大石田の街歩きもいよいよ終わりに近づいた。
蕎麦屋で昼食を済ませ、鏝絵(こてえ)など大石田の職人たちの技を展示している桂桜会館をあとにして、もう一度街のど真ん中に向かう。
ど真ん中といってものどかな蕎麦畑も見られるような所だが、あの豪商屋敷が並ぶ大通りの裏手に町の歴史民俗資料館があり、そこに歌人斎藤茂吉が戦後に少しだけ住んだ聴禽書屋(ちょうきんしょおく)が連結している。
この建物は大石田を代表する素封家の二藤部家の裏手に建てられた離れ家であるが、離れ家といっても流石にかつての大資産家が巨費をつぎこんで建てただけあって、建造物としてもなかなかのものである。
ところが、母屋(今月15日の写真)には常時家の持ち主は住んでいない。
東京かどこかが現在の主たる住まいであり、たまに大石田に帰って家屋敷の手入れや掃除をするらしい。
この町の歴史を体現するような家すらこのような現状であり、この小さな町で「日本の縮図」を垣間見たような気がした。
●写真「上左」及び「上右」どちらも三階建てで豪雪仕様だが、外観はまことに対照的 片や和風、もう一方は無国籍的外観 どちらが大石田風と言えるのか 「下左」聴禽書屋の外観 「下右」同じく2階の内部 ここで斎藤茂吉はのんびりと鼻毛でも抜いていたのだろうか。
●姉妹ブログ「島国ニッポンの山国から」を閲覧ください。少し硬派です。
蕎麦屋で昼食を済ませ、鏝絵(こてえ)など大石田の職人たちの技を展示している桂桜会館をあとにして、もう一度街のど真ん中に向かう。
ど真ん中といってものどかな蕎麦畑も見られるような所だが、あの豪商屋敷が並ぶ大通りの裏手に町の歴史民俗資料館があり、そこに歌人斎藤茂吉が戦後に少しだけ住んだ聴禽書屋(ちょうきんしょおく)が連結している。
この建物は大石田を代表する素封家の二藤部家の裏手に建てられた離れ家であるが、離れ家といっても流石にかつての大資産家が巨費をつぎこんで建てただけあって、建造物としてもなかなかのものである。
ところが、母屋(今月15日の写真)には常時家の持ち主は住んでいない。
東京かどこかが現在の主たる住まいであり、たまに大石田に帰って家屋敷の手入れや掃除をするらしい。
この町の歴史を体現するような家すらこのような現状であり、この小さな町で「日本の縮図」を垣間見たような気がした。
●写真「上左」及び「上右」どちらも三階建てで豪雪仕様だが、外観はまことに対照的 片や和風、もう一方は無国籍的外観 どちらが大石田風と言えるのか 「下左」聴禽書屋の外観 「下右」同じく2階の内部 ここで斎藤茂吉はのんびりと鼻毛でも抜いていたのだろうか。
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