないな。
サピアタワーの東側は、ちょっとした広場になっている。
その広場の縁を南へ。広場の奥には、丸の内中央ビルがある。
竣工は、失われた10年の後の都心集積化の時代だ。
このビルも東京駅周辺の激変の所産なのだろう。
ところで、丸の内中央ビルは、東京駅の駅ビル、というわけではないのだろうけど、ビルの入口は、東京駅の日本橋口になっている。
ビルの前面に、大きく、東京駅、という文字が掲げてあるし。
ビル名が、丸の内中央ビルとなっているのは、こんな風に、東京駅の入口になっているためだろうか。
実は、このビル、住所的には、丸の内の中央ではなく、丸の内一丁目のはずれなのだ。
しかも、丸の内、というと、一般的には、東京駅の西側一帯を指すはずなのだが、このビルは、東京駅の北側に位置している。
このような場所にある、丸の内中央ビルなのだが、あえて、丸の内中央、というビル名になっているのは、丸の内の中心こそは、オフィス街ではなく、東京駅だ、ということなのかもしれない。
そういうことが理由ではないけど、東京駅に入るのは、この日本橋口から、というのが、一番、好きだな。
新幹線ホームも近いし、このビル自体、新幹線鉄道事業本部、というのが入居しているようだし。
だから、旅情が溢れているのだ。
新幹線の行き先案内板を見るのも楽しい。
日本各地の雰囲気、息吹が伝わってくるようだ。
そういうことなら、丸の内中央、でもいいかな、という気分になってくるな。
(2008年7月記)

山手線東京駅(東京銀行協会ビル)

2009-01-18 06:25:51 | Weblog
浜松町駅に戻り、再び、山手線に乗る。
東京駅で下車。
西側、丸の内の方へ出る。
目の前には、丸ビル、新丸の内ビル。北側には、丸の内オアゾ。
このように、まわりは、すっかり、巨大な高層ビルで囲まれてしまったようだ。
ちょっと前までは、これほどの巨大建築物は、なかったので、見通しは、よかったように思うのだけど。
丸ビルと新丸の内ビルの間の幅の広い通りを西へ。
皇居の濠に沿って、南北に伸びる日比谷通りに出る。
北へ歩いていくと、日比谷通りの東側に東京銀行協会ビル。
竣工は、バブルの終わり頃だ。
この高層ビル、東京駅周辺の最近完成した、巨大高層ビル群と比べると、なんとも、こじんまりとした建物に見えるな。
でも、バブルの頃までは、他のビルも、この程度の大きさだったのだが。
大手町、丸の内、というと、巨大ビルが建ち並んでいるような印象なのだが、ちょっと前までは、このような、そこそこに高いビルが、並んでいるだけだった。
バブルが、中央の時代ではなく、地方の時代だった、ということだろう。
ただ、現代に通じる部分もある。
東京銀行協会ビルの低層部分には、丸の内オフィス街の草創期から建っていた、銀行倶楽部の建物の外観だけ、残してある。
ただの、オフィスビル、というわけではない。
ビル街の中に、ミュージアム、歴史テーマパークの要素を持ち込んでいるのだ。
それだけ、豊かな、余裕のある時代だったのだろう。
そのような、テーマパークの導入は、いまや、東京駅周辺に広がっている。
大手町は、まだ、それほどでもないが、丸の内のオフィスビル街は、いつしか、銀座みたいな雰囲気になってしまい、多くの、客を集めるまでになったな。
こうして見ると、東京駅を中心に、まわりに建ち並ぶ巨大建築物群の中だけ、バブルの頃の豊かさがあるわけだ。
ひょっとしたら、バブルの豊かさは、中心部に集中させることによって、維持されているのだろうか。
それはそれでいいかもしれない。
ただ、そうだとすると、その豊かさの中に留まるわけにはわけにはいかない、ということになる。
つまり、豊かさ、というのは、一瞬の間だけの儚い享楽、にすぎないものになってしまったのだ。
(2008年7月記)

山手線浜松町駅(浜松町スクエア)

2009-01-17 04:47:07 | Weblog
西に歩く。
今度は、新港南橋で、高浜運河を渡る。
渡りきると、旧海岸通りとの交差点。
クルマやバスなら、このまま西へ、直進して、品川駅前へ向かうだろう。
自分も何度か、このコースを歩いて、品川駅前に行ったことがある。
景色が無機質で、つまり、ビルしか見えなくて、歩いていて、とても、退屈だったなあ。そして、品川駅までの距離の長いこと。なかなか、辿り着かないのだ。
そういうことがあって、品川駅に戻るとき、このコースを歩くことはなくなった。
旧海岸通りを南へ歩いていく。
大通りとの交差点。
この大通りも、さっきのコースと同じ。歩いていて、とても退屈な通りだ。
さらに、少し歩くと、品川駅への細い道がある。
結局、来た道なわけだけど。
この細い道を歩いていくと、品川駅に、すぐに着いてしまうな。
無機質な退屈な通りとは、距離が同じなのに、不思議なものだ。
エスカレータでペデストリアンデッキに上がり、西に伸びる回廊を歩いていく。
ただの連絡通路なのだが、途中に新幹線ホームへの改札口があるので、なんとなく、旅情を感じさせてくれるが。
品川駅で、山手線に乗り込む。
浜松町駅で下車。
浜松町駅の北側を東西に伸びる通りに出る。
ちょっと西に歩くと、その通りの北側に浜松町スクエアがある。
竣工は、失われた10年の後の都心集積化の時代だ。
時期的に見れば、汐留シオサイトのビル群が、続々と姿を表した頃かな。たぶん、浜松町スクエアの完成は、まるで、山手線の西側に、そのビル群が、溢れ出したように、見えたことだろう。
つまり、浜松町は、汐留シオサイトと結合してしまったのかもしれない。
だからだろうか、最近は、浜松町、といえば、都心のすぐ近くの場所、という風に感じてしまうのだ。
そんな浜松町なのだが、昔は、羽田空港への入口であり、また竹芝埠頭もある、ということで、一種独特の旅情のような雰囲気があって、そのことが、都心との距離感、遠さを生んでいたような気もする。
もっとも、その距離感、遠さ、というのは、品川駅前の退屈な通りの、遠さ、とはまるで違うのだが。
(2008年7月記)

山手線品川駅東口(シティタワー品川)

2009-01-16 05:08:20 | Weblog
南北に旧海岸通りに出て、ちょっと北に歩く。
せっかくの幅広な通りなのだが、休日は、ガラガラだな。
信号を渡り、東へ。すぐに、高浜運河に架かる御楯橋。
この橋からの景色、いつ見ても、心奪われるなあ。
運河の水面が、どこまで広がり、海が近いことを、感じさせてくれる。
ここらへんは、運河が縦横に走り、水郷地帯なのかもしれない。
そんな風には、あまり、見えないけど。
御楯橋を渡り対岸へ。
この先は、高層住宅地帯、となっている。
失われた10年が終わった後、都心集積化の時代、ものすごい勢いで、高層住宅が建ったのだ。
いったい、どのくらい、建ったのだろうか、と思ってしまうぐらいだが。
すぐに北へ向きを変える。
そのまま北へと歩いていくと、さっそく、通りの東側に都営港南四丁目第3アパート4号棟
そして、その高層住宅の北側には、シティタワー品川がある。(工事中はこちら
すぐい勢いで建ってきた、高層住宅も、このシティタワー品川が最後らしいな。
あたりは、ようやく落ち着いた感じになっている。
ただ、これだけ、高層住宅が建てば、街として、賑やかになるのかと、思っていたけど、そうでもないので、ちょっと寂しい。
いつ来ても、しんと静まり返っているのだ。
もっとも、このシティタワー品川の低層階には、いろんなお店があるみたいで、なんだか、団地のような雰囲気がする。
いよいよ、これからは、生活感が溢れてきて、賑やかになるのかな。
どうなんだろうか。
それはそれとしても、街としての完成は、これからなのかもしれない。
緑が多くなって、運河もきれいになって、本当に水郷の街になると、いいだろうな。
そうなるとしたら、どのくらい先なんだろう。
たいていそうなんだろうけど、建物が完成するよりも、街が完成する方が、はるかに、時間がかかるものなのだな。
(2008年7月記)

山手線品川駅東口(中日新聞社品川開発計画)

2009-01-15 05:04:02 | Weblog
西大井駅に戻り、再び、横須賀線に乗る。
品川駅で下車。
相変わらず、品川駅は賑やかだな。
もっとも、休みなので、通勤の混雑、という感じの賑やかさではないけど。
混んでいるのも、駅構内や通路に限られているし。
品川駅東口に出る。
ペデストリアンデッキの上は、まだ、その賑やかさが伝わってくるようだが、地上に降りてみると、さすがに、閑散としたものだ。
平日に、何度か、品川駅の東口に来たことあるが、その時は、結構、混んでいたな。例えば、コンビニなんかは、満員状態だったなあ。
やはり、一帯は、オフィス街、ということなんだろう。
いつものように、駅前広場から、東へ一直線に伸びる、ちょっと細い通りへ入る。
まわり中が、再開発され、きれいに整備されてしまった中にあって、ここだけは、なんとなく、取り残された感じがする。
少しだけ、新橋の飲み屋街のような雰囲気もするが。
もっとも、そのような場所を、真っ昼間、こうして、歩く、というのも、妙な感じ。しんとしていて、誰もいないのだ。
むしろ、こういう通りは、昼間、特に休日の昼間は、眠っているのかもしれない。
そして、夕暮れ時から、起きだして、活動を開始し、夜更けに賑やかになっていくのだろう。
そんなことを考えながら、歩いていくと、通りの北側は、広範囲で工事中、となっていた。
中日新聞社品川開発計画、ということらしい。
工事の範囲は、南北に伸びる、旧海岸通りまで及んでいる。
つまり、品川駅から東に伸びる、この細い通りの入口部分だ。
たぶん、工事が完成し、高層ビルが建つと、周りの様相は、一変するのだろうな。
もう、昔日の面影すら、なくなってしまうかもしれない。
だから、昼間、特に今日のような休日の昼間、こんな風に、眠っているこの通りは、静かに眠らせておく方が、いいのかな。
それにしても、次、来るときは、どうなっているのだろうか。
わからない。
(2008年7月記)

横須賀線西大井駅東口(ジェイタワー西大井)

2009-01-14 05:12:56 | Weblog
高田馬場から山手線に乗る。
相変わらず、暑い。
もう、真夏なので、当たり前だな。
品川駅で横須賀線に乗り換える。
西大井駅で下車。東口に出る。
駅前広場の南側にジェイタワー西大井がある。
竣工は、失われた10年の後、都心集積化の頃だ。
最近、よく見かける、駅近くの高層住宅、といったところだろう。
この西大井駅自体も、バブル直前ぐらいに開業している、かなり新しい駅だ。
たぶん、広大な工場でもあったのだろう。その跡地再開発、というわけかな。
ということで、西大井駅周辺は、歴史も浅いので、とりたてて、特に印象に残るようなものも、ないなあ。
ここらへんは、何度か、来たことが、あるのだけど。
そんな中、唯一、印象深かったのは、路線バスだったな。
西大井駅の北側に、東西に伸びる、三間通り、立会川通り、という細い通りが、二本、並んでいるのだが。
その通りを走っているバスだ。
そのバスは、西大井の西側の第二京浜あたりと、西大井の東側の大井町駅を結んでいるらしい。
自分が、そのバスに乗ったのは、バスルートの西端、第二京浜近く。
何が興味深かったのかというと、このバスのルートが面白いのだ。
まず、第二京浜から三間通りに入り、東に進んで、西大井を通過、大井町駅へ。そして、今度は、立会川通りに入り、西へ。再び、西大井を通過して、第二京浜に戻ってくるのだ。
こうして見ると、たんに周回しているように見えるが、バスの通っている道路は、両方とも、一通なので、むしろ、往復している、という感じなのかな。
たしか、バス停も、三間通り、立会川通りには、同じ名前のバス停が立っていたりするはずだ。
これだけだと、やはり、ただの、変わったバスルートなんだけど。
でも、その時、バスを待っていると、季節は、冬だったかな、雪が、しんしんと、降り始めてきたのだ。一面が、徐々に白くなり始め、雪景色となっていった。
やっときたバスに乗り込み、座席に座って、ほっと一息つき、窓の外を見る。
古めかしい、レトロな街並みの中、狭い通りを走るバスの車窓の風景は、とても、ロマンチックに見えたなあ。
狭い、一通しかない通りを、うまく活用したバスルートなのだが、雪景色も手伝って、妙に印象に残ったものだ。
もっとも、将来的には、道路が拡幅されたり、再開発されたりして、きれいな街並みになっていくのだろうな。こんな変則的なバスルートもなくなるに違いない。
そして、一帯は、印象の薄い、西大井駅みたいになっていくのかな。
(2008年7月記)

有楽町線新富町駅(銀座タワー)

2009-01-13 03:22:28 | Weblog
外堀通りを西に歩き、橋を渡って、神田川の南岸へ。
地下に降りる。
飯田橋駅だが、東西線の改札近く、である。
また、地下道を歩いて、有楽町線の飯田橋駅改札を目指す。
有楽町線の飯田橋駅から、直接、地上に出た方が早いのだが、土地勘がないので、やっぱり、東西線の方まで行ってしまうのだ。
これでも、以前、一度、有楽町線の方から出たことはある。
そのときは、いつもの飯田橋駅とは、まったく、雰囲気が違うので、立往生してしまったな。
東西線の方は、目白通り、駅の東側で、台地の麓になる。
低地なので、下町ほどでもないけど、なんとなく、親しみやすい感じする。
有楽町線の方は、駅の西側、台地、ということになり、山の手、という感じだ。
もっとも、駅で、このように、一方が山の手、もう一方が下町、というのは、むしろ、多いような気もするが。
地下駅だから、地上に出たときの、その雰囲気の違いが、とても、印象的なのだろう。
飯田橋駅で再び、有楽町線に乗る。
新富町駅で下車。
新富町駅、というのは、あまり、有名そうな駅でもなさそうだし、乗降客も多くない感じがする。
それでも、高層ビルを巡っていると、けっこう、この駅で降りることが多いのだ。
それに、多いから、というわけでもないけど、なんとなく、都心にありながら、親しみやすい感じがするので、気に入っている駅でもある。
地上に出て、西へ。
掘割になっている首都高都心環状線を渡り、さらに西に歩き続ける。
途中、北へ。住宅街に入ると、銀座タワーがある。
竣工は、失われた10年が終わり、都心集積化の頃だ。
最近、多い都心部の高層住宅、ということだろう。
都心、といっても、まわりは、商業地ではないから、たぶん、住宅地なんだろうが。でも、郊外の宅地、という感じではないし。
少なくとも、住所、ビル名は、銀座、だが、銀座、という雰囲気は、まったくしない。
おそらく、近くの首都高都心環状線は、昔、築地川だったので、川沿いの下町の雰囲気が今でも残っているのだろう。
下町の雰囲気。だから、最寄り駅の新富町は、親しみやすい駅だったわけか。
こんな風に、高層ビル巡りをしていると、いつしか、下町巡りになってしまう。
高層ビル巡りを続けているのも、そういうことなのかもしれないな。
(2008年7月記)

有楽町飯田橋駅(後楽森ビル)

2009-01-12 07:39:54 | Weblog
北へ歩いて、また、西武池袋線練馬駅の西端へ。
せっかくなので、再び、新ルートを歩いて、改札に向かう。
高架の庇みたいなところにある通路を東へと歩いていくのだが。
これでは、練馬の街中を歩いたことにならないなあ。
練馬駅で西武池袋線に乗る。
池袋に向かうのだが、練馬駅は、別路線が分岐したり、都営地下鉄が交差する、交通の要衝の割には、意外と、急行は、停まらない。
ちょっと前までは、意外と、どころか、まったく、停まらなかったような気がするが。
西武池袋線練は、やはり、池袋への直通路線、ということに、こだわっているのかもしれない。
でも、これでは、都営大江戸線の練馬駅の意味がなくなってしまうな。
そんなことを考えながら、来た列車に乗り込む。
乗った車両は、やっぱり、各駅停車だったが。昼近いと、たぶん、各駅停車、ということになるのだろう。
池袋駅で地下鉄有楽町線に乗り換える。
ここで、わざわざ、有楽町線に乗り換えるなら、練馬駅で西武有楽町線に乗る手があったな。
と、思うだろうが、ただ、池袋駅でいったん降りて、昼飯が食べたかっただけなのだ。
通過駅になると、その駅で降りれば、運賃を二重に払うことになるし。
最初っから、降りる、とわかっていれば、その降りる駅を、乗換駅にすれば、運賃も二重に払うことはない。
ちなみに、練馬駅からだと、直接、有楽町線に乗った場合と、西武池袋線で池袋に行って、有楽町線に乗った場合は、運賃は同じだった、と思うのだが。
もっとも、そのような、技を弄してまで、摂った昼飯は、たいしたことはないので、情けなくなる。
池袋駅で有楽町線に乗り、飯田橋駅で下車。
いったん、地下道で、東西線の改札あたりまで行き、地上に出る。
JRの飯田橋駅の下をくぐり、北へ。神田川を渡り、北岸へ。
東西に伸びる外堀通りに入り、東へと歩く。
やがて、外堀通りの北側には、高層ビルが並ぶようになる。そのビル群の中に後楽森ビルがある。
竣工は、バブルが崩壊した後、失われた10年の終わり頃かな。
西隣には、トヨタ自動車東京本社ビルがあるが、こちらは、かなり前から、この場所に、ポツンと一棟だけ建っていたようだ。
バブル崩壊から、今に到るまでなのだが、こんな風に、ビルは、密集するようになったみたいだな。
訪れる分には、便利で安上がりなんだが。
(2008年7月記)