retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

横浜市営地下鉄坂東橋駅南口(市立大学医学部附属浦舟病院)

2007-12-11 06:23:16 | Weblog
上大岡駅に戻り、今度は横浜市営地下鉄に乗り込む。
坂東橋駅で降りる。
南口に出て、そのまま南へ歩く。
しばらくすると東西に伸びる通りに出る。
その通りの南側に市立大学医学部附属浦舟病院がある。
横浜市営地下鉄は、大岡川に沿って伸びている。
鎌倉街道も同じように大岡川に沿っている。
また、京浜急行も大岡川に沿っている、と言えるかもしれない。
強引に考えれば、上大岡周辺の高層ビル群も市立大学医学部附属浦舟病院も大岡川沿いのビル群になるだろうけど。
周りを見渡すと、川沿い、ということで下町の雰囲気がする。
京浜急行では黄金町、日の出町があり、下町だし。
横浜市営地下鉄は、埋立てられた吉田川の流れていた大通り公園を通っていて、北側は伊勢佐木町になっている。
もっと下流になると、山下町の横浜中華街もある。一帯は下町、ということになるだろう。
それほどではないが、だから高層ビルが建っていくのだろう。
市立大学医学部附属浦舟病院は、バブルが崩壊した後の失われた10年の頃に竣工している。
景気が悪いと公共性の高い建物が建つのだろうか。
不思議なことに、とても病院とは思えないほど、豪華な印象がある。
隣のやや古い大きなビルは、老人ホームだろうか。ちょっとわからないが。
下から見上げると、寝巻き姿の老人が大勢、大きな窓に張り付いて下を眺めているのが見える。
建物だけは、新しくなっていくのに。なんか、物悲しい光景だ。
下界を見下ろす大勢の老人たちに見送られながら、横浜市営地下鉄の駅のある方へ歩いていく。
(2007年6月記)

京浜急行上大岡駅(ゆめおおおかオフィスタワー)

2007-12-10 06:24:26 | Weblog
一応、駅ビルなのだろうが、上大岡駅の南側にはゆめおおおかオフィスタワーがある。
このビルの竣工は、バブル崩壊後の失われた10年の中である。
また、ゆめおおおかオフィスタワーの大通りを挟んで西側では、新たな高層ビルの工事中である。
もうこれ以上の高層ビルの建設計画は今のところないだろうが、将来はわからない。
高度成長期の頃、相次いで横浜市営地下鉄、京浜東北線(根岸線)(こちらは直接、上大岡駅を通っているわけではないが)が、延伸してきたわけだが、そのおかげで、何もないところに、街ができていった。
ニュータウンである。
洋光台駅や港南台駅に行ったことはないのでなんともいえないのだが、多摩ニュータウンよりも、田園都市の度合いが高いのかもしれないなあ。
多摩ニュータウンの近くの新百合ヶ丘と同じなのかもしれない。
つまり、バブルの頃に開発が始まった港北ニュータウンの前触れのような感じもする。
その港北ニュータウンだが、来年には東急東横線の日吉から地下鉄が伸びるようだ。
そして、いつになるのかわからないが、港北ニュータウンからぐるっと回ってきて、東戸塚駅を経て、上大岡駅まで伸び、横浜中華街に至る計画らしい。
まさに、横浜の山の手近辺を結んでいるので、横浜山手線、という感じだが。
もし、遠い将来、それが実現して、横浜山の手地下鉄が上大岡まで伸びて来るようなら、たぶん、上大岡の街もすっかり整備されて、きれいな街並みになっていることだろう。
関内、桜木町あたりともつながり、その影響を受けるはずだ。
そうなると、昔の鎌倉街道は、歴史テーマパークにでもしないと残らないだろう。
この場合も日本のあちこちで同じようなことになっているのだろうなあ。
(2007年6月記)

京浜急行上大岡駅西口(横浜ヘリオスタワー)

2007-12-09 06:53:52 | Weblog
能見台駅へ戻り、再び京浜急行に乗り込む。
上大岡駅で降りる。
西口には、横浜ヘリオスタワーがある。
横浜とは、一山越えた場所にあるような感じだが、意外なほど大きな街で驚く。
といっても駅周辺しか歩いたことはないのでなんとも言えないが。
一帯は、田圃だったらしいが、大岡川に沿って鎌倉街道が通っており、その宿場町であったらしい。
江戸時代からなのか、もっと以前なのかちょっとわからないが。
昭和に入ってから京浜急行が開通する。
日本のあちこちの状況と同じように、昔からの街を避けて駅は設置されている。
上大岡駅の場合は、大岡川の東岸にあった宿場町からさらに東側に離れた場所だ。
そして、高度成長期になり、上大岡のある横浜市港南区は、郊外の住宅地として爆発的に巨大化していく。
爆発的な拡大と連動して、横浜市営地下鉄、京浜東北線(根岸線)(こちらは直接、上大岡駅を通っているわけではないが)が、相次いで延伸してきた。
また、その少し前に横浜市港南区が新設されているのだが。
ただ、そのように発展していくと、昔の街はさびれていくものだ。
日本のどこかの街と同じように。
その例に漏れず、上大岡の場合もさびれた昔の街は、再開発の対象になるのである。
バブルが崩壊し、都心集積化の時代になると、駅近くに高層ビルが建つ。
どうりで、駅周辺の商店街などは、郊外の田園都市とか、整備されたニュータウン、という雰囲気がしない、と思った。
どこか、親しみのある、昔馴染みの商店街、という感じなのだ。
でも、もうなくなっていくのかもしれない。
日本のあちこちで起こっていることと同じように。
(2007年6月記)

京浜急行能見台駅西口(シティタワー横浜サウス・ビーコンヒル能見台)

2007-12-08 06:24:29 | Weblog
産業振興センター駅でまた金沢シーサイドラインに乗り、金沢八景駅へ戻る。
海面にはまだ大量のクラゲがふわふわと浮いている。
京浜急行の金沢八景駅へ。そしてまた京浜急行に乗る。能見台駅で降りる。
西口へ出て、南へ歩く。
駅前は普通の郊外の感じだが、南側一帯は、新しい集合住宅のビル群が広がっている。
その中に、シティタワー横浜サウス・ビーコンヒル能見台がある。
地名の能見台は、南西方向にある、見晴らしのいい高台にあった能見堂から、ということらしい。
もっとも、能見台駅はそれほど見晴らしがいいとも思えないけど。
もともとは谷津坂駅、といったらしいが、高度成長期の後の安定期の頃、能見台駅、という駅名になっている。
駅名だけ見ると、いかにも風光明媚な景勝地、という感じだが。
そういうわけで、高度成長期が終わると、都心部に対する郊外住宅地へと変貌したわけである。
日本中のあちこちが通ってきた道だ。
そしてバブルが崩壊し、失われた10年を経て、都心集積の現代に至る。
能見台駅近くの集合住宅も最近、あちこちにできている、駅近くの高層住宅の一つだろう。
また、そのような集合住宅地を見ているといつも感じるが、まわりとは隔絶しているような気がするのだ。
まるで、SFの中にでてくるコロニーのような感じだ。
そしてまわりとは隔絶しているのに、駅近くなので都心とは直結しているのである。
もっとも、別に見晴らしがいいわけでもない、能見台とは隔絶していようがいまいが、どうでもいいのかもしれないなあ。
(2007年6月記)

金沢シーサイドライン産業振興センター駅(横浜金沢ハイテクセンター)

2007-12-07 06:14:30 | Weblog
逸見駅で京浜急行に乗る。金沢八景駅で降りる。
山が海まで迫り、山森の濃い緑と真っ青な海が美しいコントラストを生み出している。風光明媚な港町、という感じだ。
少し東側に歩く。もう海岸、という場所に金沢シーサイドラインの発着駅、金沢八景駅がある。
本当は、京浜急行の駅と接着するはずだったようだが、いまだに実現していない。
金沢シーサイドラインの高架は入り江を横切り、東へ伸びている。
この日は、横浜あたりでもう気になっていたのだが、海面のあちこちにクラゲが大量に漂っていて、ちょっと気味が悪かったのだが。
金沢八景の海岸にもやっぱりクラゲがたくさんいた。
金沢シーサイドラインは、八景島シーパラダイスを通過し、向きを北へ変える。
埋立地の新しい工場地帯に入っていく。
産業振興センター駅で降りる。
近くには横浜金沢ハイテクセンターがある。
この高層ビルも埋立地も金沢シーサイドラインもバブルの産物である。
そして、さっき通ってきた八景島シーパラダイスもまたバブルの産物かもしれない。
その頃、何度か訪れて、金沢シーサイドラインにも乗ったものだ。
今、またかなりひさしぶりに来ているわけだが、休日のためかこの広大な人工的空間には誰もいない。がらんとしている。
バブルの頃から見れば、こんなはずじゃないのだろうが。
でも、バブルのその先の未来は、立ち往生し、一歩も進まない。当たり前か。
まるで、金沢シーサイドラインが、京浜急行の駅の手前で延伸できなくて、立ち往生してそのままなのと同じなのかもしれない。
もっとも、八景島シーパラダイスは家族連れで賑わっているし、金沢シーサイドラインも便利だし。
遺産を残してくれた、ということでいいのかもしれない。
(2007年6月記)

京浜急行逸見駅東口(ウェルシティ横須賀)

2007-12-06 06:22:29 | Weblog
高田馬場から山手線で品川へ。
京浜急行に乗り、一気に横須賀の手前の逸見駅へ。
南北を山で挟まれた谷地になっている。
そして東側に出るとそのまま海に向かって一直線に眺望が広がっている、という寸法なのだ。
港町にあるような、ひなびた古い、いい感じの商店街のある、ゆるい坂道をだらだらと下っていく。
まだ昼過ぎなのに、魚屋の店頭では、魚の切り身を炙りだしている。
魚の焼けるいい匂いがたちこめ、思わず立ち止まりそうになるが、焼いた魚の切り身を買っても、近くに住んでいるわけではないので、ちょっと持て余してしまう、と思って、先へ歩いていく。
やがて、南北に伸びている16号線にぶつかるが、その先にウェルシティ横須賀がある。
海があり山があり、そして何よりも自然がある。
さらに、のんびりした港町の生活環境も魅力的だ。
また、さらに、すぐ隣には賑やかな横須賀の街がある。加えて、横浜の街もそう遠くはない。
最後の極め付きは、都心部からも通勤圏に入るかもしれない、ということだ。
つまり、ただのリゾートマンションだけではなく、通勤圏なので郊外のマンションでもありうるのだ。
この高層住宅は、失われた10年の終わりごろに竣工している。
格差社会の産物というわけだろうか。
こんなところで、このような高層住宅に暮らしていたら人生観が変わってしまうだろうなあ。
海が近いからだろうか、緑の芝生が鮮やかで、太陽の光を反射していて目を向けられないぐらいだ。
また、ひなびた商店街のある坂道を今度はのろのろと登っていく。
さっきの、焼いている魚の切り身は、もう目に入らなくなっている。
逸見駅へ。一見すると山間部にあるような駅だが、都心へ直結する京浜急行はすぐに来る。やはり便利な場所なんだなあ。
(2007年6月記)

山手線原宿駅東口(ジェントルエア神宮前)

2007-12-05 06:22:28 | Weblog
明治通りとの交差点をそのまま東へ進むと、通りの南側にジェントルエア神宮前がある(工事中はこちら)。
この高層住宅も最近、竣工している。
また、この高層ビルも表参道、原宿の辺境のビルなのだろう。
竹下通りがいつからこんなに賑やかな商店街になったのか、よくはわからないのだが、もともと渋谷川に流れ込む小川の流路になっていたので、その素地はあったのかもしれない。
原宿の街は、高度成長期が終わった後の安定期にラフォーレ原宿が開業したことが大きいようだ。
ただし、場所柄かどうか、繁華街というわけにもいかず、たんなる表参道の拡張というわけにもいかず。
ということで、若者の街、原宿、というコンセプトで街が作られたようである。
だから、地域のための商店街ではなく、むしろテーマパークということだろう。竹下通りがまさにその中心なのは、納得できる。
その点で言えば、巣鴨の地蔵通り商店街もやや似ているかもしれない。
高度成長期の頃、都営地下鉄三田線が開通し、そして駅に大きなスーパーができた。
地域の客は、皆、駅前のスーパーに行ってしまうだろう。
そこで、高齢者向けの街、というコンセプトで街を作った、ということだ。
こちらも、もはやテーマパークとしてすっかり定着している。
「おばあちゃんの原宿」である。
時期的には、巣鴨の地蔵通り商店街の方が早いのだが、テーマパークとしての認知は竹下通りの方が早いから、こういうキャッチフレーズでいいのかもしれない。
最近竣工したビルを巡っていると、思いもかけず、巣鴨の地蔵通り商店街、そして、原宿の竹下通りに行き着いてしまう。だが、こうして考えると、実は、まったく偶然ではないということに思い至ってしまうのだ。
(2007年6月記)

山手線原宿駅東口(住友不動産原宿ビル)

2007-12-04 06:23:40 | Weblog
都営三田線の西巣鴨駅へ。巣鴨駅で山手線に乗り換える。
巣鴨駅で都営三田線から山手線に乗り換えるとき、いつも感じるが、乗り換えがとてもスムーズだ。
他の路線、特に地下鉄と地上の路線との乗り換えは、歩く距離が多かったり、迷路のようになっていたりして、便利ではないのだが。
このことは、地蔵通り商店街を意識しているのかもしれない。
そう考えると、地蔵通り商店街は、地元の山の手巣鴨のためだけの商店街ではなく、一種のテーマパークなのかもしれない。
巣鴨の駅と一体となっているのだろう。
山手線で原宿駅まで行く。
東口へ。さすがに竹下通りは混むので通過しないことにする。
山手線に沿って北へ歩き、道路に沿って東へ。
明治通りとの交差点の南東側に住友不動産原宿ビルがある(工事中はこちら)。
こちらも竣工したばかりだ。
表参道や原宿の喧騒とは離れ静かな感じだ。特に竹下通りや明治通りを通って来なかったので、そう感じるのだろう。
だが、来年には目の前の明治通りに地下鉄13号線が通る。少し新宿寄りには新しい駅もできるようだ。
確実に表参道、原宿の圏内になっていくだろう。
そういった意味では、表参道の辺境の高層ビル、といったところだろうか。
北側は、千駄ヶ谷ということで低地になっているので余計そう感じてしまう。
さらに、地下鉄13号線の駅は原宿駅近くにもできるので、原宿そのものも表参道のような街に発展するかもしれない。
(2007年6月記)

都営三田線西巣鴨駅(グローリオタワー巣鴨)

2007-12-03 06:23:32 | Weblog
大塚駅に戻り、都電荒川線で新庚申塚駅へ。
相変わらずいつ乗ってもぎゅうぎゅうに混んでいる。
早稲田から東池袋、大塚、王子にかけては地下鉄にしてしまえばいいのだが。
そうなれば、東池袋、大塚、王子の駅周辺もすっきりする。
のんびりした下町情緒溢れるレトロな鉄道、という風に紹介されているらしいけど、そんな印象を受けたことは一度もない。
下町の苦しさ、辛さを味わうにはいいかもしれないが。
新庚申塚駅で降りると目の前には白山通りが北西に向かって伸びている。
中山道になっていく幹線道路なので、交通量も多い。
その白山通りの南側にグローリオタワー巣鴨がある(工事中はこちら)。
最近、竣工した高層住宅である。
さらに西側には、巣鴨庚申塚がある。
江戸時代は中山道が通っていたようだ。
現代は、その巣鴨庚申塚から有名な地蔵通り商店街が始まっている。
地蔵通り商店街を南東に向かうと、とげぬき地蔵のある高岩寺、そして真性寺があり、巣鴨駅となる。
今回は地蔵通り商店街に用はないので寄らなかったが。
学生の頃は、巣鴨によく行ったが、実はこのときも一度も地蔵通り商店街に行っていない。もっとも、そのころからこんなに有名だったかどうかわからないけど。
ただ、巣鴨というと、特に南口だが、閑静な山の手住宅街、というイメージしかない。
つまり、文京山の手の北端、ということだ。白山、駒込、千石、巣鴨、である。
巣鴨は、地蔵通り商店街が有名なので庶民的な下町、というイメージだが、実際は山の手なのだ。
巣鴨駅や地蔵通り商店街のさらに辺境にある、グローリオタワー巣鴨が建っている巣鴨庚申塚あたりはその山の手に対する下町なのかもしれない。
(2007年6月記)

山手線戸塚駅北口(上池袋プロジェクトビル)

2007-12-02 09:41:46 | Weblog
東池袋4丁目の再開発からサンシャインシティの東側を通り、春日通りに出る。
少し東に歩き、北側に曲ると大塚駅南口である。
大塚駅の北口に出て、北西に伸びている通りを歩いていく。
途中に高層住宅のステーションフロントタワーがある。
もう少し歩くと、上池袋プロジェクトビルの工事現場となる。
さらに北西には、東京シティトリエがある。
かなり昔は、下板橋あたりから南東へ、大塚を通って、水道橋あたりまで、谷端川という川が流れていたらしい。
これらの高層ビルの連なりは、谷端川の流れの跡と一致するかもしれない。
川べりだとすると大塚駅あたりが下町っぽいのも納得する。
上池袋プロジェクトビルも大きな病院の跡地である。
川べりということで大きな病院の敷地になったのだろう。
今は川はなくなり道路になっている。そして、川がなくなったということが理由ではないのだろうが、大塚の街もすっかりわびしい感じになってしまった。
池袋に取って代られてしまったのだ。戦後のことであるが。
さらに施設も移転し、都心集積化の現代になって、その跡地に高層住宅が建っていく、ということなのだろう。
もっとも大きな病院の移転はつい最近のことだが。
この病院の解体作業に出くわしたことがある。
すでに外壁が壊され建物の内部も外から見える状態だった。
歴史のある建築物の解体、ということで一瞬、カメラに撮っておこうかと思った。
でも、この外部に露出した病室か診察室の様子を見ていると、長い間の想いがまだそのまま残っているような感じがしたので、どうしてもシャッターを押せなかったのだが。
今はきれいに更地になり、そして高層住宅に生まれ変わろうとしている。
すっかり整備された住宅地になれば、この場所に大きな病院があった、なんて歴史もなくなってしまうんだろうなあ。
(2007年6月記)