白鷹町の中心街は団体バスの車窓から眺めただけで、それも20年以上も昔のことになるのだが、その際の印象では「小ぶりながらも中心街らしい街並みと賑わいがあった」ということである。
それが、今回初めて足を地面に降ろして歩いてみたが、下手に道路の「整備」、つまり拡幅や新設をやったためであろうか、どこが中心街かわからないようになっていた。
つまり、全体として茫漠たる街並み景観になってしまい、おまけにすっかり「街の賑わい」が失われていたのである。
むろん、外周部の大型店にはやはり駐車のクルマがひしめき、内部は買い物客で賑わっているが、それは「街の賑わい」とは言えない。
その荒砥の中心地というべき箇所で見つけたのが見出し写真の豪壮で個性的外観の土蔵を持つ豪商の屋敷である。
今でも“豪商”かどうかはわからないし、かなり古びたままで補修もされぬままになっているような感じだが、やはりかなりのインパクトを放っている。
かつては荒砥もこの建物に象徴されるような富の集積がなされる時代もあったことを物語っている。たぶん、この建物だけでなく、周囲にはやはり幾つかの豪商の建物が並んでいたのであろう。
しかし今では荒砥のかつての栄華もこの旧?豪商屋敷を遺すのみ。
確かに土蔵の豪壮さに目を見張ってしまうが、その佇まいに何とはなしにうら淋しさを覚えてならないのである。
それが、今回初めて足を地面に降ろして歩いてみたが、下手に道路の「整備」、つまり拡幅や新設をやったためであろうか、どこが中心街かわからないようになっていた。
つまり、全体として茫漠たる街並み景観になってしまい、おまけにすっかり「街の賑わい」が失われていたのである。
むろん、外周部の大型店にはやはり駐車のクルマがひしめき、内部は買い物客で賑わっているが、それは「街の賑わい」とは言えない。
その荒砥の中心地というべき箇所で見つけたのが見出し写真の豪壮で個性的外観の土蔵を持つ豪商の屋敷である。
今でも“豪商”かどうかはわからないし、かなり古びたままで補修もされぬままになっているような感じだが、やはりかなりのインパクトを放っている。
かつては荒砥もこの建物に象徴されるような富の集積がなされる時代もあったことを物語っている。たぶん、この建物だけでなく、周囲にはやはり幾つかの豪商の建物が並んでいたのであろう。
しかし今では荒砥のかつての栄華もこの旧?豪商屋敷を遺すのみ。
確かに土蔵の豪壮さに目を見張ってしまうが、その佇まいに何とはなしにうら淋しさを覚えてならないのである。