retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

大崎駅東口(大崎一丁目プロジェクト)

2007-10-21 09:35:58 | Weblog
大崎一丁目のビル群の南東側には大崎フロントタワーという高層ビルがあり、さらにその南東側には、大崎一丁目プロジェクトの工事現場がある。
町名からみれば全部大崎一丁目のビル群なんだろうが。
この大崎一丁目プロジェクトの工事が完成すれば、大崎一丁目のビル群は、大崎ニューシティとくっつくことになる。
さらに大崎ニューシティは、ゲートシティ大崎とくっついているので、いつの間にか広範囲にわたるビル群が完成する、というわけだ。
基本的には目黒川沿いの高層ビル群なのだろう。
ただ、ゲートシティ大崎から東側というと、高層ビルが河口に向かって建ち並ぶ、ということはちょっと考えられない。
おそらく南側に方向転換して大井町の方へ向かうのだろうか。
たしかバブルの頃に大井プレイス構想というのがあったっけ。今はどうなっているのだろうか。
JR東日本の工場と製薬会社の工場があるだけなので、将来的には再開発は必要なのだろうけど。
東海道線、山手線、りんかい線、東急大井町線と四方を鉄道路線に囲まれ、南側には品川区役所もあるし、品川区の中心になるとすればちょうどいいかもしれない。
もっとも今のところ、実現するとは思えないが。
JR東日本と第一三共(製薬会社)次第なんだろうが、品川の内陸部と下町っぽい海岸沿いが分断されていて、大井町の街中だけがつながっている、という状況が都合がいいのかもしれない。(再開発されてもそれはそれで壁としての境界線になるのだろうけど)
とにかく、ここ数年で大崎駅周辺は、ビル街に変貌した。
今は、西口も工事中だ。次は、北東側、御殿山の西側だろう。
そして、次はどうなるのだろうか。
(2007年5月記)

五反田駅東口(ル・サンク大崎シティタワー)

2007-10-20 08:47:44 | Weblog
目黒川を渡り南側へ。
大崎一丁目のビル群が並んでいる。
最も北西側、五反田寄りには、ル・サンク大崎シティタワー(工事中はこちら)がある。
同じビル群の中では東側にアートヴィレッジ大崎ビュータワーがあり、さらにその東側にアートヴィレッジ大崎セントラルタワーがある。
ペデストリアンデッキでひょっとしたら、大崎駅からアートヴィレッジ大崎ビュータワーまでは直結しているかもしれない。
ほんの数年前までは、目黒川と山手線に挟まれた細長い一帯は、工場地帯だったのだ。
その頃は、機械と油とすすけた汚れに覆われた一帯。
しかし、常に何かを生み出している力強い存在感に満ちていたような気もする。
昭和の時代までの近代工業国家の未来へのエネルギーを感じさせてくれたのだ。
今はすっきりときれいになり、洗練されていていて、まるでどこかの高級ホテルかリゾート地のようでさえある。
こちらは、もはや、生産ではなく消費の世界だ。
工場の騒音も汚れも煤煙ももはや過去の話。
ようやく辿り着いた未来の世界なのかもしれない。
バブルの時代はその未来が、あまねく行き渡るような幻想があった。
誰でもその未来に参加できるという、なんの根拠もない自信に満ち溢れていた。
やっと辿り着いた、という安堵の雰囲気もあった。
でも、それはすべて夢だったようだ。錯覚だったようだ。
現在は、勝ち組、負け組、という格差社会になっている。
未来への夢は、市場の競争を煽る餌でしかなくなったような気もする。
だから、未来そのものまでもなくなってしまったのだろうか。
今でも、あの頃の未来が夢ではなかった、と思いたいけど、それこそ夢だろうなあ。
(2007年5月記)

五反田駅東口(東五反田二丁目第2地区住宅棟)

2007-10-19 06:23:29 | Weblog
東五反田二丁目再開発の南側には、東五反田二丁目第2地区住宅棟が工事中だ。
最近は皆そうだが、ツインビルになると、業務棟が小さくて住宅棟が大きくなる。
西隣では、東五反田二丁目計画(ボウリング場跡地)が工事中でこちらも高層住宅が建つ予定だ。
すぐ南側には目黒川が流れている。
その目黒川の対岸、南側には大崎一丁目の高層ビル群ができあがったばかりだ。
この場所に立っていると、大崎にいるんだと思ってしまうが、実は五反田の近くなのである。
でも、やはり雰囲気的には大崎のビル群、というところかな。
以前は、どこかの社員寮かなんかあったと思うが。その他はもうだいぶ前から更地だったけど。
ちょっと前の地図を見ると、バブルの頃までは、まだ工場らしきものが見られる。
明治時代になり、近代工業立国を目指していた頃は、貿易港の近くの川沿いは工場地帯になっていたようだ。
高度経済成長を達成し、工場はいらなくなってしまった。
そして、バブル崩壊後、失われた10年を経て、都心集積化、ということでビルがどんどん建っている。
そうして続々とできあがったビルには、高度成長期の西新宿高層ビル街のような圧倒するような迫力や、バブルの頃のような派手さはない。
しかし、妙に洗練されたデザインのビルが多い。ちょっと近寄りがたい感じだ。
そして、五反田もそのようなビルが押し寄せて、近寄りがたい街になってしまうのだろうか。
ちょっと庶民的な池上線とその発着駅のある東急デパートで勢いは止まるような気もするけど。
(2007年5月記)

五反田駅東口(東五反田二丁目第2地区業務棟)

2007-10-18 06:24:09 | Weblog
高田馬場から山手線で五反田へ。
五反田駅の東口に出る。
品川へ向かう通りを少し東へ歩く。
そして南へ。街中に入ったと思ったら、一面、工事をやっているのだ。
東五反田二丁目再開発の現場である。
品川への通りの近く、すなわち、東五反田二丁目再開発の北側には、東五反田二丁目第2地区業務棟が建設中となっている。
全体で2棟の高層ビルが建つのだが、業務棟の方が低い。
これでいっそう大崎のビル街が五反田に近付いたような感じだ。
五反田というとなんか下町のような雰囲気がして、大崎とはかなり違うのだが。
その境界線がどこだかいまだによくわからない。
大崎からぶらぶら西側に歩いて行くと、いつしか賑やかな繁華街にまぎれこむ。
賑やかだけではなく怪しげといった方がいいのかな。
北側には池田山、北東側には高輪という山の手があり、そういう場所の近くには、歓楽街があったりするのだ。
陽の光が当たれば影の部分もできるのだろう。
時に光が眩しすぎて疲れてしまったなら、影に沈むことも時にはいいかもしれない。
目を閉じて闇に身を癒すこともあるからだ。
その五反田も、大崎からのビル街の進出にせきたてられるような、あるいは追い立てられるような感じがする。
ここ数年でビル群が押し寄せてきた、ということだ。
影の部分もどこかへ追いやられてしまうのだろう。
でも、すべてが光り輝いた近未来的な空間は、きらびやかでいいんだけど、なんだか疲れてしまうような気がするなあ。
(2007年5月記)

相鉄線平沼橋駅西口(ヨコハマタワーリングスクエア)

2007-10-17 06:22:28 | Weblog
平塚駅に戻り東海道線に乗る。
平塚から横浜まで30分だ。
ということは、横浜から都心まで30分なので、平塚から都心までは1時間なのだ。
横浜駅で相鉄線に乗り換える。
横浜から先は、東海道線はリゾート路線、京浜急行は下町路線、そして相鉄線は郊外路線のようだ。
平沼橋で降りる。
もっとも、相鉄線の平沼橋駅、西横浜駅までは東海道線に平行しているのだが。
駅北口に出ると西側にヨコハマタワーリングスクエアがある。
The East、The Westの2棟の高層住宅からなる。
まわりにはまるで何にもない。
あるのは工場ぐらいだろうか。
北側には東西に帷子川が流れている。
横浜が開港し、近代工業立国を目指していた頃は帷子川の流域には工場が多かったそうだ。
高度経済成長を経て、工場がいらなくなると、再開発が始まる。
ヨコハマタワーリングスクエアもそのようにして完成したのだが、竣工したのはごく最近のことだ。
バブルの頃は、みなみとみらいで大規模な再開発が行われていたが、横浜の西側は忘れられたままだった。
今でも忘れられているのだが、都心集積化の波を受けて、再開発が始まったのかな。
そうなると、東海道線では横浜の次の駅が保土ヶ谷なのに相鉄線には、その間に西横浜駅とこの平沼橋駅があって、先見の明があったわけではないのだろうが、いい場所に駅があったことになる。
それにしても本当になんにもない駅前だなあ。商店街もない。横浜がすぐ近くなのでいらないといえばそれだけなのだが。
残っている工場もなくなり、再開発されて住宅棟が建ち並ぶのかどうだかわからないけど、もしそうなれば、ショッピングセンターぐらいはできるはずだ。
逆になにもない、ということも静かでいいのかもしれない。
(2007年4月記)

JR東海道線平塚駅北口(グリーンコート湘南平塚セレストタワー)

2007-10-16 06:18:57 | Weblog
趣のある街中を抜けて北へ。
東西に伸びる大通りの南側にグリーンコート湘南平塚セレストタワーがある。
暖かい季節になると本当に気持ちのよい地域だ。海は見えるほど近くではないけど、このすがすがしい街並みは十分に海を感じさせる。
郊外リゾート地とはこういう街をいうのかな。
小田急江ノ島線の湘南台駅から相鉄線が平塚まで延伸する計画がある。
まず西に伸び新幹線とJR相模線との交差するところに新駅ができる。そのままさらに西に伸びて相模川を渡り、少し進んで南へ。平塚駅にはT字型に接着する、というものだ。
平塚から新幹線に乗るのに便利になるぐらいなので、実現することはたぶんないものと思う。
それ以前に、そもそも郊外リゾート地には通勤電車はいらないのだろう。
もし、可能だとすると、相模原市のように政令指定都市を目指す、ということかな。
海老名、寒川、平塚、大磯、は、歴史的に見て、統合しても不自然ではないだろう。
そこに、茅ヶ崎と藤沢が加われば、政令指定都市が誕生する。
そうなると、新幹線とJR相模線、相鉄線の延伸部分との交差する駅は、新横浜駅みたいになるはずだ。
駅名も新湘南駅になるのかな。
だが、郊外リゾート地が政令指定都市になってもメリットはないので実現することはないだろうけど。
唯一、可能性があるとすると、内陸の海老名市あたりが先導役になれば実現するかもしれない。
そうだとしても、ずっと先のことだ。
もっとも、初夏の日差しに包まれた趣のある平塚の街並みを見ていると、そんなことはどうでもよくなってしまうのだが。
(2007年4月記)

JR東海道線平塚駅北口(リーデンスタワー湘南平塚)

2007-10-15 06:22:20 | Weblog
六会日大前駅に戻り、小田急江ノ島線に乗る。
藤沢駅でJR東海道線に乗り換える。
小田急江ノ島線は藤沢駅でスイッチバックしているので、事実上はこの駅が終点かな。
東海道線で茅ヶ崎を過ぎ、相模川を渡れば平塚である。
北口に降り立つ。
アーケードがある歴史のありそうな商店街を西へ行くと、リーデンスタワー湘南平塚がある。
意外と大きな街だ。ひょっとしたら相模湾に面した街の中では一番大きいのかもしれない。(と思ったら藤沢があったが)
また、平塚の歴史はかなり古いと思われる。
相模川河口には須賀湊(港)があり、古代からある湊(港)かもしれない。
相模川が市境になっているのかと思ったら、対岸にも飛び地のように平塚市が広がっていてそこも須賀という町名になっているのもなにか意味があるのかな。
少し内陸に入ると古墳も多い。(塚の地名は古墳からかな)
海老名から寒川、平塚八幡宮あたりまでが古代の相模国の中心だと思う。そうすると須賀湊の位置関係も自然だろう。
さらに西側の金目川の下流に高麗という地名があり、渡来人の入植地であったらしい。
(国府の位置が内陸から大磯に移ったのはそのためだろうか)
平塚という地名の語源についてはまるでわからない。平氏一族の墓所(塚)というのは信じがたいし。
ただ、現在のこの街の大きさを見ると、太古の昔から豊かな土地だったことがうかがえる。
相模川の河口があり、さらに内陸への玄関口にもなっていただろう。
なお、江戸時代の平塚宿はもう少し西側にあったようだ。金目川までが平塚宿だったらしい。
江戸時代の頃の中心からやはり離れた場所に平塚駅ができ、現在の街もやはりそちらの方にできている。
逆に古代に戻ったような感じだが。
(2007年4月記)

小田急江ノ島線六会日大前西口(日本大学生物資源科学部新本館)

2007-10-14 09:15:34 | Weblog
湘南台駅に戻り、再び小田急江ノ島線へ。
六会日大前で降りる。
駅周辺は何もない。東口に出たからなのかもしれないけど。
西口はそれなりに駅前広場や商店街なんかがあるのかもしれない。
東口から小田急江ノ島線の線路に沿って南へ。
すぐに広大な日本大学生物資源化学部湘南キャンパスの敷地が広がる。
そのキャンパスの中に日本大学生物資源科学部新本館がある。
日本大学生物資源化学部湘南キャンパスというと、最新のバイオ関係の近未来的な施設かなと、勝手に想像していたのだが。
実際にそういう施設もあるに違いないのだろうけど、全体的には、畜産関係の施設にしか見えないなあ。
この場所にキャンパスができたのは、太平洋戦争中だったようだ。
戦時中下、食糧の確保、という名目で設置されたのかもしれない。
そうすると、地理的に見て、軍都、相模原と関係があったのかもしれない。
今は、時代の最先端、バイオテクノロジーの研究でもやっているのだろうか。
地方の農林畜産関係の学校がいつしかまわりが郊外になったのでバイオ関係の研究機関になったのだろうか。
別に興味はないので詳しいことはさっぱりわからないけど。
キャンパスは、情報集積の場かもしれないが、都市においては、同時にミュージアムの機能も持つのであろう。
さらに郊外にあっては、テーマパークとはいかないまでも、広大な公園の機能を持つと思われる。
馬なんかがいて家族連れが喜びそうなんだけど。
(2007年4月記)

小田急江ノ島線湘南台駅西口(エスタテラ湘南台プラザタワー)

2007-10-13 09:19:29 | Weblog
すずかけ台駅へ。
田園都市線に乗る。
中央林間駅で小田急江ノ島線に乗り換える。
小田急江ノ島線の方が古いからなのか、田園都市線の別荘地のような一帯から比べてかなり庶民的な雰囲気になる。なんとなくほっとしてしまう。
中央林間駅から小田急江ノ島線で南へ。
明るい開放的な風景を見ているとだんだん海に近付いているような雰囲気がしてくる。
大和を過ぎ、湘南台駅で降りる。
湘南というと観光地を思わせるが、ここは特に湘南とはほとんど関係なさそうだが。
つまりごく新しい街なのかもしれない。
そういえば、街中を歩いても、例えば、看板がハングルか漢字だったら、どこかのアジアの都市と見分けがつかないような気もするなあ。
駅西口に出て、北に歩いていくとエスタテラ湘南台プラザタワーがある。
ごく普通の街並みでとりたててなんの特徴もない。
そのなんの変哲もない街にバブル崩壊後、失われた10年の後の都心集積化の現在に相鉄いずみ野線、横浜市営地下鉄ブルーラインが相次いで延伸してきている。
エスタテラ湘南台プラザタワーもその頃、竣工している。
都心部ではなく横浜にしか直結していないので、それほど影響はないかもしれない。
だが、神奈川東部方面線が完成すれば、都心直結となる。
それなりの静かな郊外の住宅街になる、ということかな。
相鉄線はさらに西側へ延伸し、平塚まで路線を延長するらしいが、実現は難しいかも。
平塚だったら東海道線があるし。
ともかく、新しい街が生まれ成長しようとしている。
(2007年4月記)

田園都市線すずかけ台駅東側(東京工業大学すずかけ台キャンパス高層校舎)

2007-10-12 06:22:22 | Weblog
高田馬場駅から山手線で渋谷駅へ。
田園都市線に乗り換える。
地下鉄半蔵門線から続くトンネルを抜けるといきなり二子玉川に出る。
まさに田園都市の入口としては相応しい光景だ。
多摩川を越え、最近めっきりおしゃれになった溝の口を過ぎると、山の手田園都市へと入っていく。
郊外の市街地なのに起伏に富んだ地形で緑が多い。
なんだか外国のような気がしてくる。車窓の景色も美しい。
長津田を通り、すずかけ台駅へ。
新緑の緑が輝いていて本当に眩しいぐらいだ。
すぐ東側を幹線道路の246号線が通っているのだが、高台の上を通っていて、後で地図を見て、初めて気付いたぐらいだ。
住環境と交通量の多い道路とが注意深く区分けされているからだろう。
その246号線の下をトンネルで抜け東側へ。
まるでどこかの避暑地の隠れ里みたいな東京工業大学すずかけ台キャンパスが広がる。
キャンパスの中も緑が多い。
その中に東京工業大学すずかけ台キャンパス高層校舎がある。
すずかけ台の駅名は、本当は南つくし野だったが、東京工業大学の意向によりすずかけ台になったらしい。
すずかけとは、プラタナスのことで、プラタナスの木陰で古代ギリシア哲学者がしばしば講義したということだ。そういうわけで、駅名がすずかけ台になったのだが。
この静かで眩しいような新緑の中にいると、プラタナスでもなんでもいいような気がするなあ。
こんなところにずっといたら、ギリシア哲学がなくとも、人生観が変わってしまいそうだ。
(2007年4月記)