retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線有楽町駅西口(丸の内パークビルディング)

2007-12-21 06:28:50 | Weblog
虎ノ門駅に戻り、再び銀座線に乗る。
新橋駅で山手線に乗り換える。
有楽町駅で下車。西口へ出る。
そのまま、北へと歩いて行くと、ちょうど東京駅と有楽町駅の真ん中ぐらいの場所に丸の内パークビルディングの工事現場がある。
西側には、明治安田生命本社ビル
そして、東側には、東京三菱銀行本店ビル東京ビルがある。
北側と南側には、まだ高層ビルはない。ないが、こうして、ビルが建てかわっているので、いずれは、高層ビルになるのだろう。
この丸の内パークビルディング工事現場には、古河ビル、というビルなどがあったのだが、もはや、まったく思い出せない。
なくなっていく、というのはある程度、寂しいものだけど、こうして、記憶にも残らない、というのは、もっと寂しいことだ。
だが、時代の流れなのでしょうがない。
バブルの頃のマンハッタン計画なるものは、一笑にふされ、立ち消えたが、こうして、じわじわと実現していく光景を見ると、ちょっと空恐ろしくはなるが。
でも、このように、毎年毎年、ちびちびと新しい高層ビルが誕生していき、そして、またどこかで、工事が始まるというのは、イベント感覚で楽しいことでもある。
たぶん、次あたりは、北東側の東京中央郵便局あたりが高層ビルになるための工事を始めているかもしれない。
そして、その次はどこなんだろうか。わからない。
わかるのは、結局のところ、どこまで行けば完成なのか、それを見極めることは、もはやない、ということだろうなあ。
でも、その未来が見てみたい気もするのだ。
だから、こうして、高層ビルの建設現場を見て回っているのかな。
果たされない好奇心のために。
(2007年6月記)

銀座線虎ノ門駅南口(グランスイート虎ノ門)

2007-12-20 06:22:40 | Weblog
さっき下ってきた坂を今度は登り、青山通りへ出て、西へ歩く。
赤坂見附駅まで戻り、銀座線に乗る。
虎ノ門駅で降りる。
桜田通りを南へ歩く。
やがて環状2号線の予定地になっていて、あちこちに更地のある一帯へ。
東へ曲ると、すぐにグランスイート虎ノ門がある(工事中はこちら)。
一応、この高層マンションも環状2号線の再開発の一環だったような記憶があるのだが。
普通にできあがった、普通の高層マンションにしか見えない。
一帯は、環状2号線、通称、マッカーサー道路が開通するのと連動して、巨大ビルの建設を中心とした大規模な再開発がされる、はずなのだが。
いまだに、あちこちに更地が点在するばかりでなにも起こる気配がない。
計画はあるのでいつかは、そうなることはたしかなのだろうが。
嵐の前の静けさ、ということでいいのだろう。
ここらへんに高層ビルができると、南側から芝公園、増上寺、愛宕山、そして環状2号線のビル群とまるで山脈のようになる。
まるで、その西側にある麻布、六本木、赤坂の防壁になっているようだ。
また、その北側は、もう霞ヶ関になる。
現在は、新橋側からは、そのまま丸見えになっているが、環状2号線の再開発高層ビル群ができれば、塞がれることになる。
環状2号線は、臨海副都心の有明から新しい築地市場の予定地、勝どき六丁目、そして現在の築地市場を通って汐留、マッカーサー道路、となっている。
こちらも工事をしているのか、どうかよくわからないのだが。
とりあえず、このマッカーサー道路のあたりは、地下道になるらしい。
そして、地上は再開発、ということだ。
もっとも、虎ノ門の環状2号線の再開発地以外は、どうなるのだろう。
せっかく地下にしたのだから、道路が新しくできるとは思えないし。
どちらにしろ、完成すればわかることではあるけれど。
(2007年6月記)

有楽町線永田町駅(平河町二丁目東部南地区再開発)

2007-12-19 06:23:16 | Weblog
赤坂見附交差点に戻り、さらに青山通りを東へ歩く。
永田町の駅のあるあたりにかけて、急な上り坂になっている。
赤坂見附門の跡が今も残っている。
そのままさらに青山通りを東に歩いて行くと、青山通りの上を通っている首都高の高架が分岐して北へ向かっていて、空中をコンクリートの高架がうねっているような、昔のSFのような光景に出くわす。
そのような場所の青山通りの北側に平河町二丁目東部南地区再開発がある。
さらに東に歩き、交差点を北に曲る。
今度は、急な下り坂だ。
下りきると、平河町二丁目東部南地区再開発の東側に出る。
複雑な地形だし、首都高の高架は間近を通っているし。でも、こんな場所だからこそ、高層ビルが建つのだろうか。
平河町の地名は、むろん平河天神によるのだが、平河天神はもともと、江戸城内、梅林坂にあったようだ。
今の二の丸庭園あたりなのだろうか。北側に天神濠がある。この天神濠の名前は、この神社からきているらしい。
徳川家康が江戸城に入ってきた頃、江戸城の拡張のため、北側の平川村に天神は移転している。今の平川門、平川橋、平川濠にこの平川村の地名が残っている。
そのときに平河天神、という名前になったらしい。
さらに、江戸城拡張のために、平河天神は、半蔵門の西側に移転する。
今度は、地名が、平河天神から、平河になっている。
数奇な運命を経た地名なのだが。
一帯は、北側の番町、麹町の山の手台地と南側の青山通りの尾根との間に挟まれた谷地になっていて、そのためかどうかわからないが、裁判所や国立劇場などの施設やビルが多い。
平河町二丁目東部南地区再開発もそのような施設になるのだろう。
(2007年6月記)

銀座線赤坂見附駅(元赤坂新安全ビル)

2007-12-18 06:25:56 | Weblog
六本木で日比谷線に乗り、霞ヶ関で丸ノ内線に乗り換える。
赤坂見附駅で降りる。
地上に出て、青山通りを西へ歩く。青山に向かって上り坂になっている。
陸橋で北側に渡り、元赤坂一丁目に入る。
西側に赤坂御用地、豊川稲荷があり、南側には青山通り、そして北側には弁慶濠とホテルニューオータニ。
元赤坂一丁目はそれらに挟まれた三角形のここだけまわりから浮いた妙な場所だ。
なんでここだけ取り残されたように町があるのかわからないのだが。
そんななかに元赤坂新安全ビルがある(工事中はこちら)。
この場所は、以前は伝馬町、と呼ばれており、その地名から、江戸時代には、街道における馬の手配や荷物の集積を行っていたらしい。
矢倉沢往還(大山街道、今の246号線)の出発地点なので、そういう施設があったのだろう。
今は元赤坂というのだが、元赤坂、という地名なので、赤坂の元、かと思うが、それほど由緒がある場所とは思えない。
しかも、赤坂の地名に関しても、よくわからないことだらけだ。
もともと一帯は、「人継」という地名だったと思う。今でも一ツ木通りにその地名が残っているが。
たとえば、今の永田町駅のあたりにあった赤坂見附門についてだが、弁慶濠や溜池を見下ろす高台に、もともとそこに住んでいた住民を坂の下に移住させて、その跡地に作られたらしい。
そして、移住させられた住民は、その坂の下を元赤坂、赤坂、と呼んだ、ということだ。さらに、見附門は、そこから赤坂見附門、となったようなのだ。
なんか、余計、判然としないが、はっきりしているのは、最初から、地名として赤坂、というものは存在しなかった、ということだろう。
明治時代になって、その元赤坂に赤坂豊川稲荷が移ってくる。
歴史的な風格と華やいだ雰囲気も同時に運んできたようだ。
赤坂が、地名として根付いてくるのは、そんなところからなのかもしれない。
(2007年6月記)

都営大江戸線六本木駅(東京ミッドタウン・パークサイド)

2007-12-17 06:23:38 | Weblog
大江戸線の入口のある交差点を北東方向へ。
東京ミッドタウンの南側になる。
坂を下っていくことになるが。
東京ミッドタウン・ミッドタウンイーストの東側に東京ミッドタウン・パークサイドがある(工事中がこちら)。
東京ミッドタウンの住居棟になる。
どのビルも似たような外観なので、どれが住居棟かわからなかったが、確かによく見てみると、高層アパート、という感じだ。
それに、最も東南端なら、方角的に見ても住宅棟、ということになるだろう。
このまま坂をぐんぐん下っていくと、檜町公園になる。
東京ミッドタウンができる前にも1、2回通りかかったことがある。
起伏に富み、興趣溢れる、贅沢な公園、という印象が残っている。
今の東京ミッドタウンのあるあたりから、山の斜面のように、急な下り勾配となっていて、そして、ちょうど、檜町公園はその麓のようになっている。
江戸時代には、この公園は、長州藩毛利家麻布下屋敷の「清水園」という庭園であったようだ。
どうりで普通の公園にしては、趣がありすぎる、と思った。
もともとこの場所には、古代から人々が生活していたらしい。
その後、江戸時代、長州藩毛利家の下屋敷ができるまで、どうなっていたのさっぱりわからないのだが。
ただ、赤坂、溜池に向かって突き出た岬のような台地になっていて、見晴らしがよく日当たりもよさそうで環境もよかったのではと思う。
そして、その場所に、今では、巨大ビル群の東京ミッドタウンが建っている、というわけだ。
太古の昔から、もう巨大ビルが建つことが約束されているような不思議な感じがする。
(2007年6月記)

都営大江戸線六本木駅(東京ミッドタウン・ミッドタウンイースト)

2007-12-16 09:55:07 | Weblog
青山一丁目駅で大江戸線に乗る。
地下鉄は外苑東通りの下を通っていく。
六本木で降りる。
地上に出ると完成したばかりの巨大な東京ミッドタウンのビル群が現れる。
中心部に巨大ビル、そしてその脇にある2棟の高層ビルからなる。
その付属する2棟の高層ビルのうち外苑東通り側には東京ミッドタウン・ミッドタウンイーストがある(工事中はこちら)。
大江戸線の六本木駅は、日比谷線の駅に比べて、かなり北よりになっている。
こんなに六本木の中心から、離れているのにどうするのだろうと思っていたが、東京ミッドタウンが完成してしまうと、それほど、不自然な場所ではなかった、ということだ。
もともと六本木通りから北側は、繁華街というより住宅街だったのだが、このようにいつしか、ビル群ができ、六本木の街が北側に拡大してきているのだろう。
東京ミッドタウンの北側から少し歩けば、乃木神社のある乃木坂である。
その北側は、もう青山だ。
喧騒から離れた静かな住宅地、というのももはや昔話でしかないのだろうか。
ずっと先の将来は、青山とくっついてしまうのかもしれない。
六本木といえば、高度成長期までは、アメリカ大使館が近くにあるためだろうか、赤坂と並んで、インターナショナルな怪しげな繁華街にすぎなかったのだが。
バブルを境にビジネス街、および観光都市に変貌したようだ。
そして、みるみるうちに巨大化し拡大している。
工業国ではなくなったので、海岸近くよりも内陸の方がよくなったのかもしれない。
西側には、新しく国立新美術館が完成したようだ。
行ったことはないけど、乃木坂駅の近くにある。
そう考えると、乃木坂を出ると、もうそこは六本木、というのも、現実味を帯びてきているのかもしれない。
もうじき乃木坂も六本木に飲み込まれようとしているのかな。
(2007年6月記)

半蔵門線青山一丁目駅(パークアクシス青山一丁目タワー)

2007-12-15 07:47:50 | Weblog
山手線で渋谷駅へ。
半蔵門線に乗換える。青山一丁目駅で降りる。
地上に出ると、青山通りと外苑東通りとの交差点になる。
駅のすぐ上には、ツインビルになっている新青山ビルがある。
駅ビルみたいな感じだが。
交差点の南西側には、丸みのあるホンダ青山ビル。
新青山ビルの南東側には、青山タワープレイスがある。
そして、交差点を南に入っていくとパークアクシス青山一丁目タワーがある。
最近、竣工したのだが、まわりの高層ビルに比べてもはるかに高く巨大だ。
最近の高層住宅の特徴だろうか。
青山通りの北側には広大な赤坂御用地が広がり、その西側には、神宮外苑がある。
この静謐な森を見ていると、都市のある一つの中心軸になっているような感じがする。
さらに、東側は、溜池の低地、北西側は、渋谷川の谷地、千駄ヶ谷。
そして、この青山一丁目あたりは、台地になっている。
青山通りは尾根筋だろうか。
だから、まさに、山の手の中の山の手、という感じだ(六本木などは除くとして)。
もっとも高級住宅地があるわけじゃないけど。
ただ、神宮外苑のいちょう並木なんか歩いたらそういう感覚になるのかもしれないなあ。歩いたことはないが。
外苑東通りを南へ歩くと六本木に行き着く。
青山通りをそのまま南西に行くと青山、表参道。
都心集積化が進行中であれば、山の手の中の山の手として、さらに発展していくかもしれない。
しかし、その中核は、まったくいつまでも変わらず、静かなままだろう。
ひょっとしたら、山の手が極限まで進めば、そこには何もなくなってしまうものなのかもしれない。
(2007年6月記)

横浜市営地下鉄高島町東口(日産横浜ビル)

2007-12-14 06:24:44 | Weblog
みなとみらいの北側の通りに出て、西へ歩く。
みなとみらいの埋立地が尽きたあたりで高速神奈川横羽線の高架がある。
その下は、16号線だろうか。幅広の交通量の多い通りになっている。
交差点を渡った西側には、横浜市営地下鉄の高島町駅があるのだが、みなとみらいと案外近いことは、あまり知られていないだろう。
もっとも、高島町駅からみなとみらいに入っても、今のところ更地しかないのだが。
高速神奈川横羽線の高架をくぐり、陸橋で大通りの西側に出ると、脇道はある。
その脇道は、ほとんどクルマも通らず、静かなのだが。
道なりに北へ歩いて行くと、道路の東側に日産横浜ビルがある。
かなり遠くからでも、それとわかる、非常に独創的なデザインの高層ビルだ。
独創的ではあっても洗練されていないのは、やはりバブルの頃の高層ビルの特徴であろうか。
野暮ったい、そういう感じなのだが、逆に今のように、洗練されて、美しい高層ビルがあちこちに建っていくと、余計目立ってくる。
もうレトロの領域だなあ。
そういえば、この場所は、高速道路の高架と大通りに隔てられているが、みなとみらいのすぐそばなのだ。
だが、みなとみらいは荒涼として、わびしいのだが、大通りの西側、日産横浜ビルのある方に出ると、人心地がついてほっとする。
それでも、北側には、高層住宅が建設中で完成間近だ。
バブル崩壊後の新たな都市化の波が押し寄せているのだろう。
日産も新しいビルをみなとみらいの方に建てているし。
日産横浜ビルもバブルの頃の懐かしいレトロビル、という風に見られるようになるんだろうなあ。
この脇道をまっすぐ北へ歩いて帷子川を渡ると横浜駅だ。
もう帰ることにしよう。
(2007年6月記)

みなとみらい線みなとみらい駅(みなとみらいビジネススクエア)

2007-12-13 06:24:37 | Weblog
リーフみなとみらいからさらに東側へ。
みなとみらい線のみなとみらい駅近くには、みなとみらいビジネススクエアがある。
隣ではさらに高層のオフィスビルを建設中である。
だが、みなとみらい駅の周辺でも更地だらけだが。
北側は、高層住宅が何棟も建設中になっている。
もはやオフィスビルは諦めたのであろう。
ただし、最近になってあちこちでオフィスビルも含めて、高層ビルの計画が動き出したような感じだ。
また、何本もクレーンが建ち並び、工事が始まることだろう。
高層住宅を建てていく、という時期が終わった、ということだろうか。
そして、今度はオフィスビルを建てていく、ということなのだろうか。
あんまり景気がよくなったような気もしないけどなあ。
逆にバブルが崩壊してしまったので、みなとみらいにも高層住宅棟や商業ビルやそういった多彩な建築物が建った、ともいえるだろう。
そして、またオフィスビルがそこに加わるのだ。
さらに、その後、また商業施設が加わったりするのだろうか。
なんか、バブルの頃のように、これで時代が変わる、という感じがもはやしないのがいいのかもしれない。
それで、結局、いつ、この更地が埋まって、みなとみらいは完成するのだろうか。
このむやみに広い敷地を見ていると、永遠に完成しないような気がするのだ。
とっくに未来になってしまった頃に時代遅れの施設として、ようやく完成するのだろうか。
そういうのを完成したいうのかどうかわからないけど。
確かなことは、この広大な更地を見て、そこに未来を感じることは、もうなくなってしまった、ということだ。
(2007年6月記)

みなとみらい線みなとみらい駅(リーフみなとみらい)

2007-12-12 06:21:40 | Weblog
坂東橋駅で横浜市営地下鉄に乗り込む。
桜木町駅で降りる。
横浜市営地下鉄の駅は、京浜東北線(根岸線)の桜木町駅からは西側になる。
桜木町というとみなみみらいとかランドマークタワー、という印象だったが、西側の方はちょっと下町っぽくて趣がある感じだ。
京浜東北線(根岸線)の桜木町駅の下をくぐり、東口に出る。
みなとみらい大通りに出て北へ歩いていく。
いよいよ、みなとみらいである。
といっても、いまだに更地だらけ、という感じだ。
これでも、かなり、建物は建ってきたのだろうけど。
かなり歩いてから東へ曲る。本当に造成中、という感じで、遠くの高層ビルがよく見渡せる。
少し歩いて行くと、リーフみなとみらいがある。
大塚家具のビルなのだろうか。
たしか臨海副都心にあったなあ。家具だとやはり場所をとるので、空地の有効利用という意味でビルが建つのだろうか。
それはそれとして、更地が埋まっていくのはいいことだし、お客が集まるのはなおいいことだろう。
でも見渡すとなにもない、というのは寂しい限りだ。
ただ、最近は、リーフみなとみらいも含めてだが、高層ビルが建ってきている。
鉄道路線に恵まれているからだろうか。
そう考えると、みなとみらい線が伸びてきたのは大きい。
京浜東北線(根岸線)も通っているし、横浜市営地下鉄も通っている。
道路としては高速神奈川横羽線も通っている。
交通網だけは充実しているなあ。
(2007年6月記)