retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

みなとみらい線元町中華街駅(プライマリーナ山下公園グレーシアタワー)

2007-09-10 06:22:20 | Weblog
本町通りを西側、みなとみらい方向へ少し歩く。
本町通りの北側、山下公園側にプライマリーナ山下公園グレーシアタワーがある。
林立する高層住宅の中では古い方であるが、それでも数年前の竣工である。
バブルが崩壊し、失われた10年を経て、格差社会が到来すると、このような高層リゾートマンションが建つのであろうか。
山の手に近い下町はどこでも状況は同じである。
つまり、格差社会というのは、山の手と下町の格差ということではないのだろう。
下町には、テーマパークができ、ミュージアムができ、公園ができて観光客が訪れる。
そして、やがて高層住宅が建ち、人工の山の手ができるのだ。
それが格差社会、ということかもしれない。
南側は中華街が広がっているので、なんとなく、中華っぽい街並みの雰囲気なのだが、北側は、山下公園と横浜港なので、港の街、という雰囲気もある。
なんとも、統一感がなくごった煮的だが、そこがまた楽しいのかもしれない。
また、南側は、横浜屈指の山の手、山手町があり、なんとなく高級感も漂っている。
歩いているだけで、その高級感、山の手の雰囲気がまとわりつき、勘違いした感覚に陥ってしまう。
しかし、本来、低地にあるべき下町の雰囲気はもはやどこにも存在しない。
最初からなかったのかどうだかわからないけど。
横浜は全体的には、この山下町のようになっていくのだろうか。
東京都心部に隣接する都市としては、それは宿命なのかもしれない。
ただ、どこかに無理があるような気もする。
(2007年3月記)

みなとみらい線元町中華街駅(グローリオタワー元町)

2007-09-09 11:26:43 | Weblog
高田馬場から山手線。渋谷駅で東急東横線に乗り換える。
みなとみらい線にはそのまま乗っていれば直通する。
さすがに横浜から先はそんなに混んでいない。観光客しかいないのだろうなあ。
元町中華街駅で下車。地上に出てみるとやはり観光客しかいない。
海が近いせいかどうかわからないが、太陽の光が溢れているような気がする。(この日は曇りだったが)
空気がなんとなくリゾート地みたいで開放的な感じがするのだ。
そんな中に高層住宅が並ぶように建っている。
一番南東側にはグローリオタワー元町がある。
少し近くに高速道路の高架が東西に伸びているがあまり気にはならないだろう。
北東側には横浜港と山下公園、南西側には中華街が広がる。
また、高速道路の高架の南側は、山手町、横浜屈指の山の手がある。
外人墓地やフェリス女学院があるところだ。
山の手が山手町でその麓の低地、下町が山下町という実にわかりやすい地名になっている。
横浜開港後は、この山の手に欧米人が住んだようだ。
麓の低地には、同じ外国人だが、中国人が住み、中華街ができる。
山の手と下町という峻別がなされていて、なんだか寒々しい。横浜が黒澤明の映画「天国と地獄」の舞台になったのもわかる。
そして、現代の格差社会の到来である。
下町の横浜中華街は完全にテーマパーク化され観光地となり、そして近くに高層のリゾートマンションが林立する。
山の手が進出してきたのである。
(2007年3月記)

横浜市営地下鉄関内駅(横浜シティタワー馬車道)

2007-09-08 10:56:33 | Weblog
馬車道という通りを南西方向、関内の方へ歩く。
JR根岸線(京浜東北線)の高架、新横浜通りの北東側に横浜シティタワー馬車道がある。
ここまで来ると随分賑やかになってくる。
明治時代、横浜港が開港した頃は、この新横浜通りの通っているところには川が流れており、今の関内駅付近には橋が架かっていた。
さらにその橋が関になっており、その関から東側、海側は外国人居留地となっていた。関の内側、関内である。
そして、居留していた外国人が馬車で移動するのでその道を馬車道と呼んだらしい。
その馬車道が、今の馬車道の名前の所以であるようだ。
関内とは反対側、つまり、この大通りの向こう側、南西側の方は完全に繁華街になっている。
たとえば、この馬車道をそのまままっすぐ南西に進むと伊勢佐木町通りとなる。
横浜随一の繁華街だ。そして歓楽街でもある。
山の手の近くの低地にはたいてい歓楽街があるものだが。
このようにここらへんは、横浜にとっては歴史のある場所ではある。
しかし、横浜は地名の通り、ただの浜だった場所だ。
近代以降、その浜に偶然に港ができる。
そして港湾都市が誕生し、異国情緒溢れる街並みとなっていく。
もし港ができていなければ、この静かな関内も賑やかな伊勢佐木町も、そしてこの馬車道もなかっただろう。
そう考えると不思議な気がするが。
帰りは、その不思議な気持ちを抱きながら、ひさしぶりに伊勢佐木町通りを歩いてみる。もはや時代の最先端ではないけれど、昔からある古びた街並みが、気分をなごませてくれた。
(2007年3月記)

みなとみらい線馬車道駅(D'グラフォート横浜)

2007-09-07 06:22:02 | Weblog
海岸から離れ南西側、関内の方へ少し歩く。
本町通りの南側にD'グラフォート横浜がある。
バブルが崩壊し、失われた10年を経て格差社会が到来したごく最近になって、横浜には高層住宅が多く建っている。
D'グラフォート横浜もその中の一つである。
大通りに沿って建っているが、こんなに静かなところにあるのはD'グラフォート横浜ぐらいかもしれない。
でも静かで落ち着いていいだろう。
横浜が近場のアーバンリゾートならこのような高層住宅はある種のリゾートマンションなのかもしれない。
本当はどうだか知らないが。たとえば、都心との距離が30分なら、帰ったとき、あるいは休みの日、もう横浜にいる、ということはかなり楽しいことのような気がするのだが。
D'グラフォート横浜のまわりは、昭和初期の歴史的建造物が多くあり興味深い。
散策するには好都合だ。
そればかりではなく、ちょっときれいで落ち着いたお店がそこかしこに点在してる。
観光客としているかぎりだが、横浜ならかなりの期間いても飽きないだろうなあ。
もっとも自分には関係のないことなんだが。
格差社会になり、そのような人生も選択の中に用意されているということだろうか。
野毛山の山の手住宅地は少し無理かもしれないが、海沿いの低地、かつて港湾業務の建物があったあたりなら、高層住宅を建てれば、そのようなリゾートライフも夢ではない、というところかな。
それはそれとして、このように横浜にまた新しい一面が加わったことは確かなことだろう。
(2007年3月記)

横浜市中区海岸通(神奈川県警察本部庁舎)

2007-09-06 06:24:34 | Weblog
海岸通りを南東へ歩く。しばらくすると神奈川県警察本部庁舎がある。
竣工したのは、バブルの最初の頃だ。
横浜では、天理ビルの次ぐらいなのかな。
でもやはりバブルの頃のビル群の一つだろう。
官民一体のバブルである。警察署もきれいなオフィスビルになる。見学コースもあるようだ。
かつて港湾業務で賑やかだった場所も今や静かな散策コースになったのだろうか。
港湾都市だった横浜も高度成長期が終わり、存在意義がなくなると、今度は観光都市に生まれ変わったような気がする。
観光都市といっても、むしろ東京都心の近場リゾート地のような存在だ。
距離も近すぎず遠すぎず、移動時間も30分ぐらいでちょうどいい。
30分かければ、ちょっとした観光ができてしまうわけだ。
建物を昔のまま保存しまわりをきれいに整備すればミュージアムになる。観光資源ということになるのかもしれない。
工業国家から成熟債権国家へ移行した場合の一つの典型だろうと思う。
東京のベットタウンだけなら埼玉や千葉と同じである。
かといって、かつての工業立国に戻ることはできない。
しかも、横浜は近代国家としては最初の港湾都市である。
とすると、その変化がもっとも早く訪れたのかもしれない。
埼玉でも千葉でも、最近できたちょっとおしゃれな街並みは皆、横浜みたいに見えるのはそういうことかもしれない。
どの都市も横浜が歩んできた道を辿っているのだろう。
(2007年3月記)

みなとみらい線馬車道駅北仲通(横浜第2合同庁舎)

2007-09-05 06:22:05 | Weblog
横浜アイランドタワーのみなとみらい大通りを挟んで北側に横浜第2合同庁舎がある。
横浜アイランドタワーの方は、バブルが崩壊した後の竣工だが、横浜第2合同庁舎は、まさにバブルの終わり頃に竣工している。
官民一体となってバブルに突き進み、役所の建物も再開発したのであろうか。
バブルの頃の夢の跡だ。
実は、横浜第2合同庁舎の北東側には、さらに巨大な高層ビルの建設予定があった。
しかし、バブル崩壊とともに計画は夢と消えてしまったようだ。
ただし、その夢は最近になって、また動き出している。
北仲通北地区再開発計画だ。もとは、生糸専用倉庫があった場所である。
横浜第2合同庁舎も生糸検査所だったはずだ。
生糸といえば、日本が近代国家として、港を開いたときからの最初の主要輸出品だったと思う。
その生糸の倉庫や施設が横浜港にあるというのは、ここが最初の貿易港(近代国家として)なので当然なのだろう。
バブル以降、その跡地がウォーターフロントの再開発の現場になっている。
横浜港は今でも主要な異国情緒溢れる貿易港なんだろうが、バブルの頃からは最先端の再開発地域という側面も持つようになったのだろうか。
つまり、江戸時代から近代へ、先陣を切ったのも横浜なら、工業国家から成熟債権国家への移行も先陣を切る宿命にある、ということなのだろうか。
バブル期からバブル崩壊、失われた10年を経て、なお横浜は拡大を続けているところを見ると、その役割は果たせているのかもしれない。
もっとも、みなとみらいが完成してしまった後はどうなるのか、さっぱりわからないけど。
(2007年3月記)

桜木町駅東口(横浜アイランドタワー)

2007-09-04 06:19:13 | Weblog
横浜桜木町ワシントンホテルの大岡川を挟んで西側には横浜アイランドタワーある。
川岸に建っているわけではなくもっと奥に建っている。
北仲通という場所だ(正確な住所は違うが)。駅は、みなとみらい線馬車道駅が最寄り駅となる。
桜木町や関内が繁華街や商店の中心なら、こちら側は行政や経済の中心ということだろうか。関内は両方かもしれないけど。
歴史的建造物や役所が多く建ち、商店などはない。静かな街並みが広がる。
横浜アイランドタワーも昔は第一銀行横浜支店があった場所らしい。
なお、当時の建物は保存されている。昭和初期の竣工ということだ。
近代日本における横浜の繁栄ぶりがしのばれる。
この大岡川の南東側、海岸沿いはだいたいこういうミュージアムばかりだ。
横浜に住んでいるわけではないので、詳しくはわからないけど、いったいここらへんの建物は、ミュージアムなのか、今でも機能しているのかさっぱりわからない。
あるいは、両方なのかも。
いつ行ってもあまり人通りはないし。
でも、観光地へ行ったり、繁華街を巡ったりしているときに、ふと迷い込んだりするといいかもしれないなあ。
いままでの喧騒がウソのようにシーンと静まりかえっていて。
静かなのは、横浜の往時が眠っているからなのかもしれない。
ちょっと起こして、耳を傾けて聞いてみれば、昔の横浜がどんなに賑やかで活気に溢れているか、眠そうに語ってくれるかもしれない。
しかし、時代はもう工業立国でもないし、高度成長期でもない。やはり静かに眠らせておいた方がいいだろう。
都市も成熟し歴史を積み重ねれば、その中にミュージアムやテーマパークの機能を持つものらしい。
横浜は、まさにそういう街でもあるのだろう。
(2007年3月記)

桜木町駅東口(横浜桜木町ワシントンホテル)

2007-09-03 06:22:54 | Weblog
富士ソフトABC桜木町ビルの大通りを挟んで北西側に横浜桜木町ワシントンホテルがある。
ペデストリアンデッキでこれら2棟の高層ビルは桜木町駅と直結しているようなので、ある意味では駅ビルのようなものかもしれない。
これら2棟のビルは、バブルが崩壊し、再開発もウォーターフロントも頓挫した後、竣工している。
広大な海を埋め立てて造成し、そこに巨大なビルを建てていく、というよりも現実的に駅近くに高層ビルを建てる、というわけかもしれない。
バブルの頃の壮大な構想に比べると、バブルが崩壊した後の建物はこぎれいで、なんか野毛山の山の手の出張所みたいだ。
きれいで眺めるにはいいのだが、もはや近寄りがたい気もする。
横浜桜木町ワシントンホテルは、大岡川の河口にあり、眺望もいいことだろう。
さらに、その河口に架かっている北ノ中橋から見ると本当にきれいだ。
おそらく景観についても配慮され計算されているのだろう。ますます庶民的ではなくなってきているような気もする。もう手が届かない。
横浜の山の手の入口としては相応しい感じだ。
桜木町駅の残りの空白地帯、北西側も同じような整備のされ方をするのだろうか。
北西側はみなとみらいの入口になっているので、もしそうなれば、みなとみらいの方向も変わるかもしれない。
今も、なにか万博のパビリオンみたいな感じで観光客が押し寄せているけど。
ただ、今でもバブルの頃の賑やかさはもうまったくないことも事実だ。
この先、もっとそういう賑やかさはなくなり落ち着いてくるのだろう。
ちょっと寂しくなるなあ。
(2007年3月記)

桜木町駅東口(富士ソフトABC桜木町ビル)

2007-09-02 09:54:58 | Weblog
みなとみらい大通りを南東へ。海に近い河口を橋で渡るので風景もダイナミックになってくる。
桜木町駅の南東側に富士ソフトABC桜木町ビルがある。
今のところ、この高層ビルが桜木町駅にもっとも近い高層ビルということになる。
だから、ビルのあるあたりからでも、高架になっているJR根岸線(京浜東北線)の下を通して、横浜の山の手住宅街に通じる道が垣間見ることが出来る。
あまり用もないので行ってみる事もないのだが。
かつて野毛山公園に一度と横浜市中央図書館近くに一度だけだ。
なんか静かな住宅地というぐらいでほとんど記憶に残っていない。
たしか高台に立つと、横浜の街が一望の下に見渡せたように記憶している。
野毛山動物園は、学校の課外授業でいった。完全な自由行動だったので、数人のグループで行ったのだが、学生の目から見ても、まわりは本当に落ち着いていていい場所だったなあ。
横浜市中央図書館も別に本を借りにわざわざ行ったわけではなく、たまたまおしゃれなレストランみたいな建物があるな、と思ったら図書館だった、というだけのことだが。
その高台の住宅地から横浜の街に向かってどんどん坂を下っていく。
まるで田園調布の山の手から蒲田の下町へ下っていくのとそっくりだった。
だいたいどこも同じなのかな。白金、高輪台の山の手から坂を下ると、品川に出るが、そこは結局、芝浦の下町だったりする。
品川駅周辺、とくに東口の高層ビル群が、横浜ではみなとみらい、というわけかな。
この野毛山の南側は桜並木で有名らしい大岡川、そしてさらにその南側は伊勢佐木町が広がる。
繁華街や歓楽街もたいていは、山の手の麓にあったりするものだ。
(2007年3月記)

桜木町駅東口みなとみらい(新日石横浜ビル)

2007-09-01 09:55:59 | Weblog
横浜銀行本店の南側には新日石横浜ビルがある。
新日石横浜ビルはバブルが崩壊した頃に竣工している。
みなとみらい再開発が始まった頃、次々と建っていた高層ビルとしては、ちょっと遅れて竣工する。
一応、ランドマークタワーの周りを囲むようにビル群は完成したのだが。
しかし、桜木町駅まではまだ遠い。
いったん、動く歩道でランドマークタワーに行き、そこから歩道橋で新日石横浜ビルなどへ行く、ということになるのかな。
つまり、桜木町駅の東口はいまだに更地だらけで未完成だ。
長々と動く歩道で行くのもいいのだが、これでは観光客ぐらいしか来ないだろう。
桜木町の周辺がいまだに整備されていないので、結局、みなとみらいの玄関にはなっていない。観光客にとっては玄関だろうけど。
玄関になっていないとすると、桜木町駅の西口に広がる旧来の山の手市街地とは有機的なつながりがない、ということになってしまう。
JR根岸線(京浜東北線)の高架と高速道路がみなとみらいの再開発地とを分断しているので、唯一の接点は桜木町駅、ということになるのだが。
将来は、その桜木町東口も整備され、街並みができあがるのだろうけど。
どんなふうになるのだろうか。今から楽しみだけど。
でもやっぱり、西側の住宅街と東側のみなとみらいは分断されたままの状態が続くような気がする。
分断されているからこそ、埋立地は人工の山の手でいられるのだ。
分断されていなければ、住宅地としての山の手にかなわない。再開発地は、途端にただの埋立地だということがわかってしまう。
このようなことを考えると、横浜は、やはり多様な側面を見せながら、そのまま、これからも成長していくのだろう。
(2007年3月記)