春日通りを、南へ、歩くと、すぐに、通りの、東側には、大黒湯。
戦後、すぐに、できた、銭湯だ。
銭湯が、古い、ということは、街並みも、古い、ということだろう。
実際、明治時代初め頃の、地図を見ても、春日通り沿い、すでに、家並みが、描かれている。
明治時代初め頃、家並みがあるとすると、おそらく、江戸時代から、賑やかだった、ということだろう。
護国寺が、近くにあり、街道筋、だったからかな。
護国寺から、南へ伸びる、音羽通りの方が、家並みが、江戸の、中心まで、伸びているので、護国寺の、門前町、ということでも、あったのかもしれない。
春日通りを、今度は、北へ向かう。
(2013年1月記)
戦後、すぐに、できた、銭湯だ。
銭湯が、古い、ということは、街並みも、古い、ということだろう。
実際、明治時代初め頃の、地図を見ても、春日通り沿い、すでに、家並みが、描かれている。
明治時代初め頃、家並みがあるとすると、おそらく、江戸時代から、賑やかだった、ということだろう。
護国寺が、近くにあり、街道筋、だったからかな。
護国寺から、南へ伸びる、音羽通りの方が、家並みが、江戸の、中心まで、伸びているので、護国寺の、門前町、ということでも、あったのかもしれない。
春日通りを、今度は、北へ向かう。
(2013年1月記)
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