山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

はるばる来たぜ、萩 ④

2008-06-13 22:08:23 | Weblog

4月24日 萩の旧武家屋敷街は特に萩市街地の西部に集中している。
 武家屋敷街とはこんなにおっとりした雰囲気を供えた「癒し」の地域であるとは初めて知ったようなものである。
 確かに幕末維新の時代にはこの辺り一体は殺伐とした空気が流れていたのであろう。
 でも平和の時代ほどサムライの街は文字通り「武」つまり戦いを止める想いを培うのに最適な地帯ではないかと思えるようになった。
 萩の旧武家屋敷街一帯を周遊して「平和」の有難味を感じた次第である。
平和憲法下のアキハバラであれほどのひどい殺傷事件が起きたのとは大違いである。
 それにしても、行けども行けどもこのような落ち着きのある景観が続いており、これほどの広範な武家屋敷街は全国でも稀有ではないのか。
 まさに、世界遺産ではないだろうか。
写真説明 ①荒削りの石垣塀が左右に ②こちらは白壁の土塀と生垣が続く ③上級武士の長屋門 ④左右ともに生垣が ⑤豪壮な門と生垣 ⑥萩城址の指月山 山形の千歳山のミニ版みたい ⑦武家長屋 ⑧これも武家住宅? ⑨萩は夏みかんが名産 →クリックで写真拡大
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はるばる来たぜ、萩 ③

2008-06-12 16:44:32 | Weblog

4月25日 萩は城下町というよりは武家屋敷の景観が広がる街と申した方がよい。
 たしかに菊屋家のような豪商屋敷もあるが、文字通り城下の町人の街としての景観よりは武士の街としての面影の方がはるかに多く残されている。
 サムライの街ではあるが、21世紀の今では殺伐とした雰囲気はまったく無く、「閑かなること林の如く」ではないが、とにかく閑かで、まことに落ち着いた雰囲気なのである。歩くだけで(私の場合は貸し自転車だが)凛とした気持ちになる。
写真説明 ①豪商菊屋家(昨日の写真の続き)②武家屋敷街 ③生垣のある旧武家屋敷 ④土壁が見えても風格満点 ⑤高杉晋作の旧宅(休館中)⑥長屋門 ⑦長屋門の内側 ⑧と⑨生垣が続く旧武家屋敷街 →クリックで写真拡大
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はるばる来たぜ、萩 ②

2008-06-11 15:44:57 | Weblog

 4月25日
 山形から広島まではあっという間に行き着くことができる。
 また、山口までだって、さほどの時間は要しない。
 だが、萩まで辿り付くにはかなりの時間がかかった印象がある。
 だから、「はるばる来たぜ・・・」という言葉がでて来る。
 萩の2日目の午前中だけホテルのレンタサイクルにて萩の市街地めぐりをやった。
写真説明 ①萩きっての名刹東光寺の山門 早朝のせいか境内には入れなかった ②吉田松陰が開いた松下村塾 山形の滝山地区にも有機農法の滝下村塾というのがある ③と④藩校明倫館跡に建てられた萩市立明倫小旧校舎 なかなかの風格だ長く保存してほしいものだ ⑤萩随一の豪商「菊屋家」屋敷外観 ⑥いよいよ武家屋敷街 白壁がない板壁の街路は落ち着きがある →クリックで写真拡大
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はるばる来たぜ、萩 ①

2008-06-09 23:57:44 | Weblog

4月24日 津和野を出た萩行きのバスは私を含め3人だけの旅行客を乗せ、途中数多い停留所を通過したが、土地の老女1人だけが乗り降りしただけで、有名観光地の間を走行するバスながら、公共交通を利用する旅行客のあまりにもの少なさに落胆した。
 ともかくこのバスの車窓からの眺めは美景の連続で、その楽しさを多くの人たちに味わっていただきたいものだ。
 それにしても萩に近づいたはずの地点からは、山また山の繰り返しで、山口県は山形市をはるかに上回る山深い所だと感じた。
写真説明 クリックで写真拡大 ①津和野の街を出てしばしの所で山形の千歳山と似たまろやかな里山を見つけた ②山口県内に入るとのどかな田園地帯が拡がる 景観美に見とれるものの、過疎が進んでいるらしい ここから山また山が続いて萩に入る ③萩駅から松本川沿いに南に歩いた所でネコ2匹が日なたぼっこしていた ④と⑤松蔭神社から伊藤博文に至る道筋には生垣が続いている ⑥伊藤博文旧宅 ⑦伊藤博文別邸 ⑧ホテルから眺めた夕暮れ間近な萩市街 手前が松本川 左手前方の丘陵は萩城址の指月山

 ↑ 山形の我が家の最高実力者
   [訂正願い] 枠内の「ビニールシー」は「ビニールシート」に訂正願いたし
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芭蕉の気分で歩きに歩いた27km ⑤

2008-06-07 21:57:13 | Weblog

 5月21日27kmに及ぶ芭蕉気分の徒歩行のシリーズも今回で終了。
 天候もまあまあで、体調もまあまあだったが、やはり足の裏の靴ずれが痛くなった。
 芭蕉は「翁」呼ばわりされているが、まだ40歳代だから私よりはだいぶ若いから、彼の健脚も当然と言えば当然。
 それにしても当時の羽州街道にはどれだけの人々が歩いていたのであろう。

写真説明 ①街道の西方に羽を伸ばす霊峰葉山 ②東根温泉口の商業ビル ヨコモジだらけの国籍不明の店 どうせなら商品の表示も全部ヨコモジにすればよい ③街道沿いの北村山公立病院 これもいち早いクルマ社会対応の郊外型病院だ ④クリスチャンの過疎地にチャペルが構える不思議な光景 ⑤楯岡の街なかにも日本型建築を見つけた ⑥村山駅2階からの楯岡の街と甑岳 ここからJRで山形へ戻る 「往きはこわいこわい(山形弁で疲れた疲れたの意味)帰りは良い良い・・・」

↑上の写真は5月7日 JRの鉄道利用観光客対応イベント(小さな旅)での山形舞妓
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芭蕉の気分で歩きに歩いた27km ④

2008-06-06 10:18:16 | Weblog

 5月21日山形盆地の徒歩での北上も半分を経過し、いよいよ楯岡に近づいた。
 かなり足の裏に靴ズレができたようで、痛みが少しずつ増してきたが、もうしばらく頑張ることにした。太陽も西に傾き始めたから、少しでも日陰の部分を歩こうと、西側の歩道を多く歩くことにした。でも美しい景色が現れると、やはり東側の歩道に移動した。
写真説明 ①このあたりは東根市内でも自衛隊のある神町と旧東根の中間地点。山形新幹線の停車駅さくらんぼ東根駅の建設を機に一気に市街地化が進んだ。それにしてもこの歩道の広さには感嘆。でも歩行者はほとんど居らず、内側の駐車場に出入りするためこの歩道を横断する車の姿ばかりが目に付いた。②これが「さくらんぼ東根駅」でも駅前らしい人々の賑わいがない ③「麩」で有名な六田の旧家 ④六田の街道沿いに芭蕉の句碑が 「眉はきを・・・」 ⑤この川を渡れば東根の旧市街 ⑥東根の旧市街を後にしてやっと広々とした農村風景が見えてきた。左手の山塊は甑岳方面  → クリックにより写真拡大
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芭蕉の気分で歩きに歩いた27km ③

2008-06-03 22:26:38 | Weblog

 昨日の記事は天童の乱川あたりまでで、今日は東根市神町までを紹介する。
写真説明 ①天童市の北はずれに深い森に包まれた稲荷神社があった。 ②ユーモラスな風貌の御キツネさん ③稲荷神社の周囲は果樹園 ④いよいよ天童市と東根市との境界付近の乱川へ ⑤と⑥東根市神町地内に残る旧羽州街道の松並木 ⑦前方は陸上自衛隊神町駐屯地 かつてはアメリカ軍の駐屯地でもあった ⑧倒産した?キリスト教会 ⑨村山野川 以上クリックにより写真拡大
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芭蕉の気分で歩きに歩いた27km ②

2008-06-02 23:56:48 | Weblog

5月21日の記事に続いてのシリーズ  2、3日の間隔で断続的ながら連載しようとしながら、第1回の記事から何と10日も間を空けてしまった。
 今日は天童市内の南から北の各所のスナップになる。
写真説明 ①塀の中は出羽桜美術館 李朝の陶器等が展示 ②すぐ近くに“御屋敷”みつけた ③旧東村山郡役所 現在は郷土資料館 ④旧羽州街道の拡幅工事に伴い沿道の建物は和風が基調に再建 でも歩道の内側に駐車場だけが多くなると折角の和風化の努力も帳消しになるよ ⑤天童駅前からしばし北の方角のランドマークの巨木 ⑥すっかり市街地化した中に緑したたる鎮守の森 ⑦天童高原から流れ下った押切川 ⑧と⑨乱川界隈で新築された和風の豪邸2棟 このあたりに北京五輪出場決定のバレーボール女子選手2名の所属会社がある 山形の自宅から約16kmの地点 →クリックで写真拡大
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