山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

新庄市街探索アルバム(2)

2006-09-19 22:38:03 | 建物

 ↑ 民謡『新庄節』にも唄われている番場町の建物。この辺り一帯に遊郭が軒を連ねていたというから、これもかつては遊郭であったような感じがする。他にも2~3棟が遊郭らしい面影を残す古い建物が目に入った。花街とは申せ、地味なたたずまいである。さすが、新庄もかつての交通の要衝。かつての賑わいが偲ばれる。

 ↑ 雪の里情報館の旧「雪調」(旧農林省積雪地方農村経済調査所)の建物。昭和8年建造。雪害救済運動や雪国の暮らし、風俗などの資料が多数展示。

 ↑ 十字架が林立する古いキリスト教会 今にも聖歌が聞こえてくるようだ。
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新庄市街探索アルバム(1)

2006-09-18 10:46:17 | 建物

↑ 駅近くの歓迎アーチ? 背後の飲食店は工事中で一層雑然としているが、アーチの背後は通路でもなく、そのまま店舗の壁面?! ともかく皆一同考えさせられた。ほだなごどほっだえむずがすぐ考えらんなねごどないべな。

 ↑ さすが大雪寒冷の新庄市街。旦那衆の土蔵の窓も二重窓

 ↑ 豪奢なのに廃屋? 人の気配なし。なんとモッタイナイ。頑張れ、新庄市民!

 新庄氏、否、新庄市をグループで街歩き探索した。
 プロ野球の新庄氏も名高いが、新庄市も人口がわずか3万人台で新幹線の始発駅となっているということで有名である。
 また、新庄市と新庄市民が挙げて新庄氏に声援をおくっていることは確かである。だが、一部で取り沙汰されている政界入りともなれば、公的に彼を応援するわけにはいかなくなる。
 ともかく県西北部の中心都市として古来より栄えてきた新庄市にどんな宝のような建物があるか、皆はわくわくしてかけつけた。
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敬老の日を前に

2006-09-16 16:10:51 | Weblog
 昨日が敬老の日だったかと思ったら、会社、役所は休日でなし、街はむろん祝日の雰囲気はゼロ。月曜日が敬老の日になっていた。ボクもやはり少々頭が老化したようだ。
 だが、9月ともなれば、しのぎやすい天候が多く、ご主人様(むしろボクの方がこの家の世帯主なのかな?)は毎日ブログに格闘して多忙だが、ボクはこんな風にのんびりと有機農法の農家が届ける無農薬野菜の籠の中で昼寝をむさぼっていられる。
 ボクにとっては毎日が日曜日で、特に春と秋は毎日が敬老の日なのである。
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宮様はハンドルを握らないで!

2006-09-15 19:49:30 | Weblog
 皇族にも車の運転ができる方は居られる。だが、公務はむろん、私的に出掛けられるのに自ら車を運転されるとなると宮内庁職員にとっては気が気でなくなる。皇族が自らハンドルを握って外出されるのはできるだけ避けてもらいたいであろう。
 ところで、皇族でなくとも「ミヤサマ」は世間には多い。つまりサケノミヤサマ(酒飲み屋様)である。別の漢字では(大変恐れ多いことだが)「酒宮様」ともなる。アルコールが入れば気持ちが大きくなり、まるで「何とか様」にでもなったような気分になるからである。
 酒自体は甘くはなく辛いものだが、とかく日本では飲酒には甘い。ついでに車用族にも甘い。この2つが重なって飲酒運転の事故が絶えない。

 写真の本の著者の井上郁美さんとご主人の保孝さんご夫妻とは2度お会いしている。東京での小さな集まりと山形市の遊学館においてである。この本の裏側には郁美さんのサインで03年11月とあるから3年前(山形)である。
 遊学館では犯罪被害者支援県民研修会の中でご夫妻が講演され、平成11年に東名高速での酒酔いトラックの事故で幼い2人の娘さんを失われ、飲酒運転等による悪質交通事犯の量刑見直しを訴える運動を全国で展開されてきたことを語られた。
 お2人と支援者及び同じく交通事故で大切な家族をなくされた遺族の方々の力が結集して、ついに危険運転致死傷罪が設けられたのである。
 それにもかかわらず福岡で3名もの幼児が命を奪われるような飲酒運転による事故が絶えないのは何故なのか。それは、アルコール依存症者が多いからであるのも勿論だが、車依存症者も多過ぎるからではないか。だから酒を飲んでもごく軽い気持ちでハンドルを握ろうとする。
 禁酒国が多いイスラム諸国でも車の事故はかなり多い。車もまた酒のように、或いは酒以上に人を虜にしてしまう魔力を持つからのようである。
 日本でならば、酒に酔っても車の誘惑には負けるな。
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頑張れ! 街の大先輩 (10) 仏壇屋とマンション

2006-09-14 21:51:46 | 建物
 一ヵ月半ぶりでこのシリーズが復活!
 その昔、湯殿山参詣の行者宿が建ち並んでいた街道筋には現在宿泊施設は見当たらない。現在はマンション街道とでも言えるほどマンションが建ち並ぶ。
 これらのマンションの間に幾つかの老舗が見られるが、この仏壇屋もその一つ。仏壇は山形を代表する伝統産業。だから仏壇屋や仏壇仏具製造職人も数多い。ということは寺院仏閣も多いからでもある。
 それにしても仏壇仏具の古典的外観店舗と覆い被さるようなマンション各階各戸の窓の列との組み合わせは奇妙にして興味深い。

 ※ 下線の部分をクリックすれば関連ホームページがご覧なれます。

★ワンポイント山形語 [「する do」の変化形] するいcan do   すっだい want to do   すんべ let's do   すんな don't do   すっこどない need not do さんね cannot do   さんなね must do  ⇒ [練習問題]それぞれを標準語に訳せよ
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古都ニューヨークと現代都市山形

2006-09-13 20:52:21 | 街づくり

 ↑ 筆者の親戚が八十数年前旅行先から山形へ郵送したニューヨーク(金融街区)の絵葉書。八十数年後の今も現存するビルもありそうである。

 ↑ 山形市の鍛冶町(現・宮町の一部)の約30年前の街並み。このわずか30年でこの面影はほとんど失われた。

 ある本を読んでいたら、こんな記述があったので、以下に紹介したい。

「現在、ニューヨーク市においては、建築後二五年以上を経過した建築物は、歴史的価値をもったものとして、原則、建て替え、改築禁止となっている。とくに、五番街等厳しい規制の講じられている地域では、窓枠の交換すら禁じられており、内部の改善のみしか行い得ないこととなっている。・・・・・・」(青木仁氏の著書『快適都市空間をつくる』より)

 日本の都市とはまるで逆ではないか。25年以上の建造物は防火防災上危険の恐れが大きいから、できるだけ建て替え、改築するのが望ましいとされている。しかも、外観をまったく継承することなく、以前は和風の建物も南欧風の建物になるなど、歴史性が完全に無視されているのが多い。 
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ヴェネチア国際映画祭で『三峡好人』が金獅子賞

2006-09-12 22:43:41 | 街づくり

  ↑ 映画祭が開かれたヴェネチア (写真は上下とも関連HPより)
 ↓ 賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督(昨年の山形映画祭の審査員)

 昨年の丁度今頃開催中の山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員として山形に来ていた中国のジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の『三峡好人』がこのたび国際映画祭としては最も歴史が古いヴェネチア国際映画祭でグランプリの金獅子賞に輝いた。
 これは中国長江にかかる三峡ダムのため水没する古い歴史の都市の住民の悲哀を描いたもので、私がこのニュースを朝のラジオで聞いた時は、山形映画祭で大賞を得た『水没の前に』のことかと勘違いしたが、どうやら互いに影響を与え合った映画のようである。
 それにしても、昨年の山形映画祭での出品作品の中から、H・ザウパー氏『ダーウィンの悪夢』がアカデミー賞候補にノミネートされ、また加藤治代氏の『チーズとうじ虫』がナント三大陸映画祭ドキュメンタリー部門最高賞に輝くなど、山形映画祭は文字通り世界的な優秀作品とジャ監督のような世界的巨匠の映画人が集まる舞台であることが証明されたことになる。
 山形市民の1人として大変嬉しいことである。

 ※ 下線の文字列をクリックすれば関連HPの一覧が現れます。
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昔、造り酒屋。近未来、24Fマンション?!

2006-09-11 21:57:21 | 建物
 確か昭和40年代初め頃までは中心市街地のど真ん中にこんな造り酒屋の建物が並んでいたのだが、時代の変遷はまことに目まぐるしく、やがて移転のため解体されたあとにジャスコが主体の複合ビルが建設された。
 だが、県外の大手資本たるジャスコは素早く車社会の進展に対応し、郊外に大駐車場を供えた大型の新店舗を2店も開店させ、この地から撤退した。
 その後、ビルはそのままで別のテナントが入ったが、やはり経営が思わしくなく、劇場が入る話もあったが、頓挫し、とうとう解体されて、新しいビルが建設されるのを待っているが、なんと跡地には24階建てのマンションが建つという報道がある。
 これにより中心市街地の人口はやや回復することになるようだが、心配されるのは、周辺の古い住居等が壊されて虫食い状態にマンション入居者向けの駐車場が乱造され、街の景観が更に見苦しく殺風景になりはしないかということである。
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史跡・馬見ケ崎川旧河道

2006-09-09 21:59:49 | 郷土史
 「日本一の芋煮会」で有名な馬見ケ崎川は山形城主が最上氏までは山形城三の丸のすぐ北を流れていた。それを現在の市街地北東方面に向きを変えたのが新しい城主鳥居氏であったことは先日書いた(8月1日の記事を参照)。
 それでは旧河道にはまったく水流が無くなったのかと言えば、決してそんなことはない。むろん、水流はかなり小規模で細々としたものになったが、両岸の城下民の生活用水や下流の農村地帯の農業用水として近代に入っても使用され続けてきた。農業用水としては現在も「八ケ郷堰」という名で現役である。
 現在の文翔館(旧県庁)の敷地もその河道であったが、現代になってからは用水路は暗渠となり、市民の目にふれることもなくなっていたが、旧県庁が文翔館という名の文化施設として整備されるのを機に、敷地内に馬見ケ崎川の旧河道と後の八ケ郷堰が流れていたことを記念するために装いが新たな親水空間としてお目見えしたのである。

★ワンポイント山形語 [尊敬語?or揶揄語?]
 山形では神様、仏様、王様、ヨン様に続くような言葉が一般的に使われていたし、現在でもまだまだ使われている。「おじいさん」「おばあさん」のことを「様」付けで言うからである。即ちズサマ、バサマであり、漢字で書けば爺様、婆様となる。だが、「貴」と「様」という尊敬的意味のある漢字を連ねれば「貴様」という見下した意味の軽蔑語となるように、「爺様」「婆様」はむしろ見下した意味や揶揄語として使われることの方が多いようだ。
 かなり高齢の山形人は「ズドバー」というフランス語みたいな言葉を使うことがある。つまり「爺と婆」のことである。
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長男を殺害、二男に家督・・・山形城主最上義光

2006-09-08 18:11:26 | 郷土史
 14世紀に山形入りした斯波兼頼は山形城主最上氏の祖と言われ、以後13代の義俊の時に最上家は山形を去った(1619年)が、すべて男子のみの相続であり、むろん以後の他家の山形城主も、山形藩以外の城主も女子であったという例は知らない。武家社会では、特に城主については男子相続が不文律であったようである。
 だから125代という長い歴史のゆえとはいえ、またすべて男系の中とはいえ、歴代天皇の中に女性天皇が8人も存在するのは不思議でさえある。それは天皇という存在が古代から政治と軍事を超越した精神的・祭儀的性格の故なのかも知れない。
 しかし武家社会では必ずしも長子のみが相続したわけではない。最上家の場合が好例である。57万石の大大名となった最上義光は、父親思いで上杉軍との戦いでも功があった長男の義康(家康の1字)を排斥したうえ殺害し、家康と秀忠に仕えた二男の家親(やはり家康の1字)を後継とした。
 だが、義光はひどく自責の念にかられ義康の菩提を手厚く弔い、義康の菩提寺だある常念寺を領国内すべての浄土宗寺院の触頭にまで格上げしたほどである。

※ 写真は装いも新たな義康の黒光りの供養塔(三日町二丁目、常念寺境内)



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