retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京浜東北線東神奈川駅東口(ザ・ステーションタワー東神奈川)

2007-09-20 06:21:23 | Weblog
東神奈川駅東口、かなっくシティの南側にはザ・ステーションタワー東神奈川がある。
リーデンスフォート横浜とともにかなっくシティを形成している。真ん中はペデストリアンデッキになっているので、それぞれが直結し、また京浜急行の仲木戸駅、JRの東神奈川駅とも直結している。
そういえば首都高横羽線の出入り口も近かったはずだ。
首都高横羽線と港北方面、みなとみらい方面へ出られてもいいような感じなのだが。
道路に関しても、横浜の玄関口になれる潜在力を持っている、ということになる。
壮大な未来図が思い浮かんでしまうけど。
もっとも、まだそこまで再開発が進んでいないし、そもそも、そこまで再開発を行うとも思えない。
結局は、バブル崩壊後、失われた10年以降にあちこちに出現している駅前の高層住宅の一つでしかなく、それで終わってしまうような気がするなあ。
東神奈川駅はもともと八王子方面から延びてきた横浜線の接着駅として設置されたらしい。
横浜線が伸びてきたのは、生糸を近代日本の最初の貿易港、横浜へ運び込むためだ。そして、横浜からその生糸は輸出されていった。
実際、南にある東高島貨物駅(再開発地コットンハーバーの近くだが)まで線路は伸びていて、現在もその痕跡が残っているところがあるらしい。
だから、生糸の輸出が行われていた頃は、まさに横浜の玄関口として賑わっていたわけだ。
時代の流れとともに、忘れ去られ、寂れ果てて今に至っている。
今さらまた玄関口といわれても、というところだろうか。
横浜港の栄華の夢の跡とともに東神奈川は今も眠っているのかもしれない。
(2007年4月記)

京浜東北線東神奈川駅東口(リーデンスフォート横浜)

2007-09-19 06:21:34 | Weblog
新子安駅に戻り、京浜東北線へ。
隣の東神奈川駅で降りる。
駅周辺にいく棟かの高層ビルがある。
この駅も西口は普通の住宅街、東口は京浜工業地帯の下町、という雰囲気だ。
東口は、かなっくシティという再開発地になっている。
京浜急行の仲木戸駅とJRの東神奈川駅の間を再開発して直結した、というところだろう。
でも、これらの路線をこの駅で乗り換える乗客はちょっと想像できないなあ。
駅と駅の隙間に高層ビルを建てて、ペデストリアンデッキでつないでみた、という感じだろうか。
かなっくシティの北側にはリーデンスフォート横浜がある。
近代的でよく整備された再開発地だが、それも限られたこの空間だけだ。
ペデストリアンデッキの下も仲木戸駅の南側も京浜工業地帯の下町のままである。
もっと再開発らしくするなら、京浜急行の仲木戸駅をもっと整備し、隣の駅、神奈川新町と同じぐらいの規模にする。そして特急停車を行うことだ。
もっとも、そういうことなら新子安駅と京急子安駅もそうなっているはずなのだが。
あまり乗り継ぎは便利にしない方針、ということなのだろうか。
ただ、この駅の南側にコットンハーバーというこれも新しい再開発地があり、みなとみらいと直結するようだ。
ということは、みなとみらいのもう一つの玄関口になるかもしれない。横浜駅の集中を避けて分散させる、という意味でそのような玄関口になるような駅が別にあってもいいような気がする。
しかし、そんなことが実現するとしたら、はるかに先のことだろう。
それまではやはり、この場にそぐわない、妙に浮いた場所であり続けるのかな。
(2007年4月記)

京浜東北線新子安駅北口(オルト横浜ビュータワー)

2007-09-18 06:21:31 | Weblog
新子安駅北口の高層住宅ビル群の西側にはオルト横浜ビュータワーがある。
遠くから目立つといっても、この高層住宅がやたらと巨大だから目立つのだが。
子安、という地名は、鶴見駅近くの東福寺の子安観音が由来であるらしい。
もっとも、なぜ子安観音がこの場所にあるのかわからないが。
一体は、多摩丘陵から港北地域へと伸びてきた台地が海までせり出した場所になっている。
だから、昔から住むには環境はよかったのかもしれない。
鶴見にある鶴見神社は、もとは杉山神社という名前で、相当歴史のある古社である。
古代においては、一帯の中心であっただろう。
新子安は、その子安観音(鶴見)とは、かなり離れている。
ただ、このせりだした台地を子安台とするなら、その子安台の南端部にあるので、新子安でもいいのかもしれない。
現在の行政区だと、新子安は神奈川区、子安観音(鶴見)は鶴見区だが、古代においては、この台地一帯は、武蔵国橘樹郡となっていた。
そのことを考えると、新子安の地名は妥当なんだろうけど、江戸時代以降だと、さっぱりわからないだろう。
もっとも、多摩丘陵の山の手といえば、田園都市から港北、日吉、綱島に大倉山。鶴見の西側に菊名、と続けば、新子安も入ってくる。
実際、駅の北口に立ってみると、なんとなく山の手のような感じだ。鶴見の西側と似ているのだ。
また、山の手のへりにあたる場所、辺縁部の下町には高層住宅が建ったりするが、やはり新子安にもオルト横浜という高層住宅群が建った、というわけだ。
つまり、行政区は変わっても、山の手は山の手なのだ。
(2007年4月記)

京浜東北線新子安駅北口(オルト横浜ビューポリスウエストタワー)

2007-09-17 07:04:14 | Weblog
市電通りをそのまま北西方向へ。川崎駅を目指す。
歩くんじゃなかった、と思うくらい遠いなあ。
やっと川崎駅に辿り着き京浜東北線へ。新子安駅で下車する。
北口に巨大な高層住宅群がある。
どういうわけかこの駅は改札の外へ出ても、さらにその向こう側に出られない。いったん階段を延々と登って南北に伸びている陸橋に出る。
おそらく、この陸橋に登らない限りは駅の北口にも南口にも出られないような感じだ。本当はどうだかわからないけど。
台地が海岸近くまでせりだしてきているので、駅前がこういう構造になったのではないだろうか。
駅の北口は集合住宅の建築物群が東西に並ぶ。さらにその北側に駅前広場がある。
なんとなく、この駅前広場に駅から直接出られればと思うのだが。
南口には行ったことはないが、北口は、台地の上特有の山の手っぽい、明るい感じがする。たぶん、南口は対照的に、低地の下町なのだろう。
北口の建築物群の東側にオルト横浜ビューポリスウエストタワーがある。
駅の上に人工地盤を作ってあるようで、ここまでくると、高層住宅ではなくて、もう完全な山の手になってしまう。
竣工したのは失われた10年以降。最近、あちこちで建っている駅前の高層住宅ということだろう。
それにしても、この高層住宅群は、横浜と川崎の中間でまわりに高い建物がないので、とても目立つし、かなり遠くからでも見える。
特に、内陸の山の手からは、まるでなにかのモニュメントのようによく見える。
いや、本当にモニュメントなのかもしれない。
(2007年4月記)

南武支線浜川崎駅小田栄(アイランドブリーズ B棟)

2007-09-16 09:50:50 | Weblog
住宅地を抜け南へ。大通りへ出て、いったん東へ歩き、また南へ向かう。
京浜工業地帯なのだが、住宅地が広がる。本来の川崎の光景だ。
だが、昔は、もっと活気があったのだろう。今は静まりかえっている。
今度は市電通りという大通りに入り東へ。
郊外型のスーパーのさらに東側にアイランドブリーズ B棟がある。
他にも高層とまではいかないが、巨大な住宅棟が密集するように建っている。さらにまだ集合住宅は工事中で増えるようだ。
しかし、川崎駅からは実に遠い。バスで川崎か鶴見の駅に行くのだろうけど。
それとも南武支線の浜川崎駅を使うのだろうか。
以前、一度だけ、南武支線や鶴見線に乗ったことがあるけど、本当に都心の中のローカル線だ。
たしか信じられないほど本数がなかったのだ。なんで都心部(川崎だから都心ではないんだろうけど)なのに忘れ去られているのだろうか。
その当時、浜川崎駅周辺には、パン屋が一軒しかなかったように記憶している。今でもそのパン屋はあるのだろうか。
鶴見線はもっと閑散路線だ。あまりに電車が来ないので、隣の駅まで歩いたりしてしまったが。たぶん、近くの工場、学校の通勤、通学以外は利用者はいないのだろう。
昼間は、早く帰った高校生らの溜まり場になっていた。
将来的には、ひょっとしたら、東海道貨物線あたりが通勤路線に変わり、京浜間にもう一つ、路線が加わるかもしれない。そうなれば、浜川崎も賑やかな駅になるにちがいない。
だけど、たぶん、そんなことはないだろうなあ。
やっぱりずっとわびしい路線であり続けるのだろう。
主要な駅前が発展すればするほど、忘れ去られた場所はさびれていくのかもしれない。
(2007年4月記)

川崎駅東口新川通(川崎市立川崎病院)

2007-09-15 08:40:48 | Weblog
高田馬場から山手線で品川へ。京浜東北線に乗り換える。
川崎駅で下車。
ひさしぶりの川崎だ。前回は冬だったが、いつしか季節は春になっている。
川崎駅東口へ出る。市役所通りを東へ。川崎ハローブリッジで第一京浜を越える。
さすがにもう繁華街ではなくなるなあ。
大通りから南へ小道を入る。一帯はもう住宅地である。
路地のような小道を歩いていると、春の日差しが暖かで心地よい。
住宅地なのだが、なぜかあちこちに酒屋があって、その店先で、昼間なのにもう酒盛りが始まっている。なんともほほえましい光景だが。
それなりに街並みはきれいに整備されている。
でも、駅から離れると、まだ昔ながらの川崎が残っているのかもしれない。
いちおう下町だったところは、今はこのような街になっているのだろう。
そのような住宅街を通っていくと急に目の前が急に開け、そして巨大な建造物が姿を現す。
住宅地の中、川崎市立川崎病院がある。
バブルが崩壊した後の失われた10年の中で竣工している。
オフィスビルでもないし高層住宅ビルでもないので建ったのであろうか。
なんだか活気のない、静かな住宅地。そこに巨大な最新の建造物。
それが病院、というのはほとんど近未来のSF映画みたいだ。
まわりは整備されているとはいえ、なんとなく取り残されたようで、しんと静まり返っている。
その中のあちこちでささやかな酒宴。ひと時の安らぎだろうか。
そして、その背景には、この場にそぐわないような、巨大な建築物がたたずんでいるのだ。
なにか古代の遺跡のように感じてしまう。
(2007年4月記)

みなとみらい線日本大通り駅(シティタワー横濱)

2007-09-14 06:21:06 | Weblog
本町通りをさらに西へ歩き、大桟橋通りを南西へ。横浜球場の方へ歩く。
行政機関、施設などがある場所だが、そんな場所にも、高層住宅、シティタワー横濱がある。
ごく最近、竣工したばかりである。
この高層住宅だけちょっと離れているが、やはり横浜中華街の北側に林立する高層マンション群の一つであろう。そこから溢れ出した感じだ。
ただ、他にもひょっとしたら本町通り沿いに一棟ぐらい建つかもしれないが、もうこれ以上は高層住宅は建たないと思われる。
これ以上建てば、そもそもリゾート地としての環境が維持できないからだろうか。
横浜は、開港してから数年後に大火に見舞われている。その反省からか、火除け地として幅広な道路を整備する。(近代的道路の第1号であるらしい)
その道路が今の日本大通りである。
その大火で外国人向けの遊郭も焼けてしまったが、やはり、その跡地に火除け地として横浜公園ができる。
山手公園が西洋式公園1号だが、外国人専用に近かったので、事実上の日本における西洋式公園の第1号であるらしい。(なお遊郭の方は今の伊勢佐木町に移っており、その後、繁華街、歓楽街へと発展していく)
後に、関東大震災の時には、多くの住民の避難所になっている。先見の明があったわけだ。
そして、横浜公園には、横浜球場がある。横浜ベイスターズが優勝したのはいつだったけ。大魔神社があったのはいつだったっけ。
いつの間にか、過去の思い出になってしまったなあ。
それからぼこぼことまわりには高層マンションが建つ。リゾート地になってしまったのだ。
いつも賑やかな横浜の街中をすり抜けながら関内を目指す。横浜球場を脇に見ながら大通りに出て西へ。もう帰らなければいけない。
偶然に港ができて、そして横浜という街ができた。その横浜の街が現在に至っているのだ。
歩きながら、その儚さに心がいっぱいになってしまう。
(2007年3月記)

みなとみらい線元町中華街駅(エクステ山下公園クレイドルタワー)

2007-09-13 06:21:32 | Weblog
ユーロタワーの本町通りを挟んで北側にはエクステ山下公園クレイドルタワーがある。
一帯のリゾート高層マンション群の中では最も古株だが、それでも竣工したのは数年前である。
高度成長期を経て安定期に到達、経済大国になった日本。
そして、バブルがやってきて、横浜にも広大な再開発、みなとみらいがスタートする。
高層オフィスビルが建ち並び、高層住宅も建ち並ぶ、はずだったのだが。
その再開発、みなとみらい(もちろん、日本各地の再開発もだが)が完成すれば、日本が、何か次のステップに移行するような、そんな根拠もない予感に身震いしたものだが。
しかし、そんなことは夢だったのだ。バブルは崩壊、失われた10年になってしまう。
その後に到来したのが、格差社会なのだ。
格差社会をエンジンにして、また再開発が始まる。
再び高層ビルも建ち始め、街もきれいになっていく。
でも、高層ビルといっても、高層オフィスビルではなく高層住宅になってしまう。きれいになっていくといっても、それはテーマパーク、リゾート地としてだ。
そうでない場所は、打ち捨てられ、シャッター通りと化してしまう。格差社会なので仕方がないことなのだ。
この妙に爽やかな空気をまとった華やいだリゾート地に立ち、昭和の時代を振り返ってみる。
高度成長期、いったい何を目指したのだろう。あの頃、どんな未来があったのだろう。
すくなくとも、あの頃から見て、勝ち組負け組の格差社会が未来ではなかった、確かにそうは言える。
もっとも、そうは言っても、やはり、現代は格差社会になってしまったのだ。こういう道しかなかったのだろうか。
(2007年3月記)

みなとみらい線元町中華街駅(ユーロタワー)

2007-09-12 06:20:03 | Weblog
本町通りをさらに西側、みなとみらい方向へ少し歩く。
本町通りの南側にユーロタワーがある。
ここまで来ると、リゾート地のような雰囲気はやや薄くなる。
横浜屈指の山の手、山手町から遠ざかったからであろうか。
あるいは、横浜の主要な行政機関、施設などが集まる日本大通りが近くなったからであろうか。
この高層マンションも最近竣工している。いつの間にか一帯はリゾート高層マンション群ができあがっている。
東京都心からは楽に通勤圏内だ。
すぐ近くに横浜中華街があり、山下公園がある。ちょっと足を伸ばせば横浜屈指の山の手山手町がある。
実に楽しい暮らしが始まることは確かだろう。
南西側には、横浜球場があり、そこから足をさらに北西に伸ばせば関内だ。
横浜中華街とは別の賑やかさがある。
関内から南西方向には、横浜随一の繁華街、伊勢佐木町が広がる。
ちょっと街外れには、(最近はそうでもないけど)横浜のダーティーゾーンもあり、それなりに楽しめる。
さらに、JRを使えば、鎌倉、そして湘南方面に出られる。京浜急行なら三浦半島もすぐだ。
本当に、いたれりつくせりのリゾートライフを過ごせることだろう。
でも、そんなことのために、広大な再開発地、みなとみらいを作り、みなとみらい線を引いたのだろうか。
高度成長で掴んだ豊かさは、そんなことのために注ぎ込まれたのだろうか。
どこかに無理があるような気がするが。
(2007年3月記)

みなとみらい線元町中華街駅(横濱ディアタワー)

2007-09-11 06:21:47 | Weblog
プライマリーナ山下公園グレーシアタワーの本町通りを挟んで南側には横濱ディアタワーがある。
一応中華街より、ということになっている。通りの北側、南側でちゃんと街並みの雰囲気を調節しているのかもしれない。
もっとも、横浜中華街の東側の門、朝陽門がすぐ近くなのであたりまえなのかな。
横浜中華街というとたいてい、JR根岸線(京浜東北線)の石川町駅から入っていたのだが、みなとみらい線が開通したので、最近は東側の門から入る、ということもありえるのだ。
みなとみらい線が開通して中華街は、さらに便利になった。
みなとみらい線は、再開発地、みなとみらいとセットなので、バブルの勢いで計画が持ち上がった路線である。
具体化した頃にはバブルは崩壊していたが。
とりあえず、桜木町が終点だった東急東横線は、横浜駅からみなとみらい線に乗り入れることになり、横浜、桜木町間の東急東横線は廃線になってしまった。
このように、みなとみらい線には、東急東横線が乗り入れるが、それは同時に東急東横線に乗り入れている日比谷線も乗り入れることになる。(現在日比谷線は菊名駅までしか乗り入れていないが)
さらに、他の東急線からも乗客が乗り換えられるだろう。
そして、来年開業予定の東京地下鉄副都心線は、東急東横線に乗り入れる。また、東京地下鉄副都心線には、東武東上線や西武池袋線も乗り入れてくる。
まさに、東京中から路線が集まるようだが、その終点が元町中華街駅、ということなるのかな。
中華街や山下公園をそんなに便利にしてどうするんだろう、と思ってしまうけど。
その先は、本牧や根岸まで延伸する予定だったらしいが、根岸にはJR根岸線(京浜東北線)があるので、かなり無理があるような気もする。
みなとみらい線は本当は、みなとみらいが終点でよかったのかもしれない。
(2007年3月記)