retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線大崎駅北口(ブリリアタワー大崎)

2008-03-21 06:24:37 | Weblog
高田馬場駅から山手線。
大崎駅で降りる。
大崎駅では、再開発が続く。もう何度降り立ったことか。
バブルの頃、駅のすぐ北側の大崎ニューシティが登場する。
しばらくしてから、失われた10年の後半にゲートシティ大崎が完成。
それからは、都心集積化、ということで、毎年のように新しい高層ビルが完成しているようだ。
このように駅周辺がビル街として拡大していっているのだが、それにつれて、駅自体もだんだん立派になっていっているというのもおもしろい。
駅北口からペデストリアンデッキで大崎ニューシティ、ゲートシティ大崎と歩いていく。この二つのビル群は、ペデストリアンデッキでつながっているのだ。
ゲートシティ大崎の先まで行き、エスカレーターで地上に降りると山手通りに出る。
すこし歩くと、山手通りの向こう側、南側にブリリアタワー大崎がある(工事中はこちら)。
山手通りと山手線に挟まれた場所だが。
この高層住宅も最近、大崎駅周辺のビル群に加わったビルだ。
なんか、せっかくペデストリアンデッキが伸びてきているのだから、山手通りを陸橋で越えて、ブリリアタワー大崎まで伸ばせばよかったかもしれない。
もっとも、大崎ニューシティの地階にあるスーパーマーケットにも直接行けるぐらいなのだが。
このようにして、今でも、大崎駅周辺はビル街が拡大しているのだが、さらに東側への拡大はもうないだろう。
山の手が御殿山まで伸びてきているからだ。
この丘陵地、山の手の向こう側は、もう品川ということかな。
ただ、目黒川の北側には、まだビルが建ちそうな場所が広がっているので、当分はビル街の拡大は続きそうな気がする。
(2007年10月記)

小田急線相模大野駅南口(パークスクエア相模大野)

2008-03-20 06:24:09 | Weblog
相模原駅に戻り、再び横浜線に乗る。
町田駅で小田急線に乗り換える。
あいかわらず賑やかだ。
さっきの相模原駅からだと、やはり、町田駅で小田急線に乗り換えて、都心に通勤しているのだろうか。
通勤は、たいへんだろうけど、なんか、町田駅で途中下車ができるというのは、楽しいかもしれない。
小田急線で次の駅、相模大野駅で降りる。
駅ビルが、ステーションスクエアという高層ビルになっている。
他には、北口にアーケード街があり、駅西側に商店街があるぐらいかな。
意外とこじんまりとした街。だから、でかい駅ビルが建ったのだろうか。
北口には、もう一棟ぐらい高層ビルが建つようだが、今のところ、どうなっているのかわからない。
南口に出てみる。
北口に比べると何もない。すぐに住宅地のような感じになる。
南東方向に歩いていく。
交通量の多い16号線が通っている。
その16号線の西側にパークスクエア相模大野の工事現場。
まさに、交通量の多い幹線道路沿いには、高層住宅、というところかな。
ただ、ちょっと相模大野駅とは距離があるので、駅前と一体、という感じではない。
また、将来的に、駅前が発展し、パークスクエア相模大野のある場所まで広がるとはとても思えない。
とりあえずは、パークスクエア相模大野もアデニウムタワー相模原と同じ頃に竣工する予定である、ということはたしかなのだが。
相模大野駅は今後、相模原駅ほど変わらないかもしれないが、こちらもどうなるか、興味深いところだ。
(2007年10月記)

横浜線相模原駅南口(アデニウムタワー相模原)

2008-03-19 06:20:07 | Weblog
南へまっすぐ伸びるメインストリートを渡り、今度はメインストリートの東側の街中に入る。
こちらには、アデニウムタワー相模原の工事現場がある。
メインストリートからはずれ、ごちゃごちゃした街中に無理やりに建つような感じだ。
だが、他の郊外の街の例からだと、このような下町のような場所はなくなってしまう運命にあるようだ。
そうなると、メインストリートから引っ込んでいる分、落ち着いた環境になるかもしれない。
さらに、駅に近いので、ペデストリアンデッキも伸びてくるかもしれない。
もっとも、そんなことが実現するのは、いつになるかわからないけど。それに、そのような作りの建物になっているとも思えないが。
現在のように、下町っぽい一帯があるのは、なんか親しみやすくていいような気もするけど、何年かすると消えてしまうんだろうなあ。
南口は、このように駅前から変わっていっているが、北口のアメリカ軍施設の返還はどうなっているんだろう。
おそらく、返還されれば、再開発が始まるかもしれない。
そして、たぶん、駅ビルが建つのだろうが、そのビルは商業施設、デパートになるのかな。
さらに、近くには、高層の住宅棟が何棟か建つのだろうか。
具体的な計画がわからないので、なんともいいようがないけど。
とりあえずは、南口のどちゃごちゃしたところにアデニウムタワー相模原が数年後(2009年前半ごろか)に建つということは、たしかなことだ。
次に相模原を訪れるのは、アデニウムタワー相模原が完成した頃かな。
どうなっているのか、楽しみにしていよう。
(2007年10月記)

横浜線相模原駅南口(レクセルマンション相模原駅前計画)

2008-03-18 06:21:41 | Weblog
八王子駅に戻り、横浜線に乗る。
電車は、丘陵地に入り南へ進んでいく。
その丘陵地を抜けると神奈川県相模原市となる。
高層住宅だらけの橋本駅を過ぎて相模原駅へ。
橋本なら来たことがあるし、横浜線で相模原駅を通過したことも何度かあるけど、駅に降り立つのは初めてだ。
南口へ。北口はアメリカ軍の施設になっているので、事実上は南口しかないのだが。
南口のペデストリアンデッキに出てみると、意外と賑やかな街並みが広がっているのがわかる。
メインストリートは一直線に南へ。
他にも通りが放射状に伸びていて、街づくりが計画的になされていたことを示しているようだ。
といっても、整然としている、というのではなく、ちょっとごちゃごちゃしているのだが。
ペデストリアンデッキから降り、メインストリートを南へ歩く。
少し歩いてから、西側へ。
街中に入るとレクセルマンション相模原駅前計画の工事現場がある。
高層住宅というと、交通量の多い幅広な幹線道路沿いか駅ビルのような感じのほうがいいかもしれない。
この場所だと、幅広の通りではあるけど、メインストリート沿いになってしまう。
メインストリートは、駅前広場にしか通じていないので、多量のクルマがびゅんびゅんと通過していく、ということではない。
だから、遮蔽物はいらないし、むしろ商業施設があった方が賑やかになっていいような気もするのだ。
もっとも、相模原市は政令指定都市を目指していて、発展していくらしい。
街並みもどんどん変わっていくことだろう。
結局、将来は、どうなるのかわからない。
(2007年10月記)

JR中央線八王子駅南口(八王子駅南口再開発)

2008-03-17 06:22:55 | Weblog
国分寺駅でJR中央線に乗り、八王子駅で降りる。
季節は秋本番。天気もいいし。行楽日和だ。
こうして、都心とは逆方向に電車で向かうと気分ものどかになる。
八王子は、多摩川を渡り、丘陵地を越えたところにある。
八王子、というと、子供の頃、何度か遊びに行ったことがあった。
昔は、そのような丘陵地の向こう側という土地柄なので、都心の郊外というよりも、やはり、地方都市、という風な感じがしたものだ。
もう山間も近く自然を身近に感じさせてくれたなあ。
なにもなさそうな北口の駅前広場、古めかしい店が連なるアーケード街。
そういった風景は、高度成長期が終わると、徐々になくなり、都心の郊外と変わらなくなっていく。
街は、きれいになり、便利になり、郊外という名の元に画一化されていったのだ。
それ以降、八王子の街に行くこともなくなり、今にいたっている。
そして、こうして、八王子の駅を降り立ってみると、その変貌ぶりには、驚かされてしまう。
もっとも、それは前回訪れたときのことなのだが。
しかし、まだ八王子駅南口は、自分が子供の頃、八王子を訪れていた雰囲気が多分に残っているような感じがする。
たんにさびれているだけなのかもしれないけど。
駅舎の階段を降り、南口の駅前広場に立ってみる。
そう、子供の頃に見た八王子の雰囲気はこんな感じだった。
このなんにもない感じは、昔のままだ。
ふと西側を見ると巨大なビルの完成予想図の看板が立っている。
都心でもかなり高い部類になる巨大ビルだ。
こんな場所に建つとはとても信じられないけど、本当なのだ。
集積化の産物、というべきなのだろうか。
(2007年10月記)

京葉線海浜幕張駅南口(ワールドビジネスガーデン)

2008-03-16 02:48:06 | Weblog
交差点を曲って南北に伸びる国際大通りを南へ歩く。
海浜幕張駅南口に出て、さらに南へ。
国際大通りの西側、幕張メッセの通りを挟んで北側にワールドビジネスガーデンがある。マリブイースト、マリブウエストの2棟からなるツインの高層オフィスビルだ。
また、この高層ビルもバブルの頃の竣工である。
幕張新都心、この巨大な人工都市は、このようにして、バブルの終わり頃には、ほぼ完成した。
ホテルもあり、野球場もあり、そして、巨大なイベント会場も備えている。
さらに、西側にビル群は拡大する予定でもあったのだが。
あるいは、モノレールも通るかもしれなかったのだが。
その頃、巨大なイベント会場、幕張メッセでは、大恐竜博。
かつて、地球を覆い尽くし、栄華を極めた恐竜たち。
その恐竜たちは、ある時、一瞬にして絶滅してしまう。
その儚さに誰もが興味を惹かれ、心動かされる。
たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ
そんな無常な地球の歴史があったんだ、としんみりしてしまうのだ。
もっとも、実は、そんな同情も、すっかり豊かになった世の中、確実に明るい未来を再認識する道具立てにすぎなかったのかもしれない。
しかし、その直後に日本も恐竜と同じ運命を辿るとは。
幕張新都心のビル群は、恐竜の残した巨大な化石と同じようなものなのかもしれない。
でも、恐竜は絶滅したのではなく、鳥に進化したのだ、という説が最近、有力になってきた。
そういえば、なんとなく、鳥の顔は、恐竜っぽいと思っていたんだ。
幕張の夢の跡、遺跡のはるか上空を、滅びたと思っていた、恐竜たちは、鳥になって、自由に飛んでいる。
それを見上げながら、どうやら、鳥にはなれそうもないなと、そんな気持ちになってしまうのだが。
(2007年10月記)

京葉線海浜幕張駅北口(幕張東京海上ビル)

2008-03-15 04:01:14 | Weblog
幕張テクノガーデンの通りを挟んで南側には、幕張東京海上ビルがある。
当然、この高層ビルもバブルの頃の竣工だ。
このように、幕張の中心部の建物は、ほとんどバブルの頃に完成している。
その中でも、バブルの頃の代表的な施設、といえば、まず第一に、幕張メッセかもしれない。
たしか、用もないのに2回ぐらいは、幕張メッセで開催されてるモーターショーに行ったような気もする。
他にも何を見にいったか思い出せないが、何回か行っている。でも、最近は、まったく行かなくなっていないなあ。
唯一、記憶に残っている幕張メッセの催し物は、大恐竜博だ。
ちょうどバブルの頃である。
いったい何のきっかけで開催されたのやら。今から思うとまったく思い出せない。
次の池袋のサンシャインシティの恐竜博も見にいったが、恐竜博はそれっきり。
しかし、そのすぐ後に、映画「ジュラシック・パーク」の公開などもあって、世間では恐竜ブームが興る。そのブームは、今でも続いている。
毎年一回、大きな恐竜博のイベントが、どこかの博物館か幕張メッセで開催され続けている。
このような恐竜ブームの始まりに関して、時期が、バブル崩壊から失われた10年、ということもあり、バブル崩壊と恐竜絶滅、というとてもドラマチックなストーリーの類似を指摘する評をまだ覚えている。
まったくその通りだと思うのだが。
もっとも、後知恵、のような気がしないでもない。
なぜなら、幕張メッセでの恐竜博開催の始まりは、まだバブルの頃だったからだ。
つまり、この好景気が頓挫する、なんて誰も考えなかった頃だ。
ただ、実際は、もうその頃から、モーターショー以外は、でかい恐竜の骨を展示するぐらいしか、集客力のあるイベントはなかった、ということではないかな。
(2007年10月記)

京葉線海浜幕張駅北口(幕張テクノガーデン)

2008-03-14 06:23:05 | Weblog
もう鴨川には、用はないので、来た道を引き返す。
安房鴨川駅に着くと、ちょうど特急が停まっていたので飛び乗った。
鴨川滞在時間、わずか30分間。
列車が発車するとき、何の気なしに、ふと窓から駅のホームを見た。
すると、若い男女が手を振り合って別れを惜しんでいる姿が目に入ってきた。夫婦か恋人同士かわからない。
この光景を眺めていたら、突然、さっきの、網走番外地の歌を思い出したのだ。
紅い真紅な ハマナスが
海を見てます 泣いてます
列車は、ふいに静かに動き出し、そのまま、容赦なくスピードを上げていく。
もう鴨川からはどんどん遠ざかっていく。
景色が後ろへと後ろへと流れていく。
そんな中で、惜別の思いは、大きく大きくなっていく。
なるほど、つげ義春の旅情とは、こういうものなのだろうか。
つまり、旅に出て改めて実感する情、ということだ。
気を取り直すと、再び、退屈な風景が速いスピードで車窓を過ぎ去っていく。
よし、帰りは、ゆっくり海の景色を見てやろうかと思っていたのだが、やはり退屈な景色なので、いつしかすっかり寝入ってしまった。
目が覚めると、見慣れた京葉線の風景。
海浜幕張駅で降りる。
北口に出て、少し西側に歩くと幕張テクノガーデン B棟、D棟がある。
バブルの頃の竣工だ。
鴨川のバブルの遺産の次には幕張のバブルの遺産か。
ということは、鴨川に網走番外地がないので、過去の遺産にそれを求める、ということなのかな。
(2007年10月記)

外房線安房鴨川駅(鴨川グランドタワー)

2008-03-13 06:22:58 | Weblog
今回は、いよいよ首都圏の中でもかなりの遠出となる場所だ。
安房鴨川である。
まずは高田馬場から東西線で大手町へ。
地下道を歩いて東京駅に行く。
昼過ぎ出発の安房鴨川行きの特急に乗り込む。
特急は、京葉線を猛スピードで安房鴨川目指して走っていく。
昼過ぎにそんなところに行く観光客なんていないので、車内は空いていて快適だ。
蘇我からは、外房線に入る。
てっきり、木更津の方を通る内房線に入るのかと思ってたけど、違った。
地方都市の茂原を過ぎ、勝浦を過ぎ、ゴーストタウンみたいになってしまった行川アイランドを過ぎる。
そして、2時間で安房鴨川に着いてしまった。
これじゃ旅情を楽しむ暇なんてないなあ。
駅の東側に出て、線路に並ぶように伸びる道路に出る。
北東方向に歩いていく。
道路沿いには、都心の郊外にでもありそうなラーメン屋などしかない。
ますます遠くへ来た、という感じは薄らいでしまう。
そのままどんどん歩いて行くと、やがて松林が広がり、その中、道路の西側に鴨川グランドタワーがある。
竣工はバブルの終わり頃だ。
幕張だけではなく、こんなところにもバブルの遺産があったとは。
ということで、房総半島への旅はあっけなく終わってしまったな。
房総半島への旅、というと、つげ義春の漫画、「やなぎや主人」をふと思い出してしまった。
どこからか流れて来た網走番外地の歌を聞き、突然、強い旅情を掻き立てられ、そのまま房総半島へ来てしまう話だ。
遙か 遙か彼方にや オホーツク
海を見てます 泣いてます
このような感じの歌なのだが。
思い出したのはいいけれど、同じ房総半島への道行も、あんまり旅情は感じられなかったかな。
つまり、遙か彼方にやってきたのだけど、そこには、網走番外地はなかったのだ。
その代わりに、バブルの遺産とどこにでもあるラーメン屋はあった、ということか。
(2007年10月記)

有楽町線新木場駅南口(ジャパン建材本社ビル)

2008-03-12 06:21:45 | Weblog
南側に少し歩き、交差点を西へ曲る。
そのまま、まっすぐ歩いて行くと新富町駅に着く。
再び、有楽町線に乗り込む。
終点の新木場駅で降りる。
南口に出る。
周りは、見渡す限り倉庫街が広がっているだけだが。
京葉線の高架に沿うように東へと歩いていく。
しばらくすると歩いている通りの南側、つまり、京葉線の高架と通りの間にジャパン建材本社ビルが現れる(工事中はこちら)。
まわりには、倉庫しかないので、京葉線からでもよく見える。
ところで、新木場は、ごみによる埋立てによって高度成長期の中頃にできている。夢の島の南側にあたる。
高度成長期の後半になり、そこへ、木場から貯木場が移ってきて、新木場の街ができる。
そして、バブルの頃に有楽町線、京葉線が相次いで延伸してきた。
その後、さらに、まわりに若洲ゴルフリンクス、夢の島マリーナ、東京辰巳国際水泳場、と相次いで施設が開業している。
まさに、都心の中のリゾート地、となったのだ。
もっとも、高度成長期の頃の夢の島のものすごいゴミの山の光景が、脳裏から離れないので、なんか、リゾート地というのは、素直に受け取れないのだが。
しかし、ゴミの山がリゾートになったのだから、夢の島とは、よく名付けたのものだ。
と思ったのだが、本当は、昭和の初め頃に、飛行場や遊園地が計画されていたので、夢の島、と名付けられるようになった、ということだ。
だから、ゴミの埋立てと夢の島、というネーミングはまったく関係ないらしい。
夢の島、という名前の海辺にゴミを捨てていただけなのだ。
そうはいっても、今では、高層オフィスビルが建ったぐらいなのだから、もう、ゴミの島ではなくなったのかもしれない。
(2007年9月記)