山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

もう少し早ければ億万長者に・・・?

2009-11-07 22:36:50 | Weblog
 去る9月28日の当ブログ記事(←クリック)に鳩山新首相の顔に兜をかぶせ、直江兼続の「愛」に代えて「友愛」を前立てとしたパロディー風の低技術の合成写真を掲げたが、先日、山形市内の某所で「鳩山民衆サブレー」なる菓子折りの包装紙(だったかな?)を目にした。それは誰かの東京みやげを飾ったものだという。
 ナント、それにも鳩山由紀夫氏が「友愛」の字を前立てにしている兜をかぶっている漫画が描かれていた。
 一瞬、我がブログを閲覧した誰かが“盗作”したのかな、とも思った。
 確か、東京では政治家たちの名前と顔の漫画を売り物にした菓子類が販売されているのを今年の4月に上京した際に、それもナント靖国神社の境内(←クリック)でお目にかかった。その時に売られていたのは「太郎ちゃんまんじゅう」に「さよなら純ちゃんまんじゅう」であった。
 さ~てさて、鳩山首相は靖国神社には参拝しないらしいし、社民党を加えた連立内閣には靖国神社に否定的な閣僚が多いようなので、現在同じく靖国神社で「鳩山民衆サブレー」は売られているものだろうか。
 でも、靖国神社以外の東京の売店ではこのサブレーはかなり売れているらしい。
 さて、このサブレーが売られ始めた時期を調べたら、ナント既に6月頃らしい。 私が当ブログに「友愛」の兜姿の鳩山氏を着想して登載したのは時は遅しで9月下旬であった。
 この着想を数ヶ月早く東京の菓子業者に売っていたら、既に我が家は福沢諭吉氏の紙幣で埋め尽くされていたに違いない。
 ああ~、同じクッダラネーことを考え付く奴が東京にも、ここ山形にも居るということのようである。ただし、一方は大儲け、こちら無収入。
待てよ、まだチャンスはありそうだ。
 「小沢ガールズせんべい」でも考えるか。

 ◆写真 左側が4月に見つけた靖国神社での宣伝看板 真ん中が「友愛」兜の鳩山氏(当ブログでの我が“力作”) 右側が「鳩山民衆サブレー」(関連HPより)  
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この紋所が目に入らぬか~

2009-11-05 20:37:33 | 街づくり

↑ クリックにより画面拡大

 今日、山形市の中心市街地で「社会実験」と銘打った自転車専用レーンの開通式が挙行され、走り初めも行なわれた。
 かつての城下町の伝統を引く商店などが軒を並べる繁華街であるが、クルマの走行量が多く、いつも渋滞で混雑する割合には歩行者数がかなり減少し、ご他聞に漏れず中心商店街として空洞化が進んでいる。
 それでも午後3時以降になると下校の高校生らの自転車が多くなるが、クルマの走行量が多いためにほとんどの自転車はおのれの安全のために車道の路側の自転車用のゾーンすら避けて歩道を走ろうとするから、今度は歩行者が自転車のために安全を脅かされることになる。
 こうしてただでさえ減少している歩行者は中心商店街を快適に歩くことすら妨げられてしまうから、商店街の賑わいはますます低下してしまう。
 こんな中で、国土交通省、県、市、商店会、警察が協同して双方向の自転車専用レーンを設置し、一年間の社会実験をスタートさせるに至った次第である。
 さ~て、ところがところが、以下写真の如き状態が目の前に現れたのである。
 ①開通式典開始前の状態 ②開通式典 ③④南進する自転車 北進(一方通行)するクルマの量に比べて自転車の数はあまりにも少ない しかもほとんどのクルマは通り抜けだけ ⑤自転車道は形だけながら低い縁石とポールで仕切られているからクルマで渋滞すると救急車は進みにくくなる。「自転車専用レーンは生命を脅かす」の如き声が高まる恐れあり。救急医療のためなら高速道路や離島の空港すら「命綱」とする声がしきりだからである。 ⑥救急車が遠慮深く動いていたのに対して、“堂々と”自転車レーンに駐車しているクルマが各所に見られた。マナー指導の要員の姿はなし。水戸黄門は葵(アオイ)の紋所の印籠を掲げたが、このクルマのドライバーはこのゾーンが「青色」(アオイろ)で塗込められた意味を考えようともしないようだ。もっとも「紋所」に相当する自転車専用ゾーンを表示する自転車マークが一つも見当たらないのも不可解である。やはり見当たらない紋所がこのドライバーの目に入るわけがない。

◆今後は姉妹ブログ「島国ニッポンの山国から」でシリーズものとします。
http://blog.goo.ne.jp/ezoben-k/ ←クリックを
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊達政宗の母の墓所を訪ねて(2)

2009-11-03 19:56:40 | 郷土史
 仙台市内で寺院が集中している地域として「新寺小路」は平地であり、すっかりビル街に囲まれている感じだが、ここ「北山」のように小高い丘陵地帯にはまことに鬱蒼とした樹林に囲まれた広大で格式の高い寺社が集中している。
 だからここ北山の寺社地帯に足を踏み入れれば、仙台という百万人の大都市のほぼど真ん中であることを忘れてしまう。それでも、この樹林地帯を一歩抜け出してJR仙山線を越えれば再び際限なく市街地が北へ北へと広がるから、現在ではやはりすっかり市街地に囲われた地帯であることには変わりがない。
 ここ仙台の旧城下町部分の北部丘陵地帯に集中する数多い寺院の中でも取り分け格式の高い五つの臨済宗寺院は「北山五山」と呼ばれている。(※注:うち満勝寺は現在北山から別の地に移転している)
 その中の一つに私が目指す伊達政宗の生母にして最上義光の妹の「お東の方」こと義姫または保春院の墓があるが、今回写真で紹介する寺院にはその寺はない。
 ◆写真 ①北山五山の中で一番東側にある光明寺の本堂 北仙台駅にも近い 支倉常長の墓と宣教師ルイス・ソテロの記念碑がある 
②五山の一つ、東昌寺の門前の石段 北山五山のすべてに急斜面の長い石段がある
③④ともに東昌寺の伽藍 この寺は伊達氏の福島県伊達郡時代からの歴史を有する
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする